Category: Japan
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早春のWhite Savanna
ようやく春の足音が聞こえ始めたホームタウン、旭川。雪解けも進んで道路が見えるようになった。日差しも幾分暖かくなって、これから散歩が楽しくなる。 その前に、長い冬の締めくくり。 朝晩はまだ-15℃程度まで下がっていた旭川であるが2月28日のこの日はよく晴れて日中は-2℃まで上がり、気持ちが春めいて散歩をしようと旭川の誇り、常磐公園を訪れたのだった。 公園内は、除雪された散歩道を除きこの4,5カ月間に降り積もった1mを超える雪が一面に広がって、あらためて道北の厳しい冬を振り返らせた。 カメラを提げた夫が木の上に残った雪を見て言った。 「動物だ」 なるほど辺りを見回してみると、見える見える、気に登って昼寝をしている動物たちが。ここはまるで、純白のサバンナだ。 木登りしているか、あるいは下りようとしているかで微妙に動物の種類が変わってくる。左を頭とすると小象に見える。 生まれて間もない子供たち、と思って見てみるとかわいらしい。 しっぽを垂らして枝の上で眠っているライオンの姿などはまさにサバンナ。 ね、こんなふうに。 どれも同じに見えるぞと言われてしまいそうであるが、個人的にはこれがこの日のベストショット。パンダに、パンダに見えません? シャンシャンとまでは言わないが、今にももそもそと枝を伝って下りてきそう。 もはやアフリカに留まらず、ブレまくりのホワイト・サバンナである。 冬季旭山動物園のアイドル、ペンギン。今にも海に飛び込みそうな姿がかわいい。 今、「あ、ほんとだ~」って思いませんでした? 番外編は、北海道の開拓に尽力し初代北海道庁長官となった岩村通俊(Ⅰ840-1915)の銅像。彼は旭川が秘めた将来への可能性を見通し同市を東京、京都に次ぐ都にと推していた。 もしもこの構想が実現していたら北海道の道庁所在地は札幌ではなく旭川になっていたかもしれないという夢のような本当の話。 このような立派な人物を茶化すようで気が引けるが、どうにも岩村氏がバレエのtutu を履いて立っているように見えて仕方ない、と言ったのは私ではなく我夫である、と言い訳させていただこう。 これはもう生きものではなく、よれよれのお化け。 とまあ、見方によってはおもしろい木の上の雪を眺めながら大いに笑い、寒い中たっぷり2時間散歩を楽しんだ、良い休日であった。 そして最後に見つけたのは、エゾヤマザクラの小さな小さな蕾。常磐公園の桜の開花予想日は、今年は去年より少し早いか、5月4日。
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しれとこ旅情のイノセントな裏切り #2
早い話が、北海道及び国後島に白夜はないということだ。 白夜は緯度が66.6度以北の北極圏で起こる現象で、60度34分以北でも、太陽は沈むが完全に暗くはならないため白夜に分類することがあるという。ちなみに残念ながら、北緯42~45度の北海道で白夜が見られることはないのだそうだ。 オーロラだって見られるのに、白夜があったっていいじゃん、と言いたいところであるがこればかりはどうしようもなさそうである。 なぜ事前に調べていかなかったのか、簡単なことではないか。あらためて愚かな我が身を呪った。加えて知床第1日から興奮し過ぎて夜も早いうちに眠たくなり、ウェイクアップ・コールを頼み忘れ、白夜どころか目が覚めたら午前7時40分。太陽は既にオホーツク海を笑顔で見下ろしていたという始末。 ああーん、白夜が。何も知らない私はそう叫び、朝食を済ませたらロビーで誰かに教えてもらおうと息巻くも、大恥をかく結果に。 ケイティ「すみません、知床で今の時期白夜を見るには・・・」 「どうしたらいいですか?」まで言い切る前に遮られてしまう。 スタッフさん「見たいですよね、白夜。でも残念、北海道では見られないんです」 ケイティ「でもしれとこ旅情の歌詞に」 スタッフさん「あれ、ウソなんです」 ああ、無情。ここまできっぱり言われてしまうと、あとはもうがっくり落っこちた両肩をお見せして完敗を宣言するほかない。 ケイティ「た、大変失礼いたしました」そう申し上げそそくさと退散した。 知床は、西に位置するオホーツク海側の斜里やウトロと東に位置する太平洋側の羅臼(らうす)に分かれるが、私たちはウトロに宿泊しており、斜里ー羅臼をつなぐ知床峠が冬季通行止めだったため、しれとこ旅情誕生の地、羅臼へは翌朝訪れた。 羅臼町は静かな町で、この日道の駅以外で人影を見ることはなかった。歌のとおり、羅臼から北方領土・国後島がくっきりと、とても近い距離で浮かんでいた。 ◆ その夜、ホテルに戻ってからしれとこ旅情が生まれたいきさつについて調べた。 この歌は1960年、当時森繁さんが主演した映画「地の涯に生きるもの」の撮影で訪れた羅臼で、お世話になった村の人たちへの感謝を込めて、この地を去る前夜に作ったものだそうだ(参考: 北海道Style)。慣れない極寒の地での撮影に、羅臼の人たちが尽力したという。 しれとこ旅情に森繁さんは最初「さらばラウスよ」というタイトルを付けたが、ここからも羅臼の人たちへの思いが伝わってくる。 結局、私は白夜どころか日の出さえ見ることなく知床をあとにすることとなった。 森繁さんの「白夜」の解釈に合点のいくできごとがあった。