Category: Katiestyle
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怖いもの見たさの1031
私は 1) 高熱を出す 2) 恐怖映画を鑑賞する、と悪夢を見る傾向にある。子供の頃からの癖のようなものでどうにもならないのであるが、10日前に熱を出し深夜、夫が飛び起きるほどの絶叫をした模様、未だに熱も下がらないし、ゆえに仕事も読書も捗らないしで「ミスター鶴の一声」=夫の助言。 「横になって映画でも見てたら?」 あ、そうねそれがいいわ。というわけでDVDを並べてある書棚の前に立ってみるも熱が原因の倦怠感からかなかなか決まらない。いっそ最下段の “24” を一気見するか ー やはり判断力が鈍っているようだ。ならばしっとり秋らしい映画にしようかなとも思えてくる。 ところが今日10月31日はHalloween なのである。アメリカのTVはこの時季どこも恐怖映画祭りで、新旧とり混ぜ毎日毎夜放送される。そうした大衆文化が体内を巡っている為に10月突入のファンファーレを聞くや否や怖がるくせに恐怖映画を渇望し始め、当日の今日などはもうカラッカラ。そこで映画チャンネルをくまなく探すも見たいのは今夜のThe Shining だけだ。しかもDVDを持っていたりする。 基本的に陰湿なばかりの映像が汚いホラー、特に邦画は一切見ない、いや見られない。「今夜悪夢が私を襲う」度100%な上に食欲不振が後を引くからである。第一に恐怖の中にも美がないと嫌なのである。一方海外のオカルト映画は25歳を超えたあたりから好んで見るようになった。子供の頃、映画館の前を通るたび目を逸らした「エクソシスト」のポスター。一生見ることはないだろうと思っていたが学生時代、それが事実に基づいていると知った途端に興味が湧き、両手バリアの隙間からおそるおそる見ているうちに夢中になったのが初めてだった。ワシントンに住んでいた頃は神父が悪魔に打ち勝ったあの階段も見に行き意味の分からない自信をつけた。 以来夫がいない夜だって独りで見られるようになったし、今ではChild’s Playなど子供騙しだと鼻先で笑えるほどにもなった。心が汚れてしまったからだとしたら哀しき成長である。 あまりにありきたりではあるが、私の好きな恐怖映画はこんな感じ。 1.The Shining (1980) 2.The Omen (1976) 3.The Exorcist (1973) 4.Horror of Dracula (1958) 5.Sleepy Hollow (1999) クラッシックばかり。緻密なからくりよりもじわりじわりと精神を震わせるものが好きである。CGを駆使した作品も入り込めないので見ないが、Sleepy Hollowはファンタジーとして楽しめると思っている。それからCGフリーの The Blair Witch Project は楽しみにシアターへ行ったが映像があまりに揺れるので別な意味で心身弱り、私を辛い目に遭わせたという罪状から生涯圏外とした。 私は中学に上がる頃までサンタクロース同様ドラキュラの存在を心底信じており(因みにアメリカの子供たちにはこういったケースは珍しくない。ニューヨークで生まれ育った日本の子供たちもその多くが13歳くらいでもサンタクロースを信じていたりする)、小5の時、両親がテレビでChristopher Lee の Horror of Dracula を見ている時偶然リビングルームを通りかかってよりにもよって吸血シーンを目にしてしまった。「早く寝た方がいいよ」と吸血鬼の恐怖から娘を守ろうとする優しい父に対して母などは「最後まで見る価値はある」とか言って11歳の娘を惑わせた。結末まで見届けた私がその夜悪夢にうなされ翌日冷蔵庫からにんにくを持ち出し母に見つかるまでこっそり携帯していたのは言うまでもない。 Stephen Kingの “Misery” やスペインの “El Orfanato”…
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砂に消え過ぎたGUCCI
今さっきふと思い出した、もや~っとした自責の念。昔から何度も心を癒してくれたこの曲でお付き合いください。 “To You Sweetheart Aloha” – Charles Kaipo 学生時代の約4年をオアフ島で過ごしたが、ニューヨークなどの大都市と違い、ご想像のとおりハワイの週末はビーチ・ドライブ・映画・ショッピングかナイトクラブ、と娯楽が限られている。どれもとても好き。でも日焼け? 来るなら来い、VitaminC満タンのピチピチ女子にはやはりビーチだ(後年これもほっぺたのソバカスを眺めながら後悔することになる)。日曜の朝などお宿題をするのもビーチだった。 数あるオアフ島のビーチでも行楽客の多いワイキキやハナウマ・ベイではなく、当時は今よりもっとずっと静かだった所謂「裏オアフ」、カイルア・ベイやカネオヘ、更に足を伸ばしてワイメアやハレイワまで行くことが多かった。 学生時代、バングルウォッチが好きでいくつか集めて使っていた。