と “We’re in This Love Together” by Al Jarreau
季節を戻すこと春5月、ようやく桜が咲き始めた旭川・神居古潭(カムイコタン)。アイヌ語で「神の住む場所」を意味し、アイヌの人たちにとって神聖な場所とされている。
春から雪の降る前まで自然の美しさを心に刻むことのできる、穏やかで心休まるスポットだ。
この日、桜の写真を撮りに来たもののまだ少し早く写真を諦めて辺りを見回していると、
チッチッ、チュイーーッ
10mほど離れた場所で鳴いているハクセキレイ。高く澄んだかわいい声。
「そうだ」
この前神社で出会ったカワセミに似た鳥を思い出し、鳥と人が会話できるか、この小さな鳥を相手に試してみることにした。
鳥の言葉(鳴き声)を真似しても会話にはならない。ならば人の言葉で。
「おはよう、おはよう」
できる限りハクセキレイの鳴き声に近い高さで抑揚を抑え、何度も何度も話しかけた。
ハクセキレイは私の声を聞いているのかいないのか、ただそこにじっとしていた。辺りは風もなく、他には何の音もない。
「やっぱりだめかな」そう夫につぶやくと、セキレイは背を向け飛んでしまった。
やっぱりだめか。人の、いや私の愚かさを嘲笑するでもなくセキレイはいなくなった。
かと思いきや。ハクセキレイはどこからか飛んできて私たちから3mほど先の欄干に留まった。明らかにこちらを意識している様子。
懲りない私はがぜんやる気満々、嬉しくてたまらず早速再びこの子とのチャットを試みる。
「おはよう、おはよう、いいお天気だね」
同じトーンで何度も同じ言葉を繰り返した。ハクセキレイは一歩ずつ私たちに近づき、こちらの様子を窺っている。私はさらに続ける。
「おはよう、おはよう、いいお天気だね。家族はどこ?空を飛ぶのはどんな気持ち?」
この時、ハクセキレイはクッと顔を傾けた。まさか、私の言葉を分析しているのか。
さらに続ける。何としてもこの子と話をするのだ。
「おはよう、おはよう、今日はいいお天気だね、ここは静かで人もいないから、安心して遊べるね」
なるべく簡単な言葉を、そして彼等の生に関わる言葉を選んで話しかける。すると。
キュイッキュイッ、チッチッ、キュイーーッ
ハクセキレイが声を発した。私は続けて話しかける。ハクセキレイが応える。話しかける。応える。
信じていただけるだろうか、これが20分も続いたのだ。
横でハクセキレイの写真を撮り続けていた夫も目を丸くして驚いていた。このまま掛け合いを続けていたら、もっと仲良くなれただろうか。ところが20分を過ぎたところで、これまでずっと普段出さないような高音でさえずって(話しかけて)いた愚かな私の声が枯れた。
会話が途切れ、私がひとつ咳払いをすると、ハクセキレイは「なあんだ」という様子で背を向け山の方へ飛んで行き、もう戻ってはこなかった。
胸を張って結論を言おう。ハクセキレイと人は、言葉を交わせます。
◆
セキレイという鳥は、本来とても人懐っこいのだそうだ。道案内をしてくれるとも言う。また、セキレイは尾を縦に振る動作をするが、これに関して面白い話が日本書紀に記されている。
「男神・イザナギとその妻、女神・イザナミはセキレイの尾の動きを真似て夫婦の営みを身につけた」
1300年も昔の文学に既に登場していたセキレイ。こうした人(日本書紀では神だが)との関わり合いをとってみても、神居古潭のハクセキレイと私が会話できたって何らおかしくないことに納得がいく、誰が何と言ったって。
ちなみに、私の問いに対するあのセキレイの答えはおそらくこうだろう。
「おはよう、あんた朝から元気だね。空を飛ぶのはそりゃ気持ちいいよ。だけど遊んでばかりいるわけじゃないよ、見たとこあんたは遊んでばかりいそうだけど」