Category: Lifestyle
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図書館までの道
雨上がり、旭川小記。 私たちの人生は道でつながっている。私の生にもさまざまな意味を持つ多くの道が延びており、交差している。それらの中には避けたいものもあれば、大好きな虹色ロードというのも超個人的見解onlyで存在する。 一応は文章を書く人間であるから書物との関わりは深く、図書館との付き合いもひと月の半分ほどの頻度なのだが、図書館で過ごす時間もさることながら私はそこへ辿り着くまでの散歩道を実に気に入っていて、いや気に入っているなんてものではなくむしろ至福のひとときとさえ言いたいほどに好んでおり、それを理由に図書館へ行くこともある。 旭川市中央図書館は大きな公園の中にある。 駐車場に車を止めると目の前には大きな池が広がる。池の前から左へ行けば程なく図書館。けれど陽気が穏やかなら右へ折れ散歩道をぐるりと一周して図書館へ行く。 ここ常磐公園は旭川を代表する名所のひとつで「旭川八景」に、また「日本の都市公園100選」にも選定されている緑豊かな市民の憩いの場である。明治43年(1910)開設、大正5年(1916)開園というからどれだけの人がどのような出で立ちで誰と歩いたのだろうと考えると想像が尽きず胸が躍る。 平成最後の2018年はこうである。揃いのウェアでウォーキングをする俊足老夫婦、野原で小さい子供を遊ばせる美脚の若い母、先へ先へと急ぎたいトイプードルに着いていくのが大変な苦笑いの少女。三世代、四世代、公園への慈しみが漂う。 公園の敷地には図書館の他に上川神社頓宮や道立旭川美術館も設けられている。私は神道について知識を持たないので調べて初めて知ったのであるが、頓宮とは仮のお宮さんという意味だそうだ。親しみやすい佇まいの、居心地の良いお宮さんである。 旭川美術館は個人的な憩いの場であり、公園散歩とは別に安らぎと刺激を求めて訪れる。年に一、二度の大きな展覧会と旭川ならではの美術・工芸展は私の年間スケジュールにも組み込まれている。小さいが大切な、旭川の美術室。 九ちゃんの歌とは反対に「下を向いて歩こう」が私の公園散策のテーマである。殊に秋の公園は足下がとても楽しい。銀杏が山吹色に染まる頃など散歩中の犬さながらに興奮する。夫はそれを微笑みもせず、かと言って笑い種にするでもなく(たぶん)見守っている。 森の香りが喉にいいんじゃないかとか、常磐公園のダックは日本語で鳴きNYの家の前のダックは英語で鳴くに違いないだとか、何の意味もない話をしながら行き交う人たちと「こんにちは」「今年はいつまでも暖かいですね」とこちらも他愛もない挨拶を楽しみゆっくりゆっくり、散策路を廻る。 池の畔に沿って美しい園内を眺めながらベンチに座って休み、お宮さんに立ち寄り、栞にする色鮮やかな落ち葉を拾いながら30分ほどかけて図書館に辿り着く。秋の図書館前は私の旭川八景である。私はこの景色を100枚以上写真に収めているが、図書館の職員さんおひとりくらいは我が愚行にお気付きかも知れぬ。 館内に入ると混み具合を確かめ、午後の陽光が木漏れ日となって入る窓際の椅子を選んで読書を始める。本はその時興味を引くものであるが、毎回のように手に取るのはドナルド・キーン先生の著書である。名立たる文豪とのやりとりなど、その場で障子の陰からこっそり見ているようなくすぐったい気分にさせてくださる。 一度に借りられるのは10冊。毎回だいたい夫6冊、私は4冊。そのうち1冊は就寝前に読む洋書を混ぜ込んでいる。2週間借りていられるが、読んでは返しを繰り返す。 持ち帰りたい本を決めてデスクへ。2週間後の返却を約束して外に出ると、すっかり日が沈んでいる。必ず思う。図書館からの帰り道はコローの美術館にでもいるようだ。子供の頃に見た “Goatherds on the Borromean Islands” を思い出す。ああ、きれいだな、寒くなるまでしばらくここに居たいわ。 ガーガー グワッグワッ グェッグェ~ 静寂をぶち壊し私の感傷を木端微塵にする衝撃。 人も去り体感温度が10℃ほども落ちた蒼い池で「さあ夕食だみんな集まれ」と楽しげに鳴くダックの群れが水面を揺らす。「彼らはどこで寝るのかね」と小学生も考えないような疑問を題材に車に乗るまで話す。「さすがに水も冷たいだろうし、まあ草むらだね」という何とも安直且つ稚拙な結論に。けれどその道すがらがとても楽しい。 帰路、必ず旭川の象徴「北海道遺産」旭橋をくぐっていく。黄昏時の空に浮かぶ旭橋の灯りをとても気に入っている。時折感じる時代を遡りゆくようなアトモスフィアは旭川独特であり、拙著にも書くほどこの橋が、そして我が町旭川が好きである。 我が町。ニューヨークが私の町だ、故郷だと思ってきたがそれは成熟できないでいた私の意固地であった。故郷とは、日々の中から生まれる町への愛なのだとここにいて思う。 最近借りている書物の中で猛烈に気に入った一冊が、国木田独歩著「空知川の岸辺」の足跡を辿る「国木田独歩 空知川の岸辺で」(岩井洋著・道新選書)である。 恋狂いだ。愛した女との新しい門出の為に縁も所縁もない北海道の地へ土地の購入にやってくるのだ。情熱的な人は好きであるがこういった男と恋をすることはないなと笑いながら、滞在中の人との関わりや独歩の心境の変化、それだけでなく明治時代の北海道の様子や厳しい自然までも美しい文章で綴ってくれていることにひたすら喜びを感じた。 この本、返却したくなくてしばらく借り続けていた。しかたがないからとりあえずノートをとり、おそらくは後日購入することになるであろう。そのくらい楽しい本であった。 図書館への道は、名著と私を結ぶ赤い糸。図書館への道は、旭川が私にくれる心嬉しい30分。そしてまた、人生のジグソーパズルを完成へと向け毎日毎日探し見て、迷いながら合わせていくうちに見つけた、幸せの1ピースである。 昨日、図書館前のクローバー畑にかわいい花が咲いているのを夫が見つけた。嬉しい半面、眠りに就けずにいる花たちにはそろそろ疲れも溜まってきているだろうと申し訳なくなった。人はどこまで自然の邪魔をして生きてゆかねばならぬのだろう。