一番気に入っていたのは大学の入学記念に父が買ってくれたもので、これは特別な日に身につけるため普段はクロゼット奥深くにしまってあり、毎日学校へしていくのはグッチが多かった。気軽に身につけられるという安易な観念がいけなかったのだろうか。私はハワイにいるうちに、グッチのバングルウォッチばかり4つビーチで失くした。 何度思い返してもいつどこで、に見当がつかない。友人たちと夢中になって遊んでいるうちに手首からするりと外れて落としたようなのだ。日曜日の夕方、家に戻ると時計が、ない。海に落としたとはどうしても思えない。 2個目はそれから半年くらいした頃だったと思う。この時は帰り道に気付いてビーチへ戻り、遊んでいた辺りを探してみたものの見つからずじまい。もうバングルをしてくるのはやめようとぼんやり思っていたにもかかわらず、その後1年にひとつのペースで性懲りもなく落としたのだった。4つ目を落としたときには「もう絶対失くさない」と誓いまで立てていたのを覚えている。それなのに。別のブランドのものは失くさなかったのにグッチだけ、どうして。いやそれ以前になぜそうまでしてバングルを選んだのか、私は。 「飽きないねえ」と友人たちには呆れられ、意地になって「ノース(ノースショア)には砂の奥にグッチに恨みのある霊が潜んでいるのかも。彼女を裏切った恋人がグッチの店員だったのかも。それでグッチが視界に入るや否や指先ひとつで消滅させる」こんな無駄話でごまかしてみても所詮は己の不注意でしかなく、大いに反省した私は以降腕時計をするのを止めた。 さすがにもう随分と前のことだしどんなに探しても見つかりもしなければ見つかったところで使えやしないだろうが、よくいるでしょう、ビーチで金属探知機を滑らせて歩いている人。きっとそんな人に拾われて売り飛ばされてしまったのかもしれないな、4つとも。 妙なアイデアが頭に浮かんだ。もしも、もしも同じ誰かが4つすべてを見つけていたとしよう。そやつはおそらくこう思う。 「ここに来ればまたグッチをゲットできるんじゃないか?そしたら俺の可愛いキャロリンにひとつ、点数稼ぎにママにひとつ、もうひとつは妹のモーガンにはやらないで売っちまおう。ウシシシ」 そして毎週月曜日の早朝4時半、人気のないビーチで金属探知機をいつもより入念に滑らせることになる、何カ月も、何年も。ハワイとは言え夜明け前の海風は冷たいものだ。風邪も引いただろうに。最後は憑かれたように、探さずにはいられなくなるだろう。もしかすると今も毎週月曜日の午前4時半、とっくに使えなくなった金属探知機を滑らせ、遂には近所の人たちに “MDP(metal detector psychopath/金属探知機サイコパス)” とお安いあだ名の一つも付けられているかもしれない。 いつまでもそうして虚しき夢を見ておれ、フン。 ◆ 正気に戻って振り返る。そんなわけないか。いつになったらこの思い出とさよならできるのだろう。無駄且つ私の方こそ虚しき妄想で当時の後悔を払拭しようにもどんどんMDPの罠にはまっていくという、何とも情けない年の瀬の夜。
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恋のまち札幌のクリスマス2017
Merry Christmas, friends, family and lovers! “Wonderful Christmastime” by Paul McCartney 今年も恒例の札幌「ミュンヘンクリスマス市」に行ってきた。ちなみに札幌市とドイツのミュンヘンは姉妹都市である。 12月23日、天皇陛下のお誕生日である昨日は土曜日の祝日とあってか北の大都市・札幌も交通が緩やかだったが、街には既にクリスマスが待ち遠しい恋人たちや家族連れ、仲良しグループで溢れていた。 雪も厳しい寒さも小休止で気温も2℃と過ごしやすく、2時間ほど歩くにはちょうど良い陽気となった。いつもならファーのたっぷりついたフードのベネトンのスノージャケットを着て行くところが今年は必要がなくて助かった。このフードをかぶると頭部が巨大になり1時間歩くとだいたい20人くらいに笑われるからである。 本場ドイツのホリデイマーケットには到底適いっこないが、ドイツやロシア、ポーランドの工芸品やグルメを集めたあったかい札幌のクリスマス市はかわいらしく活気があって、とても楽しい。私は今年で5回目、これを逃しては年を越せない。 どのブースも小さいが、ところ狭しと飾られたオーナメントや雑貨に会話も弾む。ちょっと高価な雑貨を前に男の子が「もっと稼ぎがよければなあ」というと女の子が「私、別にこんなの欲しくないよ、こっちの方がいいな」と言って小さな木彫りのサンタクロースを手に取っている光景に心が温まる。つい「この二人はdestinyだ」と勝手に思ってしまう。 今年のクリスマスツリーはとてもよかった。クラッシックで温かで。奥に立つテレビ塔との相性もそう悪くはないし、周囲の人たちは皆スマートフォンやiPad を向けて何度も何度もシャッターを切っていた。 ミュンヘンクリスマス市の常連のこの店を見つけると、ああ今年もクリスマス市に来たなと華やいだ気持ちになる。