これが実は広く周知されているのか、はたまた私の持論に過ぎないのか、未だ証明できずにいるので仮説としよう。 知床から帰った直後、仕事の〆切が迫り徹夜した日があった。何時間もPCに向かい、肩が凝って首を回すとカーテンの下からうっすら明るい青が射し込んでいる。時計を見ると午前3時15分。驚いてカーテンを引くと、外は既に本を読めるほどに明るかった。 北海道の日の出がとても早いことを、その時初めて知った。首都圏で生まれ育ちアメリカでもいくつもの都市を渡り歩いたが、これほどまでに朝が早くにやってくるところは初めてだ。 そして思ったのだ。森繁さんの映画のクランクアップは7月だったというから、北海道の夏の朝事情を知らずに「白夜」と表現されたのではなかろうか。羅臼の人たちとのお別れに即興で作ったしれとこ旅情にはきっと、森繁さんの無垢な心が見た、蒼白い羅臼の夜明け前が映り込んでいるのだ。 マヌケなだけで終わった「しれとこ旅情・白夜探偵」であったが、一応の答えに出会えた思いで私の追跡は完了した。 森繁さんのあの歌詞から「白夜論争」というのが起こったのだそうだ。森繁さんは白夜を「びゃくや」と読ませたが、本来は「はくや」と言うのだそうだ。これを指摘した国語学者・池田彌三郎氏に対し森繁さんは(どうやら彼とは知り合いだったようであるが)、 「そんならあんたは白虎隊を『ハッコタイ』と読むのかい?」 と返されたという。何というチャーミングなケチのつけ方。森繁さんらしさ全開の押し問答を、その場で聞かれたらどんなに楽しかったろうと、今も時々想像する。 ◆ 結局北海道では白夜を見られることはないことが分かり残念であったが、森繁さんの歌詞には知床(羅臼)への愛がいっぱいに詰まっている。長い長い時を経た今も日本中でこの歌が歌われているのは、的確な描写などではなく、この「愛」が心に響くからだろう。 そもそも詩の世界とは作る人にも自由、読む人にも限りなく自由であるのだから、言葉の使い方が違っても、また描いた景色が真実と異なっていてもよい。むしろ紡いだ言葉で人の心が潤うならば、事実など二の次よ二の次。 ちゃらんぽらんな私などは気にもかけず、今日もしれとこ旅情を熱唱する。 では最後に、森繁さんの歌う「しれとこ旅情」。心が潤います。
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しれとこ旅情のイノセントな裏切り #1
私は、彼の故・森繁久弥さんが抱擁した数多い女性のひとりである。 と色っぽい話にしたいところであるが、実際には「抱擁」に程遠くむしろ私がかじりついたという方が正しいらしい。しかも当時私はまだ2つかそこらで森繁さんが「あんた(私)よりママの方がいいな」と仰った、という信じるも信じないも私次第の都市伝説が我が家にあるも当時の記憶がないので証明は不可能、あくまでも母の妄想に過ぎないと私は今も思っている。遠い遠い夏の、深夜のちいちゃなできごと。 そんなことより、森繁さんの作られた昭和の名曲「しれとこ旅情」の話である。 子どもの頃からこの歌のゆったりとしたメロディと「遥かクナシリ(国後)に白夜はあける」という幻想的な歌詞の意味を母から聞いてからずっと気に入っており、今も私の「時折口ずさむ歌」トップ10に入ると自信を持って言え、6月に入るなり北海道各地にハマナスが咲き始めると、車中で歌うしれとこ旅情の頻度もぐんと高まる。北海道旅行の際にちょっと歌ってみると「ああなるほど」しれとこ旅情は北海道にぴったりだと思っていただけるはずだ。 知床の岬に はまなすの咲く頃 思い出しておくれ 俺たちのことを のんで騒いで丘にのぼれば 遥かクナシリに 白夜はあける 森繁久弥 記念碑に書かれている短い詩だけでも情景や、この歌の中にいる人たちの心情もしみじみと伝わってくる。こういうのを良い詩と言うんじゃないかしら、と森繁さん贔屓でなくても誰もが思うことだろう。 生まれて初めて知床を訪れたのは3年前の春先、4月。6月に咲くハマナスの季節までにはまだ随分と早かったのだが用事ができたのを機に知床へ行くと決まるや否や、脳裏をよぎる「遥かクナシリに白夜はあける」。 行こう、知床へ。見よう、国後島に明ける白夜を。6月じゃないけど。 ちなみにハマナスであるが、バラ科の植物でマジェンタピンクがとても美しく、秋になると紅い実をつける。ローズヒップである。北海道の花としても知られるが、関東や西は島根県でも見られるのだそうだ。また、皇太子妃雅子さまの御印でもあるという。 2005年7月、知床は世界遺産(自然遺産)に登録された。 知床が世界遺産に選ばれた理由として、絶滅危惧種や希少な生きものが生息・繁殖する地であることなどが挙げられている。 斜里町に入ってしばらく海岸線を走っていくと、丘の斜面に100頭ほどの蝦夷シカが挙って草を食べていた。シカはアメリカにいてもよく見かけるが、これほどの数に一度に出会ったのは初めてで、ああこれが世界遺産かと圧倒されたのだった。 北海道では絶滅危惧種として登録されているオジロワシ。この日雄々しく大空を飛ぶ姿を発見したが、実のところあまりの迫力に腰が抜け、上手くシャッターを切ることができなかった。我が家の車の上を飛んで行ったが、暗い影ができるほどに大きかった。 白夜観測を目的に知床入りするも、海の透明度や自由に遊ぶ動物、人の手が加えられていない豊かな自然に心が奪われ、しばし忘れてしまっていた。 ホテルルームから見る夕陽もいつもよりもっと神聖な気がして、大きな窓一面に広がるオホーツクの景色を1時間、太陽が水平線へ沈むまで眺めた。 翌朝は夜明け前に出発、何とか「遥かクナシリに白夜は明ける」を見るのだ。普段は怠けている神さまへの祈りを就寝前に捧げ、いよいよかと思うと気持ちが高ぶったまま、夜は更けていくのだった。 ・・・はたして私の願いは天に届いたのか。 (つづく)
