“Crazy You” by Zo! feat. Sy Smith
水平線に紅く大きな太陽がゆっくりと落ちていくのをビーチに座って眺めながら、「今何時かな」「このあとはどこへ行く?」何のあてもなく隣に座る愛しい人と風の吹く方向へ流されていくような、そんな夏を探しに出かけよう、腕時計はデスクに置いて。
アメリカ最古のシーサイド・リゾートは訪れる人の平均年齢が60代?70代?と思えるほどに落ち着いた海辺の町。サーフィンやヨットよりも波打ち際を犬を走らせ散歩する人が似合う、大人の夏を過ごす場所。
ニューヨークの家を朝6時に出発してゆっくりとNew Jersey Turnpike を下って行き、11時前には全米トップ10ビーチにも選ばれたことのあるニュージャージー州最南端、ケープ・メイの美しい浜辺が見えてきた。
「ビクトリアンスタイル・ジンジャーブレッドハウス」が軒を連ね、歴史と異国文化を感じさせるこの風景に誰もが心を奪われる。ヴィンテージの絵本を開いたような美しい街並み。
宿は1867年に建てられたビクトリアンスタイルのB&B。老夫婦の経営で、ハイシーズンだと言うのに一歩足を踏み入れると人影もなく、波の音も聞こえない。遠い昔に来たような、突然知らない国を訪れたような、とても家から4時間の距離とは思えない驚きとせつなさを帯びたディスタンスを覚える。
「この時間は、やっぱりゲストはここにいないのね」オーナーに尋ねると、
「そうね、馬車に乗って街を廻ったりワイナリーに行ったり、ここは見かけよりアトラクションがあるのよ。あなたたちはまだ若いから、自転車でツアーするといいわ」過剰なアクションもなくさらりとした、けれども正直な瞳で語る彼女を私はとても気に入った。ここでの1週間はきっと良い思い出になる。
予約しておいた部屋に通されると時計も、テレビも電話もない。飛び乗らなければ横になれないほど背の高いベッド、広くてゆったりと海を眺められるバルコニー、そして夜風に当たらずとも漆黒の海をいつまでも眺めていられるサンルームのついた贅沢な空間は、私たちを秒針の響かない自由な世界へと連れ出してくれた。
いつしか昼下がり。ランチに出ようと言いながら、バルコニーのチェアに腰を沈めると急にまぶたが重くなって、うたた寝。規則的にやって来る波や馬車馬のポクポクという蹄の音が運ばれ、その心地良さにもうここを動けない。
次に目が覚めたのは首元がひんやりと冷たくなったのを感じた時。日はだいぶ傾いていた。
裏のアートギャラリーやギフトショップを少し見て、明日はゆっくりウィンドーショッピングをしようと決めてから海に戻ってきた。
広い広い砂浜は繊細な白い砂。素足で歩くともうだいぶ冷たい。ロングドライブで今日は疲れたし、二人ビーチに腰を下ろして、手ですくった砂を足先にこぼしながら話をした。
砂の中から、角が取れてまるくなったグラスボトルか何かの破片を見つけた。手に取ると、直径1cmほどの小さい石のような、涙のかたまりのようなもの。そこに通りかかった老人が手のひらの破片を見て言った。
「よかったね、Cape May ダイアモンドだ」
この町では、海を旅して戻ってきたまるいガラスの欠片をこう呼んだ。
人気もまばらになったビーチにもうすぐ日が落ちる。
淡いイエローの大きな太陽は大西洋の空気をたっぷり含んで潤んで見えた。周囲を黄金色に、オレンジ色に、やがて群青が差し始める空は色彩で時を刻み、それを見届けた人々は宿へ、バーへと散って行った。
「今何時ごろかな」「まだトワイライトアワーではないね」
そもそもtwilight hour とは何時から何時を指すのだろう、dusk とはどの程度暗くなるまでを言うのだろう。普段なら大して面白いと思えることでもないこんな話も、分刻みの暮らしを脱ぎ捨てると興味深く感じられてくる。
日本語でdusk は「薄暮(はくぼ)」と言うことを、ニューヨークに戻ってから調べて知った。情景が目の前に広がるような、良い言葉だ。
そうして海から寄せるやや強い風は私たちをコテージへと帰らせた。
「ディナーは軽く飲みながら」。シャワーを浴びて、夏の夜風をよく通すインド綿のドレスに、彼はリネンのボタンダウンに着替えると再び外に出た。
午後6時55分。この町の小さなアーケードで今日初めて時計を見る。
腕時計を外して初めて分かった。私たちは、ベッドに入る時間さえも時に支配されていたことを。仕事をするようになってから、「眠いな、そろそろ寝よう」を理由に寝室に入ったことなど一度もなくなっていた。余裕。この言葉さえ忘れそうだった。
そう彼に伝えると「どうやら野生に目覚めてしまったようだな」と笑った。なるほど、それもおもしろい。これからは本能に任せて生きてみるとしようか。
さし当たって明日、海が朝日に輝き始める頃、海岸線の長い道のりを思いのままにどこまでも自転車で走ろう。