置いてあるものが少し高いけどね。 光はイエス・キリストの誕生を象徴する大切な存在。人並みから外れて立ち止まりしばらく見つめているだけで神聖なクリスマスの空気が身体の中に注ぎ込まれるようだ。 毎年大人気のローステッドアーモンド・ショップ。前を通るとシナモンの良い香りに引き寄せられる。温かいグリューワインを飲みながら店の様子をうかがっていると、1000円札がカウンターを飛び交っていた。元気な札幌、豊かな日本に胸が躍る。 アーモンドショップの2大スターはムービースターのようにかっこいい。にこりともせずひたすら仕事にかかっているから余計にかっこいい。King of Christmas Market・サンタクロースも素敵、でも私は断然こちらである。 我が家は毎年このマトリョーシカのお店でオーナメントをひとつずつ買っている。ここも人気のブースで、このほか約300年前に誕生したと言われているロシアの伝統漆塗り「ホフロマ/Khokhloma)の漆器や、ロモノーソフ(現在はインペリアル・ポーセレン)と並んで知られるグジェリの食器なども見かけた。 マトリョーシカは何とかわいい工芸品だろう。これもいつも思うのであるが、若い恋人たちが楽しそうに工芸品を選ぶ姿はいいものだ。二人のクリスマスの思い出の品にもなるし、「ロシアってすごいねえ」という一瞬(どこらへんが?)と尋ねたくもなっちゃうが、とにかくイカした日本、素敵な外国を知る機会をこんなふうに身近に得られるのは幸せなことだと思うのだ。一度きりの人生だもの、たくさんのことを知りたいじゃないの。 今年この店で選んだオーナメントはこれ。我が家のオーナメントは150を超えたが、よく見てみると青いものがひとつしかなかった。清楚でかわいい仲間が増えて大満足。 恋する二人の記念撮影スポットNo.1はここだろう。クリスマスとヴァレンタインズ・デイが一度にやってきたようなロマンティックなツリー。あとからあとから若いカップルがやってきてはスマートフォンに向かって頬を寄せて、愛らしかった。 一昨日LEDを軽く批判してしまったばかりであるが、ドリームランドな散歩道は無数のLED電球で照らされ、その中を歩く笑顔がどれもとても美しかった。 人生甘いばかりではないけれど、こういう日があるから涙の味に唇をきゅっと結んでしまう日も乗り越え、忘れられる。 札幌も素敵ないい町だ。夫共々我が町旭川が一番だと思っているが、ずっと大都市で生きてきた私たちにとって札幌は肌に馴染む。ちょっとワシントンに似ているかな。ニートで洗練されていて、けれど歴史と文化が街中に漂っている。 スノーホワイトのきらめきに彩られた恋のまち・札幌。気持ちが華やぐ。 さて今年のミュンヘンクリスマス市は今日24日が最終日。 午後9時まで。近郊にお住まいでしたら急いでお支度して。まだ間に合う。 Click Here→ ミュンヘンクリスマス市 in Sapporoオフィシャルサイト
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27年前の色~Night of Warmer Lights
“Please Come Home for Christmas” by Eagles 今日は電気の、何とかならないかなあ、な話。 LED電球を使っていますか?我が家は、このゴールドのフロアランプひとつだけ。 1日10時間電気を使ったとして、 白熱電球は最大約6カ月 電球型蛍光灯は約3年7カ月 LED電球は約11年の寿命。 また年間の電気代に換算してみると、 白熱電球は4,257円 電球型蛍光灯は867円 LED電球は615円と、 LEDは驚きの安さである。さらにLED電球は買った時は他の電球よりも高いものの寿命を考えるとコストパフォーマンスは他の2つと変わらない計算になるという(参考: エネチェンジ)。 初歩的な情報を知るだけでも、LEDは今を生きる私たちにとって有難い存在だ。 がしかしこの時季、街を彩るまばゆいばかりのイルミネーションにどうも以前のようにうっとりできない。原因はおそらくLED電球の光。 ◆ こちらの写真。何と27年前の今日、食事に行く途中通りかかって気まぐれに撮影したリンカーン・センター(マンハッタンW.66丁目の総合芸術施設)のクリスマスツリー。 当時私はロックフェラーセンターの巨大クリスマスツリーよりもリンカーン・センターのこのツリーの方を好んでおり、学校や買い物帰りにはわざわざ遠回りをしてまで立ち寄っては「かわいいなあ」と眺めていた。 古い写真で写りが悪いが、マルチカラーが愛らしい、華やかで上品なツリー。おそらく現在はLED電球のツリーに替わったことだろう。この日の思い出が消えてしまうともったいないから、なるべくクリスマスにはリンカーン・センターの前を通らないようにしよう。 大きな声では言えないが、実は私の家のクリスマスツリーには従来のイルミネーションライツを使っている。高さ2.5mのツリーに、ニューヨークから持ってきた頃は1200個、あまりに電気代が高かったので翌年700個まで減らし、現在は500個に。