砂に消え過ぎたGUCCI

 

今さっきふと思い出した、もや~っとした自責の念。昔から何度も心を癒してくれたこの曲でお付き合いください。

 

  “To You Sweetheart Aloha” – Charles Kaipo

 

 

学生時代の約4年をオアフ島で過ごしたが、ニューヨークなどの大都市と違い、ご想像のとおりハワイの週末はビーチ・ドライブ・映画・ショッピングかナイトクラブ、と娯楽が限られている。どれもとても好き。でも日焼け? 来るなら来い、VitaminC満タンのピチピチ女子にはやはりビーチだ(後年これもほっぺたのソバカスを眺めながら後悔することになる)。日曜の朝などお宿題をするのもビーチだった。

4

数あるオアフ島のビーチでも行楽客の多いワイキキやハナウマ・ベイではなく、当時は今よりもっとずっと静かだった所謂「裏オアフ」、カイルア・ベイやカネオヘ、更に足を伸ばしてワイメアやハレイワまで行くことが多かった。

2

学生時代、バングルウォッチが好きでいくつか集めて使っていた。一番気に入っていたのは大学の入学記念に父が買ってくれたもので、これは特別な日に身につけるため普段はクロゼット奥深くにしまってあり、毎日学校へしていくのはグッチが多かった。気軽に身につけられるという安易な観念がいけなかったのだろうか。私はハワイにいるうちに、グッチのバングル・ウォッチばかり3つビーチで失くした。

3

何度思い返してもいつどこで、に見当がつかない。友人たちと夢中になって遊んでいるうちに手首からするりと外れて落としたようなのだ。日曜日の夕方、家に戻ると時計が、ない。海に落としたとはどうしても思えない。

2個目はそれから半年くらいした頃だったと思う。この時は帰り道に気付いてビーチへ戻り、遊んでいた辺りを探してみたものの見つからずに、もうバングルをしてくるのはやめようとぼんやり思っていたにもかかわらず、その後1年にひとつのペースで性懲りもなく落としたのだった。3つ目を落としたときには「もう絶対失くさない」と誓いまで立てていたのを覚えている。それなのに。別のブランドのものは失くさなかったのにグッチだけ、どうして。いやそれ以前になぜそうまでしてバングルを選んだのか、私は。

「飽きないねえ」と友人たちには呆れられ、意地になって「ノース(ノースショア)には砂の奥にグッチに恨みのある霊が潜んでいるのかも。彼女を裏切った恋人がグッチの店員だったのかも。それでグッチが視界に入るや否や指先ひとつで消滅させる」こんな無駄話でごまかしてみても所詮は己の不注意でしかなく、大いに反省した私は以降腕時計をするのを止めた。

5

さすがにもう随分と前のことだしどんなに探しても見つかりもしなければ見つかったところで使えやしないだろうが、よくいるでしょう、ビーチで金属探知機を滑らせて歩いている人。きっとそんな人に拾われて売り飛ばされてしまったのかもしれないな、3つとも。

妙なアイデアが頭に浮かんだ。もしも、もしも同じ誰かが3つすべてを見つけていたとしよう。そやつはおそらくこう思う。

「ここに来ればまたグッチをゲットできるんじゃないか?そしたら俺の可愛いキャロリンにひとつ、点数稼ぎにママにひとつ、もうひとつは妹のモーガンにはやらないで売っちまおう。ウシシシ」

そして毎週月曜日の早朝4時半、人気のないビーチで金属探知機をいつもより入念に滑らせることになる、何カ月も、何年も。ハワイとは言え夜明け前の海風は冷たいものだ。風邪も引いただろうに。最後は憑かれたように、探さずにはいられなくなるだろう。もしかすると今も毎週月曜日の午前4時半、とっくに使えなくなった金属探知機を滑らせ、遂には近所の人たちに “MDP(metal detector psychopath/金属探知機サイコパス)” とお安いあだ名の一つも付けられているかもしれない。

いつまでもそうして虚しき夢を見ておれ、フン。

正気に戻って振り返る。そんなわけないか。いつになったらこの思い出とさよならできるのだろう。無駄且つ私の方こそ虚しき妄想で当時の後悔を払拭しようにもどんどんMDPの罠にはまっていくという、何とも情けない年の瀬の夜。

 

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