Category: Love
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Etymology for Two~二人の語源香る美瑛・アスペルジュの皿
Song: You Taught My Heart to Sing – Cheryl Bentyne 良いお天気の暖かな、結婚記念日にありがたい4月のとある木曜日。単身赴任で夫が普段家にいないためゆっくり計画を立てることもできないまま、酒の苦手な夫婦は急遽せめておいしいランチでもと午後1時の予約をとってお昼過ぎ、美瑛へ向かった。 美瑛町・アスペルジュ(Asperges)は、多くのメディアで取り上げられミシュランガイド北海道2012年にひとつ星をも獲得したカジュアルフレンチで、隣接する美瑛選果を訪れるたび外から覗いてみては賑わっている様子に「次は必ず」とその場を離れていたのであるが、ようやく機会が巡ってきた。 ガラスの扉越しに見える白い店内はこのあと目の前に運ばれてくるであろう色鮮やかな料理の数々と楽しいひとときを予感させた。野菜が、美味しいはず。 ◆ 「結婚生活、どう?」と独身の友人たちに尋ねられるたびその時のムードで思いつくことを話していたものの、その答えは実に適当であった。そう簡単に表現できるものでもないし。けれど不思議と二十余年にわたる私たちという関係の語源になるような言葉が、この日出会った絵画のように美しいひと皿ひと皿の上に漂うようで香るようで、次々と浮かぶのだった。 人参のムース Infatuation ー 心酔 アミューズブーシュはにんじんのムース。最初のひと品は本の表紙だ。タイトルと装丁によって与えられる第一印象。恋の始まりに似た、恥じらいを含んだような柔らかさと、ふんわりとした甘さに夢中になる。美瑛の森に遊ぶキューピッドの羽さながらの軽やかさも記念日のランチにふさわしい。 美瑛の畑 ー 20種類の野菜を使った取り合わせ Rapture ー 歓喜 「混ぜてお召し上がりください」そう勧めてくださった彩り鮮やかなサラダは花盛りを迎えた7月の美瑛を思わせる。混ぜてしまうのが躊躇われ、散りばめられた何種類ものソースとともに少しずつ食べ比べながら、人が感じる最もシンプルな、けれど胸躍らせる「美味しい」という魔法にかかり、また意外なボリュームにも驚いたのだった。 越冬じゃがいものピューレ “淡雪” Labyrinth ー 迷宮 結婚生活はまさに迷宮、一度その扉を開いて足を踏み入れたら幸せと同時に戸惑いや不安もついてくる。けれど恋から始まった二人の人生、立ち止まるわけには行かぬ。そうして時折分かれ道を前に逡巡しながらも一歩ずつ奥へと進んでいくにつれ分かってくる、優しさ、平穏、そして二人でいることの心地良さ。 淡雪はほんのりポタージュのお味で、島のように中央に顔を見せているマッシュポテトの滑らかな口当たりと温かさに心身の凝りもほぐれる。ああ、美味しい。飾られた山わさび(ホースラディッシュ)は北海道らしい遊び心を感じた。 新玉ねぎブレゼ Nature ー 本質 シンプルな玉ねぎの煮込みは母の言葉のように優しく胸に沁み込んでいく。 毎日の暮らしを共に重ねていきながら、夫婦は互いの善きも悪しきも受け入れていくようになる(私には悪しきエゴやらアクやらがゴマンとあるが、ひいき目なのか夫にはさして見当たらないのが哀しき現実)。10年後、20年後、やがて見えてくる相手の心の一番奥底で輝いている魅力が、夫婦という間柄だからこそ見つけることのできるその人の本質と言えはしまいか。 夫と私の間にはしみじみという雰囲気が漂わないが、玉ねぎのレイヤーが小さな日常を重ねていくような日めくりカレンダーにも似て、穏やかな日々に感謝したくなった。 私たちはこの層の、今どの辺りだろう。 北海道産牛頬肉の赤ワイン煮込み Maturation ー 熟成 「深み」という言葉が、年々好きになる。 夫と私のような成長の遅い夫婦にはなかなかしっくりこないこの言葉ではあるが、そういえば学生時代から今日までの二人の時間も会話もシルエットも、徐々に丸みを帯びてきたような気がしたり、しなかったり。 フォークを軽く当てただけでほろりと崩れるワイン煮込み、まさに「深み」という言葉がよく似合う。繊細な頬肉と香り高く艶やかなワインソースは五感を酔わせる官能的な料理だ。しなやかな夫のカトラリー使いにも惚れ惚れする。 美瑛産豚ロースのグリエ It is not…
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You&Me Philosophy
