“Fall In” music by Esperanza Spalding
北海道にもようやく春が訪れて、と言っても日中まだまだ15度に満たない日も多いのでジャケットやストールが必要な日も多いのであるが、それでも日差しの明るい晴れの日には森だけでなく街中の緑もどんどん育ち、人の目にも心にも活力を与えてくれるようになった。そんなとき、日々色濃くなっていく木々の葉に命の強さを感じる。
パワースポットというカルチャーワードを私は日本に来て初めて知ったが、まさに命に力を与えてくれる場所だと言う。信仰を持つ人にとっては勿論聖地と呼ばれる「神聖な場所」が実際に存在するが、信仰を持たない人にとってのサンクチュアリーは心にエナジーと安らぎを与える場所であり、自然と心が赴くのもまた信仰のひとつなのかなと思ったりもする。
もうだいぶ前のことだが、私が愛して止まない隣町、東川町の小さな骨董品店に立ち寄った折、首振りのかわいいキタキツネの置きものに目が留まり「ニューヨークに帰る時のお土産になりそう」と夫と同時に肯いて手に取るなり「紅茶でもどう?」と勧めてくれた店主さんの言葉のままに座り込んでお茶をいただいていると、私たちが選んだキタキツネは「オンコの木」でできていると言われ「初めて聞く名前です」と答えるとイチイ(またはアララギ)という種類でオンコという名は北海道や東北で呼ばれるのだと教えてくれた。
それから神話を織り交ぜながら木々に纏わるさまざまな話を聞かせてくれた中で「森の神様はカツラの木で」の「カツラ」ではなく「森の神様」という言葉に私の好奇心アンテナがトゥルトゥルと両耳から立ち上った。その店に行ったのはクリスマスの頃で道北はすっぽりと純白のパウダースノーに覆われており、森の神様には春から秋でないと会えないのだと言われて(雪が深い為森の中に入れないというだけ)ひたすら次の春が訪れるのを、デスクの前に「森の神様に会いに行く」と書いて待った。
森の神様は、私の家から程近い美瑛町の、何でもない深い深い森の中に、いる。東川町から天人峡までは道道213号線一本道なのだが、森の神様は経済効果をもたらすような観光スポットではないので大きなゲートやましてや売店などあるはずもなく、道路沿いに「森の神様まで400m」の看板があるものの北海道生活5年目にもなる私はこれを頼りに辿り着けたことがまだ一度もない。必ず通り過ぎては戻ることになる。
そうして2キロほども行き過ぎてからUターンし、ゆっくり左側を注視しながら戻っていくと、小さな立て札が見えてくる「森の神様」とだけ書かれた立て札が。
213号線から車で林道に入るとしばらくして行き止まり。その奥に森の神様が鎮座している。
北海道森林管理局の公式発表によると、この木は推定樹齢900年、幹の周りは11メートル以上、高さは31メートルにも及ぶという。
神様だ、と誰もが思うのではなかろうか。周囲には無数の木々が立つもそれらがまるでこのカツラの巨木を崇めるかのように少し距離を置き、守るかのように囲って立ち並んでいる。1本の大木ではなく数本が天高く伸びている様子は何か物語が潜んでいるようにも見え、威厳というよりも凛としている、の方がこの木にはよく似合う。
道道を走る車の音が聞こえないのは鬱蒼としている森のためか、それとも人間には見えない神秘のヴェールがこの場所を包んでいるからなのか、森の神様の袂に立ち、聞こえてくるのは風と、さやさやという木の葉の触れ合う音、そして時折微かに響いてくる鳥のさえずりだけだ。
森の神様の前に立ったら、まず下から上へ向かって眺めてみる。右へ左へと伸びている枝はしなやかな女性の腕にも似て、訪れた私たちを優しく迎え入れてくれているようだ。角度によって違って見える森の神様、ゆっくりぐるりとひと回りしてみるとその大きさに驚き、900年もの間どれだけの生きものたちを見守ってきたのだろうと思う。
ここに来て必ず気付く。大地から頭の先へ向かって何かが辿り上がって来、実際に吹いている風とは違う清々しい気がまっすぐ胸に入り込んでくる感覚。いい気持ちだ。
ここでの深呼吸は森の神様を仰ぎながら、降り注ぐ生命の粒とそこに湛えた閑けさをいただくようにするのがいい。いつもとは違う穏やかな気持ちで帰れるはずだ。それからそうっとその体に触れてみるといい。疲れた心を癒し、浄化してくれるはずだ。そして話をしてみるといい。何かよいことを、幸せな生き方のヒントを教えてくれるはずだ。
カツラには香りがあるのだそうで、森の神様に近付いていくといい香りがすると言う。これを感じられるようになるにはまだまだ森を歩く必要がありそうだがひとつだけ確信したのは、この木が私にとって初めての、心のサンクチュアリーになったということだ。
美瑛や富良野、旭川の観光名所巡りに疲れた頃には半日時間をとってほんのひととき森の神様と過ごしてみるといい。北海道の美しさをまたひとつお土産にできるだろう。
「森の神様」というソフトな名前もいいものだなと思ったら、これは1998年に美瑛町の小学生たちが命名したのだそうだ。森の神様もきっと、子供たちの清らかな心によってつけられた自身の名を気に入っているに違いない。
北海道森林管理局「美瑛・森の神様」
美瑛町ホームページ
「ようこそ東川」ホームページ
all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.