Category: Japan
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グレーの海と8小節
“Sing Our Song Together” by Mari Nakamoto 私の人生の中にあるいくつもの夏の終わりには、雨の日の海と遠い日に出会った歌の欠片が鮮明に描かれている。 私はまだ小さかった。ビーチで遊び、岬から青緑の太平洋を眺めて過ごした2週間のバカンスを終えて、私たち家族は楽しかった思い出をトランクいっぱいに詰め込み千葉・御宿町を後にした。 この日はお昼を過ぎた頃から急に暗い雨雲が広がって、大粒の雨が降り始めると時折窓ガラスに強く打ち付け、それまで車窓に耳をくっつけて波の音を聴いていた私には目の前に無数に迫る雨粒が恨めしかった。 遊び疲れて誰も口をきかず、横に座る弟を見るとすやすやと小さな寝息を立てていた。音を落としたFMラジオではビートルズを特集していたがなるべく耳に入れないように、徐々に空と海の灰色の境が消えていく海岸線の風景をぼんやり眺めていた。カーペンターズの “Rainy Days and Mondays” を帰ってすぐに聴きたいと思った。 その時、静かに響くCMソングに一瞬にして引き込まれた。女性ボーカルのジャズナンバーで、たった8小節、15秒間の歌の一部はしっとりとした大人のメランコリーを歌っており、少女の幼い胸に生まれて初めての「センチメンタル」を植え付けた。 以来毎年9月が近付くと、この8小節を思い出してはせつなく気だるい気持ちになる。 It’s hard to find a love today that won’t be gone tomorrow This changing world it moves so fast It’s in one day then out なぜだか今も分からないが、この8小節を初めて聴いた時も、また家に帰ってからも誰かにこの歌について尋ねることをしなかった、何と言う歌なのか誰が歌っているのか、知りたかったはずなのに。ただひとりになった時、こっそり歌うのが好きになった。 いつかきっと最初から最後までを聴かれる日が来るだろうと信じることにしたものの何の手がかりもなく、貪欲に探すこともせずに月日が流れ、秘密の8小節は私のクセのようになって、やがてこのまま知らずに終わっても悪くはないかなと思い始めていた気がする。 “Sing Our Song Together” が日本を代表するジャズシンガー、中本マリさんの名曲であることを知ったのはつい1か月前。街のとあるカフェで偶然耳にし、店の人に尋ね教えてもらったのだ。嬉しくて嬉しくてすぐにCDを探しに行ったがどこを当たっても見つからず、そこからようやく何人かの人に尋ねてようやく手に入れることができた。 さらに、今までコスモ石油のCMソングだとばかり思っていたこの歌が実は自動車メーカー、MAZDAの「コスモ」というモデルのコマーシャルだったということが分かったのはつい先週だ。何十年も経ちインターネットが普及してからYouTubeで知ることとなった。 「記憶を辿る」という言葉が好きであるが、その気になれば瞬時に過去が手に入る現代に生きることは幸せなのか戸惑ってしまう。これからまた時が行き過ぎるにつれ、物足りなさが増えていくのかと思うと妙につまらない気持ちになるのが少しつらい。 ◆ 長年の夢が叶った今、これは実に贅沢な悩みであるのだが、これだけ長い間待ち望んだ曲の全貌を知った途端歌の印象が変わってしまい、絶対に忘れないようにと秘かに歌い継いできた8小節と、共に過ごした時間がグレーの水平線の向こうへ消えていってしまいそうで、きっといつまでも愛していくだろうこの歌を今夜も聴きながら実のところ、とても寂しい思いをしている。 ◆YouTubeは1982年に放送されたマツダ・コスモのTVCM。30秒のロングバージョン。…
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晩夏、月の沙漠にて~Desert of the Moon
“The Desert of the Moon(月の沙漠)” by Suzanne Hird 少女時代、房総半島の御宿海岸は私にとって「晩夏の庭」、そして「月の沙漠公園」は去ってゆく夏を送るさよならの港であった。 「もう2,3日ここにいようか」父の言葉に期待して私は夏休みの宿題を、プールへ行こうよという友の誘いに揺れながらも御宿のサマーハウスへ行く前に済ませたものだった。 私たち家族の夏のバカンスは毎年比較的長く10日ほどで、父が仕事で戻ることにならない限り2週間滞在することもあった。毎年休みが近くなると、 「御宿に2週間なら2学期からは学校から帰ったら真っ先に宿題をします」 守れもしない祈りをヨコシマな理由で必死に神様へ送っていたことを、今更ではありますがここに告白し、懺悔します。 夏が終わり、2学期が始まるなり私が誓いを破ったのはご想像のとおりである。 御宿町の「月の沙漠公園」には、海岸の一画に物語が立っている。 童謡「月の沙漠」は、詩人で画家の加藤まさを(1897-1977) が1923年 (大正12年) 少女向け雑誌に発表した詩に作曲家佐々木すぐるが曲を付けたもの。 