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十勝の農家をかっこよく~音更町 Farmer’sの流儀
“I Won’t Last A Day Without You” by Carpenters 道東・音更町(おとふけちょう)に私たち夫婦のような海外帰りには応えられないオーダーメイド家具店がある。名は、”Farmer’s(ファーマーズ)”。 少し遠くから見慣れたデザインの建物が見えてくるなり驚きと懐かしさに興奮した。まったく予期していなかった「以前はよく見た家」が突如として現れたからだ。 1994年、「十勝の農家さんをかっこよく」をコンセプトに生まれたFarmer’s は2階建てのコテージスタイル。まず目に飛び込んできたのはおびただしい数の輸入雑貨。そしてそれ以上に目を引き心を奪われたのは、全てがFarmer’s で作られているという美しき西洋家具であった。 Farmhouse Style(ファームハウス・スタイル) 。ラスティックでありながらモダンで上品、温かみとノスタルジアに満ちた居心地良い空間が信条のその住宅・インテリアスタイルは、自然豊かな田園風景の中に立つ大きな邸宅ばかりではなく、マンハッタンのコンドミニアムなどでも人気が高い。 Farmer’s の家具や雑貨のテイストはまさにファームハウス・スタイルだ。 代表の山田さんやスタッフさんも、もの静かでおしゃれな、まさにファームハウス・スタイルがぴったりな素敵な方たちだ。どんなことにも丁寧に答えてくださり、大切な家具の作製を安心してお任せできると感じる。 この店に置かれている雑貨はヨーロッパのものが多いが、私はニューヨークからやってきたのでファームハウス・スタイルというとまず思いつくのがアメリカ北東部、ニューイングランド地方の広大な敷地に立つ美しい屋敷群。 我が家は毎年夏と秋の休暇に訪れた。こうしてアメリカを離れた今、紅葉の華やかな秋が訪れると心があの風景へと飛んでいく。そして今年はこの店を知って久し振りにアメリカの空気感に浸るなり、決定的なホームシックに陥った。 そのくらい、ここはノスタルジアに溢れている。 上下左右隅々まで楽しいFarmer’s を象徴しているのが所謂「高い所」。初めて訪れた時ここなら半日はいられると思ったが、その気持ちは今も変わらない。 ただの家具店ではない、ただの輸入雑貨店でもない。Farmer’s だからこその空間づくりは、海外の農家にお呼ばれしたような感覚を私たちに与える。 座り心地の良いこのソファには、早朝の牛の世話を終えた赤いサスペンダーの家主が帰ってきて腰を下ろし、妻がマシュマロ入りのココアを淹れて持ってくるのを待っている。そんな様子が想像できる。 シンプルだからこそ見て、触って分かる丁寧な仕事。「ご要望にできる限り沿ったかたちでファブリックまで厳選します」という代表の心強い言葉に、私なら…と早速妄想が始まる。 ニューイングランド地方は、コネチカット、マサチューセッツ、ロードアイランド、バーモント、ニューハンプシャー、メインの6州から成っている地域で、アメリカ北東部の美しさを独り占めしたような景観に溢れ、人々の暮らしぶりもとても豊かで、夏の避暑地としても知られる場所が多くある。 こちらからの眺めは、ハーバードやマサチューセッツ工科大学を誇るボストン辺りの大学職員宅といった雰囲気だ。 椅子にステンシルが施されたデスクはアンティーク・フィニッシュのペールホワイト。温かく落ち着いて何時間でもソーイングを楽しめる「主婦の仕事場」として、またライティングデスクとしても活躍してくれるに違いない。 引き出しのシェルカップ・プル・ハンドル(shell-cup pull handle・貝型取っ手)がヴィンテージの深みを伝える。 キッチンプランも自由自在だ。どんな大家族の食をも支えられる広々としたタイルのキッチンは機能的で実に愛らしい。このカウンターなら、パーティーの料理のアイデアがいくらでも浮かびそう。 加えて何だかとても懐かしいダブル・シンク。日本で見ることはほとんどないが、これもFarmer’s の手にかかれば可能になる。 このシャドーボックス・ディスプレイケースの前を通った時、ニューハンプシャー州に住む友人宅を思い出した。彼女の家にも、アンティークのガラス瓶が飾られたこんなシェルフがあったなあと。 学生時代の友人マーゴはボストン出身、コネチカットの大学を卒業した生粋のニューイングランダーだ。 ニューハンプシャーの自宅は彼女の夫、チャールズの両親が建てたもので、2階建てで壁は白く、屋根と窓の扉が深いネイビーといった、重厚感のあるファームハウススタイル。部屋数12、小川の流れる大きな庭もあった。 子供部屋はカントリーカラーが強いと温かく、愛らしい。マーゴの家も子供部屋は手触りのよい木の家具が揃っており、そう言えば彼女の娘、アリソンの部屋にこのテディ親子が座っている椅子とそっくりな、トールペイントを施した青い椅子があった。 