それでも1月の電気代が軽く1万円オーバーになるので最近では、地球にやさしくない我が家のツリーに少々肩身の狭い思いでライトアップの時間を気持ち減らすようになった。けれどどうしてもLEDに替える勇気を持てないでいる。 LEDは私たちのために開発されたもので、皆が率先して使っていくべきであることは十分分かっている。分かっているつもりではあるものの、あの日のツリーと旭川駅前・買物公園のLEDイルミネーションを比較すると、やはり温かみのある昔の灯りの方がいいなと思ってしまう。それでなくても極寒の地で、LEDの蒼白いイルミネーションはかなり寒々しい。頭の中で、クリスマスなのに胸を締めつけるイーグルスの “Please Come Home for Christmas” が流れない。 LED電球の灯りが、何とかして以前のライトのようにならないものか。できることならどこかに手紙でも書きたい気分の、あの日から27年経った今宵である。
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しれとこ旅情のイノセントな裏切り #2
早い話が、北海道及び国後島に白夜はないということだ。 白夜は緯度が66.6度以北の北極圏で起こる現象で、60度34分以北でも、太陽は沈むが完全に暗くはならないため白夜に分類することがあるという。ちなみに残念ながら、北緯42~45度の北海道で白夜が見られることはないのだそうだ。 オーロラだって見られるのに、白夜があったっていいじゃん、と言いたいところであるがこればかりはどうしようもなさそうである。 なぜ事前に調べていかなかったのか、簡単なことではないか。あらためて愚かな我が身を呪った。加えて知床第1日から興奮し過ぎて夜も早いうちに眠たくなり、ウェイクアップ・コールを頼み忘れ、白夜どころか目が覚めたら午前7時40分。太陽は既にオホーツク海を笑顔で見下ろしていたという始末。 ああーん、白夜が。何も知らない私はそう叫び、朝食を済ませたらロビーで誰かに教えてもらおうと息巻くも、大恥をかく結果に。 ケイティ「すみません、知床で今の時期白夜を見るには・・・」 「どうしたらいいですか?」まで言い切る前に遮られてしまう。 スタッフさん「見たいですよね、白夜。でも残念、北海道では見られないんです」 ケイティ「でもしれとこ旅情の歌詞に」 スタッフさん「あれ、ウソなんです」 ああ、無情。ここまできっぱり言われてしまうと、あとはもうがっくり落っこちた両肩をお見せして完敗を宣言するほかない。 ケイティ「た、大変失礼いたしました」そう申し上げそそくさと退散した。 知床は、西に位置するオホーツク海側の斜里やウトロと東に位置する太平洋側の羅臼(らうす)に分かれるが、私たちはウトロに宿泊しており、斜里ー羅臼をつなぐ知床峠が冬季通行止めだったため、しれとこ旅情誕生の地、羅臼へは翌朝訪れた。 羅臼町は静かな町で、この日道の駅以外で人影を見ることはなかった。歌のとおり、羅臼から北方領土・国後島がくっきりと、とても近い距離で浮かんでいた。 ◆ その夜、ホテルに戻ってからしれとこ旅情が生まれたいきさつについて調べた。 この歌は1960年、当時森繁さんが主演した映画「地の涯に生きるもの」の撮影で訪れた羅臼で、お世話になった村の人たちへの感謝を込めて、この地を去る前夜に作ったものだそうだ(参考: 北海道Style)。慣れない極寒の地での撮影に、羅臼の人たちが尽力したという。 しれとこ旅情に森繁さんは最初「さらばラウスよ」というタイトルを付けたが、ここからも羅臼の人たちへの思いが伝わってくる。 結局、私は白夜どころか日の出さえ見ることなく知床をあとにすることとなった。 森繁さんの「白夜」の解釈に合点のいくできごとがあった。これが実は広く周知されているのか、はたまた私の持論に過ぎないのか、未だ証明できずにいるので仮説としよう。 知床から帰った直後、仕事の〆切が迫り徹夜した日があった。何時間もPCに向かい、肩が凝って首を回すとカーテンの下からうっすら明るい青が射し込んでいる。時計を見ると午前3時15分。驚いてカーテンを引くと、外は既に本を読めるほどに明るかった。 北海道の日の出がとても早いことを、その時初めて知った。首都圏で生まれ育ちアメリカでもいくつもの都市を渡り歩いたが、これほどまでに朝が早くにやってくるところは初めてだ。 そして思ったのだ。森繁さんの映画のクランクアップは7月だったというから、北海道の夏の朝事情を知らずに「白夜」と表現されたのではなかろうか。羅臼の人たちとのお別れに即興で作ったしれとこ旅情にはきっと、森繁さんの無垢な心が見た、蒼白い羅臼の夜明け前が映り込んでいるのだ。 マヌケなだけで終わった「しれとこ旅情・白夜探偵」であったが、一応の答えに出会えた思いで私の追跡は完了した。 森繁さんのあの歌詞から「白夜論争」というのが起こったのだそうだ。森繁さんは白夜を「びゃくや」と読ませたが、本来は「はくや」と言うのだそうだ。これを指摘した国語学者・池田彌三郎氏に対し森繁さんは(どうやら彼とは知り合いだったようであるが)、 「そんならあんたは白虎隊を『ハッコタイ』と読むのかい?」 と返されたという。何というチャーミングなケチのつけ方。