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Etymology for Two~二人の語源香る美瑛・アスペルジュの皿
Song: You Taught My Heart to Sing – Cheryl Bentyne 良いお天気の暖かな、結婚記念日にありがたい4月のとある木曜日。単身赴任で夫が普段家にいないためゆっくり計画を立てることもできないまま、酒の苦手な夫婦は急遽せめておいしいランチでもと午後1時の予約をとってお昼過ぎ、美瑛へ向かった。 美瑛町・アスペルジュ(Asperges)は、多くのメディアで取り上げられミシュランガイド北海道2012年にひとつ星をも獲得したカジュアルフレンチで、隣接する美瑛選果を訪れるたび外から覗いてみては賑わっている様子に「次は必ず」とその場を離れていたのであるが、ようやく機会が巡ってきた。 ガラスの扉越しに見える白い店内はこのあと目の前に運ばれてくるであろう色鮮やかな料理の数々と楽しいひとときを予感させた。野菜が、美味しいはず。 ◆ 「結婚生活、どう?」と独身の友人たちに尋ねられるたびその時のムードで思いつくことを話していたものの、その答えは実に適当であった。そう簡単に表現できるものでもないし。けれど不思議と二十余年にわたる私たちという関係の語源になるような言葉が、この日出会った絵画のように美しいひと皿ひと皿の上に漂うようで香るようで、次々と浮かぶのだった。 人参のムース Infatuation ー 心酔 アミューズブーシュはにんじんのムース。最初のひと品は本の表紙だ。タイトルと装丁によって与えられる第一印象。恋の始まりに似た、恥じらいを含んだような柔らかさと、ふんわりとした甘さに夢中になる。美瑛の森に遊ぶキューピッドの羽さながらの軽やかさも記念日のランチにふさわしい。 美瑛の畑 ー 20種類の野菜を使った取り合わせ Rapture ー 歓喜 「混ぜてお召し上がりください」そう勧めてくださった彩り鮮やかなサラダは花盛りを迎えた7月の美瑛を思わせる。混ぜてしまうのが躊躇われ、散りばめられた何種類ものソースとともに少しずつ食べ比べながら、人が感じる最もシンプルな、けれど胸躍らせる「美味しい」という魔法にかかり、また意外なボリュームにも驚いたのだった。 越冬じゃがいものピューレ “淡雪” Labyrinth ー 迷宮 結婚生活はまさに迷宮、一度その扉を開いて足を踏み入れたら幸せと同時に戸惑いや不安もついてくる。けれど恋から始まった二人の人生、立ち止まるわけには行かぬ。そうして時折分かれ道を前に逡巡しながらも一歩ずつ奥へと進んでいくにつれ分かってくる、優しさ、平穏、そして二人でいることの心地良さ。 淡雪はほんのりポタージュのお味で、島のように中央に顔を見せているマッシュポテトの滑らかな口当たりと温かさに心身の凝りもほぐれる。ああ、美味しい。飾られた山わさび(ホースラディッシュ)は北海道らしい遊び心を感じた。 新玉ねぎブレゼ Nature ー 本質 シンプルな玉ねぎの煮込みは母の言葉のように優しく胸に沁み込んでいく。 毎日の暮らしを共に重ねていきながら、夫婦は互いの善きも悪しきも受け入れていくようになる(私には悪しきエゴやらアクやらがゴマンとあるが、ひいき目なのか夫にはさして見当たらないのが哀しき現実)。10年後、20年後、やがて見えてくる相手の心の一番奥底で輝いている魅力が、夫婦という間柄だからこそ見つけることのできるその人の本質と言えはしまいか。 夫と私の間にはしみじみという雰囲気が漂わないが、玉ねぎのレイヤーが小さな日常を重ねていくような日めくりカレンダーにも似て、穏やかな日々に感謝したくなった。 私たちはこの層の、今どの辺りだろう。 北海道産牛頬肉の赤ワイン煮込み Maturation ー 熟成 「深み」という言葉が、年々好きになる。 夫と私のような成長の遅い夫婦にはなかなかしっくりこないこの言葉ではあるが、そういえば学生時代から今日までの二人の時間も会話もシルエットも、徐々に丸みを帯びてきたような気がしたり、しなかったり。 フォークを軽く当てただけでほろりと崩れるワイン煮込み、まさに「深み」という言葉がよく似合う。繊細な頬肉と香り高く艶やかなワインソースは五感を酔わせる官能的な料理だ。しなやかな夫のカトラリー使いにも惚れ惚れする。 美瑛産豚ロースのグリエ It is not…
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早春のWhite Savanna