この歌の舞台とされる場所には諸説あるが、加藤が病気療養で滞在していた千葉県夷隅郡御宿町が有力で、のちに御宿町がこの月の沙漠公園を設けると彼自身、御宿を舞台と認めるようになったという話もある。 また「月の沙漠」は一般的に「月の砂漠」(砂)と思われがちであるが、加藤がイメージしたのが御宿の浜であったことから砂浜を意味する「沙」の文字を使ったと言われている。 夏を遊び尽くした人々は御宿を去り、よほど波の高い日でなければサーファー達もそう多く見かけることはなくなって、日が落ちると現実から切り離されたようなあのモニュメントだけがひっそりと立っていた。夜の帳が下り始める頃、くっきりと漆黒に浮かび上がる月の沙漠の王子と妃が好きだった。 まるで国を追われ逃げていくような二人の哀しげな様子が、あの姿を見るたび幼い私の胸を騒がせた。彼等の行く手に何があるのか、最後まで逃げ切れるのかと月の浮かんだ浜辺で、深夜目が覚めた時にもよく思い浮かべた。 弟と私は波打ち際で「月の沙漠」を何度も何度も歌った。幻想的な情景とは裏腹に、描いては波に消されていくケンケンパの輪の中を飛び跳ね、軽快に、笑いながら。 遊び疲れた頃、秋の気配を感じさせる夕暮れ時の空を見上げて弟は、 「涙は出ないけどつらい空だねえ」天の淡いパープルを映したきれいな瞳で言った。 「ああほんとだ、ほんとだね」とつまらない言葉で返したのを覚えている。本当は、弟の大人びたもの言いに驚き、おかしくなったものの笑ってはいけないと唇を固く結んで耐えていた為に適当な言葉が出てこなかったのだ。 5つ違いの私の弟。小さい頃から家族の誰より温かく澄んだ心を持ち、穏やかで絵心があり、詩を好んだ。ベッドタイム、私たちは母の腕にあごをのせて子供向けの楽しい詩集を聴くのが楽しみだった。彼はケタケタとよく笑い、周囲を笑顔にする優しい言葉はいつも、パステルカラーのように柔らかだった。 互いに家族を持った今も、時折二度と戻らない無邪気な時代への愛おしさを心の奥に感じる。彼の脳裏にもこの海が残っていることを願いながら。 旅の終わり、私たちは水際で去りゆく季節に手を振ったが、ずっとここで旅をしている月の沙漠の二人は、この夏も楽しい思い出を持ち帰る多くの人たちを見送ってきたんだろうな。そしてあてもなく沙漠をゆく彼等は、月が空高く上り人気のなくなった海岸で密やかに話すのだろう、 「この海もまた静かになるね。歌でも歌って行くとしようか」 次回”グレーの海と8小節~Gray Ocean & Dim Memory” へつづく… 「月の沙漠」:「こんなに不思議、こんなに哀しい童謡の謎2」合田道人著参照
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Moments 14: ひまわり経典~from Sunflower Sutra
“We’re all golden sunflowers inside.” – from “Sunflower Sutra” by Allen Ginsberg 年に1度、8月に必ず訪れる大好きな場所がある。北海道雨竜郡北竜町「ひまわりの里」。23.1ヘクタールの畑に150万本ものひまわりが植えられており、地元はじめ国内外の観光客の笑顔を美しいゴールデンイエローに照らしている。 100円以上の支援金を寄付すると、ここで採れたひまわりの種をもらえる。これを家に、町に、国に持ち帰って植えれば北竜のひまわりが世界中で花開く。旅の思い出が毎年夏が来るたび庭に咲く。何と素敵な夢だろう。 ◆ アメリカの詩人、アーレン・ギンズバーグが “On the Road” の著者ジャック・ケルアックに捧げたと言われる “Sunflower Sutra(サンフラワー・スートラ)” の一節で「私たちはみな黄金のひまわりだ(心に黄金のひまわりを咲かせている)」と謳っている。 「内なる己」をテーマとした叙情歌の中で彼は、世知辛い現代社会に生きる私たちに「君たちは、自分が黄金色のひまわりだと言うことを忘れてしまったのか」と問いかけ、また「君たちはひまわりなのだ」と諭している。150万本のひまわりが夏風に揺れるのを眺めながらこの詩を思い出しては帰り際、口元に笑みが浮かび心の凝りがほぐれていることに気づく。 終戦記念日が近い。戦争を知らない私たち一般人にできる最もシンプルで優しい平和活動は、今あるたったひとつの命を大切に、一度きりの人生を使いきるべく楽しみ、誰かの微笑みを壊すことなく心にひまわりを咲かせ、枯らせないように水を与えて穏やかに生きていくこと。こんなことでよいのではなかろうか。 「きれいごと」と言われてしまうだろうか。 1.5 million stems of sunflowers at “Himawari no Sato/Sunflower Village” in Hokuryu Town, Hokkaido 北竜町ひまわりの里公式サイト
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Moments 13: Whatcha Lookin’ At?