アリソンはとてもお転婆で、私たちの滞在中この椅子を「私の馬車だ」と乗り回して壊し大泣きしたのを思い出した。できることならあの頃に戻ってアリソンにこの椅子をプレゼントしたい。一瞬で泣き止んだことだろう。 マーゴの家は山間部にあり、夏は青々とした緑に、秋には色鮮やかな紅葉が家を、また彼らの暮らしをも華やかに染める。ハロウィーンやサンクスギヴィングに彼女の家へ行くと、玄関からダイニングルームまで、まるで10月の森を歩くようなやさしいデコレーションに包まれる。 ダイニングルームには陶器やガラスの小さなランプがいくつも下がっており、天井に小さな宇宙をつくっていた。 夫と私を本気にさせたのが、この青いキャビネット。クラッシックでエレガントな佇まいと深い青は、ファームハウス・スタイル家具の王道を行く。 名著 “Da Vinch Code” を書いたDan Brown もニューハンプシャー出身であるが、彼の書斎にもこんな書棚があるんじゃないかしら、とふと思った。 マサチューセッツ州のケープ・コッド(Cape Cod)は全米有数のリゾート地で、周辺の人の暮らしやアメリカ北東部の海辺をモチーフにしたインテリアスタイルをケープコッド・スタイルと呼ぶが、このキャビネットとチェアのスポットはケープコッド・スタイルそのものだ。…
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Moments 21: 旭岳600m地点~秋と冬の境
10月下旬、起きると町が白くなっていた朝、ふと山の様子を知りたくなって隣町・東川町の北海道の屋根「旭岳」まで走ってみることにした。我が家から車で50分ほどだ。 北海道の雪は人気のニセコのみならず道北の内陸もまたさらさらのパウダースノーで知られるが、冬の初めはまだ水分を多く含むため、道内テレビ放送局のニュースキャスターは「東京の雪」と紹介していた。 朝は路面も真っ白だったがお昼前にはすっかり溶けていた。雪も降り、今年の紅葉もいよいよ見納めの頃を迎えた。 秋が、もう少し長ければいいのに。 程なく前方に車の雪下ろしをしている男性を発見。上はかなり積もっているもよう。 木々の枝に雪が載って少しずつ冬が見えてくるも、まだ秋と言えなくもない。 ぐんぐん車を走らせていく。そして。 秋と冬の境は、600m地点を超えた辺りにあった。 時折薄日が差すと、この光がまるで雪をふうっと吹きかけ、木々を白く染めていくかに見える。自然でなければつくることのできない美しさ。 新しい季節の入口に立った気分。 「標高800m辺りからぐっと景色が変わるよ」という夫の言葉は確かなのだが、今シーズンは私たちの出足が遅かったようだ。 秋は600mで終わり、800mの辺りはもう12月が来たかのよう。 標高1500m地点、ロープウェイ駅に到着。 小雪の舞い散る駅周辺は-6℃、森は長い冬の眠りに就いた。 日本で一番早く冬の訪れる旭岳。屋根の氷柱もだいぶ伸びて、スキー客を出迎える準備は着々と進んでいる。 私はこれを確認して、さあ、冬から晩秋へと逆戻り。
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You&Me Philosophy
“Built for Love” by PJ Morton 本当ならハロウィーンディナーの買いものでもしているはずだった10月最終日の午後。何も予定を入れないこの日があるなんて、思いもよらなかった。 10月は夫も私も多忙を極め、繰り返し数えてみても何日一緒にいたか覚えてもいない。ハロウィーンをただの気だるい休日にしたのは、それが理由だ。 久し振りに帰宅した夫とランチに出てからしばらくドライブし、私たちが「小軽井沢」と呼んでいる東川町のカフェに立ち寄った。 今年できたばかりのその店にはひと組の先客があったがとても静かで、普段なら決して聞き逃すことのないBGMも覚えていないほどの静寂。この日の私たちには嬉しかった。 飲みものが運ばれてきてからは、殆ど話をしなかった。夫はもちろん長い出張で疲れていたし、私も文字との格闘が続きいささか脳内がショートしていた。 真空管の中にいるような時間がゆっくり、ゆっくりと流れていく。夫はタブレットで読書をし、規則的にページを流す彼の指先を、私は熱いトラジャ・ママサを飲みながらぼんやりと追った。 久し振りに時間を気にせずいられると思ったら、気が緩んだのか軽い眠気が訪れた。視線を落とすと、グラスの中の水がとてもきれいに見えた。 東川は日本でも珍しい「上水道0%の町」。この町で使われている水は大雪山の伏流水、それだけでごちそう。北海道の移住率1位はここにも理由がありそうだ。 夢現を行き来しながら私はひとつずつ数えるように嬉しくなった。澄んだ水、心地良い時間、それから本を読む夫の口もとに浮かぶ笑み。 晩秋の西日が店の窓から差し込み四角くなって集まると、その中にある文字が浮かび上がったように見えた。 “blessed” ~ 恵まれた人生だ。 若い頃なら、会話が途切れるという不安のエッセンスが胸に直接流れ込んでチリチリと痛みもしただろうが、今はこんな時こそ相手の気持ちが手に取るように分かるし、思いやれる。テーブルを挟んで、言葉がない時にこそ見えてくる空気に確信する。相手の存在と、その人の為に生きることが己の人生を満たしているということ。 よくもまあそんなこと言えるねと笑われてしまうかもしれないが、私たちの間に漂っていたその空気は22年連れ添ってみないと分からなかった、22年経った今、気付けば完成していた夫と私の「夫婦(めおと)哲学」であると言ってしまっていいのではない、か、な? 店を出ると、日が沈んだばかりで辺りは橙に染まり、店の窓ガラスにもヨーロッパの古い絵画のように映っていた。 明日はまた遠くへ出かける夫に、今夜はからだに優しい夕食を考えよう。 Wednesday cafe & bake: 北海道上川郡東川町東8号北1番地 TEL: (0166) 85-6283 Open Hours: 11:00 – 18:00 Closed: 木曜日 Wednesday Instagram 写真の町 北海道上川郡東川町オフィシャルウェブサイト: Higashikawa Town of Photography
