Category: Hokkaido Goodies
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伝統に集う~旭川市・男山酒造「酒蔵開放」
2月10日、日曜日。仕事の合間を縫って、北海道生活7年目にして初めて以前よりの望みであった催し物を訪れた。この日は午前9時の段階で-13℃、厳しい寒さではあったが穏やかな空で、酒など飲めもしないくせに「祭り」が好きだというだけですっかり酒豪気分であった。 開館は午前10時。その少し前に到着すると、広い駐車場のある店舗はすべてこの日のために、男山酒造「酒蔵開放」のために開放されていた。我が家は近隣のホームセンターに車を止めて時々ずるずると滑りながら軽やかなパウダースノーの中を歩いて行った。 そう、この日は年に一度の「酒蔵開放」酒造り真っ只中の男山酒造の庭で地元民に酒をふるまってくれる行事である。1979年に始まったこの催し、今年は40周年に当たる。 我が町旭川に現存する老舗酒造は私の知る限り「国士無双」で知られる高砂酒造と今回訪れた男山酒造、1887年創業の老舗である。 男山酒造の庭には小さな庭園があって、春から夏にかけては美しい花が咲き誇り、秋になると紅葉を眺めながらその前を通る。また市内にある「男山自然公園」はその昔アイヌの人たちの暮らしの場であった突硝山という丘の南に位置し、4月になるとカタクリやエゾエンゴサクといった北海道の春を告げる愛らしい花が咲き、ちょっとしたトレッキングコースになっていて日差しが暖かくなってくると私たちも散歩に出かける。開園期間は短いが無料で散策でき、「地元あっての」といった心意気を感じる。そういえば、ザゼンソウという不思議な植物を初めて見たのも男山自然公園だった。 酒蔵開放では2回の鏡開きを行うが、縁起をかつぎ?1回目をしかと見届ける。 当日男山がふるまってくれた2種類のうち、清らかな雪解け水のように美しい、澄んだこちらが樽酒。寒さもあったろうが、香りのきつい酒ではなかったためか本当に水のように見えてこれなら1杯飲み干せるだろうと、前身は江戸時代に遡る老舗酒蔵の逸品を軽く侮る。 隣のブースでふるまっていたのは「平安~室町の酒」かめ酒。発酵途中の酒だろうと夫は言っていたが本当?酒を知らぬ私はしゅわしゅわの甘酸っぱいこの濁り酒をとても気に入った。「これはおかわりだ」と思うや否や身体がかる~くなり始め、異変に気付いた夫が「ゆっくり飲みなよ」と警告を与える。が、私は滅多に人の言うことを聞かぬ我儘一徹な性分である。 左がスムースな口当たりとキリッとしたお味の樽酒、右が微炭酸の嬉しいマイルドなかめ酒。「少しだけお願いします」と言ったのになみなみ注いでくれ、「絶対飲めないのに~」と言いながら気がつくと平気で減っているのであった。いかん、これはいかんぞ。 「かわいい雪国」でおなじみの北国冬の風物詩 “Kids on the Sleigh” である。あとひと月もすればこのかわいらしい姿も見られなくなるな、ちょっと寂しい。 この日最も衝撃的だったのは朝摘み野菜ならぬ朝搾り酒「今朝ノ酒」。試飲できることもあってか長い列ができており、やめておけと諭す夫を振り払い愚かな妻は列に加わる。私の前でこのボトルを買っていた人が「これ何度?」と尋ねると「21度ね」。無理だ、さすがにこれは飲めない。せっかくしおらしく「すみません、ほんの1cmくらいお願いします」と言ったのに「なあに言ってんの、ほらいいからいいから」とやはりなみなみ。 仕方ない、それに縁起ものである、何事もチャレンジだと口にしてみるもさすがに強い。個人的にはヴォッカを口にした感覚。当然ながら半分で断念。