初恋時計~桜桃忌に寄せて

「太宰は青春時代と同じなのよ、一度は通る道」と母は言った。

少女時代太宰に心酔していた娘(私)への戒めの言葉である。食い入るように「人間失格」を読む娘の背中を見ながら、あの子はやがてダメ男に人生をボロボロにされるのではないかと懸念したと言う。

以前にもお話したとおり、私は著名人のプライベートライフにまったく関心を抱かない。才能で仕事をしている人のその才能にエクスタシーを感じるからであるが、太宰だけは違った。この人のこと、もっと知りたい。そう思ってしまった。おそらく太宰は私の初恋だ。

小学5年生の時、初めて太宰の著作を読んだ。推薦図書にもなっていた「走れメロス」ではなく、実家の書棚に見つけた「斜陽」であった。「走れメロス」の内部事情(太宰と檀一夫の逸話)を母から聞かされて、理由は今もって解明されていないが、読まない方が良いような気持ちになったのだった。

私の母は教育熱心であったが自身も小学6年で尾崎士郎の「人生劇場」を読んだという武勇伝を持っており、書物はどんなものでも読ませてくれた。どうせ分かりゃしないだろうと思っていたのかもしれない。当然のことながら言葉の意味、ストーリーの全てを解釈できるわけがなく、けれど当時強烈に本から漂う戦後のケオティックな空気に私は落ちた。

それから勉強もお稽古ごともそっちのけで調べた。コンピューターなどない時代であるから地元横浜は青葉台の図書館から都内の図書館を渡り歩き、自由が丘や渋谷の書店を廻り、虎ノ門に勤めていた父をも六本木・赤坂・日本橋とこき使い、塾の帰りには神田の古本屋街にも通い詰め、ある書物からヒントを得ると次の書物を探した。

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そんなふうに太宰漬けの日々を送りながら出会った長篠康一郎著「太宰治 武蔵野心中」は、一番に欲しかった「斜陽」のモデル・太田静子著「あはれわが歌」がどうしても見つからず、代わりにすずらん通りの古本屋でちょうど私の目線に陳列されていたのを見つけたもの。当時でも入手が少々難しい本であると言われたのを記憶している。

この本は、太宰の編集者であった野原一夫著「回想 太宰治」などとともに何度も何度も読み返した愛読書のひとつだが、太宰と心中した山崎富栄の日記文が多く掲載されており、禁断の恋に溺れた二人の生々しい会話は特に当時10代の私には刺激が強過ぎ、一時は嫌悪感に悩んだものだった。小説からも伝わる、すかした口説き文句で都合よく女性に甘えちゃうような、ちょっと安っぽい男の恋心と太宰が彼女に実際に語り掛けた言葉とが重なって、煮詰めたハチミツさながらのしつこい甘さに処女心が胸やけを起こしたのだった。

スキ。キライ。スキなのにキライ。キライだけどスキ。太宰は少女にさえ複雑な愛し方を植え付け、あの頃から私も太宰の愛人の一人であるような気分で生きてきた気がする。

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太宰に関する書物で最近見つけたものに「太宰治必携 – 三好行雄・編」がある。美しい初版本で1981年に出版されたものだ。作家論事典、作品論事典、現代の評価といった大きなテーマ分けがされ、彼を知る、あるいは研究した専門家たちそれぞれにとっての太宰像が披露されている。

私はあくまでも恋しい気持ちで太宰の本を読むし、思ったように解釈したいので誰の意見に左右されるでもないが、物語や随筆についての記述には当時の雑誌等に掲載された書評の抜粋もあり、芥川賞選考で太宰を酷評した川端康成が「女生徒」で大絶賛している一文などは「おお、プロの仕事」と興味深く読み、タイムマシンにでも乗って当時へ立ち戻って生きた言葉を目の前で聞いているような高揚感に背中がぞくっとした。

太宰文学は理屈で解釈してはいけないと思っているから良い気分で読めるばかりではなかったが、知らないことにも多く出会え、なかなか楽しい本であった。

時が経ち、日本を離れ、多くの小説や小説家と出会い太宰との時間が少なくなっても、折に触れ書棚に、まるで墓石のように腰を落ち着けて私を見つめる彼の小説群を前にすると、懐かしさと愛しさが、何度でも込み上げてくる。

太宰治を形容するとしたらどんな言葉を選ぶかと尋ねられたら、私は迷わず “charming” と答えたい。長編も短編も多く残し私はどれもとても好きだが、無頼派と位置付けられた彼の名作たちはもとより、「フォスフォレッセンス」のように夢現な物語がとてもチャーミングな作家だと思うのだ。

太宰を「ブーム・メーカー」、本の虫として成長させてもらった存在だと言った母は松本清張に終着した。私にも好きな作家は多くいるが、愛すべきこの小説家への想いを閉じ込めた初恋の時を、私はこのまま止めておくつもり。ネジは巻かない。先へ進めなくたって一向に構わない。何十年と太宰文学に酔いしれながらも人並みに分別は身についたと自負しているし、幸運なことに男を見る目にも長けている(はず)。それを証拠に太宰さんのような男に引っ掛かったことなど一度足りとない(はず)。

6月19日、桜桃忌。ふと思った。太宰さんは一体何人の初恋の人になったのだろう。やっぱりなかなかに罪な人。