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One Fine Day とフリルなブランチ
“Saturday Morning” by Rachael Yamagata 夫も私も忙しかった10月。久し振りに会った休みの朝は、ゆっくり起きてブランチしてから「日本の都市公園100選」にも選ばれている旭川の常磐公園へ今年最後の紅葉を見に。 この日のブランチはケイティ命名「フリルなピアディーナ」。9月の終わり、オープン直後の北欧の風 道の駅とうべつ「レストランAri」で出会ったかわいくて美味しいピアディーナを真似て家で作ってみた。おしゃれで栄養満点で意外にも食べやすい。定番ブランチになりそう。 因みにこの道の駅、入った途端IKEAの香りがするのであるが、調べたところ使われている家具はやはりIKEA製であった。なかなか素敵な道の駅。 ◆「フリルなピアディーナ」の作り方は最後に。 うららかな昼下がり、この日の気温は7℃ともう秋とも言えない寒さ。けれど風もなく歩くには心地良い。気分も軽く、時もゆっくりと流れてゆく。 座って何か飲もうということになったものの、腰を下ろすとベンチが冷たくて諦めた。お日さまは暖かいのに、やはりここは旭川。冬の訪れをベンチで実感。 誰も乗らなくなったボートの上でダックが日なたぼっこ、というより寒くて固まっているようにも見えてしまう。たぶんそう、寒いのだわ。 見事という言葉しか浮かばない、それほどに美しい枯葉のじゅうたんは、踏んでみると何てソフトなのだろう。降り注ぐ午後の日差しがつくる木漏れ日も、夏のそれとはやはり様子が違う。センチメンタルでいい感じだ。 絵本の中にでも入り込んだようなこの小道を夫と話をしながら歩く時間は、それが永遠でもよいと思えるくらい気に入っている。夫は楽しい話の達人なのだ。 この日の話題は「手相」。空に手をかざしながら彼はスターとソロモンの輪を持ち、私は太陽線と縦一直線の運命線を持つのだと言う。おもしろいおもしろいと喜ぶも、傍から見ればややもすると「え?これが?ほんとに??」そして「相手にしても仕方のない、ほっとくしかない愚かな夫婦」ということになろう。 周囲の目などおかまいなしに、二人の会話は続く。途中、公園内の神社に立ち寄ってお参りし、私だけおみくじを引いた。心の温まるお告げが書かれていた。 どんなに忙しくても、こんなささやかな良い一日があるから明日を楽しみに生きられる。 公園のボードウォークを北風と踊る枯葉の美しさも忘れてはいけない。こういう季節の小さなひとこまが意外にも5年先、10年先の良い思い出の中に描かれているものだ。 風がいっそう冷たくなって、指先がキーンとする。熱いお茶が飲みたくなって、私たちは公園と、晩秋のOne Fine Dayを後にした。 ◆ フリルなピアディーナのお材料 2人分: ・薄めのピッツァクラスト:2枚(直径20cm、軽くトーストして柔らかくする) ・蒸し鶏 200g (ランチならローストチキン、ローストビーフもおすすめ) ・チーズ:普段はエメンタールですが今回はチェダーとゴーダ3層のスライスチーズ使用 ・ベイビーリーフ、紫キャベツ・スプラウツ、千切り大根やミックスビーンズのサラダなどお好みで。マスタード・リーフなどもアクセントになって美味しいし、具材に合わせたハーブを替えればちょっとしたおもてなしランチになる。野菜はフレンチドレッシングやオリーブオイル+ソルトを軽くかけておく。 ・チェリートマトはMUST! 大きなサンドウィッチもこれがあると飽きがきません。 ・真ん中のパンプキンサラダは電子レンジにかけマッシュしたパンプキンをマヨネーズとメイプルシロップで和えたものを使いました。メイプルシロップの香りが強過ぎるという場合はハニーやオリゴ糖で。 ・ソースはマヨネーズ+ホースラディッシュ(北海道では「山わさび」と呼びます)。私は甘みの強いアメリカのマヨネーズが好きですが、今回は日本製マヨネーズがよく合います。 ◆具をクラストのハーフスペースに載せたら半分に折り、くるくると巻いて、中央にできた穴にパンプキンサラダやポテトサラダを押し込み、空いているスペースにビーンズも加え、大きめのペーパーナプキンで包んでカップに差して立てておく。私はメイソンジャーを使用。 ◆ピアディーナはイタリアの軽食で、丸いクラストを半分に折って具材を挟むことが多いが、「北欧の風 道の駅とうべつ」の「レストランAri」さんではこんなにかわいいサンドウィッチにしていた。パーティーメニューにもできそう。
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冬が来るまえに