近くに住みながらほぼ2年ぶりだった旭山動物園。子供のみならず大人も夢中になれるワンダーランドである。 子供の頃、私はあまり動物園が好きではなかった。自然の中にある動物たちの姿は物語で想像するのが好きだったし、ケージの中の動物はまったく囚われの身でありとても幸せそうに見えなかず幼いながらむごいことをする「人」であることを恥じたりした。 けれど旭山動物園は違う。動物たちが自ら「こんな風にしてくれるなら動物園暮らししてもいいよ」と言ってくれそうな造りでのびのびして見える。 特に嬉しいのはカバの百吉である。 優しい瞳と大きなプールの中をぐるぐるぐるぐると泳ぎ回る姿はコミカルで愛らしく、人の目が感じ取るのだから実際には分からないが、とても楽しそうに見える。さすが旭山動物園のアイドルだと肯ける。ただあまりの速さに撮影が難しい。 「そうかあ、カバはこんなに速く泳げるんだ」「どうしてぐるぐる回ってるんだろう」巨大なプールの底から百吉の様子を見られるようになっており、数組の親子連れが素直な疑問を百吉に向かって投げかけていた。 百吉に限らず、シロクマやアザラシ、観光客の頭上に架かった木の橋を渡るレッサーパンダなど(この日はどの動物も暑さ負けしておとなしかったが)ほんの少しではあるが生態を学ぶことができるのも旭山動物園の素晴らしいところだ。 キリンは同じ目の高さで眺めることができる。美しい容姿と優雅な散歩はいつまででも見ていられる。穏やかな眼差しは不穏な今の世を憂いているように見えてしかたない。申し訳ない気がしてしまう。 ◆ 動物園には当然ながら肉食の生き物がおり、その姿に野生を垣間見た瞬間檻の中とは言え肩の辺りの筋肉が硬直することがある。これも大切な経験だなと思う。 ふっくらした後ろ姿がかわいらしく、子供たちが目の前で「こっち向いて~」と懇願していたのは「ワシミミズク」。大きさは70~80cmほどあるだろうか。とても大きな印象。 子供に混ざって私も言ってみる、「お願い、こっち向いて~」すると。 「うるさいなあ、何見てんのさ?」 ワシミミズクはじっと動かず、けれど視線も私から外さない。しばし睨み合ってみるも、この威圧感と人間特有のドライアイで私の完敗である。 因みにワシミミズクは、北海道では絶滅危惧種、全国では絶滅危惧IA類に指定されている。 耳の垂れた白ウサギかアンゴラか。虚ろな目とまるいシルエットがかわいい。女性や子供はこの横顔に「おうちに連れて帰りたい」と思ってしまうほど。 「シロフクロウ」日本では北海道でのみ見られる希少種で、全長60cm程度と『北海道新聞社編・改訂版 北海道の野鳥』に書かれている。 次の瞬間こちらに振り向くと。 Harry Potterに出てくるアレに似ている。しかし鳥がここまで強面とは。 「何見てんだコラ」こんな感じで一瞥をくれる。 が、不思議なもので、子供たちがじっと眺めて声を掛けてもこうは恐ろしい顔をしない。混じり気のない子供の心と生きものとの間に神様は双方の距離に関係のない「ふれあい」を与えたのではないかと思えてくる。 残念ながら私の心は余計なものが混入しまくっており、相手にもしてもらえなかった。 ◆ この動物園で私が最も気になり、また気に入っているのがオオカミ舎。アメリカやカナダからの亜種オオカミが数頭いるのであるが、檻を隔てた別世界同士の緊張感がいい。そして冗談にも「かわいい」なんて言えない瞳も、人間を嘲笑するような口元も、本来は厳しい野生の世界で強く生きる道具であることを私たちに知らしめているようで、じっと見つめていると学ぶべきことがたくさんあるなと思わされる。 この日は気温29℃、本州に比べれば笑われそうであるものの暑さに弱い道民にとっては酷暑と言えるほどで、日のまだ高いうちはオオカミたちも岩山の中ほどにぐったりとしていた。 そこで安心してカメラを向けてみる愚か者。ド近眼の私にはデジカメの液晶パネルに映るオオカミの表情を見て取ることができず、クリアに撮れているかボケているかも確認しないまま「まあこんなものだろう」で何度かシャッターを切った。 「よく撮れてるかな~?」能天気にカメラを構え、一緒に園内を回った友人には「上手く写ってたらメイルで送るね」などと調子のよいことを言った。 その夜、遅く帰ってきてから早速PCに画像を落としてみた途端、身体が固まった。 こわい。まさか、私を餌だと思ってはいまいか。 このオオカミは私が彼等の檻の前にいた数分間、ずっと私を見ていた。私の動きを観察しながら襲いかかるタイミングを見計らっていたのではなかろうか。 この眼差しに「一線を超えてはならない」という警告を感じた。人が人の常識で彼等と交わろうなどという驕りを持ってはならぬということだ。 ◆ この日、殆どの動物が水辺や日陰を選んでじっとしていた。彼等の様子や海へ溶け落ちるアラスカの氷山などテレビに映し出される地球温暖化の現実を見るたび、今すぐこの星全体の緑化を急がねばという焦燥感に駆られる。そろそろ世界全体が、スローライフを心掛けていくわけにはいかないだろうか。何を甘いこと言ってるの、という声にも負けずに言うぞ、「地球にもっともっともーっと緑を」。 ◆ この夜私は夢を見て、深夜に妙チクリンな叫び声を上げ横ですやすやと眠る夫を起こした。昼間のオオカミが、30mもある檻(夢だから)の向こうから私めがけて突進してくるのだ。咄嗟に応戦を思いつくも、手にはいつも春秋に使うセリーヌのハンドバッグしか持っておらず、この期に及んで「ええ~、バッグがだめになっちゃう」と悩んでいる始末。当然ながら目が覚めるなりつくづく物欲を捨てられぬ自分を情けなく思ったのだった。
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旭川のいなせな夏。永山屯田まつり2017