すぐさま大好物の甘酒試飲コーナーへと急いだ。男山の甘酒は非常に美味であったはずだが無念、どうにも思い出せない。 これより奥のフードコート広場も飲んだり食べたりの幸せな人たちで溢れており、更に奥の倉庫内では男山のブランドを彩る多くの品種が販売され、試飲も勧められていた。けれどこの頃になると、表情も口調も変わらないが意識が確かに遠のいており、これ以上の試飲は断念せざるを得なくなっていた。 楽しい冬の催し物と酒を含んだ温かさが嬉しい朝であった。人出は分単位で増えていき、私たちが帰る頃にはたいそうな人だかりとなっていた。旭川の伝統を味わおうと市民が集結する。この賑わいには独特の温度と躍動感がある。地元民の心の結びつきなのか、それともこの旭川で町とともに生きてきた男山酒造の吸引力なのか。 いつにもましてぼんやりな頭で考えてみるまでもなく、まだまだひよっこの旭川市民は己の町に愛着を持つ地元の人たちが誇らしく思え、ここに住まう己の幸運に浸り、どっしりと優しい男山酒造の存在感に安らぎを得たような有難い心持ちで意気揚々の男山の庭を後にした。 心踊る酒蔵開放、きっと来年もと思ったのは私だけではない。幾種類もの酒を続けざまに飲み干す妻を横目に「来年はさ、タクシーで来ようね」と呟く夫であった。
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図書館までの道
雨上がり、旭川小記。 私たちの人生は道でつながっている。私の生にもさまざまな意味を持つ多くの道が延びており、交差している。それらの中には避けたいものもあれば、大好きな虹色ロードというのも超個人的見解onlyで存在する。 一応は文章を書く人間であるから書物との関わりは深く、図書館との付き合いもひと月の半分ほどの頻度なのだが、図書館で過ごす時間もさることながら私はそこへ辿り着くまでの散歩道を実に気に入っていて、いや気に入っているなんてものではなくむしろ至福のひとときとさえ言いたいほどに好んでおり、それを理由に図書館へ行くこともある。 旭川市中央図書館は大きな公園の中にある。 駐車場に車を止めると目の前には大きな池が広がる。池の前から左へ行けば程なく図書館。けれど陽気が穏やかなら右へ折れ散歩道をぐるりと一周して図書館へ行く。 ここ常磐公園は旭川を代表する名所のひとつで「旭川八景」に、また「日本の都市公園100選」にも選定されている緑豊かな市民の憩いの場である。明治43年(1910)開設、大正5年(1916)開園というからどれだけの人がどのような出で立ちで誰と歩いたのだろうと考えると想像が尽きず胸が躍る。 平成最後の2018年はこうである。揃いのウェアでウォーキングをする俊足老夫婦、野原で小さい子供を遊ばせる美脚の若い母、先へ先へと急ぎたいトイプードルに着いていくのが大変な苦笑いの少女。三世代、四世代、公園への慈しみが漂う。 公園の敷地には図書館の他に上川神社頓宮や道立旭川美術館も設けられている。私は神道について知識を持たないので調べて初めて知ったのであるが、頓宮とは仮のお宮さんという意味だそうだ。親しみやすい佇まいの、居心地の良いお宮さんである。 旭川美術館は個人的な憩いの場であり、公園散歩とは別に安らぎと刺激を求めて訪れる。年に一、二度の大きな展覧会と旭川ならではの美術・工芸展は私の年間スケジュールにも組み込まれている。小さいが大切な、旭川の美術室。 九ちゃんの歌とは反対に「下を向いて歩こう」が私の公園散策のテーマである。殊に秋の公園は足下がとても楽しい。銀杏が山吹色に染まる頃など散歩中の犬さながらに興奮する。夫はそれを微笑みもせず、かと言って笑い種にするでもなく(たぶん)見守っている。 