“So Far Away” by Carole King 10月17日、旭川、札幌など北海道のところどころで初雪が降った。 街の紅葉は美しいのに、秋が旅立つのを待たずに冬が来て少し慌てた。 まだ足りない、私には秋がまだ。 北海道の中央より少し北にある旭川市。 この町に美しい英国風庭園がある。それがここ、「上野ファーム」。ガーデンは今月15日で今シーズンの公開を終え冬休みに入ったが、クローズのほんの数日前に大急ぎで訪れた。 上野ファームは、旭川の美しい秋を集めた庭だ。入口を抜けると、別世界。 秋のイングリッシュガーデンは、イギリスの画家、コンスタンブルの描いた風景画のように誰の心にも安らぎを与えてくれる。 ああ、風が冷たくなかったなら、いつまでもここに座っているのに。 花の季節はまだ終わらないと、力強く主張するこの花の名前は何だろう。 デルフィニウムのようで、違うような。 太陽に向かって夏を呼び戻さんと真っすぐに伸びていた。 元気に実っていたのはポークウィード(pokeweed)。和名は洋種山ゴボウという。 こんなにおいしそうなのに、無情にも毒性植物。誘惑に負けて食べてしまった人がどれだけいることか。見るだけ、見るだけよ。 果汁は美しい染料に。見事な秋色のショールができそうだ。 レンガの壁に触れると、ひんやりと冷たい。夏に来た時は灼熱の太陽を受けて2秒と触っていられなかった。 陽光が秋の深まりとともに弱くなっていくことを、指先で感じた午後。 散歩道に、海松(みる)色の小さな小屋。かわいいこの扉の前に立つと、訪れる人は誰もここが日本だということを、ふと忘れてしまうはず。 北海道は不思議な国。10月になってもアジサイ、ひまわり、菜の花を見かける。このアジサイはやがて見事なバーガンディレッドに染まり、季節の終わりを私たちに告げる。 逞しいパンプキンのファーマーは上野ファームのフィナーレを鮮やかに彩っていた。 四つの季節、どれが好き?と尋ねられたら私は迷わず秋、と答えるだろう。けれど季節は、同じ場所には留まれない。 去りゆく秋を、呼び止めた気分だ。秋よ、さようなら。 これで冬を、迎えられる。
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Moments 19: October Rain
ー 10月の雨 ー 10月の雨は、魔法の雫。 ひとしきり町を濡らしてまたひとコマ季節を動かすと 雲の合間から気まぐれに虹の贈りもの。 車を降りて、しばらくここで見ていよう。 10月の雨は、奇跡の粒子。 夏を遣り過ごしうなだれていたアスパラガス畑に いたずらのような、一瞬の輝きを振りかける。 まばたきしないで、しっかり心に刻み込もう。 いつまでも思い留めておきたい風景は、10月の雨が描き出す。 photos and poem by Katie Campbell / F.G.S.W.
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ひとつ目の秋
“You’ve Got a Friend” by Carole King 優しくてもの哀しい秋が好き。そして秋はCarole Kingの季節だ。 道北は1年のうち半年近くが雪に眠る。ほか3つの季節はどれも短く、秋も街を駆け抜けるように深まっていくから私はそれを追うのに精いっぱい。 休日、散歩をしていると音もなく足元に落ちたナナカマドの実。少しくすんだ朱が短い秋を急いで伝えるように憂いを含んでいる。 昨日の午後、東南の窓から初雪に覆われた十勝岳が見えた。あと3週間もしないうちに街も白くなるだろう。明日はクロゼットの衣替えをしよう。 今秋初めてのパンプキンは、出荷できないものを農園で選ばせてもらった。 裏が少し傷ついているので手に入ったものであるが、形だけ見るとマンハッタンのdeliで$50の値がついていても抱えて持ち帰るに違いない。それほど気に入った。 ニューヨークか。私は北海道を愛して止まないが、秋が来ると無性に帰りたくなる。 毎年通りのカツラやブナが色づき始めたら、木の実でキャンドルリースを作る。 2017年は、この1年楽しみに乾燥させたツルウメモドキの枝。 10月、11月のコーヒーテーブルがこの小さなリースひとつで華やかに、rusticになる。ろうそくは、シナモン&クローヴ。毎晩仕事から帰ってくる夫に「うちの中が一番秋だな」と言わせるのも秘かなる目的のひとつ。 仕事に追われても、リースを作るひとときは忘れない。 夫が知り合いの農家さんでごちそうになった「坊っちゃんかぼちゃ」の簡単スウィーツは今や我が家の定番だ。この秋ひとつ目の坊っちゃんかぼちゃももちろん農家さん命名「農家のホットパンプキン」で味わった。大好きだったスウィートポテトも、今はこれに勝てない。 ナナカマド、パンプキンパッチ、キャンドルリース、坊っちゃんかぼちゃ。 これが私の、今年ひとつ目の秋。 ◆ The Easiest Way to Cook “Farmers’ Hot Pumpkin”: 1.坊っちゃんかぼちゃ(直径10cmほどのもの)を水にくぐらせ、ラップする。 2.500wのマイクロウェイブで8分間加熱する。 3.あつあつのうちに上部をカットして種を取り除く。 4.バター、メイプルシロップはたっぷりと。最後にシナモンパウダーで仕上げ。 バターとメープルシロップが基本だが、中にアイスクリームを1スクープぽこっと落としたりマスカルポーネチーズとココアパウダーでパンプキンティラミスにしても秋らしいデザートになる。 ステーキの付け合わせとしてもよく合い、ローストガーリックのクリームソースに絡めたマカロニを中に詰めるのはおもてなしの時。
