ウチューとシチューの関係

 

今日は、宇宙とシチューの「何かある」について。

One Day I’ll Fly Away – Lalah Hathaway & Joe Sample

 

 

スーパー・ブルー・ブラッドムーンの日、地元旭川は曇りの予報で夕方は雪がけっこうな量降っており、駅前モールで買い物を終えた午後6時ごろもまだ小雪がちらついていた。

子供の頃から宇宙が大好きで、流星群や彗星が来るというニュースを知るとその日を指折り数えて待ったものだったが、この日ははじめから期待ができず、駅のロータリーで空を見上げてまたがっかりし、けれどどうにも諦めきれず帰宅するなり私はシチューを作り始めた。

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ただの偶然ではあるのだが、1995年の百武彗星、おびただしい数の流れ星を見せてくれた2000年のしし座流星群の夜も私はキッチンでシチューを煮ていた。1997年11月、これについてはまたあらためてお話ししたいと思うが、自宅バルコニーから土井隆雄さんの乗ったスペースシャトル・コロンビアが飛んで行くのを観た夜もシチューだった。

確かに寒い季節はシチュー率が高くなるが、いくら夫の大好物であってもそう何度も食べるものではないし、偶然とは言え思い返すたびにやはり「There could be something – これは何かある」と思いたくなってしまうのだった。

この夜も本当は別メニューであったのを、急遽あり合わせの材料でシチューを作ることにしたのだ。普通大人ならこんなことしないことくらい分かっている。けれど作るしかない。できることがあるのならしなくちゃ。だって、観たいんだもの、何としても。

午後8時前、愚妻が儚き願いを込めてシチューをかき混ぜていることに気がついた優しい夫がバルコニーに出る。我が家のバルコニーにはおそらく春まで解けないであろう雪が20cmほど積もっており、ズボリズボリと踏みつぶして空を見上げると、

「出てるよ、月が出てる!」

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「何ですって」テンション急上昇である。

シチューは焦げやすいのでいったん火を止めバルコニーへと猛ダッシュ。本当だ、出ている、私の願いが通じたのだ(分かってます、そんなはずはない)。入れ変わりに夫は室内に戻り大急ぎでカメラに三脚を取り付けた。

雪雲に霞むこの夜の特別な月は、時折太陽の光を強く受けながら怪しく浮かんでいた。

私たちは空腹も、また外が-10℃に届こうという寒さも忘れて数分ごとにバルコニーに出ては月を眺めた。日本では35年ぶり、アメリカでは152年ぶりのまさに「世紀の天体ショー」だ。今この世に生きる私たち人類は何てラッキーなのかしら。

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月が欠け始めると、夜空はさっきまでの雲が北風に、あるいは神の吐息に流されて澄みわたり、小さな星屑さえ見せてくれた。

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そして徐々に妖艶な赤を帯びていく。6月の満月を「ストロベリームーン」と呼ぶが、この月はまるで、ひと口かじったら楽園追放の「禁断の果実」。

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そうして、夕食をシチューにしてまで待った瞬間がやってきた。

よく湿度の高い夕方など昇りたての月が赤いことがあるが、ここまで深く染まったのを私は見たことがない。美しい、というより身体が凍りつくような恐怖を与える存在感だった。

もうひとつ驚異だったのが、皆既食の時間の長さだ。2015年4月の皆既月食の際には12分であったようだが、今回は1時間17分もの間月が隠れていたという。残念ながら旭川ではこの間に厚い雲が出てしまったため最後まで観測することができなかったが、不思議がいっぱいの空の贈りものは、これからもずっと心に残っていく風景のひとつとなった。

観られるはずのなかったブラディで妖美な月は寝る頃になっても目の前に映り、同時に宇宙とシチューの謎めいた関係もなかなか頭から離れなかった。下界の小さな一般家庭で作るクリームシチューが星空を操るなど絶対に有り得ないことであるが、証明できたらものすごいことになりそうだと興奮していた。

それから1時間面白い証明方法を考察してみるも、身勝手で単純な私の脳が生み出した結論は所詮この程度であった。

ウチューはやっぱり、シチューが好き。

 

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