あの日のことは決して忘れないし、話したいことも数限りない。けれどどのように話せばよいのか、悲しみか、怒りか、恐怖か、ただ複雑な思いが溢れるだけで16年経った今日も私にはよく分からない、ただひとつを除いては。
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大学時代、ダウンタウンへ研修に行った折恩師がワールドトレードセンターの麓から空高く聳え立つツインタワーを指差し「ニューヨークの背筋」と呼んだ。
私はこの言葉がとても好きになり、当時ワールドトレードセンターに用事ができるとそこで会った人に必ず話して聞かせ、彼等は口を揃えて「ここで働けることを誇りに思う」と言った。彼等の中には16年前の今日、命を落とした人もいる。
世界経済の道標、ニューヨークの誇りであった2本の巨塔は卑劣な手段で倒され、家族や友人たちにとっても、また国にとっても世界にとっても大切な命が奪われた。
ペンタゴンの事件でも私は友人を失ったが、私の人生を豊かにしてくれた人たちが一瞬にしていなくなる恐怖と憎しみは、今も消えることがない。
けれどもニューヨークは悲嘆に暮れることなく苦難を希望に変え、さらに強く不死身となるべく新しいワールドトレードセンターを築いている。
事件の3ヶ月後、ニュージャージーからニューヨークの家へ帰る途中、当たり前に見ていたワールドトレードセンターがなくなったことを目の当たりにし、なぜだかその時「ぜったいに負けない」と漠然と呟いたのを思い出した。
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昨日、ヒストリーチャンネルでSeptember 11th の特集を見ていたら、あの事件で家族を失くしたという男性がこう言った。
「明日の今頃死んでいるのなら、せめて今日は幸せでいたい」
これは彼の懇願などではなく意志の強さであり、こうした思いがニューヨークを悲しみの淵から救ったのだろうと私は思った。
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私たちは、明日を知らずとも戦わずして今日、勝者でいよう。不変且つ最強の勝者とは、平和な社会の中で潔く生きて行く姿に他ならない。
今を思い残すことなく懸命に生き、国を守ってくれる人たちに感謝し、明日も明後日も、10年後もこの幸せが続いていることを願うのではなくその実現に努め、誰もが平等に持つ命と幸せの権利を侵そうとする悪に屈せず果敢に歩いていくことを、今日も私たちの姿勢を正してくれる「ニューヨークの背筋」とそこで犠牲となった多くの命に誓う。