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Mellow Yellow Hokkaidow~秋色北海道
“Hello My Friend” by America 短い夏が去っていった。 季節が変わったと教えてくれるのは山から流れてくる冷たい風と、街中を柔らかく包み込んで胸をきゅっとせつなくさせる、優しい黄色の世界だ。 カラーコード#FEF263・黄檗色(きはだいろ)。 東川町キトウシ森林公園のルックアウトから見る秋色風景は、稲の刈り入れを控えた今が一番美しい。車のボンネットに寝転がってしばらくじっと見ていると、太陽の角度が変わるにつれて下界を覆う黄色少しずつ変化していく。 現実であることを忘れてしまう、一瞬の錯覚が楽しい。 晩夏の北海道を彩った女郎花色のルドベキアもそろそろその役目を終え、次の季節へと命を繋ぐ。 家路を走る私たちを和ませるのは、山吹色の田んぼに差す午後4時の日差しの温かさ。 丘には金茶色のキバナコスモスが色鮮やかに咲き乱れ、秋の訪れを歓迎する。青空にも、雨の日にも似合うこの花が、私は今の季節一番好き。 太陽の恵みも繊細な承和色(そがいろ)の葉に守られて、今年も大きく育ちました。もうすぐ刈り入れ、私たちが白く小さな新しいいのちの粒に出会えるのももうすぐだろう。 柑子色(こうじいろ)のケイトウ、花言葉は「おしゃれ」「気取り屋」「色褪せぬ恋」。毛先に残った夏の欠片が風に飛ばされてシャボン玉と消えてしまっても、二人の恋は秋とともに深まっていく。 今日の旭岳は鶏冠石(けいかんせき)の黄。紅葉の見頃を迎えた山肌が傾いていく陽光に照らされて、青空に凛と聳える日中の姿とは違う、女神の微笑にも似たソフトな一面が恋しい気持ちを呼び覚ます。 ふと母の声が聞きたくなる。明日は電話をしてみよう。 夏季限定のこのドリンクもベンディングマシンから姿を消し、代わりにアップルティーがディスプレイされていた。 気まぐれな秋の空は刈り入れの終わった飴色の麦畑を憂鬱にさせる。 灰色の雲が広がり、雨が降り、虹が出て、また雨が降り、丘が眠りにつこうという頃、この道の向こうから冬の精・雪虫が7日後の初雪を告げにやってくる。 9月の夕陽ははちみつ色。ミルキーなオレンジをほんのり含み、柔らかに暮れていく。 澄んだ風がいい気持ち。肌寒くても少しの間ここに立っていよう、あの太陽が、地平線へ沈むまで。 “Nothing dies as beautifully as autumn.” – Ashlee Willis, A Wish Made of Glass
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思い出と再会する回廊~雨竜町「豆電球」の不思議
“或る日突然” by トワ・エ・モア(1969) 私は昭和生まれの人間だから、昭和の香りには敏感だし、懐かしいし、とても恋しい。ましてや日本で大人になることなく渡米した我が身我が心は日本にいると時折記憶の中で生きているような気がしてならず、ヴィンテージ・ジャパンを探し求めて彷徨い歩くこともある。 東京にいると浅草や柴又がそれに当たるが、遠く離れた今、北海道でもようやく、ちょっと寂しげなそんな気持ちを満たしてくれる宝もののような場所に出会うことができた。 北海道雨竜郡雨竜町、「豆電球」というその店はリサイクルショップと称しているが、夫は店のマダムに「いいえ、ここはミュージアムです」と言っていた。 店の建物は旧雨竜中学校をオーナーさんが13年前に移築されたもので、敷地に入るなりタイムスリップしたような気分になる。 扉を開くと、遠い昔暮らしの中にあった古い歌が流れていて、私はもうするするとタイムワープし身体さえ小さくなったように無邪気な少女の頃に戻っていた。 昭和以前にまで遡る錯覚と、その世界をつくる古きものたち。 私から上の世代はノスタルジアを覚え、この店のマダムが言われた「世代によって感じ方が違うようですよ」の言葉どおり、若い世代には新鮮で刺激的に映ると言う。 この座敷、奥に文机があるが、ちょっとくたびれた浴衣に身を包んだ文豪が背を向け万年筆で原稿用紙に向かっている姿がふわんと浮かぶ。 流行の古民家カフェなど営む人たちも「豆電球」にインテリアを求めて通うようだ。 手前の愛くるしい車は、オーナーご夫妻の息子さん自作。 よく見てみると、病院などの大きな看板が使われている。ニューヨークやパリの街角に止まっていてもしっくりきてしまいそう。材料も風合いもアンティークでありながら新しい時代を颯爽と生き抜く潔さを持っている。人もこうありたいと思う。 ヴィンテージとは思えないほどにミントなオート三輪車は、1963年製MAZDA T600 。寄贈品で「永久保存展示品」。オーナーさんの言葉をお借りすると、「戦後の急発展中の日本を、輸送で強く支えた名車」。 明治・大正・昭和生まれも、また平成生まれも必見の風格。 私の母は若い頃ファッション業界におり、行きつけの生地屋さんがあって私もよく連れられて行ったが、このネオンをそこで見た記憶がある。