ようやく春の足音が聞こえ始めたホームタウン、旭川。雪解けも進んで道路が見えるようになった。日差しも幾分暖かくなって、これから散歩が楽しくなる。 その前に、長い冬の締めくくり。 朝晩はまだ-15℃程度まで下がっていた旭川であるが2月28日のこの日はよく晴れて日中は-2℃まで上がり、気持ちが春めいて散歩をしようと旭川の誇り、常磐公園を訪れたのだった。 公園内は、除雪された散歩道を除きこの4,5カ月間に降り積もった1mを超える雪が一面に広がって、あらためて道北の厳しい冬を振り返らせた。 カメラを提げた夫が木の上に残った雪を見て言った。 「動物だ」 なるほど辺りを見回してみると、見える見える、気に登って昼寝をしている動物たちが。ここはまるで、純白のサバンナだ。 木登りしているか、あるいは下りようとしているかで微妙に動物の種類が変わってくる。左を頭とすると小象に見える。 生まれて間もない子供たち、と思って見てみるとかわいらしい。 しっぽを垂らして枝の上で眠っているライオンの姿などはまさにサバンナ。 ね、こんなふうに。 どれも同じに見えるぞと言われてしまいそうであるが、個人的にはこれがこの日のベストショット。パンダに、パンダに見えません? シャンシャンとまでは言わないが、今にももそもそと枝を伝って下りてきそう。 もはやアフリカに留まらず、ブレまくりのホワイト・サバンナである。 冬季旭山動物園のアイドル、ペンギン。今にも海に飛び込みそうな姿がかわいい。 今、「あ、ほんとだ~」って思いませんでした? 番外編は、北海道の開拓に尽力し初代北海道庁長官となった岩村通俊(Ⅰ840-1915)の銅像。彼は旭川が秘めた将来への可能性を見通し同市を東京、京都に次ぐ都にと推していた。 もしもこの構想が実現していたら北海道の道庁所在地は札幌ではなく旭川になっていたかもしれないという夢のような本当の話。 このような立派な人物を茶化すようで気が引けるが、どうにも岩村氏がバレエのtutu を履いて立っているように見えて仕方ない、と言ったのは私ではなく我夫である、と言い訳させていただこう。 これはもう生きものではなく、よれよれのお化け。 とまあ、見方によってはおもしろい木の上の雪を眺めながら大いに笑い、寒い中たっぷり2時間散歩を楽しんだ、良い休日であった。 そして最後に見つけたのは、エゾヤマザクラの小さな小さな蕾。常磐公園の桜の開花予想日は、今年は去年より少し早いか、5月4日。
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十勝の農家をかっこよく~音更町 Farmer’sの流儀
“I Won’t Last A Day Without You” by Carpenters 道東・音更町(おとふけちょう)に私たち夫婦のような海外帰りには応えられないオーダーメイド家具店がある。名は、”Farmer’s(ファーマーズ)”。 少し遠くから見慣れたデザインの建物が見えてくるなり驚きと懐かしさに興奮した。まったく予期していなかった「以前はよく見た家」が突如として現れたからだ。 1994年、「十勝の農家さんをかっこよく」をコンセプトに生まれたFarmer’s は2階建てのコテージスタイル。まず目に飛び込んできたのはおびただしい数の輸入雑貨。そしてそれ以上に目を引き心を奪われたのは、全てがFarmer’s で作られているという美しき西洋家具であった。 Farmhouse Style(ファームハウス・スタイル) 。ラスティックでありながらモダンで上品、温かみとノスタルジアに満ちた居心地良い空間が信条のその住宅・インテリアスタイルは、自然豊かな田園風景の中に立つ大きな邸宅ばかりではなく、マンハッタンのコンドミニアムなどでも人気が高い。 Farmer’s の家具や雑貨のテイストはまさにファームハウス・スタイルだ。 代表の山田さんやスタッフさんも、もの静かでおしゃれな、まさにファームハウス・スタイルがぴったりな素敵な方たちだ。どんなことにも丁寧に答えてくださり、大切な家具の作製を安心してお任せできると感じる。 この店に置かれている雑貨はヨーロッパのものが多いが、私はニューヨークからやってきたのでファームハウス・スタイルというとまず思いつくのがアメリカ北東部、ニューイングランド地方の広大な敷地に立つ美しい屋敷群。 我が家は毎年夏と秋の休暇に訪れた。こうしてアメリカを離れた今、紅葉の華やかな秋が訪れると心があの風景へと飛んでいく。そして今年はこの店を知って久し振りにアメリカの空気感に浸るなり、決定的なホームシックに陥った。 そのくらい、ここはノスタルジアに溢れている。 上下左右隅々まで楽しいFarmer’s を象徴しているのが所謂「高い所」。初めて訪れた時ここなら半日はいられると思ったが、その気持ちは今も変わらない。 ただの家具店ではない、ただの輸入雑貨店でもない。Farmer’s だからこその空間づくりは、海外の農家にお呼ばれしたような感覚を私たちに与える。 座り心地の良いこのソファには、早朝の牛の世話を終えた赤いサスペンダーの家主が帰ってきて腰を下ろし、妻がマシュマロ入りのココアを淹れて持ってくるのを待っている。そんな様子が想像できる。 シンプルだからこそ見て、触って分かる丁寧な仕事。「ご要望にできる限り沿ったかたちでファブリックまで厳選します」という代表の心強い言葉に、私なら…と早速妄想が始まる。 ニューイングランド地方は、コネチカット、マサチューセッツ、ロードアイランド、バーモント、ニューハンプシャー、メインの6州から成っている地域で、アメリカ北東部の美しさを独り占めしたような景観に溢れ、人々の暮らしぶりもとても豊かで、夏の避暑地としても知られる場所が多くある。 