“Built for Love” by PJ Morton 本当ならハロウィーンディナーの買いものでもしているはずだった10月最終日の午後。何も予定を入れないこの日があるなんて、思いもよらなかった。 10月は夫も私も多忙を極め、繰り返し数えてみても何日一緒にいたか覚えてもいない。ハロウィーンをただの気だるい休日にしたのは、それが理由だ。 久し振りに帰宅した夫とランチに出てからしばらくドライブし、私たちが「小軽井沢」と呼んでいる東川町のカフェに立ち寄った。 今年できたばかりのその店にはひと組の先客があったがとても静かで、普段なら決して聞き逃すことのないBGMも覚えていないほどの静寂。この日の私たちには嬉しかった。 飲みものが運ばれてきてからは、殆ど話をしなかった。夫はもちろん長い出張で疲れていたし、私も文字との格闘が続きいささか脳内がショートしていた。 真空管の中にいるような時間がゆっくり、ゆっくりと流れていく。夫はタブレットで読書をし、規則的にページを流す彼の指先を、私は熱いトラジャ・ママサを飲みながらぼんやりと追った。 久し振りに時間を気にせずいられると思ったら、気が緩んだのか軽い眠気が訪れた。視線を落とすと、グラスの中の水がとてもきれいに見えた。 東川は日本でも珍しい「上水道0%の町」。この町で使われている水は大雪山の伏流水、それだけでごちそう。北海道の移住率1位はここにも理由がありそうだ。 夢現を行き来しながら私はひとつずつ数えるように嬉しくなった。澄んだ水、心地良い時間、それから本を読む夫の口もとに浮かぶ笑み。 晩秋の西日が店の窓から差し込み四角くなって集まると、その中にある文字が浮かび上がったように見えた。 “blessed” ~ 恵まれた人生だ。 若い頃なら、会話が途切れるという不安のエッセンスが胸に直接流れ込んでチリチリと痛みもしただろうが、今はこんな時こそ相手の気持ちが手に取るように分かるし、思いやれる。テーブルを挟んで、言葉がない時にこそ見えてくる空気に確信する。相手の存在と、その人の為に生きることが己の人生を満たしているということ。 よくもまあそんなこと言えるねと笑われてしまうかもしれないが、私たちの間に漂っていたその空気は22年連れ添ってみないと分からなかった、22年経った今、気付けば完成していた夫と私の「夫婦(めおと)哲学」であると言ってしまっていいのではない、か、な? 店を出ると、日が沈んだばかりで辺りは橙に染まり、店の窓ガラスにもヨーロッパの古い絵画のように映っていた。 明日はまた遠くへ出かける夫に、今夜はからだに優しい夕食を考えよう。 Wednesday cafe & bake: 北海道上川郡東川町東8号北1番地 TEL: (0166) 85-6283 Open Hours: 11:00 – 18:00 Closed: 木曜日 Wednesday Instagram 写真の町 北海道上川郡東川町オフィシャルウェブサイト: Higashikawa Town of Photography
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One Fine Day とフリルなブランチ
“Saturday Morning” by Rachael Yamagata 夫も私も忙しかった10月。久し振りに会った休みの朝は、ゆっくり起きてブランチしてから「日本の都市公園100選」にも選ばれている旭川の常磐公園へ今年最後の紅葉を見に。 この日のブランチはケイティ命名「フリルなピアディーナ」。9月の終わり、オープン直後の北欧の風 道の駅とうべつ「レストランAri」で出会ったかわいくて美味しいピアディーナを真似て家で作ってみた。おしゃれで栄養満点で意外にも食べやすい。定番ブランチになりそう。 因みにこの道の駅、入った途端IKEAの香りがするのであるが、調べたところ使われている家具はやはりIKEA製であった。なかなか素敵な道の駅。 ◆「フリルなピアディーナ」の作り方は最後に。 うららかな昼下がり、この日の気温は7℃ともう秋とも言えない寒さ。けれど風もなく歩くには心地良い。気分も軽く、時もゆっくりと流れてゆく。 座って何か飲もうということになったものの、腰を下ろすとベンチが冷たくて諦めた。お日さまは暖かいのに、やはりここは旭川。冬の訪れをベンチで実感。 誰も乗らなくなったボートの上でダックが日なたぼっこ、というより寒くて固まっているようにも見えてしまう。たぶんそう、寒いのだわ。 見事という言葉しか浮かばない、それほどに美しい枯葉のじゅうたんは、踏んでみると何てソフトなのだろう。降り注ぐ午後の日差しがつくる木漏れ日も、夏のそれとはやはり様子が違う。センチメンタルでいい感じだ。 絵本の中にでも入り込んだようなこの小道を夫と話をしながら歩く時間は、それが永遠でもよいと思えるくらい気に入っている。夫は楽しい話の達人なのだ。 この日の話題は「手相」。空に手をかざしながら彼はスターとソロモンの輪を持ち、私は太陽線と縦一直線の運命線を持つのだと言う。おもしろいおもしろいと喜ぶも、傍から見ればややもすると「え?これが?ほんとに??」そして「相手にしても仕方のない、ほっとくしかない愚かな夫婦」ということになろう。 