“Simple Pleasures” by Basia
6月も中旬になって黄土色の畑に緑の面積が増えてくると、私の「美瑛・富良野」シーズンが始まる。
家から美瑛町までは車で40分ほどであるが、用もないのに毎週末必ず足を運んでは決まったルートを走り、微妙な季節の動きなど感じるのを楽しみに早朝から出かける。
美瑛の丘は畑が多く、作物が育つ季節には緑のグラデーションと土色でパッチワークのように見えることから「パッチワークの丘」と呼ばれるようになった。
純白一色の雪の美瑛も大好きだが、今頃から8月にかけてここに来ると心だけでなく身体も健康になって帰れるような気持ちになるから不思議だ。
パッチワークの丘を巡るなら、朝早くからがいい。十勝連峰に雲海がたなびき、朝露に濡れたみずみずしい緑の香りがすがすがしく、おいしい。
ゆっくりと2,3度、大きく深呼吸をすると、遠くからカッコーの声が響いてくる。
やがて夏の朝特有の霞みが切れ、青い空と強い光の太陽が顔を出すと、丘の風景も目を覚ましたように活気づく。
北海道に来て好きになったもののひとつが青麦畑だ。
西から東へと通りゆく風に引かれるように一面の青麦が波打つさまは、地上の海原。6,7月の北海道は1年で最も気候の良い時で、カラッと晴れた休日などは、青麦畑の前に車を止めてひんやりと冷たい風を受けながら、この光景を何時間でも見ていられる。
パッチワークの丘を巡る「パッチワークの路」上にひとり立っている「クリスマスツリーの木」。美瑛には名前のついた木が多くある。テレビCMに登場した木やパッケージのイラストになった木などさまざまであるが、これだけは個人的に違うなあと、実は見るたび思う。
私だったらこれ、ちょっと長いが「不二家のパラソルチョコレートの木」と名付ける。閉じたパラソルをチョコレートケーキに立ててあるような、そんな風に見えるのだ。
因みに我が家ではこの木とは違う、やはり美瑛の丘に聳え立つもみの木をクリスマスツリーと呼んでいる。一面の銀世界に建つこの木はまさに神に選ばれたクリスマスツリーだが、夏の佇まいもとても爽やかで美しい。古い友達のようにフレンドリーだとも思う。
冬にこの木を見るたび夫は「ライトアップしないともったいないよな」と言う。そのくらいクリスマスで、そのくらい魅力的。私も近くを通る時は挨拶をするようにしている。
昔ハワイのある占い師から「木は人の声が聞こえるから悪口を言ってはダメだ」と聞かされて以来、気に入った木を見つけた時や森を歩いている間、木々に挨拶をしている。彼女曰く「優しい言葉を掛けると、気分を良くしたその木が幸せのエッセンスを降らせる」のだそうだ。
幸田文が随筆「木」の中で、8月のひのきを見ると「活気があふれ」「意欲的に生きている」「もし木がしゃべりだすとしたら、こんな時なのではなかろうか」と書いているが、確かに夏の木にはエナジーとふくよかな心、誇りさえ感じる。
そして木々と話をしながら、何か命あるもの同士のつながりも感じさせてくれていることにも気付く。
美瑛の名物とも言える赤い屋根の家は現在は使われていないが、プロアマ問わずフォトグラファーに人気の建物となっており、フォトジェニックな美瑛の代表的な存在として生き続ける為にメンテナンスが施されているという。
滑らかなパッチワークのうねりは作物の刈り入れまで私たちの心を躍らせ、また安らぎも与えてくれる。
人は手を伸ばせばすぐそこにある幸運を見失いがちになるが、どこまでも広いこの丘に立ってみると分かる、自然に囲まれて暮らす “simple pleasures(ささやかな喜び)”こそが望むべき幸せなのだということが。
all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.