こちらからの眺めは、ハーバードやマサチューセッツ工科大学を誇るボストン辺りの大学職員宅といった雰囲気だ。 椅子にステンシルが施されたデスクはアンティーク・フィニッシュのペールホワイト。温かく落ち着いて何時間でもソーイングを楽しめる「主婦の仕事場」として、またライティングデスクとしても活躍してくれるに違いない。 引き出しのシェルカップ・プル・ハンドル(shell-cup pull handle・貝型取っ手)がヴィンテージの深みを伝える。 キッチンプランも自由自在だ。どんな大家族の食をも支えられる広々としたタイルのキッチンは機能的で実に愛らしい。このカウンターなら、パーティーの料理のアイデアがいくらでも浮かびそう。 加えて何だかとても懐かしいダブル・シンク。日本で見ることはほとんどないが、これもFarmer’s の手にかかれば可能になる。 このシャドーボックス・ディスプレイケースの前を通った時、ニューハンプシャー州に住む友人宅を思い出した。彼女の家にも、アンティークのガラス瓶が飾られたこんなシェルフがあったなあと。 学生時代の友人マーゴはボストン出身、コネチカットの大学を卒業した生粋のニューイングランダーだ。 ニューハンプシャーの自宅は彼女の夫、チャールズの両親が建てたもので、2階建てで壁は白く、屋根と窓の扉が深いネイビーといった、重厚感のあるファームハウススタイル。部屋数12、小川の流れる大きな庭もあった。 子供部屋はカントリーカラーが強いと温かく、愛らしい。マーゴの家も子供部屋は手触りのよい木の家具が揃っており、そう言えば彼女の娘、アリソンの部屋にこのテディ親子が座っている椅子とそっくりな、トールペイントを施した青い椅子があった。 アリソンはとてもお転婆で、私たちの滞在中この椅子を「私の馬車だ」と乗り回して壊し大泣きしたのを思い出した。できることならあの頃に戻ってアリソンにこの椅子をプレゼントしたい。一瞬で泣き止んだことだろう。 マーゴの家は山間部にあり、夏は青々とした緑に、秋には色鮮やかな紅葉が家を、また彼らの暮らしをも華やかに染める。ハロウィーンやサンクスギヴィングに彼女の家へ行くと、玄関からダイニングルームまで、まるで10月の森を歩くようなやさしいデコレーションに包まれる。 ダイニングルームには陶器やガラスの小さなランプがいくつも下がっており、天井に小さな宇宙をつくっていた。 夫と私を本気にさせたのが、この青いキャビネット。クラッシックでエレガントな佇まいと深い青は、ファームハウス・スタイル家具の王道を行く。 名著 “Da Vinch Code” を書いたDan Brown もニューハンプシャー出身であるが、彼の書斎にもこんな書棚があるんじゃないかしら、とふと思った。 マサチューセッツ州のケープ・コッド(Cape Cod)は全米有数のリゾート地で、周辺の人の暮らしやアメリカ北東部の海辺をモチーフにしたインテリアスタイルをケープコッド・スタイルと呼ぶが、このキャビネットとチェアのスポットはケープコッド・スタイルそのものだ。…
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甘くて賢い朝の約束~Rise & Shine w/ Dolcedi
“Precious” by Esperanza Spalding 今日はささやかな朝のおすすめ、のお話。 夜型人間のくせに私は朝が大好きだ。これまでの長い人生で気持ちの沈んだ朝を迎えた記憶が殆どない。失恋しようが仕事で徹夜しようが、朝はなぜだか機嫌が良い。 そして私は平日朝食を摂らない。たっぷりのお茶とフルーツのコンポート&ミューズリーを加えた少量のヨーグルトのみである。が、ここ2週間は先月の多忙が祟り胃を悪くしているためミューズリーは抜いている。 世界中が健康志向を高めていく中、甘味料の見直しも進んで嬉しい限り。白砂糖を使わないという人も増え、我が家もカロリーなど気にしつつ、砂糖の代わりにメープルシロップやオリゴ糖を使っている。 GI値というのがある。Glycemic Index(グリセミック・インデックス)、食後血糖値の上昇スピードを表したものだそうで、食べ方によってずいぶんと変わるのだそうだ。 例えば、米などは精白米よりも玄米の方が食物繊維やミネラルが豊富なためGI値は低くなり、甘味料においても、身体に良いとされるハニーはミツバチが果糖とブドウ糖に分解したもののためGI値が高く、メープルシロップは樹液が原料なので低いという話だ。 小さい頃から”my honey dipper” を持つほどハニーが大好きだが、これを知ってから摂取を控えるようになった。 ハニーに代わって私の「朝の約束」となったのが、イタリアのオーガニックジャム・ブランドRigoni di Asiago社の “Dolcedi” ドルチェディというアップルシロップ。30年間マクロバイオティクスを実践し続けている友人から薦められたもので、100%オーガニックアップルで作られている。 無色透明で甘みが強く、りんごというよりそれこそハニーのような味わいがあるが、GI値が砂糖よりも20%低いという。正直なところこれだけ甘くコクがあると「ほんとかなあ」と呟いてもしまうが、原料のりんごがオーガニックであるところだけでもポイントは高いでしょう? 食生活も、おいしいだけでなく楽しく美しく、そして賢くありたいものだ。これはなかなか良いのではないかと思っている。 ほんの少しの朝食を終えてゆっくりできる朝のお茶は、20年以上愛用しているWilliams Sonomaのカフェオレボウルで飲む。このカップの何が好きかって、ティーポット1杯分が入るキャパシティ。おなかの辺りに抱えて読書をしながらいつまででもお茶をすすっている。 そして傍らにはモリエールの「人間ぎらい」。好きなものをたらふく食べられない恨みをアピールしているわけでは決してない。 それでは新しい1週間もどうぞお元気で、お幸せに。
