Category: Coffee Talk
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Gusto~心になじむもの
“Put Love, Love, Love in It” by John Staddart 「コーヒーメーカーは手入れが面倒だ」と常々思っており、それを理由に長年Chemexを使ってきたのだが先日壊してしまった。新しいものを手に入れるまでの間、さてどうするかと思案した挙句に思い付いたのが、もう30年も使っているカラフェの代用。 さて日曜日の早朝7時前。仕事が立て込んでいる朝はブレクファストを摂らない。健康のためとガマンして飲む青汁のスムージーと4種類のサプリメンツ、そして1杯のコーヒーで私の1日は始まる。食事はせずともコーヒーは必ずその朝の気分でカップを選んで飲む。 なかなかいいでしょう、これ。ニューヨーク北部、マサチューセッツ州との境にある小さなアンティークショップで見つけたカラフェで、1890年代のイギリス製だと聞きながらも安価だったため話半分に聞き、結局はアンティークでなかろうがMade in UKでなかろうが、とにかく姿と色が気に入り持ち帰って以来の付き合いである。 心がとても喜んで、その日からワインがより美味しく、ダイニングがより楽しく、食器棚がより美しく見えるようになった。 Funkyで気取らない我が家のカラフェはホームパーティーの場でも好評で、使う楽しさのみならず見せる楽しさも、この出会いのおかげで味わうことができた。 厚手で深いので保温力にも優れており、使い始めてからすっかり我が家の「朝の顔」。これはもしかするとChemixを上回ってしまったかもしれない。 コーヒーカップは、これももう20年以上使っているTiffany製。当時Tiffanyは、先だってF.G.S.W. Maruがご紹介したBordallo Pinheiro を思わせる(カップに表示はないがおそらくBordallo Pinheiro)ポルトガル・メイドの陶器シリーズをいくつか出しており、このデザインには私のマテリアルガール・サイドが抑え切れず、マンハッタンの本店で見つけるなり購入したものだった。私はこれで紅茶も飲む。 ◆ 手になじみ、心になじむ。ブランドやクオリティに関係なく愛着を持てるものと暮らすのは楽しく、人生の小さな日々を豊かにしてくれる。 だから私は心に従う。心を先頭に立たせて歩き、心の求める出会いに誠実でありたい。このカラフェのようなものにも、人にだって。
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September: Freshly-Brewed Santa Fe Morning
“Love Has Fallen on Me” by Rotary Connection サンタ・フェは広いアメリカの中で最も好きな町のひとつ。歴史、文化、風俗。どれをとっても魅力に溢れ、訪れるたび新しい何かを与え、感じさせてくれる。 朝が大好きだ。いや夜遊びレンジャーだからミッドナイトもたまらないが、普段どんなに仕事が忙しくて夜更かしをしても朝はぱっと目が覚めて晴れだろうと雨だろうと、その朝のムードをからだいっぱいに取り込むことにしている。 サンタ・フェの朝は、淹れたてのアイスティーのように爽やかで、そしてコクがある。 特に9月は真夏の暑さが和らいで、朝はもともと涼しい町だが日が高くなっても午前中は清々しい、気がつけば太陽の下を歩いていると言っても過言ではないほどに。都会の公園を歩くのとはまったく違った、ふれあいの多い散歩。これが「コク」の部分。 そしてこの町の朝を歩くと、 “One day in September love came tumbling down on me ~” サイケデリック・ソウルなど歌ってしまう。道路を行き交う車にも道行く人にも慌ただしさなど少しもなく穏やかだが、爽やかな風に心がエナジェティックになるのだろう。 そう、誰かと巡り合って心に恋が生まれた時のような新鮮な驚きや喜びに似ている。 