日本各地、夏祭り真っ盛り。北海道も毎週末どこかしらで花火大会同様大小さまざまな夏祭りが開催されている。 旭川も、来月3~5日の「旭川夏まつり」に先駆けて29、30日と「永山屯田まつり」が開かれた。毎年最も楽しみにしているイベントのひとつだ。 旭川夏まつりには規模も内容も到底かないっこないわけだが、こんなに粋でカッコイイ祭りはないと、おそらく殆どの地元住民が思っているに違いない。私などは5月になり、風が柔らかくなり始め窓を開けられるようになると夜毎聞こえるお囃子の練習に早くもソワソワし始める。 永山屯田まつりは今回が31回目。旭川が発展するにつれ住民のライフスタイルが変わると地域のコミュニケーションが希薄になった。これを憂いた市民委員会、商業団体、農業団体が住民のための「手作りの祭り」をつくろうと1984年に誕生させたのがこの祭りと言う。 祭りを最高に盛り上げるのは30~40に及ぶとも言われる山車のパレード「屯山(みやま)あんどん流し」だ。当日夕方になると、これを見る為に近隣住民は沿道に集まる。デッキチェアをセットしたり、中には家の玄関先でジンギスカンパーティー(地元では「ジンパ」と呼ぶ)をしながら楽しむ人たちもいる。 静かな住宅街での催しものであるため道路もそう広くはなく、行燈は少しずつ間隔を置いてゆっくりと通り過ぎていく。お囃子と掛け声に、小さな子供は一緒に叫び、踊る。子供の声、人々の笑顔、歓喜の踊り。ここには平和が凝縮されているなとつくづく思う。 あんどん流しの主役は、道内最大級の和太鼓「永山屯田太鼓」。サラシを巻いたうら若き乙女が2人1組で意外にも淡々と打ち鳴らす姿は圧巻、そして何ともいなせだ。「いなせ」という言葉は主に江戸っ子の男性に対して使うものらしいが、なんのなんの、旭川の女たちの雄姿こそ「いなせ」という言葉がぴったりである。 あ、もちろん男性陣も。荒々しく逞しい姿は祭りの花だ。 あんどん流しのアイドル、とは私が勝手に言っているだけであるが、毎年楽しみにしている旭川農業高校の行燈。目が赤く光り、首が動いたり口から煙を吐くこともある。 躍動感のあるとても美しい行燈。この高校は生産物の販売など、地域への貢献度も高い。 こんなアクロバティックな行燈もある。2時間にわたる屯山あんどん流しはずっと立って見ていても飽きることもなく、気分が高潮しているから疲れも感じない。あとになって「こ、腰が・・・」ということにはなるのだが。 後先になったが、あんどん流しのトップを切ったのは永山小学校。見ていてとても微笑ましく、掛け声もかわいい。 交差する行燈に沿道の観客の心も躍る。こうして行燈は行き過ぎ、最後は「おまつり広場」に集結して最後の盛り上がりを見せ、フィナーレを迎える。 おまつり広場では、すべての行燈が輪になるように集まり、しばしそれぞれに乱舞する。訪れた私たちも大きな掛け声に続き、屯田まつりの最後を共に飾る。 今年は2日間天候に恵まれ、涼しさも助けになったか夜にも関わらず多くの地元住民や観光客で大いに賑わった。やはりとてもよい祭りだ。私はそのうちニューヨークへ帰っていく身であるが、屯田まつりのあとは必ず「老後もここにいようか」と考える。冬の寒さは厳しくとも、穏やかに楽しく暮らせる旭川が好きで好きでたまらない。 ◆ 夜が更けて今、東の窓からひんやりとした風が舞い込んだ。誰もが感じる祭りのあとの寂寥感がせつなくもあり、心地良くもある。 こうして無事に屯田まつりが終わり、来週の夏祭りが終わりお盆が明けるころ、道北旭川には秋風が吹き始める。
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Simple Pleasures – Welcome to the Patchwork Hills
“Simple Pleasures” by Basia 6月も中旬になって黄土色の畑に緑の面積が増えてくると、私の「美瑛・富良野」シーズンが始まる。 家から美瑛町までは車で40分ほどであるが、用もないのに毎週末必ず足を運んでは決まったルートを走り、微妙な季節の動きなど感じるのを楽しみに早朝から出かける。 美瑛の丘は畑が多く、作物が育つ季節には緑のグラデーションと土色でパッチワークのように見えることから「パッチワークの丘」と呼ばれるようになった。 純白一色の雪の美瑛も大好きだが、今頃から8月にかけてここに来ると心だけでなく身体も健康になって帰れるような気持ちになるから不思議だ。 パッチワークの丘を巡るなら、朝早くからがいい。十勝連峰に雲海がたなびき、朝露に濡れたみずみずしい緑の香りがすがすがしく、おいしい。 ゆっくりと2,3度、大きく深呼吸をすると、遠くからカッコーの声が響いてくる。 やがて夏の朝特有の霞みが切れ、青い空と強い光の太陽が顔を出すと、丘の風景も目を覚ましたように活気づく。 北海道に来て好きになったもののひとつが青麦畑だ。 西から東へと通りゆく風に引かれるように一面の青麦が波打つさまは、地上の海原。6,7月の北海道は1年で最も気候の良い時で、カラッと晴れた休日などは、青麦畑の前に車を止めてひんやりと冷たい風を受けながら、この光景を何時間でも見ていられる。 パッチワークの丘を巡る「パッチワークの路」上にひとり立っている「クリスマスツリーの木」。美瑛には名前のついた木が多くある。テレビCMに登場した木やパッケージのイラストになった木などさまざまであるが、これだけは個人的に違うなあと、実は見るたび思う。 私だったらこれ、ちょっと長いが「不二家のパラソルチョコレートの木」と名付ける。閉じたパラソルをチョコレートケーキに立ててあるような、そんな風に見えるのだ。 