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Solitude to Love
“Free” by Seal loneliness(ロンリネス) isolation(アイソレーション) solitude(ソリチュード) 孤独を意味する英語はいくつもあるが、中でも孤独を自由と捉えた意味を持つものが最後のsolitude である。 子供の頃は大勢で遊ぶことが多かったが、その後わざわざひとりで出直し、芝生の上で本を読んだり花を摘んだりする時間がとても好きだった。そうした日常が高じて25年前、ニューヨークの自宅で気まぐれに作ったのがこの「ソリチュード愛好家組合」。 メンバーは組合長である私のほかに家族や友人20名ほどで、特に会合や報告会があるはずもなく、皆とにかくひとりが好きなのだから、勝手にひとりの時間を楽しみ、そのための工夫があればメールでシェアするという程度の活動、活動という言葉も大袈裟なほどだ。 けれど愛読書や「その気になれるドリンクメニュー」には「なるほど~」と思えるものが多く、先細りするでもなくだらだらと続いている。 日本では未だに電車の乗り方など勝手がよく分からないので単独行動は控えめであるが、NYにいると美術館も映画もひとりで行くことが多い。静かな場所で美しいものを見ると良い考えがいくらでも浮かんでくるものだ。 反対に、何も考えず頭をからっぽにして過ごすのもひとりの醍醐味。昔大学時代の恩師が「疲れるとひとりで映画館やビーチへ行く」と言っていたのを真似てみただけだが、これがよく効く。映画館の場合はホラーや社会派を除かなければリセットにはなりそうにもないが、暗闇の中で人目もはばからずぽかんとしていられる時間もまた、大切な人との会話同様人生を豊かにしてくれる。 ソリチュード愛好家組合にはひとつだけ条件がある。「かっこよく楽しくソリチュードに浸る」である。かっこよく、は何も高いブランディを飲むとか最高級ブランドの家具を部屋に置くとかいうディテールよりも、五感を満たしてくれる過ごし方をするということだ。 美しいものを見、読み、心の震える音楽を聴き、おいしいものを嗜む。四六時中するのではなく、例えば一日の終わりにぽつんとひとり日常という時空から抜け出してこれらに囲まれる。明日を新しい気持ちで迎えるきっかけにもなるのも嬉しい。 発足25年を機に、新しくソリチュード愛好家組合のブログも始めることにした。そちらもそのうちぜひご覧ください。 本日ソリチュード愛好家に捧げるのは、白ミント・ティー。白ミントはふつうのペパーミントよりも軽い口当たりで優しいお味。私は昼下がりや夜寝る前の読書と一緒に楽しんでいる。 いかがです?ソリチュード愛好家組合。組合員番号21番に、登録しませんか?
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彼らが来たら、Minty Fall
“Felicidade” by Lisa Ono 北海道の秋の味覚は数あれど、忘れてならないのがかつて北海道土産の代表格であった「木彫りのクマ」が抱えている魚。そう、鮭である。 去年の10月、ニュースで「旭川市内の石狩川でも鮭が見られる」と聞き、連日川という川を探して歩いたのであるが一度も見ることができず、結局旭川が誇る北海道遺産「旭橋」を幾度となくうっとり眺めるに終わった。 ならば今年もとカメラ&双眼鏡を首から提げて休みのたびに出かけ夕暮れ時まで粘るも、やはり発見できず、無念。場所が悪かったのかしら。 今年は不漁と言われた鮭であるが、それでも秋も深まってくるとスーパーマーケットの鮮魚コーナーを半分は占領する秋鮭。焼き魚をしない我が家でも何とか楽しみたいものだと思っていると、あるアメリカの雑誌でサーモン・サンドウィッチのレシピを見つけたので作ったみた。 が、オリジナルレシピで使われていたお酢が強くて我が家ではNG。そこでお酢をレモンに替えたところ、ちょっといいランチになった。 名付けて”Minty Fall” Sandwich ~「ミントな秋のサンドウィッチ」。 パンは、本当は形もお味も抜群の日本の食パンを使いたかったがサーモンのオイルでふやけてしまうので、今回はバゲットを使った。軽くトーストしておく。 まず、薄切りのきゅうりに塩を振って、レモンスライスで香りと酸味を移す。きゅうりはパリッとした食感が命であるが、塩とレモンに10分ほど漬けて少ししんなりしたものもサーモンによく馴染むようだ。 続いてサーモンはフライパンで両面を焼き、塩コショウする。バゲットはスライスしてバターを薄く塗り、スライスしたきゅうりと焼いたサーモン、そしてやや多めのミントの葉を載せてサンドする。これだけ。 最後に、道民の大好きな山わさび(ホースラディッシュ)とマヨネーズを合わせたものを味付けに添える。あるいは、NY郊外の行きつけのスパニッシュレストランで出されるホットソース(タバスコソースなど)とマヨネーズのコンビネーションもおいしい。これをソースにして召し上がれ。 ミントが青魚特有のオイルを爽やかに食べさせてくれる。サンドウィッチをよく食べる我が家でMinty Fallは新しい定番メニューになりそうだ。 鮭の美味しい季節。週末のランチに、いかが? “Minty Fall” Sandwich お材料(2人分): サーモンフィレ 1柵: 我が家で購入した鮭は厚さが5cmほどだったので半分にしました。 バゲット: 1cmの厚みで4枚 レモンスライス: 2枚 きゅうり: お好みの量 ミントの葉: お好きなだけ。1人分10枚くらいあるとミントが活きます。 塩、コショウ: 適宜 ホースラディッシュ: 生をすりおろすかチューブのものを小さじ1 マヨネーズ: 大さじ1~2