サンタ・フェに来たら朝は必ず散歩をする。当てもなく歩きながらネイティブ・アメリカンのバザーを覗いたり、アートの町にふさわしい色とりどりのハンドメイド雑貨の店に立ち寄るのも私たちの決まり。無造作に飾られたものたちには深い民族性に起因した迫力があり、手に取らずとも心が引き込まれる。 ナバホ族など、ニューメキシコ州はネイティブ・アメリカンの居住地としても知られるが、町には彼等の文化や信仰が息づいており、人の手によって作られたものにも彼等の魂が吹き込まれている。眺めて、触って、身につけて初めて彼等に出会えるような気がする。 そしてカラフルな手作り工芸品はどれも眩しい朝の太陽によく映える。 サンタ・フェを代表する観光スポット、本当は観光スポットなどというフラットな表現はしたくないくらい豊かな芸術に満たされたCanyon Roadは1.7kmにわたるギャラリーストリート。画廊の多くが庭を持ち、ブロンズ彫刻やクラフトアートなどが設えられている。 少しずつ日が高くなってきて9月とは言え「暑いな」と思ったら木陰を選んで歩く。日なたとの気温差も、新しくやってきた秋風もすっきりと心地良い。 街角のレストランでブランチを食べたらしばらく二人で旅の話でもして、午後になったらまた歩く。思い出づくりなんて忘れて、ただひたすらに今日の気分が向かう方へ、またRotary Connection でも歌いながら。
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北海道ソフトの夏2017 #1 ~ Introducing “Soft Cream Day”
“One Hundred Ways” by James Ingram 7月3日は「ソフトクリームの日」なのだそうだ。となれば道民としては黙っちゃいられない。日本社会未だフレッシュマンの私には他県の事情を知る由もないが、北海道の夏はソフトクリームで盛り上がる。 由来は1951年(昭和26年)7月3日、東京、明治神宮外苑。進駐軍が主催したカーニバルで販売したのが日本で初めてのソフトクリームだった。このイベントを記念して1990年(平成2年)日本ソフトクリーム協議会がこの日を「ソフトクリームの日」に制定したという話。 話は変わるが、毎年旭川近郊地元紙ライナーが「ソフトクリーム・ラリー」なるイベントを開催する。約1カ月間に紙上で紹介された100個以上のソフトクリームを食べた数を競うもので上位入賞者には賞品も出る。 今年は104種のソフトクリームを評価付き紹介しているもののソフトラリーの案内があったのかなかったのか分からず、ただそんなものがなくたって旭川っ子はソフトを食べまくるのだということで、ソフトラリーがないのなら、全道あちらこちらでおいしいソフトクリームを探訪しようと考えている。 私にとってバニラソフトの代表と言えば、江丹別町(えたんべつ)の伊勢ファーム。「青いチーズ」で全国区の認知度を誇る伊勢ファームのソフトクリームは濃厚でしっかりした甘さ。実はあまりバニラフレイバーを食べることのない私もこちらのソフトは時々無性に恋しくなる。 江別市野菜の駅 ふれあいファームしのつにて。わりにさっぱりとしたバニラ味のソフトクリームに、デコレーションの麦わら帽子はチーズパイ。個人的にバニラは甘みの強い濃厚なお味が好きなので少々物足りなさを感じたが、リフレッシュしたい時に食べるソフトクリームとしては上出来。つくづくバニラソフトひとつ取ってみてもお店によって随分と違うものだと感心する。 北海道民のソフト好きはまるでアメリカにいるような錯覚を見るようだ。どこへ行っても、例えばご当地ソフトを看板にしている道の駅でなくても、ショッピングモールのバスキン・ロビンスでさえ老若男女かわいいサンデーなど食べている。この光景を、私は東京で見た記憶がない。こんな道民が私は大好きだ。 ご当地ソフトの楽しいところはさまざまなフレイバー。こちらは芝ざくら滝上公園の「芝ざくらソフト」。芝ざくらってどんな味?とまず考える。 