森繁さんらしさ全開の押し問答を、その場で聞かれたらどんなに楽しかったろうと、今も時々想像する。 ◆ 結局北海道では白夜を見られることはないことが分かり残念であったが、森繁さんの歌詞には知床(羅臼)への愛がいっぱいに詰まっている。長い長い時を経た今も日本中でこの歌が歌われているのは、的確な描写などではなく、この「愛」が心に響くからだろう。 そもそも詩の世界とは作る人にも自由、読む人にも限りなく自由であるのだから、言葉の使い方が違っても、また描いた景色が真実と異なっていてもよい。むしろ紡いだ言葉で人の心が潤うならば、事実など二の次よ二の次。 ちゃらんぽらんな私などは気にもかけず、今日もしれとこ旅情を熱唱する。 では最後に、森繁さんの歌う「しれとこ旅情」。心が潤います。
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しれとこ旅情のイノセントな裏切り #1
私は、彼の故・森繁久弥さんが抱擁した数多い女性のひとりである。 と色っぽい話にしたいところであるが、実際には「抱擁」に程遠くむしろ私がかじりついたという方が正しいらしい。しかも当時私はまだ2つかそこらで森繁さんが「あんた(私)よりママの方がいいな」と仰った、という信じるも信じないも私次第の都市伝説が我が家にあるも当時の記憶がないので証明は不可能、あくまでも母の妄想に過ぎないと私は今も思っている。遠い遠い夏の、深夜のちいちゃなできごと。 そんなことより、森繁さんの作られた昭和の名曲「しれとこ旅情」の話である。 子どもの頃からこの歌のゆったりとしたメロディと「遥かクナシリ(国後)に白夜はあける」という幻想的な歌詞の意味を母から聞いてからずっと気に入っており、今も私の「時折口ずさむ歌」トップ10に入ると自信を持って言え、6月に入るなり北海道各地にハマナスが咲き始めると、車中で歌うしれとこ旅情の頻度もぐんと高まる。北海道旅行の際にちょっと歌ってみると「ああなるほど」しれとこ旅情は北海道にぴったりだと思っていただけるはずだ。 知床の岬に はまなすの咲く頃 思い出しておくれ 俺たちのことを のんで騒いで丘にのぼれば 遥かクナシリに 白夜はあける 森繁久弥 記念碑に書かれている短い詩だけでも情景や、この歌の中にいる人たちの心情もしみじみと伝わってくる。こういうのを良い詩と言うんじゃないかしら、と森繁さん贔屓でなくても誰もが思うことだろう。 生まれて初めて知床を訪れたのは3年前の春先、4月。6月に咲くハマナスの季節までにはまだ随分と早かったのだが用事ができたのを機に知床へ行くと決まるや否や、脳裏をよぎる「遥かクナシリに白夜はあける」。 行こう、知床へ。見よう、国後島に明ける白夜を。6月じゃないけど。 ちなみにハマナスであるが、バラ科の植物でマジェンタピンクがとても美しく、秋になると紅い実をつける。ローズヒップである。北海道の花としても知られるが、関東や西は島根県でも見られるのだそうだ。また、皇太子妃雅子さまの御印でもあるという。 2005年7月、知床は世界遺産(自然遺産)に登録された。 知床が世界遺産に選ばれた理由として、絶滅危惧種や希少な生きものが生息・繁殖する地であることなどが挙げられている。 斜里町に入ってしばらく海岸線を走っていくと、丘の斜面に100頭ほどの蝦夷シカが挙って草を食べていた。シカはアメリカにいてもよく見かけるが、これほどの数に一度に出会ったのは初めてで、ああこれが世界遺産かと圧倒されたのだった。 北海道では絶滅危惧種として登録されているオジロワシ。この日雄々しく大空を飛ぶ姿を発見したが、実のところあまりの迫力に腰が抜け、上手くシャッターを切ることができなかった。我が家の車の上を飛んで行ったが、暗い影ができるほどに大きかった。 白夜観測を目的に知床入りするも、海の透明度や自由に遊ぶ動物、人の手が加えられていない豊かな自然に心が奪われ、しばし忘れてしまっていた。 ホテルルームから見る夕陽もいつもよりもっと神聖な気がして、大きな窓一面に広がるオホーツクの景色を1時間、太陽が水平線へ沈むまで眺めた。 翌朝は夜明け前に出発、何とか「遥かクナシリに白夜は明ける」を見るのだ。普段は怠けている神さまへの祈りを就寝前に捧げ、いよいよかと思うと気持ちが高ぶったまま、夜は更けていくのだった。 ・・・はたして私の願いは天に届いたのか。 (つづく)
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Moments 23: かわいい雪国~Snowville Baby