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One Fine Day とフリルなブランチ
“Saturday Morning” by Rachael Yamagata 夫も私も忙しかった10月。久し振りに会った休みの朝は、ゆっくり起きてブランチしてから「日本の都市公園100選」にも選ばれている旭川の常磐公園へ今年最後の紅葉を見に。 この日のブランチはケイティ命名「フリルなピアディーナ」。9月の終わり、オープン直後の北欧の風 道の駅とうべつ「レストランAri」で出会ったかわいくて美味しいピアディーナを真似て家で作ってみた。おしゃれで栄養満点で意外にも食べやすい。定番ブランチになりそう。 因みにこの道の駅、入った途端IKEAの香りがするのであるが、調べたところ使われている家具はやはりIKEA製であった。なかなか素敵な道の駅。 ◆「フリルなピアディーナ」の作り方は最後に。 うららかな昼下がり、この日の気温は7℃ともう秋とも言えない寒さ。けれど風もなく歩くには心地良い。気分も軽く、時もゆっくりと流れてゆく。 座って何か飲もうということになったものの、腰を下ろすとベンチが冷たくて諦めた。お日さまは暖かいのに、やはりここは旭川。冬の訪れをベンチで実感。 誰も乗らなくなったボートの上でダックが日なたぼっこ、というより寒くて固まっているようにも見えてしまう。たぶんそう、寒いのだわ。 見事という言葉しか浮かばない、それほどに美しい枯葉のじゅうたんは、踏んでみると何てソフトなのだろう。降り注ぐ午後の日差しがつくる木漏れ日も、夏のそれとはやはり様子が違う。センチメンタルでいい感じだ。 絵本の中にでも入り込んだようなこの小道を夫と話をしながら歩く時間は、それが永遠でもよいと思えるくらい気に入っている。夫は楽しい話の達人なのだ。 この日の話題は「手相」。空に手をかざしながら彼はスターとソロモンの輪を持ち、私は太陽線と縦一直線の運命線を持つのだと言う。おもしろいおもしろいと喜ぶも、傍から見ればややもすると「え?これが?ほんとに??」そして「相手にしても仕方のない、ほっとくしかない愚かな夫婦」ということになろう。 周囲の目などおかまいなしに、二人の会話は続く。途中、公園内の神社に立ち寄ってお参りし、私だけおみくじを引いた。心の温まるお告げが書かれていた。 どんなに忙しくても、こんなささやかな良い一日があるから明日を楽しみに生きられる。 公園のボードウォークを北風と踊る枯葉の美しさも忘れてはいけない。こういう季節の小さなひとこまが意外にも5年先、10年先の良い思い出の中に描かれているものだ。 風がいっそう冷たくなって、指先がキーンとする。熱いお茶が飲みたくなって、私たちは公園と、晩秋のOne Fine Dayを後にした。 ◆ フリルなピアディーナのお材料 2人分: ・薄めのピッツァクラスト:2枚(直径20cm、軽くトーストして柔らかくする) ・蒸し鶏 200g (ランチならローストチキン、ローストビーフもおすすめ) ・チーズ:普段はエメンタールですが今回はチェダーとゴーダ3層のスライスチーズ使用 ・ベイビーリーフ、紫キャベツ・スプラウツ、千切り大根やミックスビーンズのサラダなどお好みで。マスタード・リーフなどもアクセントになって美味しいし、具材に合わせたハーブを替えればちょっとしたおもてなしランチになる。野菜はフレンチドレッシングやオリーブオイル+ソルトを軽くかけておく。 ・チェリートマトはMUST! 大きなサンドウィッチもこれがあると飽きがきません。 ・真ん中のパンプキンサラダは電子レンジにかけマッシュしたパンプキンをマヨネーズとメイプルシロップで和えたものを使いました。メイプルシロップの香りが強過ぎるという場合はハニーやオリゴ糖で。 ・ソースはマヨネーズ+ホースラディッシュ(北海道では「山わさび」と呼びます)。私は甘みの強いアメリカのマヨネーズが好きですが、今回は日本製マヨネーズがよく合います。 ◆具をクラストのハーフスペースに載せたら半分に折り、くるくると巻いて、中央にできた穴にパンプキンサラダやポテトサラダを押し込み、空いているスペースにビーンズも加え、大きめのペーパーナプキンで包んでカップに差して立てておく。私はメイソンジャーを使用。 ◆ピアディーナはイタリアの軽食で、丸いクラストを半分に折って具材を挟むことが多いが、「北欧の風 道の駅とうべつ」の「レストランAri」さんではこんなにかわいいサンドウィッチにしていた。パーティーメニューにもできそう。
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Gusto~心になじむもの