因みに我が家ではこの木とは違う、やはり美瑛の丘に聳え立つもみの木をクリスマスツリーと呼んでいる。一面の銀世界に建つこの木はまさに神に選ばれたクリスマスツリーだが、夏の佇まいもとても爽やかで美しい。古い友達のようにフレンドリーだとも思う。 冬にこの木を見るたび夫は「ライトアップしないともったいないよな」と言う。そのくらいクリスマスで、そのくらい魅力的。私も近くを通る時は挨拶をするようにしている。 昔ハワイのある占い師から「木は人の声が聞こえるから悪口を言ってはダメだ」と聞かされて以来、気に入った木を見つけた時や森を歩いている間、木々に挨拶をしている。彼女曰く「優しい言葉を掛けると、気分を良くしたその木が幸せのエッセンスを降らせる」のだそうだ。 幸田文が随筆「木」の中で、8月のひのきを見ると「活気があふれ」「意欲的に生きている」「もし木がしゃべりだすとしたら、こんな時なのではなかろうか」と書いているが、確かに夏の木にはエナジーとふくよかな心、誇りさえ感じる。 そして木々と話をしながら、何か命あるもの同士のつながりも感じさせてくれていることにも気付く。 美瑛の名物とも言える赤い屋根の家は現在は使われていないが、プロアマ問わずフォトグラファーに人気の建物となっており、フォトジェニックな美瑛の代表的な存在として生き続ける為にメンテナンスが施されているという。 滑らかなパッチワークのうねりは作物の刈り入れまで私たちの心を躍らせ、また安らぎも与えてくれる。 人は手を伸ばせばすぐそこにある幸運を見失いがちになるが、どこまでも広いこの丘に立ってみると分かる、自然に囲まれて暮らす “simple pleasures(ささやかな喜び)”こそが望むべき幸せなのだということが。 all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Escapism ~ 過ぎ来し方と遊ぶ家
BGM: “Missing You” by George Duke 冬に別れを告げる心の準備も整った5月初旬、春を求めて道東へ向かい帯広、釧路と巡ってゆっくり海岸線を走りながら目指したのは日本最東端の町・根室。そして旅の終着点に決めた納沙布岬を訪れて帰路に着こうという頃。 陽の傾き始めた根室の静かな町で見つけた白い看板。”guild Nemuro”. ヨーロピアン・アンティークをはじめ日本製ジュエリーやアパレル、テーブルウェアを揃えたセレクトショップだ。オーナーの中島孝介氏が2013年この地に構えた。 扉を開き足を踏み入れると、そこには柔らかなライティングと午後の自然光が溶け合ってノスタルジックな空気が流れ、サイプレスやジュニパー、あるいはフランキンセンスだろうか、その中にベルガモットを落としたような神聖で心地良いセント、空間に広がる静寂。思わず深呼吸する。 まず目に飛び込むのは、スムースで優しい光を湛えたミルキーホワイトの食器。店全体に楚々とした印象を与えているそれらはヨーロピアンアンティークと日本製。質感の違いが楽しい。 ダウンタウン・マンハッタンのインテリアショップを思わせる、ラスティックながらもスタイリッシュなディスプレイの店内に心なしか懐かしいのはおそらく、店のそこここに佇むヴィンテージインダストリアルの家具が持つ温かで重厚な存在感のため。 コッパーのケトルは広い店内でもひと際輝きを放っている。とても気に入ってしばらくの間、かがんだままじっと見とれていた。 店主に尋ねると、ここに集められたアンティークはオランダ、フランス、ベルギーで彼の心を掴んだものたちなのだと言う。 成り行きに任せたようにもデザインされたようにも見えるウッドストーブのコーナー。フロアに漂う北海道の冷気は時を止める役割を担う。音もなく、耳に入るのは靴音だけ。 店主との運命の出会いを果たした鯨は、guild Nemuroの守護神となって悠久の時へと私たちの船出を誘う。 100年前の北欧に咲き誇っていた花たちは海を超え、遠い日本の小さな町で新しい命を授かり再びその美しさを取り戻した。 私は壁の前に立って我が家を思い描く。この9枚のフレームを北西に窓のある書斎に飾ると、マホガニーのデスクとよく合うに違いない。3枚ずつ縦に、横に。いややはりこのままにしてあの部屋をミュージアムにしよう。空想は尽きない。 良いものを置いている店では想像力も、また願望も豊かになるものだ。 この店は、古き良き世界の国々へ連れていってくれるだけでなく、現代日本の美も伝えている。アンティークテーブルにも馴染む食器はプレーンで落ち着きがあり料理を選ばない、長崎・波佐見焼のテーブルウェアブランド”Common” のもの。横に並ぶカトラリーは、北欧の貴族が使ったものか。そんなファンタジックな情景が目の前に映し出されるよう。 アンティークたちが生まれた頃へと遡り、時空を超えた散歩でもするようにゆっくりと見て回るのが楽しいguild Nemuro。そこにあるひとつひとつに刻まれた物語を空想すると、魂が身体から抜け出したような浮遊感を覚える。 この時気がついた。この店で私はエスカピズム(escapism・現実逃避)を体験しているのだ。 一番奥でこちらをじっと見つめるキリンに圧倒されその場に立ち尽くしていると「お譲りしましょうか」とラフに言う店主。もの静かな彼の宇宙レベルの思考にもう一度驚く。 guild Nemuroがコンセプトに掲げる「衣食住」は店独自の世界を際限なく広げていく。 店主が根室に移るきっかけとなったジュエリーデザイナー・古川弘道氏やファッション・デザイナー・suzuki takayuki氏の作品もまたこの店をよりchicに彩っている。 