その年によって開花状況が異なるが、5月下旬から6月中旬までシバザクラのピンクの丘は世界中からの観光客で賑わう。この美しい丘にちなんだソフトはチェリーフレイバー、だと私は思っているが、あくまでもシバザクラソフトなのだそうだ。 不覚にも今シーズンのスタートを切ったのは、実はソフトクリームではなくジェラートだった。 上富良野・深山峠のトリックアート美術館横にある深山アイス工房の「ハニーキャラメル&ハスカップジェラート / Honey Caramel & Haskap Gelato」は絶妙なコンビネーション。 アイヌ語の「ハシカプ」から名付けられたハスカップ(Haskap)は北海道苫小牧市(とまこまい)勇払原野にのみ自生する木の実でブルーベリーのような爽やかな味の実をつけ、道内では主にジャムとして加工され、我が家でも夏が来るとブレクファストのヨーグルトやアイスクリームに添えて楽しんでいる。 ジェラートの後ろには雪解けの十勝連峰が美しい。フォトジェニックなスポットで北海道らしいスナップを撮るならここはなかなかいい。 北海道内ソフトクリームの旅にはこれがなければ、というのが中富良野・ファーム富田のラベンダーソフト。リッチでラベンダー香るヴァイオレットカラーのソフトクリームは濃厚ながら爽やかな風味。 実は最初、アロマオイルを食べるようだという先入観があったが、その心配は愚かなだけだった。これを食べずに富良野を去るのはもったいない。ラベンダーのおかげで後味がスーッ。 番外編。旭川近郊ではないがちょっと嬉しくなったのがさっぽろ羊の丘展望台で出会った「白い恋人ソフト」。期待していなかったのでチョコレートとのミックスにしてしまったが、失敗。これは白い恋人ソフトだけを楽しんだ方がいい。ソフトクリームというよりも「良いお菓子」という印象を持つ。 北海道にもようやく遅く短い夏がきた。これから秋風の吹き始める8月中旬まで、ライナーの紹介した104個のうちいくつ掌握できるか。100個目指してさあ、小旅行に出かけよう。
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「ふと」の豊かさ ~ Art of Insensibility
“Special Way” by Kool & The Gang 1日が50時間あればいいと思ったことがある。 時間と文字に追われ、ゆっくりと食事を摂る時間もない時には、サンドウィッチはよくできた食べものだと思いながら右手でキー、左手にパストラミのサンドウィッチを持って仕事、ランチ、仕事、ランチを交互にこなしていく。チャップリンの「黄金狂時代」のようだと友人たちと笑ったことがあった。 もちろん週末はやってくるけれど、その週末さえも必死に消化しようとしていた。 が、北海道に降り立ち、仕事から離れてしばらく経つと、これまでとは違う自分が生まれたことに気付く。 ふとした光景やその日の天気に心が大きく動くのだ。無意識に空を見上げ、両手をいっぱいに広げて新鮮な空気を吸い込み、道端の花をしゃがみ込んで眺める時間がとても多くなった。本当に、無意識に。 重たい雲の広がる日のポピーは、色鮮やかなのにどこかアンニュイなルドンの描いた絵に似ていると思った。そういえばルドンはちょっと目を背けたくなるような不気味な(そして滑稽な雰囲気も持ち合わせた)絵も残したが、後年描いたさまざまな花の絵を私はとても気に入っている。繊細で華やかで、儚くて。 「ふと」は心の余裕が生む小さな、そして豊かさに満ちた衝動だ。 6月は全道で道花のハマナスをはじめルピナスやマーガレットなど多くの花が咲き乱れる。 私はニューヨークでルピナスを見たことはなかったし、マーガレットにしても街角のデリへ行くと店先に1ダース10ドルのブーケで売っており、それを疑いもせずかわいいと思っていたのだが、北海道ではどちらも野原や田んぼのあぜ道など至るところに咲いている。 花咲く野原は天使の楽園と言いたくなるほどで、同じ花の美しさでも大地から太陽へ向かって伸びているものと、命を切り取られたものとでは違うものだとあらためて思い知らされる。 