“Blue in Green” by Bill Evans
今日この話をしようと思い立ってから、思い出を手繰り寄せ、NYの家から持ってきた写真の箱を5つ開け、宝箱の中からPLAYBILL(ブロードウェイのミュージカルなど、各劇場で上演されている演目の情報が掲載された小さな月刊誌)を引っ張り出したりしながらだんだん寂しくなってしょんぼりしていたら午前3時をまわってしまい、結局執筆は翌日になった。
90年代、映画と言えば私はKevin Spacey かDenzel Washington だった。彼等を見られる作品なら何でも観た。ハリウッド映画の大当たり年であった1997年の”L.A. Confidential” などはW. 58丁目のDirectors Guild Theater で4度観た、毎回Sheraton New York のロビーで夫の仕事が終わるのを待ちながら。”American Beauty” は郊外の家の近くで2度観た。
1998年、Eugene O’Neill がノーベル文学賞を受賞した後に書き上げた傑作 “The Iceman Cometh(氷人来る)”のリバイバルがやってきて、これにKevinが主演した。当時時間を見つけられずにいた私は千秋楽直前の1999年7月、念願叶ってようやく観に行くことができたのだった。
仲間うちでも早くから話題になっており、もう時効であるので話してしまうと、私はこれをどうしても観たいと思って仕事をさぼり、当時入手が極めて困難だったチケットを1度は夫の伝手で、数回は劇場関係者及び役者の友人に泣きつき、最後はダフ屋から$350の2階席を買ってまで観に行ったのだからどれだけ素晴らしい芝居であったかお分かりいただけるだろう。
クライマックス、彼の演じるセールスマン、Hickey が作品のテーマであるpipe dreams(見果てぬ夢・虚夢)と自分の身の上を語るシーン。情けないことに記憶が定かでなくなってしまったのだが、おそらく約30分間、彼がたったひとりで話し続ける。長い長いセリフと身のこなし、その迫力に圧倒され、「これがプロの仕事か」と観るたび心も体も震えたものだ。
ショーが終わると観客は、私も同様に役者の出待ちをする。やがて姿を現したKevin を拍手で迎え、彼はにこりともせずに端からひとりひとり、手の届かない後ろのファンにもぐっと手を延ばしてサインに応じた。笑みもなく言葉も交わさないがやり取りがとても丁寧で、観客とのそうした一定の距離感がまたたまらなくかっこよかった。
私は、憧れのムービースターの内面や私生活にまったく興味がない。露出している部分で秀でているところを見せつけてくれればそれこそがファンにとっての醍醐味だと思っている。本来才能とはエキセントリックなものだもの、世に名を残す人、特に役者のような、別人格になるのを生業としている人には少なからず「普通でない」部分があっていい。
また素晴らしい役者だからと言って素晴らしい人間とは限らない。役者に限ることでもない。ただ彼は人を、多くの人たちを傷つけてきたというのだから、その人たちの心が癒えるだけの代償を長い時間をかけて払っていかなければならないのだろう。
人の数だけ人生があるように、愛し方にも決まった形などあるはずがない。男性であろうが女性であろうが。けれど愛は必ずや、平等な立場の上に成り立っていなければならない。
ドラマも映画も降板が決まり、今、諦めきれないほどに残念でならない。例え彼の才能が類まれなものであっても、社会は、道徳は、人の心はそう簡単に許してはくれない。が、おそらく彼には目指すところがまだまだあったのではなかろうか。それがpipe dreams に終わらぬよう願うばかりだ。
◆
そう言えば、2度目の時だったろうか、私の斜め前の席に日本のこちらも名優、仲代達也氏がいらした。赤と白のギンガムチェックのシャツにジーンズがとてもよくお似合いで、やはり一般人とは違う才能の輝きを放っていた。きっといつかHickey を演じられるのだろうと思っていたが、その話を耳にすることはなかった。
そして来春、この”The Iceman Cometh” がDenzel Washington 主演でブロードウェイに帰ってくる。観たい。その頃NYに帰れないものか。小さな野望が頭をもたげ始めた。