“Put Love, Love, Love in It” by John Staddart 「コーヒーメーカーは手入れが面倒だ」と常々思っており、それを理由に長年Chemexを使ってきたのだが先日壊してしまった。新しいものを手に入れるまでの間、さてどうするかと思案した挙句に思い付いたのが、もう30年も使っているカラフェの代用。 さて日曜日の早朝7時前。仕事が立て込んでいる朝はブレクファストを摂らない。健康のためとガマンして飲む青汁のスムージーと4種類のサプリメンツ、そして1杯のコーヒーで私の1日は始まる。食事はせずともコーヒーは必ずその朝の気分でカップを選んで飲む。 なかなかいいでしょう、これ。ニューヨーク北部、マサチューセッツ州との境にある小さなアンティークショップで見つけたカラフェで、1890年代のイギリス製だと聞きながらも安価だったため話半分に聞き、結局はアンティークでなかろうがMade in UKでなかろうが、とにかく姿と色が気に入り持ち帰って以来の付き合いである。 心がとても喜んで、その日からワインがより美味しく、ダイニングがより楽しく、食器棚がより美しく見えるようになった。 Funkyで気取らない我が家のカラフェはホームパーティーの場でも好評で、使う楽しさのみならず見せる楽しさも、この出会いのおかげで味わうことができた。 厚手で深いので保温力にも優れており、使い始めてからすっかり我が家の「朝の顔」。これはもしかするとChemixを上回ってしまったかもしれない。 コーヒーカップは、これももう20年以上使っているTiffany製。当時Tiffanyは、先だってF.G.S.W. Maruがご紹介したBordallo Pinheiro を思わせる(カップに表示はないがおそらくBordallo Pinheiro)ポルトガル・メイドの陶器シリーズをいくつか出しており、このデザインには私のマテリアルガール・サイドが抑え切れず、マンハッタンの本店で見つけるなり購入したものだった。私はこれで紅茶も飲む。 ◆ 手になじみ、心になじむ。ブランドやクオリティに関係なく愛着を持てるものと暮らすのは楽しく、人生の小さな日々を豊かにしてくれる。 だから私は心に従う。心を先頭に立たせて歩き、心の求める出会いに誠実でありたい。このカラフェのようなものにも、人にだって。
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ひとつ目の秋
“You’ve Got a Friend” by Carole King 優しくてもの哀しい秋が好き。そして秋はCarole Kingの季節だ。 道北は1年のうち半年近くが雪に眠る。ほか3つの季節はどれも短く、秋も街を駆け抜けるように深まっていくから私はそれを追うのに精いっぱい。 休日、散歩をしていると音もなく足元に落ちたナナカマドの実。少しくすんだ朱が短い秋を急いで伝えるように憂いを含んでいる。 昨日の午後、東南の窓から初雪に覆われた十勝岳が見えた。あと3週間もしないうちに街も白くなるだろう。明日はクロゼットの衣替えをしよう。 今秋初めてのパンプキンは、出荷できないものを農園で選ばせてもらった。 裏が少し傷ついているので手に入ったものであるが、形だけ見るとマンハッタンのdeliで$50の値がついていても抱えて持ち帰るに違いない。それほど気に入った。 ニューヨークか。私は北海道を愛して止まないが、秋が来ると無性に帰りたくなる。 毎年通りのカツラやブナが色づき始めたら、木の実でキャンドルリースを作る。 2017年は、この1年楽しみに乾燥させたツルウメモドキの枝。 10月、11月のコーヒーテーブルがこの小さなリースひとつで華やかに、rusticになる。ろうそくは、シナモン&クローヴ。毎晩仕事から帰ってくる夫に「うちの中が一番秋だな」と言わせるのも秘かなる目的のひとつ。 仕事に追われても、リースを作るひとときは忘れない。 夫が知り合いの農家さんでごちそうになった「坊っちゃんかぼちゃ」の簡単スウィーツは今や我が家の定番だ。この秋ひとつ目の坊っちゃんかぼちゃももちろん農家さん命名「農家のホットパンプキン」で味わった。大好きだったスウィートポテトも、今はこれに勝てない。 ナナカマド、パンプキンパッチ、キャンドルリース、坊っちゃんかぼちゃ。 これが私の、今年ひとつ目の秋。 ◆ The Easiest Way to Cook “Farmers’ Hot Pumpkin”: 1.坊っちゃんかぼちゃ(直径10cmほどのもの)を水にくぐらせ、ラップする。 2.500wのマイクロウェイブで8分間加熱する。 3.あつあつのうちに上部をカットして種を取り除く。 4.バター、メイプルシロップはたっぷりと。最後にシナモンパウダーで仕上げ。 バターとメープルシロップが基本だが、中にアイスクリームを1スクープぽこっと落としたりマスカルポーネチーズとココアパウダーでパンプキンティラミスにしても秋らしいデザートになる。 ステーキの付け合わせとしてもよく合い、ローストガーリックのクリームソースに絡めたマカロニを中に詰めるのはおもてなしの時。
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カウガールは甘くない:Being a Cowgirl is Hard to Do