旭川、12月のよく晴れた朝。気温は-10℃。 ニューヨークも雪は降るが、やはり北海道の積雪には適わない。そして雪国文化に触れたのも旭川に移ってきてからのことで、5年経った今もそこここで新しい発見に出会えるから毎年冬の訪れが楽しみだ。 これまでに知った「北海道の冬」の中でも群を抜いて可愛らしいのが、これ。今、下の写真を見てくださっている方もきっと、笑顔になっておいでのことでしょう。お人形みたいでしょう? お母さんが小さい子供をそりに乗せてお買い物に出かける光景。子供は、これもまた雪国の風物詩、フード付きのふかふかなスノースーツを着てそりから落ちてしまわないように、上手にバランスを取って座っている。お行儀が良くて、かわいくてたまらない。どんな気持ちで乗っているのか、見るたび車を降りて聞きに行きたい衝動に駆られる。 実はそりに載せるのは子供だけでなかったりする。最低気温が-20℃にもなる旭川では路面の凍結は日常茶飯事で、重たい荷物を持って歩くことがとても大変なのだ。 そこでスーパーマーケットでも売っている小さなそりに買い物袋を載せて家路を歩く。足元が滑りやすくても比較的楽に歩を進めることができるという。 またこの季節がやってきた。冷たい北風の中を歩いていく姿は気の毒にも思えてしまうが、見ている方は心がやわらかになる。 あまりの愛らしさに、気を取られてしまわないよう気をつけなければ。
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十勝の農家をかっこよく~音更町 Farmer’sの流儀
“I Won’t Last A Day Without You” by Carpenters 道東・音更町(おとふけちょう)に私たち夫婦のような海外帰りには応えられないオーダーメイド家具店がある。名は、”Farmer’s(ファーマーズ)”。 少し遠くから見慣れたデザインの建物が見えてくるなり驚きと懐かしさに興奮した。まったく予期していなかった「以前はよく見た家」が突如として現れたからだ。 1994年、「十勝の農家さんをかっこよく」をコンセプトに生まれたFarmer’s は2階建てのコテージスタイル。まず目に飛び込んできたのはおびただしい数の輸入雑貨。そしてそれ以上に目を引き心を奪われたのは、全てがFarmer’s で作られているという美しき西洋家具であった。 Farmhouse Style(ファームハウス・スタイル) 。ラスティックでありながらモダンで上品、温かみとノスタルジアに満ちた居心地良い空間が信条のその住宅・インテリアスタイルは、自然豊かな田園風景の中に立つ大きな邸宅ばかりではなく、マンハッタンのコンドミニアムなどでも人気が高い。 Farmer’s の家具や雑貨のテイストはまさにファームハウス・スタイルだ。 代表の山田さんやスタッフさんも、もの静かでおしゃれな、まさにファームハウス・スタイルがぴったりな素敵な方たちだ。どんなことにも丁寧に答えてくださり、大切な家具の作製を安心してお任せできると感じる。 この店に置かれている雑貨はヨーロッパのものが多いが、私はニューヨークからやってきたのでファームハウス・スタイルというとまず思いつくのがアメリカ北東部、ニューイングランド地方の広大な敷地に立つ美しい屋敷群。 我が家は毎年夏と秋の休暇に訪れた。こうしてアメリカを離れた今、紅葉の華やかな秋が訪れると心があの風景へと飛んでいく。そして今年はこの店を知って久し振りにアメリカの空気感に浸るなり、決定的なホームシックに陥った。 そのくらい、ここはノスタルジアに溢れている。 上下左右隅々まで楽しいFarmer’s を象徴しているのが所謂「高い所」。初めて訪れた時ここなら半日はいられると思ったが、その気持ちは今も変わらない。 ただの家具店ではない、ただの輸入雑貨店でもない。Farmer’s だからこその空間づくりは、海外の農家にお呼ばれしたような感覚を私たちに与える。 座り心地の良いこのソファには、早朝の牛の世話を終えた赤いサスペンダーの家主が帰ってきて腰を下ろし、妻がマシュマロ入りのココアを淹れて持ってくるのを待っている。そんな様子が想像できる。 シンプルだからこそ見て、触って分かる丁寧な仕事。「ご要望にできる限り沿ったかたちでファブリックまで厳選します」という代表の心強い言葉に、私なら…と早速妄想が始まる。 ニューイングランド地方は、コネチカット、マサチューセッツ、ロードアイランド、バーモント、ニューハンプシャー、メインの6州から成っている地域で、アメリカ北東部の美しさを独り占めしたような景観に溢れ、人々の暮らしぶりもとても豊かで、夏の避暑地としても知られる場所が多くある。 こちらからの眺めは、ハーバードやマサチューセッツ工科大学を誇るボストン辺りの大学職員宅といった雰囲気だ。 椅子にステンシルが施されたデスクはアンティーク・フィニッシュのペールホワイト。温かく落ち着いて何時間でもソーイングを楽しめる「主婦の仕事場」として、またライティングデスクとしても活躍してくれるに違いない。 引き出しのシェルカップ・プル・ハンドル(shell-cup pull handle・貝型取っ手)がヴィンテージの深みを伝える。 キッチンプランも自由自在だ。どんな大家族の食をも支えられる広々としたタイルのキッチンは機能的で実に愛らしい。このカウンターなら、パーティーの料理のアイデアがいくらでも浮かびそう。 加えて何だかとても懐かしいダブル・シンク。日本で見ることはほとんどないが、これもFarmer’s の手にかかれば可能になる。 このシャドーボックス・ディスプレイケースの前を通った時、ニューハンプシャー州に住む友人宅を思い出した。