“The Desert of the Moon(月の沙漠)” by Suzanne Hird
少女時代、房総半島の御宿海岸は私にとって「晩夏の庭」、そして「月の沙漠公園」は去ってゆく夏を送るさよならの港であった。
「もう2,3日ここにいようか」父の言葉に期待して私は夏休みの宿題を、プールへ行こうよという友の誘いに揺れながらも御宿のサマーハウスへ行く前に済ませたものだった。
私たち家族の夏のバカンスは毎年比較的長く10日ほどで、父が仕事で戻ることにならない限り2週間滞在することもあった。毎年休みが近くなると、
「御宿に2週間なら2学期からは学校から帰ったら真っ先に宿題をします」
守れもしない祈りをヨコシマな理由で必死に神様へ送っていたことを、今更ではありますがここに告白し、懺悔します。
夏が終わり、2学期が始まるなり私が誓いを破ったのはご想像のとおりである。
御宿町の「月の沙漠公園」には、海岸の一画に物語が立っている。
童謡「月の沙漠」は、詩人で画家の加藤まさを(1897-1977) が1923年 (大正12年) 少女向け雑誌に発表した詩に作曲家佐々木すぐるが曲を付けたもの。
この歌の舞台とされる場所には諸説あるが、加藤が病気療養で滞在していた千葉県夷隅郡御宿町が有力で、のちに御宿町がこの月の沙漠公園を設けると彼自身、御宿を舞台と認めるようになったという話もある。
また「月の沙漠」は一般的に「月の砂漠」(砂)と思われがちであるが、加藤がイメージしたのが御宿の浜であったことから砂浜を意味する「沙」の文字を使ったと言われている。
夏を遊び尽くした人々は御宿を去り、よほど波の高い日でなければサーファー達もそう多く見かけることはなくなって、日が落ちると現実から切り離されたようなあのモニュメントだけがひっそりと立っていた。夜の帳が下り始める頃、くっきりと漆黒に浮かび上がる月の沙漠の王子と妃が好きだった。
まるで国を追われ逃げていくような二人の哀しげな様子が、あの姿を見るたび幼い私の胸を騒がせた。彼等の行く手に何があるのか、最後まで逃げ切れるのかと月の浮かんだ浜辺で、深夜目が覚めた時にもよく思い浮かべた。
弟と私は波打ち際で「月の沙漠」を何度も何度も歌った。幻想的な情景とは裏腹に、描いては波に消されていくケンケンパの輪の中を飛び跳ね、軽快に、笑いながら。
遊び疲れた頃、秋の気配を感じさせる夕暮れ時の空を見上げて弟は、
「涙は出ないけどつらい空だねえ」天の淡いパープルを映したきれいな瞳で言った。
「ああほんとだ、ほんとだね」とつまらない言葉で返したのを覚えている。本当は、弟の大人びたもの言いに驚き、おかしくなったものの笑ってはいけないと唇を固く結んで耐えていた為に適当な言葉が出てこなかったのだ。
5つ違いの私の弟。小さい頃から家族の誰より温かく澄んだ心を持ち、穏やかで絵心があり、詩を好んだ。ベッドタイム、私たちは母の腕にあごをのせて子供向けの楽しい詩集を聴くのが楽しみだった。彼はケタケタとよく笑い、周囲を笑顔にする優しい言葉はいつも、パステルカラーのように柔らかだった。
互いに家族を持った今も、時折二度と戻らない無邪気な時代への愛おしさを心の奥に感じる。彼の脳裏にもこの海が残っていることを願いながら。
旅の終わり、私たちは水際で去りゆく季節に手を振ったが、ずっとここで旅をしている月の沙漠の二人は、この夏も楽しい思い出を持ち帰る多くの人たちを見送ってきたんだろうな。そしてあてもなく沙漠をゆく彼等は、月が空高く上り人気のなくなった海岸で密やかに話すのだろう、
「この海もまた静かになるね。歌でも歌って行くとしようか」
次回”グレーの海と8小節~Gray Ocean & Dim Memory” へつづく…
「月の沙漠」:「こんなに不思議、こんなに哀しい童謡の謎2」合田道人著参照