そして不思議なことに、 「あ、これ知ってる」と呟いた途端、私がまだ3つくらいの頃の母が、彼女が着るととてもよく似合ったデニムのロングワンピースで仕事部屋を立ち回る姿が目の前に現れたのだ。 思わず夫にも「若い頃のママがそこにいる」と言い「しっかりしろ」と窘められたが、あまりに懐かしくて、嬉しくて、そして帰らぬ日々を実感して泣きたくなってしまった。 翌日母に電話をすると「あら、そうだった?」と素っ気なく言われてがっかりしたもののこの店を訪れることがなかったら、おしゃれでかっこよかった当時の母に再会することはなかったろう。 「豆電球」は、昭和に、というよりも昭和を生きてきた人たちが自らの思い出ともう一度出会う場所なのだと知った。 長い渡り廊下には家具や食器が「整列」している。その様子は、子供たちが先生のホイッスルで一列に並んでいるようにも見えるから「整列」。 歩くたびにぎぎっと鈍い音を立てる床の音にも聞き覚えがあり、懐かしさが心を潤していくのが分かる。 曲がトワ・エ・モアからグループサウンズ、百恵ちゃんの「いい日旅立ち」へと変わり、思わず口ずさむと、いくつぐらいの時だったろうか、当時女の子なら誰もが夢中になって遊んだゴム飛びを、幼い私が友人たちとしている光景が脳裏を過ぎった。 するとマダムが、「うちに来てくださるお客さまはね、皆さん店でかかる歌が懐かしいって、店内を歩きながら歌われるんですよ」 すごくよく分かる、その気持ち。 “いい日旅立ち” by 山口百恵 この店にはインテリアにもできそうなヴィンテージのミシンがいくつもおいてあり、この日も若い女性がひとつ買っていった。何に使うのかな、尋ねてみればよかった。 もちろんウラングラスも置かれていた。その横にはリトファニーが施された茶碗。照明をあてて怪しく浮き上がる日本髪の女性の顔はヴィクトリア時代のイギリスで人気を博した日本の技とデザイン。 カメラを向けると夫が「そ、それはやめておいたら?」と言うので思い留まった。そのくらい妖艶で、何やら今にも話し出しそうな、魂を吸い取られそうなほど精巧に(ちょっと不気味に)できていた。 薄暗い蛍光灯の明かりにも、つつましいながらも力強い戦後昭和の暮らしが見える。子供の頃の、おばあちゃんちを思い出しませんか? 「豆電球」は営業日が週3日。これだけの広さとボリューム、本当に博物館にいるように楽しめるのに「もっとお店を開けてはいかがですか?」と伺うと、「いいええ、3日が精いっぱいなんですよ」 理由がおありですか?「あとの4日は仕入れたものや陳列しているもののお手入れをしてるんです」 そう、この店に置かれたものすべて、ゴミやほこりがまったく見当たらないのだ。 リサイクルショップや古道具屋へ行くと、商品として並んでいるものも所有者が持ってきた時のままを思わせるほこりが積もっていたり、古いタグが貼りっぱなしだったりするもので私たちもそれを当然と思っているところがあるが、伺ってあらためて感激した。 オーナー夫妻の、長い年月を掛けて完成させた大切な店と、心を傾けて選んだものたちへの愛が店内いっぱいに溢れている。だからこの店の空気は柔らかく、温かいんだ。 私はこのコリドーがとても気に入った。ここに立っていると、あの突き当たりの角から記憶の外に消えていた思い出たちがあとからあとから私に向かって歩いてくるようだ。 お菓子やタバコのパッケージ、どれもとても状態が良い。きっと誰かが子供の頃、クッキーか何かの缶に大切にしまっておいて時々開けてはにんまり笑っていたのだろう、「コレクション」と呼んで。 昔の、田舎の文房具屋さんてこんなだったんじゃないかしら。そう思わせる一画には実際にノートや鉛筆、ぬりえ、小さなおもちゃなどが楽しげに並べられている。 目敏い夫が見つけたこの「くれよん」を私は初めて見たが、とてもかわいらしく、しゃがんで顔を近付け眺めてみる。運動会や「良い歯の子」の賞品だったのではないかと想像していたら、この小さな箱がとても特別なものに思えてきた。 この場所でマダムにお話を伺っていると「あのスイッチ、大きいでしょう?ふつうに使ってるんですよ」。彼女の視線を追って振り返るとそのサイズに言葉が出ない。 オーナー夫妻の遊び心、ものを作る楽しさと、作ったもので見る人を楽しませる優しさが心に沁みてくる。この時、ああいい時間だな、そう思った。 マダムはとてもかわいい方で、会話の中で最も多いのではないかと思った言葉が「夫がね」。 「夫がね、木工の作業をずっとしているでしょう、だからひと息つけるような空間を作ってあげたかったの」 荒れた庭地を土づくりから始めて何年も掛けて造り上げられたこの庭は、ご主人さまへの思いを注いで仕上げられた見事なものだ。 なるほど癒しの庭には心に安らぎを与えてくれる清楚な草花ばかりが美しく咲いていた。 この庭には一切肥料を使っていないのだそうだ。「愛情の勝利ですね」そう言うとマダムは小さくこぶしを上げて「そうかしら」と笑ってらした。 楽しいひとときをいただいたお礼を言うと、「こういう出会いが何よりの幸せ」とマダムは外まで見送ってくださった。外はすっかり日暮れ時で、店は閉店時間を過ぎていた。 ◆ 帰り道、とうに忘れていた昔のことが途切れることなく思い出され、ずっと話していた。名前さえ忘れていた友達の顔も、いくつもいくつも蘇った。 もしもあなたに会いたくても会えない懐かしい人がいたならば、「豆電球」へ行ってみて。きっとその人があの回廊であなたを待っていてくれるはずです。…