「鳥は言語でコミュニケートする」という話は本当か。知識もないのに確かめずにはいられず、これを知って以来さえずっている鳥に遭遇するとそっと近付き鳴き声に耳を傾けることが多くなった。
5月のとある休日の朝。朝食がてら散歩に出ると、桜の季節とは言え北海道の朝はまだ10℃をやっと超えるくらいでウールのコートをまだまだ手放せず、ポケットに手を入れたままあてもなく歩いた。
我が家から10分足らずのお宮さんに立ち寄ると参道には人影もなく、時折さわさわと聞こえる木の葉を春風が揺らすだけ。この音が心地良く耳をそばだてていたらすぐ近くから、
キュイーキュイーキュルルルルル
夫と私は周囲の木々を見回し、1分も経たずに鳴き声の主を特定した。
あの鳥だ。桜の木だ。
こういう時はむやみに意識し過ぎて身を低くなどするよりも平静を装って普通に歩いて近付く方がいい。この解釈が正しいかは定かでないが、とにかく鳥の真下まで無事に辿り着き、気配を消すよう努めた。
鳥は私たちにじっと背を向けている。人の気配を感じてというよりも、何かに集中しているような佇まいにも見える。
キュイーキュイーキュルルルルル
尾を震わせ神社の隅々まで響きわたるほどの美しい声に息を飲む。いったい何を言っているのだろう、誰に向かって鳴いているのだろう。
すると、
キュイーンッキュイーンッ
同じ声だが跳ね上がるように艶っぽい、鳴き方の違う鳥がどこかにいる。そしてもう一度。
キュイーンッキュイーンッキュイーーーンッ
残念なことに人は実に多くの言葉を持ちながら、こうして鳥の鳴き声を文字にして並べてみると何とも間の抜けた感じになってしまう。が、そんなことにはおかまいなしにカワセミに似たこの鳥は肩を少し持ち上げるようにして、天まで届くような実に澄んだ声で再び、
キュイーキュイーキュルルルルル
そしてまた鳴くのを止めると、鳥は羽をたたみ私たちには見えないように少し俯いた。どことなく悲しげに見える鳥の後ろ姿を不思議に思う。私たちほど複雑な感情を持っていたりはしないだろうに、この哀愁はどこから漂ってくるものなのか。そしてほどなく、姿の見えない鳥がこの声に返すように短くさえずった。
キュイッ
突然、私たちの頭上の鳥はキュッと素早く軽く振り返り、身を固くした。
ぴくりとも動かず顔だけをもっと高い木へと向けたまま、ただひたすらに相手の次の言葉を待つその瞳は、相手に何かを懇願するようにも、また胸に秘めた思いに潤ませているようにも見えた。
咄嗟に感じた。彼等の、これが恋に落ちた瞬間ではないかと。
それからこの鳥は幾度も小さく羽を広げたり立ち位置を確かめたりしながら、一度ぴたっと止まると艶っぽい声の主へと飛んで行った。
自然豊かな北海道は多くの鳥が繁殖地として選ぶ。山を歩いたり車で通り抜けながら呼応するふたつの鳴き声を聞くたびに、ああ恋の季節なんだなと思い幸せを分けてもらっているような気分になる。が、実際にはどんな会話を交わしているのだろう。シジュウカラなどは人間に近い言語のやりとりができると言う。
「下に鬱陶しい人間が2個もいるんだよ、どうしようか。やつらの嫌がるものでも落としてやろうか」
まさかそんなことは言っていないだろうと信じたい鬱陶しい人間2個、次回は何とかして彼等の会話に入り込みたいと独自の方法を模索している。
all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
One response to “Moments #8: Listening to the Loved One”
[…] この前神社で出会ったカワセミに似た鳥を思い出し、鳥と人が会話できるか、この小さな鳥を相手に試してみることにした。 […]
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