“Red Neck Woman” by Gretchen Wilson ある夏、ダラスに住む友人カール、モニカ夫妻をいつものように車で各地を旅しながら10日をかけて訪れた。 テキサスは私たちの宿敵であるが(テキサス恐怖症~Texasphobia参照)学生時代からの仲であるこの二人が私は大好きで、テキサスが近付くにつれファイトモードになりつつも楽しみでならなかった。 広大なテキサスらしい大きな屋敷に滞在中、彼等はカウボーイの町、フォートワース・ストックヤーズ (Fort Worth Stockyards) を案内してくれた。 ここは1866年以降家畜のせり市として名を馳せ、1976年国立指定歴史地域となった町。現在せりは行われておらず、昔らしさもどの程度残っているか定かではないが、カウボーイ・カウガールのパレードやロデオなどウェスタンの世界を満喫できる有名な観光名所である。 道行くリトル・カウガールに目が留まる。こういう風情が日本にもあれば国全体の文化的ブランド力が随分と上がるであろうにと思う。 遠目で申し訳ないのだが、生まれて初めて見るカウガールはキラキラと眩しいほどに美しく、まるで馬を操る生けるBarbieという感じだ。 あ、ほんとにそっくり。 私たちが見たのは彼等の息子が楽しめるファミリー向けのショーで、カウガールのマーチやロデオ、子供の牛追いならぬポニー追いなどほがらかなアトラクションばかりでとても楽しかったのであるが、私の目はとにかくカウガールたちに釘付けで、あることが頭に浮かび最後はショーを見るよりぼや~んと考え事をしていた。 ショーの後、カウガール・ミュージアムを見て廻りながらますますその世界に引き込まれた。そして「私はこれに、2,3日なれないか」というオコガマシイにも程がある図々しい欲が頭をもたげ始め、となったら本能先行型であるので早速館内案内をしていた女性に尋ねてみた。 「カウガールになるには、どうしたらいいの?」 彼女は実に誠実に、私の子供染みた疑問に答えてくれた。 カウガールになる最低条件は、 1.カウボーイ・カウガールとテキサスの歴史を学ぶ 2.これを天職と思えるか何度も自分自身に問いかける 3.カウガールらしい身なりをする 4.何度も牧場を訪れる 5.カウガールの仕事を知る(馬に乗り、牛を追う。家畜の世話など) なるほど「学ぶ」に関しては抵抗はないし、カウガールのアウトフィットはかわいいから文句なし。馬術経験者なので馬に乗るのも問題はない。やりたいことがあれば住む場所などどこでも良いし、テキサスなら敵陣に乗り込むようなものだ、行ってやろうじゃないのってくらいである。けれど威勢の良いのはここまでであった。 2、4、5で私は振り落とされることになる。 問題は、牛だ。 カウガールのカウ (cow)、は「牛」である。ゆえに牛の世話は欠かせない。あああ。 「カウガールになるかどうかは懸命に牧場で牛の世話をしてからの話よ、一日中きれいにしていられるとは冗談にも言えない仕事だから」と言い「彼女たちの服装にしても機能性重視であっておしゃれという認識は半分以下ね」と続けた。 彼女の言葉でテンションは8割方落ちた。 さらに「あ、そういえば」ふと思い出したくもないことを思い返してしまった。9歳の時、キャンプの朝牛舎の2階から干し草を落とす手伝いをしていた際干し草に足を滑らせ、穴から牛の背中目がけて落っこちたことを。その際あの牛舌で頭をベロリと舐められ、以来牛が強いトラウマになったことも。 おまけに重労働を強いられるカウガール、血の滴るようなこんな肉だって食べられなければやっていかれない。しかしこのステーキはもう凡人の許容範囲を優に超えている。 恐るべしテキサス。ムリムリ、私には絶対に無理。第一、書く仕事を諦められるのかというと、やっぱり無理だ。 情けない目で夫を見ると「あたりまえじゃん」と言いた気に口元でせせら笑っている。 無念だ、今回もテキサスに完敗である。カウガールの夢は、奇しくも修行どころか憧れの入口でその日のうちに萎え消えた。 帰路、カウガールになろうという女性たちはどういう夢を持ってその道へ赴くのかずっと考えていた。クールな人生の構築か、歴史・文化継承の担い手か、あるいはファミリービジネスか。結局私のような軟弱な女には想像もつかなかったが、ひとつだけ確実に感じ取ったことが大きな収穫となった。 Being a cowgirl is one big commitment. とてつもなく大きな決断だ。カウボーイ、カウガールには日本の武士道に似たハードボイルドなところがあると思うのだ。生半可な気持ちでは続けることどころか入り込むことさえできない。そして楽しむことは大切であるがそれ以前に、常に冷静に、ひたむきに従事するという固い決意がなければ結実しない生き方なのだというものだ。 この日出会ったカウガールたちもきっと、可憐でプレザントなだけでなく、気骨のある内面を持ちハンサムに生きているんだろうな。 とても適わない。大した取り柄もない我が身をちっぽけだ、不器用だと苦々しく見つめ直すも「彼女たちの気骨を身につけよう」という目標を得て、最後には満たされた気分でフォートワースを後にした。 ◆ 余談であるが、その年の10月、モニカから荷物が届いた。中にはカウガールのコスチュームが入っており、カードには「夢を叶えてね」と書かれてあった。 友の小さな夢を実現させようという温かい友情に思わず衣装を抱きしめた。にもかかわらず最後の「それを着てOTB(場外馬券売り場)へ行かれたら20ドルあげるよ~」というところを読むなり真意を測りきれなくなるケイティであった。…