森の香りが喉にいいんじゃないかとか、常磐公園のダックは日本語で鳴きNYの家の前のダックは英語で鳴くに違いないだとか、何の意味もない話をしながら行き交う人たちと「こんにちは」「今年はいつまでも暖かいですね」とこちらも他愛もない挨拶を楽しみゆっくりゆっくり、散策路を廻る。 池の畔に沿って美しい園内を眺めながらベンチに座って休み、お宮さんに立ち寄り、栞にする色鮮やかな落ち葉を拾いながら30分ほどかけて図書館に辿り着く。秋の図書館前は私の旭川八景である。私はこの景色を100枚以上写真に収めているが、図書館の職員さんおひとりくらいは我が愚行にお気付きかも知れぬ。 館内に入ると混み具合を確かめ、午後の陽光が木漏れ日となって入る窓際の椅子を選んで読書を始める。本はその時興味を引くものであるが、毎回のように手に取るのはドナルド・キーン先生の著書である。名立たる文豪とのやりとりなど、その場で障子の陰からこっそり見ているようなくすぐったい気分にさせてくださる。 一度に借りられるのは10冊。毎回だいたい夫6冊、私は4冊。そのうち1冊は就寝前に読む洋書を混ぜ込んでいる。2週間借りていられるが、読んでは返しを繰り返す。 持ち帰りたい本を決めてデスクへ。2週間後の返却を約束して外に出ると、すっかり日が沈んでいる。必ず思う。図書館からの帰り道はコローの美術館にでもいるようだ。子供の頃に見た “Goatherds on the Borromean Islands” を思い出す。ああ、きれいだな、寒くなるまでしばらくここに居たいわ。 ガーガー グワッグワッ グェッグェ~ 静寂をぶち壊し私の感傷を木端微塵にする衝撃。 人も去り体感温度が10℃ほども落ちた蒼い池で「さあ夕食だみんな集まれ」と楽しげに鳴くダックの群れが水面を揺らす。「彼らはどこで寝るのかね」と小学生も考えないような疑問を題材に車に乗るまで話す。「さすがに水も冷たいだろうし、まあ草むらだね」という何とも安直且つ稚拙な結論に。けれどその道すがらがとても楽しい。 帰路、必ず旭川の象徴「北海道遺産」旭橋をくぐっていく。黄昏時の空に浮かぶ旭橋の灯りをとても気に入っている。時折感じる時代を遡りゆくようなアトモスフィアは旭川独特であり、拙著にも書くほどこの橋が、そして我が町旭川が好きである。 我が町。ニューヨークが私の町だ、故郷だと思ってきたがそれは成熟できないでいた私の意固地であった。故郷とは、日々の中から生まれる町への愛なのだとここにいて思う。 最近借りている書物の中で猛烈に気に入った一冊が、国木田独歩著「空知川の岸辺」の足跡を辿る「国木田独歩 空知川の岸辺で」(岩井洋著・道新選書)である。 恋狂いだ。愛した女との新しい門出の為に縁も所縁もない北海道の地へ土地の購入にやってくるのだ。情熱的な人は好きであるがこういった男と恋をすることはないなと笑いながら、滞在中の人との関わりや独歩の心境の変化、それだけでなく明治時代の北海道の様子や厳しい自然までも美しい文章で綴ってくれていることにひたすら喜びを感じた。 この本、返却したくなくてしばらく借り続けていた。しかたがないからとりあえずノートをとり、おそらくは後日購入することになるであろう。そのくらい楽しい本であった。 図書館への道は、名著と私を結ぶ赤い糸。図書館への道は、旭川が私にくれる心嬉しい30分。そしてまた、人生のジグソーパズルを完成へと向け毎日毎日探し見て、迷いながら合わせていくうちに見つけた、幸せの1ピースである。 昨日、図書館前のクローバー畑にかわいい花が咲いているのを夫が見つけた。嬉しい半面、眠りに就けずにいる花たちにはそろそろ疲れも溜まってきているだろうと申し訳なくなった。人はどこまで自然の邪魔をして生きてゆかねばならぬのだろう。