周囲の目などおかまいなしに、二人の会話は続く。途中、公園内の神社に立ち寄ってお参りし、私だけおみくじを引いた。心の温まるお告げが書かれていた。 どんなに忙しくても、こんなささやかな良い一日があるから明日を楽しみに生きられる。 公園のボードウォークを北風と踊る枯葉の美しさも忘れてはいけない。こういう季節の小さなひとこまが意外にも5年先、10年先の良い思い出の中に描かれているものだ。 風がいっそう冷たくなって、指先がキーンとする。熱いお茶が飲みたくなって、私たちは公園と、晩秋のOne Fine Dayを後にした。 ◆ フリルなピアディーナのお材料 2人分: ・薄めのピッツァクラスト:2枚(直径20cm、軽くトーストして柔らかくする) ・蒸し鶏 200g (ランチならローストチキン、ローストビーフもおすすめ) ・チーズ:普段はエメンタールですが今回はチェダーとゴーダ3層のスライスチーズ使用 ・ベイビーリーフ、紫キャベツ・スプラウツ、千切り大根やミックスビーンズのサラダなどお好みで。マスタード・リーフなどもアクセントになって美味しいし、具材に合わせたハーブを替えればちょっとしたおもてなしランチになる。野菜はフレンチドレッシングやオリーブオイル+ソルトを軽くかけておく。 ・チェリートマトはMUST! 大きなサンドウィッチもこれがあると飽きがきません。 ・真ん中のパンプキンサラダは電子レンジにかけマッシュしたパンプキンをマヨネーズとメイプルシロップで和えたものを使いました。メイプルシロップの香りが強過ぎるという場合はハニーやオリゴ糖で。 ・ソースはマヨネーズ+ホースラディッシュ(北海道では「山わさび」と呼びます)。私は甘みの強いアメリカのマヨネーズが好きですが、今回は日本製マヨネーズがよく合います。 ◆具をクラストのハーフスペースに載せたら半分に折り、くるくると巻いて、中央にできた穴にパンプキンサラダやポテトサラダを押し込み、空いているスペースにビーンズも加え、大きめのペーパーナプキンで包んでカップに差して立てておく。私はメイソンジャーを使用。 ◆ピアディーナはイタリアの軽食で、丸いクラストを半分に折って具材を挟むことが多いが、「北欧の風 道の駅とうべつ」の「レストランAri」さんではこんなにかわいいサンドウィッチにしていた。パーティーメニューにもできそう。
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Moments 18: 22時の散歩
“What a Difference a Day Makes” by Julie London 恋の行方は、22時の散歩次第。 空を見上げても星も見えないマンハッタン、22時。 ぽつりぽつりと人影が消え、静かになった通りを秋風に吹かれて歩く。 昼間は目にも留まらない店のショーウィンドウ。 暗い壁に浮かび上がり、二人は足を止めて奥を眺める。 彼女が言う、「気付かなかったね、このディスプレイはいつまでかしら」 彼が言う、「じゃあ、また来て確かめてみる?」 翌日も1週間後も22時、二人はまたここに来る。 彼女が言う、「サンクスギビングのデコレーションはいつ頃かしら」 彼が言う、「11月になったらすぐじゃない?来てみれば分かるよ」 その年のクリスマス。 彼女が言う、「来年の今頃もこの店はあるかしら」 彼が言う、「じゃあ来年の今日も来てみよう、一緒に」 口には出さないが二人は思う、この店がなくなったら僕たちは、私たちは。 けれど22時のニューヨークには見えている。 翌年のこの店のホリデイデコレーションと、雪で頭が真っ白の、二人の姿。 10年後の今夜、5歳の娘を真ん中にこの店の前で足を止める二人の笑顔。
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Old Pic & Car Radio
“Love Over and Over Again” by Switch ニューヨークの家から持ってきた古い写真を整理していたら、中から自分でも驚くほどに昔のものが顔をのぞかせた。 それはブルックリンから撮ったマンハッタンの写真で、確か夜10時ごろではなかったかと思う。この時私の左隣りには背の高いハンサムな男の子がいて、NBAのチケット欲しさに二人で献血に行った話やら、週末一緒に行くNFLゲームの予定やら、互いの過去の話やら、ニューヨーカーにありがちな、NYのどこが好きかという他愛もない話もただ楽しくしていた。 けれどこの時、彼と私の間には友情とは違う空気が、確かに漂っていた。私は彼の軽快なおしゃべりを聞きながらウィットに富んだスマートな語り口調に夢中になっていたはずだし、少しビターな瞳もじっと見つめていたに違いない。そしてこの懐かしい夜景は二人を予感という名の空気で包んでいたのだと、今だから言える。 