そして素晴らしいことに、花々を摘んでいる人を見たことがない。 もちろん、切り花だって嫌いではない。刈り取られたラベンダーなどはビビッドな紫色と心安らぐ爽やかな香りを、つい手元に置きたくなってしまうもの。 ある朝、ふと日差しのとても明るいのに気付いてバルコニーに出て空を見上げると、haloが二重の大きな虹の輪となって太陽を囲んでいた。こんな神さまの遊びを見た日は何かいいことを期待するが、たとえば何もない日で終わっても、小さな良い思い出は残る。それだけでいい。 富良野のラベンダー・イーストには地下水をくみ上げるかわいいフォーセットがある。近付いて手を差し出すと真夏でもあまりの冷たさに驚き、またひとつ地球という星のシステムを実感して嬉しくなる。これもまた地方暮らしの魅力、ここで暮らせる私は幸運に恵まれた。 夏の美瑛町にやってくると、ゴッホの描いたアルルの風景を思い出す。週末にふらりとここを訪れて何の気なしに小道など撮ってみるとほら、油彩にしか見えなくなったりするから不思議だ。 心にゆとりがある時は、空模様によく気がつくものだ。リビングルームが急に陰り始め、何故だか少し不安になって腰に手を当て窓の外を眺めると、大雪山系が普段とは違う顔を見せていた。 漆黒の雲が山の頭上に垂れ込め、輝くような白い雲が降らすのは雨か、雪か。こんな日は、天が何か重要なことを私たちに伝えているのではないかと思えてならない。 休みの日のドライブから帰る途中、田んぼに夕陽のリフレクションがとてもきれいで車を止めた。特別な風景でなくたって、ふと目に留まったものがいつまでも心の中の「美しいものだけを置く部屋」に飾られることもある。きっと、この日の夕陽とどこからともなく聞こえてきたカエルのかわいい鳴き声を、忘れることはないだろう。 私はやがてまたニューヨークへ戻っていくが、ここで見つけた「ふと」というささやかな衝動をいつまでも大切にしたいと思っている。 けれどいつかまた忙しい日々の中で「ふと」を忘れそうになったなら、迷わずここに戻ってこよう、疲れた心が故郷を求めるように。
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Count Blessings in My Twinkle Lair
“Darn That Dream” Music and Performed by Bill Evans 何もない日に自然と心の赴く場所が、ひととき心を浸したい隠れ家が小樽にある。 「北一硝子」は小樽が誇る老舗硝子製品ブランド。この町を訪れ北一の硝子を手に取らないまま去る人はおそらくそうはいないだろう。優しい風合いの北一のガラスは小樽の思い出を、消えることのない暖炉のようにほんのり暖かく残してくれる。 北一3号館に私の、その場所がある。「北一ホール」北一硝子のカフェテリアだ。 観光客が幸せな笑顔で行き来する通りから3号館に入るとそこは地下壕、を私は知らないが、100年も昔へ誘うラビリンスに迷い込むようなコリドー。10歩進んで外を見ると明るい太陽に照らされた普段の小樽があるのに、手の届かない星のような気持ちにさせる異空間。 冷たい石の壁に小さく灯るランプが連なり、目で追っていくとその奥は更なる迷宮。自ら足を踏み入れるのに一瞬、緊張する。北一ホールのエントランスはまるでブラックホール。 店の中は広く、高く、そして暗い。167個もの石油ランプの明かりだけが煌めき、突き当たりのガラスの壁にリフレクションとなって銀河をつくる。 客の顔は見えない。時折出入りする人の足音とギーギーという木床の軋音が静かに心地良く響く。遠い過去への鉄の扉を自ら開いたような、そんな音にも思えてくる。 店自慢のアイスロイヤルミルクティーは、紅茶の苦みにまろやかなミルクが穏やかで贅沢な、成熟した大人に似合う味。ソフトクリームが少し溶けてからがおいしいと私は思っている。白くシャープな螺旋が消え始めたら良い頃合だが、そのほんの数分を、天井や壁のステンドグラスを眺めながら待つのが楽しい。 ここでの会話は小さな声で。特別な話などしたくない。