陶器やガラスの美しさに魅了され、手に取ればそのぬくもりに夢中になり、時の経つのも忘れたままいつしか扉の向こうは夜へと色を変え始めている。 陽光の射し込む時間帯には夕暮れ時とは違った、爽やかでライブリーなエナジーが漂うのだろう。 guild Nemuroに纏わるさまざまな話を惜しげもなく聞かせてくれた親切な店主に別れを告げて店を出ると、日曜日の午後6時40分。夕陽はオレンジとパープルを程よく混ぜて街中を染め、美しい日常が私を100年前の世界から覚醒させた。 過ぎ越し方と遊ぶ家は、明日もここで訪れる人を待つ。 guild Nemuroホームページ AVMホームページ suzuki takayukiホームページ 根室市観光協会ホームページ Nemuro Tourism Information official Website(in English) all images edited by Kaori…
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Moments #8: Listening to the Loved One
「鳥は言語でコミュニケートする」という話は本当か。知識もないのに確かめずにはいられず、これを知って以来さえずっている鳥に遭遇するとそっと近付き鳴き声に耳を傾けることが多くなった。 5月のとある休日の朝。朝食がてら散歩に出ると、桜の季節とは言え北海道の朝はまだ10℃をやっと超えるくらいでウールのコートをまだまだ手放せず、ポケットに手を入れたままあてもなく歩いた。 我が家から10分足らずのお宮さんに立ち寄ると参道には人影もなく、時折さわさわと聞こえる木の葉を春風が揺らすだけ。この音が心地良く耳をそばだてていたらすぐ近くから、 キュイーキュイーキュルルルルル 夫と私は周囲の木々を見回し、1分も経たずに鳴き声の主を特定した。 あの鳥だ。桜の木だ。 こういう時はむやみに意識し過ぎて身を低くなどするよりも平静を装って普通に歩いて近付く方がいい。この解釈が正しいかは定かでないが、とにかく鳥の真下まで無事に辿り着き、気配を消すよう努めた。 鳥は私たちにじっと背を向けている。人の気配を感じてというよりも、何かに集中しているような佇まいにも見える。 キュイーキュイーキュルルルルル 尾を震わせ神社の隅々まで響きわたるほどの美しい声に息を飲む。いったい何を言っているのだろう、誰に向かって鳴いているのだろう。 すると、 キュイーンッキュイーンッ 同じ声だが跳ね上がるように艶っぽい、鳴き方の違う鳥がどこかにいる。そしてもう一度。 キュイーンッキュイーンッキュイーーーンッ 残念なことに人は実に多くの言葉を持ちながら、こうして鳥の鳴き声を文字にして並べてみると何とも間の抜けた感じになってしまう。が、そんなことにはおかまいなしにカワセミに似たこの鳥は肩を少し持ち上げるようにして、天まで届くような実に澄んだ声で再び、 キュイーキュイーキュルルルルル そしてまた鳴くのを止めると、鳥は羽をたたみ私たちには見えないように少し俯いた。どことなく悲しげに見える鳥の後ろ姿を不思議に思う。私たちほど複雑な感情を持っていたりはしないだろうに、この哀愁はどこから漂ってくるものなのか。そしてほどなく、姿の見えない鳥がこの声に返すように短くさえずった。 キュイッ 突然、私たちの頭上の鳥はキュッと素早く軽く振り返り、身を固くした。 ぴくりとも動かず顔だけをもっと高い木へと向けたまま、ただひたすらに相手の次の言葉を待つその瞳は、相手に何かを懇願するようにも、また胸に秘めた思いに潤ませているようにも見えた。 咄嗟に感じた。彼等の、これが恋に落ちた瞬間ではないかと。 それからこの鳥は幾度も小さく羽を広げたり立ち位置を確かめたりしながら、一度ぴたっと止まると艶っぽい声の主へと飛んで行った。 自然豊かな北海道は多くの鳥が繁殖地として選ぶ。山を歩いたり車で通り抜けながら呼応するふたつの鳴き声を聞くたびに、ああ恋の季節なんだなと思い幸せを分けてもらっているような気分になる。が、実際にはどんな会話を交わしているのだろう。シジュウカラなどは人間に近い言語のやりとりができると言う。 「下に鬱陶しい人間が2個もいるんだよ、どうしようか。やつらの嫌がるものでも落としてやろうか」 まさかそんなことは言っていないだろうと信じたい鬱陶しい人間2個、次回は何とかして彼等の会話に入り込みたいと独自の方法を模索している。 all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Moments #6: Shiretoko – Sea Breeze Kind of Welcome
日々の営みに疲れたら行ってみるといい。 ペルシャンブルーの海、常緑樹の知床連山、平和に暮らす命。 人生観を変える旅は、小さな奇跡と限りない歓喜に満ちている。 まばたきせずに見つめていると、ほら、 オホーツクの海風がくれる、これがようこその挨拶。 ・海の向こうに見える青き雪山は、北方領土・国後島。 知床斜里町観光協会ホームページ photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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ソフト宇宙 ~ Snazzy Retreat w/ “Mimi Pet”