彼女の家にも、アンティークのガラス瓶が飾られたこんなシェルフがあったなあと。 学生時代の友人マーゴはボストン出身、コネチカットの大学を卒業した生粋のニューイングランダーだ。 ニューハンプシャーの自宅は彼女の夫、チャールズの両親が建てたもので、2階建てで壁は白く、屋根と窓の扉が深いネイビーといった、重厚感のあるファームハウススタイル。部屋数12、小川の流れる大きな庭もあった。 子供部屋はカントリーカラーが強いと温かく、愛らしい。マーゴの家も子供部屋は手触りのよい木の家具が揃っており、そう言えば彼女の娘、アリソンの部屋にこのテディ親子が座っている椅子とそっくりな、トールペイントを施した青い椅子があった。 アリソンはとてもお転婆で、私たちの滞在中この椅子を「私の馬車だ」と乗り回して壊し大泣きしたのを思い出した。できることならあの頃に戻ってアリソンにこの椅子をプレゼントしたい。一瞬で泣き止んだことだろう。 マーゴの家は山間部にあり、夏は青々とした緑に、秋には色鮮やかな紅葉が家を、また彼らの暮らしをも華やかに染める。ハロウィーンやサンクスギヴィングに彼女の家へ行くと、玄関からダイニングルームまで、まるで10月の森を歩くようなやさしいデコレーションに包まれる。 ダイニングルームには陶器やガラスの小さなランプがいくつも下がっており、天井に小さな宇宙をつくっていた。 夫と私を本気にさせたのが、この青いキャビネット。クラッシックでエレガントな佇まいと深い青は、ファームハウス・スタイル家具の王道を行く。 名著 “Da Vinch Code” を書いたDan Brown もニューハンプシャー出身であるが、彼の書斎にもこんな書棚があるんじゃないかしら、とふと思った。 マサチューセッツ州のケープ・コッド(Cape Cod)は全米有数のリゾート地で、周辺の人の暮らしやアメリカ北東部の海辺をモチーフにしたインテリアスタイルをケープコッド・スタイルと呼ぶが、このキャビネットとチェアのスポットはケープコッド・スタイルそのものだ。…
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クリスマス準備ただいまNo.6
“Jingle Bell Rock” by Hall & Oates 私の主観だが、日本のクリスマスの過ごし方はとても華やかだ。宗教行事とは別の捉え方が主体であるからだろうか。子供のいる家庭ならクリスマスを家というケースが多いかと思うが、大人の世界は、例えば私の独身の友人などはパーティー三昧、恋人と極上ホテルステイ、ディナーショーと、言葉からきらきらと星が飛び散りそうなほどゴージャスである。 アメリカでは、クリスマスは一般的に1年で一番静かな日である。離れている家族が帰ってきて共に食事をし、テレビを見たりおしゃべりを楽しんだりする。大学時代、クリスマス休暇で学校が休みになると、学生寮に住んでいた友が一斉に実家へ帰っていく光景を見ながら、ああもうすぐクリスマスだなとしみじみ思ったものだ。私も帰省する一人であった。 一方、街も静まるクリスマス当日に反し、その日までの準備もまた日本にはあまり馴染みの深いものではないかもしれない。 サンクスギヴィング(11月第4木曜日)の午後からクリスマスの準備は始まる。日本にも導入された(個人的には、何かちょっと違うんじゃないかと思うのであるが)ブラック・フライデイもホリデイ・ショッピングのための日で、予め誰に何をプレゼントするか決めておき、一大セールを狙って多くの人が朝早くからデパートの前に並んで開店を待つ。大手デパートなども朝5時オープンなど、かなりの熱である。 家族・親族の多い友人のケースだと、サンクスギヴィングの日、夜にターキーを食べると夫婦は出かける準備をし、その夜0時に始まるブラック・フライデイのセールに夫と妻が手分けして並ぶ。連絡を取り合いながら次々とメモに書かれた品物を買い求め早朝6時、やりきった二人のショッピング第1ラウンド終了。いったん家に帰り仮眠をとり、その日の午後再び買いものに繰り出す。 12月初旬の彼女の家には、かわいらしくラッピングされた方々へのホリデイギフトが50以上も並び、私などはそれを見て毎年感心するというよりむしろ「引っ越しか」と圧倒され魂を抜かれてしまう。 ところで、一般的なアメリカのクリスマス準備は次のようなものだ。 1.カードやギフトのリストを作る。 2.帰省する家族のエアチケットを取る。 3.ディナー(パーティー)メニューを決める。 4.ターキーやハムをオーダーする。 5.ギフトショッピングをする。 6.クリスマスツリーと家を飾る。 7.クリスマスカードを書く。 8.ギフトラッピングをする。 9.クリスマスカードやギフトを送る。 10.パーティーや家族の帰省前の大掃除 など。 我が家は今年は出足が遅れ、今夜ようやくクリスマスツリーを飾っている。アメリカはこの時季大忙しだから、カードやギフトは週明けには送れるようにしておかなければならない。 今日・明日は、大量のリボンとの戦いである。ホリデイソングには「クリスマスに欲しいのはあなただけ」なんて歌詞をよく見かけるが、これが現実。 週明け、己の身体がリボンの切れはしまみれになっているのを想像しただけでくしゃみが出そう。もちろんそれでも、クリスマスは大好きなのだけど。