ましてや別れ話などしない方がいい。そのあとしばらくは来られなくなってしまうから。 この店で何か読むのなら、小説よりも詩集がいい。小説に夢中になってこの時を味わうことを忘れてはもったいない。そしてホールに広がる銀河は、言葉の世界をより豊かにしてくれる。 今日はロルカの詩集を持ってきた。 And After The labyrinths formed by time dissolve. 時が形成した迷宮が消えていく。 (Only desert remains.) (砂漠だけが残る。) The heart, fountain of desire, dissolves. 心と欲望の泉が消えていく。 (Only desert remains.) (砂漠だけが残る。) The illusion of dawn and kisses dissolve. 夜明けの錯覚と口づけが消えていく。 Only desert Remains.…
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Last Supper, Last Song #2
Music by Ambrosia “Biggest Part of Me” 音楽でも聴きながら。 地球での仕事を終え、空へと自分の魂を送る時のBGMを選ぶのもまた「最後の晩餐」同様究極の選択。さて2017年3月25日現在、あなたは何を選ぶ? 遡ること大学3年の春。付き合い始めて半年の恋人テイは、よく晴れた日曜の朝に私を呼び出すことが多く、週末の朝はたいていセントラルパークの散歩から始まった。 9時少し前。セントラルパーク・ウェストを下っていくと、パークの入口でテイが左の肘に買い物袋を提げSunday paperを読んでいるのが見えた。新聞で顔が隠れていてもすぐに分かったのは、彼の履いていたティールグリーンのブリーチを私が気に入っていたからだ。 「遅れたね、おはよう」 「元気?オレも今来たとこだよ」 新聞をたたむと彼は買い物袋の中を見せて「ブレクファスト」と笑った。りんご2つとスナップル(瓶入りのフレーバード・アイスティー)のピーチティー2本がこの日の二人の朝食となった。 パークには動物園やカルーセルなどのアトラクションがあるほか池でボートを漕ぐこともできるが、私たちが好んでしていたのは橋巡り。セントラルパークには30以上の美しい橋やアーチがあり、おしゃべりをしながらそれらを渡ったり下をくぐったりするだけでも楽しめる。最も美しい橋のひとつ、1862年に造られたBow Bridgeの欄干には気品があり、ぼんやり眺めていると、日傘を差したドレスの貴婦人や馬車に乗る紳士、100年以上も昔の風景が浮かび上がるようだ。映画の撮影などにも登場する。 テイと私はりんごを片手に時折シャクッとかじりながら橋を渡り、2時間も歩いただろうか、疲れた頃、近くの芝生に腰を下ろした。 学校の話などしていると、すぐそばでピクニックをしているカップルのラジオからこの曲が流れてきた。 You’re the biggest part of me You’re the life that breathes in me And I’ll be your savior to you For the rest of my life するとテイが突然、私の目をじっと見つめたまま歌い始めたのだ。 両手を胸に当てて大声で歌う彼の姿を周囲は笑って見ていたが、私の心の野原には一斉にピンクやイエローの花が咲き始め、小川のほとりからはきらきらと輝く極太の虹がハープの音色とともに緩やかなカーブを描いて延びていく。さらに私のおめめからは金色の星が次々とこぼれ落ち、脳天からは独立記念日級の花火がバンバンと打ち上がっていたはずだ。 私でなくても、20代女子なら誰だって”rest of my life(一生)”なんて言葉を投げかけられたらときめかずにはいられない。 テイは私を「恋する乙女」に化かし、それからまた1時間歩く間、絡ませた彼の指先まで「私のものだ」などと思い過ごしながら、ランチをしようと街へ出た。…