出かける予定のない週末の朝はたいてい書店へ足が向く。最近は本だけでなく輸入雑貨や造花、おもちゃまで見かける楽しみもでき、カフェやレストランの付いたお店も増えてきて、買った本を持ち込んでランチという日も多くなったのは嬉しい限り。 先週末、友人のバースデイカードを買いに未来屋書店へ行った。ここも書籍だけでなく生活雑貨や文房具が豊富で読書好きは勿論のこと贈りものを選ぶ人でも賑わっている。 店内を見て回っていると、デザイン雑貨のシェルフに立てかけられた”イア・アクセサリー / ear accessory” という言葉。”Mimi Pet” (mimi = ‘ear’ in Japanese)とその横に書いてある。 ダックスフントの形で一見消しゴムにも見えるがあくまでもかわいいアクセサリー。グレー、ブルー、オレンジ、イエローの色使いには北欧雑貨の雰囲気があるなと思いながらグレーを手に取った。 「おお、イアプラグ(耳柱)か」と思った途端上昇するテンション。書く仕事をしてると時折私のコンセントレーションを乱す電話の音、そして窓の外で街を流しているちりがみ交換車の「ご不要になった古新聞、古雑誌とポケットテッシュ(ティッシュとは言ってくれない)、箱テッシュ、トイレットペーパーと交換いたします」のこもった声。本当に困ってたんだから、もぅ。 よし決めた、これを買おう。 家に帰ると真っ先にMimi Petを取り出してよく洗い、どこに居たって使えるくせにわざわざ一番静かで外の音が聞こえやすい書斎に入るとデスクの前に座っていよいよ身につけてみる。 胴体がふたつに割れた形なのでまじまじ見ると少し心が痛むが、気にしないようにする。 ぷにゅぷにゅとしていて柔らかく、耳にあてると少々の圧迫感。5分経っても10分経っても何も聞こえてこず眠ってしまいそうなので、ステレオに「ハンガリアン舞曲」を滑り込ませ大音量でプレイしてみると、まったく聞こえなくなるわけではないが、普段の5分の1くらいの音量には下がる気がする。お、これは使えるのではないか。 さすがに電話は無理だろうが、宿敵ちりがみ交換車ならブロックが可能かもしれない。膨らむ期待感。そして何より気に入ったのは、外界から孤立したような、それでいて精神が解放されたような、ソフトな宇宙空間を体感できるところだった。 もっとも宇宙体験などNASAへ見学に行ったくらいしかないのだけれど、Mimi Petをつけて目を閉じると、ザーという微かな血流音が不思議な浮遊感をもたらして、水に浮いているようなリラックスした気分を味わえる。 うん、これは気に入ったと目を開けると、デスクの横でメランコリックに俯く詩集の中のフェルナンド・ペソア。 ポルトガルを代表するこの偉大なる詩人を無視してひとりだけ瞬間宇宙を味わうのは失礼だ。というわけで試していただくことにすると、なかなかこれがよく似合うではないか。なるほどこんなふうに、大人がシュールに遊ぶおもちゃとしても使えそう。 Mimi Petは仕事や勉強で集中したい時、適度な真空空間を満喫したい時、そして小さなコンテンポラリーアートとしても楽しめることがここに極めて個人的ではあるが実証された。 道路を歩いている時以外、集中したい場所や静寂を求められる空間、例えば図書館などで使うならとても便利で洒落ている。隣に座る人のページをめくる音にもじゃまされず良い気分で本の世界を旅することができ、明るい日の差す窓の向こうを眺めながら物思いに耽るならなお役に立ちそうだ。 そしてややもすると「かわいい耳柱してるね」と笑顔の素敵な誰かからそうっとメモを渡されたりもする、かもしれないから、運命の出会いを待っているならひとつ持っているといい。 h concept のホームページ&オンラインショップ all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Sanctuary Named “God of the Forest” (森の神様)
“Fall In” music by Esperanza Spalding 北海道にもようやく春が訪れて、と言っても日中まだまだ15度に満たない日も多いのでジャケットやストールが必要な日も多いのであるが、それでも日差しの明るい晴れの日には森だけでなく街中の緑もどんどん育ち、人の目にも心にも活力を与えてくれるようになった。そんなとき、日々色濃くなっていく木々の葉に命の強さを感じる。 パワースポットというカルチャーワードを私は日本に来て初めて知ったが、まさに命に力を与えてくれる場所だと言う。信仰を持つ人にとっては勿論聖地と呼ばれる「神聖な場所」が実際に存在するが、信仰を持たない人にとってのサンクチュアリーは心にエナジーと安らぎを与える場所であり、自然と心が赴くのもまた信仰のひとつなのかなと思ったりもする。 もうだいぶ前のことだが、私が愛して止まない隣町、東川町の小さな骨董品店に立ち寄った折、首振りのかわいいキタキツネの置きものに目が留まり「ニューヨークに帰る時のお土産になりそう」と夫と同時に肯いて手に取るなり「紅茶でもどう?」と勧めてくれた店主さんの言葉のままに座り込んでお茶をいただいていると、私たちが選んだキタキツネは「オンコの木」でできていると言われ「初めて聞く名前です」と答えるとイチイ(またはアララギ)という種類でオンコという名は北海道や東北で呼ばれるのだと教えてくれた。 それから神話を織り交ぜながら木々に纏わるさまざまな話を聞かせてくれた中で「森の神様はカツラの木で」の「カツラ」ではなく「森の神様」という言葉に私の好奇心アンテナがトゥルトゥルと両耳から立ち上った。その店に行ったのはクリスマスの頃で道北はすっぽりと純白のパウダースノーに覆われており、森の神様には春から秋でないと会えないのだと言われて(雪が深い為森の中に入れないというだけ)ひたすら次の春が訪れるのを、デスクの前に「森の神様に会いに行く」と書いて待った。 