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Moments 22: 太陽の季節を乗せた列車
10月。富良野の帰り、今年最後のノロッコ号を見送った。 6月から10月にかけて、色どり美しい美瑛・富良野を走るノロッコ号。 爽やかな夏風と車窓を流れゆくのどかな田園風景を眺める時間は 名所巡りよりも甘いメロンよりも心を満たしてくれる。 この夏もたくさんの笑顔と楽しい思い出を運んだのだろう。 遠くにノロッコ号を見つけて踏切に立ち、待った。 そしてのんびりのんびり近付いた列車の中に、私は見つけた。 ふたりの乗客のすぐうしろに、太陽の季節が乗っているのを。 列車は目の前をゆっくり通り過ぎ、あとには感傷的な晩夏の余韻が漂った。 太陽の季節を連れ去ったノロッコ号が小さく小さく、やがて見えなくなると 雪に覆われた十勝連峰から、冬の訪れを告げる冷たい風が下りてきた。 明日はウールのコートを出そう。
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Frosted
“Winter Wonderland” by Macy Gray 週間天気予報に雪だるまのマークが並ぶようになってきた。 窓の外は、今も静かに雪が降っている。 私の住む旭川は北海道の中央より少し北、内陸の町であるが、この周辺一帯に降る雪はさらさらのパウダースノーで知られ、特に旭岳を中心に世界中からスキー客が訪れる。 ゆえに通常はこのように着雪することの少ない雪質であるが、冬の初め、終わり、気温の高い雨交じりの雪の翌日にはこんな美しい世界を見せてくれたりするのだ。 街中の木々がまるでフロストシュガーをまぶしたように雪に覆われると、どんなに気温が低くても散歩気分になる。ただし、気分になる、だけである。 旭川は、12月から2月にかけて日によっては-20℃を下回るが、以前-26℃の朝に無謀にも夫と二人散歩に出たところ、6枚着重ねたにもかかわらずあまりの寒さに5分と歩けず、すぐ近くのカフェに逃げ込んだのだった。 あれはもう、寒いという言葉では形容しきれない。 冷たい、痛い、キキキ、カカカ、ティティティティ、クヒクヒクヒ、そんな感じである。 我が家のバルコニーにも、砂糖菓子のような雪の結晶がひとつ、舞い降りた。 北海道に来て冬がもっと好きになったのは、見事な雪の結晶を見る楽しみを得たから。 長い長い道北の冬が始まった。さて、どこへ行こう。何をして遊ぼう。
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Happy Vintage Thanksgiving!
今日のニューヨークはとても良いお天気で、Macy’s Thanksgiving Day Paradeが行われているが、我が家はいつの頃からからパレードを見に行かなくなった。凍てつく寒さに耐えられないのと同時に好きなバルーンが次々にリタイアしてしまったからである。 この写真、30年くらい前のものではないだろうか。デジカメが登場する前の一眼レフで撮影したためかなり哀愁が漂ってしまっている。でもこの頃のニューヨークが好き。 Kermit the Frog にしても、今のバルーンはもっと明るい色合いでトイザラスで手に入りそうなポップな雰囲気を持つが、これはどちらかというとフェルトの人形のような温かみを持つ。この時確か、とても風が強くてバルーンが撃沈しまくっていたのを覚えている。 Kermit the Frog は、1977年に初登場だそうだ。 Raggedy Ann は小さな頃から大好きで、人形はもちろん部屋のカーテンやクッションもAnn のデザインだったなあと、サンクスギヴィング・パレードのたびに思い出した。 Raggedy Ann が初めてパレードに現れたのは1984年というから、この写真はその頃、ちょうど30年くらい前であろう。 こちらもお気に入りのひとつ、Happy Dragonであるが、やはりこの頃よりもだいぶポップな感じに変わってしまった。時は流れ、私は古くなっていく、ということである。 Happy Dragon は何と、1937年に初登場した古株中の古株だ。 アメリカのお祝いだもの、歴代の大統領も練り歩く。今もまだあるのだろうか。 サンクスギヴィングは、イギリスから渡ってきたピルグリムスと彼等を病気や飢餓から救ったネイティブ・アメリカンの感謝祭。ターキーの写真が見つからなくて残念だったが、こういう山車を見るとホリデイ気分も一気に盛り上がるものだ。 最後に登場するのはもちろんサンタクロース。ホリデイシーズンの到来を告げる。 我が家は毎年パレードをテレビで見たのちステーキハウスでターキーディナーを食べ、そのまま日曜の夜まで旅行に出るが、今年は家に友人たちを招いて、夜はフットボールを見ながら大宴会。Traditional Thanksgiving な一日になりそうだ。 Happy Holidays!!