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Last Supper, Last Song #1
人として、この美しき地球で最後に口にするもの、 選べるとしたらあなたは何を思い浮かべますか。 もう10年も前、ある男性誌(既に廃刊)に、東京・ニューヨーク・ロンドン・パリ・ミラノで活躍するビジネス・エグゼクティブをひとりずつピックアップした小さなコーナーがあった。 行きつけの店や好きな時計のブランド、今乗っている車、描いている夢などを回答させるもので、見る人によっては共感を得にくいスタイリッシュな固有名詞がコーナースペース狭しと並んでいた。それだけなら選ばれた人のスタイルや雑誌自体のクオリティが想像できてしまうため毎月読もうなどとは思わなかったろうが、ひとつだけ、私の購読理由となったのが5問中最後のクエッション。 「最後の晩餐は何がいい?」 編集部がこの質問を投げかけた意図はいくつも考えられるが、おそらく5つほどの質問の中で最もパーソナルで正直に答えたくなるものではなかったか。 回答をひとつひとつ見てみると、世界中を飛び回り知識・経験・自信を身につけた彼等とは言え慣れ親しんだ食べものを選んでいたあたりは人間くさくて誰しも好感を持ったはずだ。 東京。ごはん・お味噌汁・納豆、お漬物など日本男児を誇りたくなる答えが多かった。「最後は極上の米」には思わず「そうかこれも捨て難い」。 パリジャンは食にも美しさが感じられる。生牡蠣を冷えたシャンパンで味わうとか、最後はりんごのプディング、とか。ロンドンボーイも子供の頃から食卓に上っていたであろうフィッシュ&チップスやビーンズ・オン・トーストなど選ぶところが愛らしい。 ファミリーを大切にするミラノの男性は、こちらも納得、お母さん、おばあちゃんの作るイタリア料理を挙げ、ニューヨーカーは、ああやっぱり、な「ステーキ」が大半を占めた。 地域性もさることながら暮らしぶりや育ってきた環境、また男性らしさ ― 大袈裟に言うと別れ際の男の美学たるものを垣間見ることができたようで、毎月大いに楽しませてもらった。最後の晩餐は決して悲しげなものなどではなく、彼等にとって、また私たちにとって「好き」と「思い出」を集約した、人生のフィナーレを飾る、まさにパーティーメニューであると言えよう。 けれどこのコーナーで最も気に入ったのは、選ばれた食べものの数々よりも彼等の答えが実に明快だという点だった。 性別に限らず、価値観や美意識をしっかりと持っている人は誰かを目標に掲げるでもなく日々を懸命に生きる自分の中から理想の人間像を創り出している。 まだるっこしいことを言ったが要は「ブレてない」。 「最後の晩餐」は彼等の、そんな本質を引き出そうとしたクエッションだったのではと思ったりする。「最後の最後」という究極の選択をスパッと言い切るかっこよさを、編集部は想定していたのではないだろうか。 常に潔く、清々しく自分らしさを表現できる己でありたいものだ。 「最後の晩餐」に出会ってからしばらく経ったある日、ツイッターで尋ねてみた。 「The Last Supper、あなたなら何を選ぶ?」 読者のターゲットが絞られた雑誌とは違い世界中のあらゆる職業を持つ人たちからの回答には、駄菓子屋に溢れる見たこともないお菓子を集めたような楽しさがあった。5つ星の高級ホテルで出会うメニューから家庭で生まれた創作料理、アメリカが誇るピーナッツバター&ジェリー(サンドウィッチ)まで。 そして私。 「20XX年現在、揚げたてのクリスピーなフレンチフライ。理由などない。365日好きなのだ」 多くの人たちから共感を得られたものの、価値観・美意識の欠片も感じられない何ともブレブレな回答。そしてこの答えが未だ変わらないことに、融雪の始まった北海道でカルディコーヒーファームのミントココアを飲みながらちいちゃくなって恥じる、2017年3月のとある日曜日である。 清々しい己を築き上げるにはまだまだ修行が足りない。 top photo by Emmy Smith