森の神様は、私の家から程近い美瑛町の、何でもない深い深い森の中に、いる。東川町から天人峡までは道道213号線一本道なのだが、森の神様は経済効果をもたらすような観光スポットではないので大きなゲートやましてや売店などあるはずもなく、道路沿いに「森の神様まで400m」の看板があるものの北海道生活5年目にもなる私はこれを頼りに辿り着けたことがまだ一度もない。必ず通り過ぎては戻ることになる。 そうして2キロほども行き過ぎてからUターンし、ゆっくり左側を注視しながら戻っていくと、小さな立て札が見えてくる「森の神様」とだけ書かれた立て札が。 213号線から車で林道に入るとしばらくして行き止まり。その奥に森の神様が鎮座している。 北海道森林管理局の公式発表によると、この木は推定樹齢900年、幹の周りは11メートル以上、高さは31メートルにも及ぶという。 神様だ、と誰もが思うのではなかろうか。周囲には無数の木々が立つもそれらがまるでこのカツラの巨木を崇めるかのように少し距離を置き、守るかのように囲って立ち並んでいる。1本の大木ではなく数本が天高く伸びている様子は何か物語が潜んでいるようにも見え、威厳というよりも凛としている、の方がこの木にはよく似合う。 道道を走る車の音が聞こえないのは鬱蒼としている森のためか、それとも人間には見えない神秘のヴェールがこの場所を包んでいるからなのか、森の神様の袂に立ち、聞こえてくるのは風と、さやさやという木の葉の触れ合う音、そして時折微かに響いてくる鳥のさえずりだけだ。 森の神様の前に立ったら、まず下から上へ向かって眺めてみる。右へ左へと伸びている枝はしなやかな女性の腕にも似て、訪れた私たちを優しく迎え入れてくれているようだ。角度によって違って見える森の神様、ゆっくりぐるりとひと回りしてみるとその大きさに驚き、900年もの間どれだけの生きものたちを見守ってきたのだろうと思う。 ここに来て必ず気付く。大地から頭の先へ向かって何かが辿り上がって来、実際に吹いている風とは違う清々しい気がまっすぐ胸に入り込んでくる感覚。いい気持ちだ。 ここでの深呼吸は森の神様を仰ぎながら、降り注ぐ生命の粒とそこに湛えた閑けさをいただくようにするのがいい。いつもとは違う穏やかな気持ちで帰れるはずだ。それからそうっとその体に触れてみるといい。疲れた心を癒し、浄化してくれるはずだ。そして話をしてみるといい。何かよいことを、幸せな生き方のヒントを教えてくれるはずだ。 カツラには香りがあるのだそうで、森の神様に近付いていくといい香りがすると言う。これを感じられるようになるにはまだまだ森を歩く必要がありそうだがひとつだけ確信したのは、この木が私にとって初めての、心のサンクチュアリーになったということだ。 美瑛や富良野、旭川の観光名所巡りに疲れた頃には半日時間をとってほんのひととき森の神様と過ごしてみるといい。北海道の美しさをまたひとつお土産にできるだろう。 「森の神様」というソフトな名前もいいものだなと思ったら、これは1998年に美瑛町の小学生たちが命名したのだそうだ。森の神様もきっと、子供たちの清らかな心によってつけられた自身の名を気に入っているに違いない。 北海道森林管理局「美瑛・森の神様」 美瑛町ホームページ 「ようこそ東川」ホームページ all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Otaru Pathos After 6
“Gotcha Love” music by Estelle 閉店間際まで北一ホールで話をし、空想をし、詩集を読んで外に出ると午後5時50分。 空が青いうちは大いに賑わっていた通りもひとり、またひとりと消えていき、町が紅く染まるにつれて恋が始まったときのようなセンチメントに包まれる。 愛と郷愁はどこか似ている。 北一硝子のサインにも灯りが入った。日中の小樽は仮の姿で、亡霊が夜を待つように、日が暮れるにつれ真の姿を現し始める。50年前、100年前へと戻っていくような目眩をも誘う。 小樽の夜は早く訪れる。 蔵造りのガラスショップや飲食店の殆どが午後6時には扉を閉めて、通りは黄昏時にはもう静まり返る。正直な気持ちを言えばせめて8時くらいまでは開いていてほしいけれど、現代人の、ましてやアメリカからやってきた人間の思いなど嘲笑されるだけなのだ、「分かってないね、小樽を」と。 ここからは恋人たちの時間。 ふたりは小樽運河を臨む道路に出る。目の前を、家路を急ぐ車が少し冷たくなった春風を切って通り過ぎてゆく。夜の群青が下りて地上に残る紅を溶かしてゆく様子を彼女は見逃さない。 「寒くない?」彼が尋ねると、 「大丈夫。これが北海道の4月なんだね、きっと忘れないだろうな」 信号が青になって、運河へ。 団体の観光客はホテルへ、食事へと散っていき、揺れる水辺を眺めながら語り合う恋人たちが数組。フランス語、韓国語、ロシア語、そして英語。言葉は違うがみな一様に肩を寄せて佇み、小樽に漂う爽やかな哀愁で心を潤す。 午後7時。運河を後にしたら、少し飲もうかと目指すのは坂の途中の「小樽バイン」。 恋するふたりが人目も気にせず見つめ合うには少し明るくて広過ぎるが、すっきりとしたケルナーから始めて3つめのグラスを空ける頃、小樽ワインは瑞々しい媚薬であることを彼女は知る、今夜が忘れられない夜になる予感とともに。 小樽バインをあとにすると、通りの向こうに怪しく光る旧「日本銀行小樽支店」。この町が大切に守る歴史的建造物も夜には彼等の思い出づくりにひと役買ってくれる。 「ホテルに戻る?」 「せっかくだからもう少し歩こう、酔いを醒まさないと」 彼は彼女の手を取ってまた坂を下りていく。一生に一度の大切な言葉は、運河で贈ることに決めたようだ。