マンハッタンへ戻る途中も二人の会話は続いていたが、カーラジオからこの曲が流れてくると、途中で言葉が途切れた。Queensboro Bridge の中央に差し掛かった頃、迫りくる摩天楼を眺めながらこの歌を聴き、私は何となく、彼と恋をするのだろうなとこの時思った。 ◆ それから20年が過ぎた今、彼は隣の部屋で深夜2時、無邪気にもゴルフ観戦にエキサイトしている。こんな彼と私があるのは、あの日の夜景とこの歌、小さな思い出が積み重なったからなのだと妻がひとり感傷に浸り幸せを噛み締めているというのに。 ◆ 恋は、始まる少し前が一番素敵だ。友達と恋人の境に苦しみ、二人でいると帰り道がせつなくなり、明日の私たち、あさっての私たちを期待したくなる。 今夜は久し振りに懐かしい写真と再会しこの曲を聴いて、あの頃始まったばかりの恋心が胸に戻ってきたような気分。いい夜だ。 ・・・しかし、夫の熱の入れよう。”Keep it down” ひとこと言ってこよう。
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Photograph
“Photograph” by Nickelback This is a little story that actually happened during our journey from home in New York to Los Angeles; about the fleeting friendship among me, my husband and this guy named Joe met at an auto repair shop in New Mexico and also about a picture disappeared a year later from the bar…
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June Bride
“Maybe I’m Amazed” by Jem 毎年6月20日はハッカの里・北海道北見市が制定した「ペパーミントの日」なのだそうだ。北見近郊の道の駅やギフトショップにはミントを使ったお土産ものが数多く並んでいる。中でも虫よけスプレーやクッキーなどはポピュラーだが、私が気に入っているのはハーブティー用のドライ「白ミント」。ペパーミント同様爽やかな香りが特徴で、幾分クセが弱いようだ。 これをデカンタに落とし水を注ぎ入れて「ホワイトミント・ウォーター」を作るのが我が家流。寝る前に作って翌朝一番に飲むと、ああ夏が来たなと思う。 ミントというと、私は自宅の庭に50種類ものハーブを植えている知り合いの老婦人、ケリーを思い出す。 これはケリーが話してくれた “true love story” である。 グラフィックデザイナーのケリーは58歳の時、会社役員として第一線で活躍していた夫オリヴァーが脳梗塞で倒れたのを機に引退し、自宅でのんびりハーブクッキングでもしようとハーブ園を庭に作り、夫の看病をしながら園芸店でもできそうなほどに種類豊富なハーブづくりを楽しんでいた。 ようやくオリヴァーが普段どおりの生活に戻れたある夕方、突然妙なことを口にした。 「そろそろ僕、帰ります」 彼は、認知症にかかっていた。 それまでも物忘れが顕著になってきたなと思ったり、モールのエスカレーターになかなか乗れない彼を見ながら多少の気掛かりはあったものの、どれも脳梗塞の後遺症だとばかり思っていたが、認知症。これを疑わなければならなくなった彼女は愕然とする一方で、彼との付き合い方を急いで覚えなければと、その日から勉強し始めた。 1年後、彼は妻を忘れ、夫婦の「他人の関係」が始まった。彼は自宅を自分の家だとは思ってはいないもののどこへ行こうというわけでもなく、ただ他人行儀に、けれど以前の彼と何ら変わらず心地良く日々を過ごした。食事のテーブルにつくたびケリーに「僕の為にいつもありがとう、君のオムレットは世界一だよ」と言い、トイレの場所が分からなくなると「どうも何度来てもよそのお宅は覚えられないものだね」と平然と笑った。そしてひとしきり他愛もない話をして夕方になると「そろそろ帰らないと」と席を立った。その都度妻は「いいのよ、今夜はゆっくりしていってください」と引き留めたと言う。 たった一度、神様のご褒美と彼女が言うようにオリヴァーは「そうだ、今年も秋にウィリーのところへ行こうか」とケリーに言った。一番下のウィリーはボストンの大学院に通っていて、2年前紅葉の美しい頃に夫婦で息子を訪ねたのを消え入りそうな記憶のどこかに残しているようだった。もちろん、翌朝その話をケリーがしても、もう覚えてはいなかった。そんな時、ケリーは二人でいるのにまるでひとり暮らしをしているような孤独を感じると呟いていた。 同じ年、独立記念日のBBQパーティーの計画を始めたある夜、ドスンという大きな音にケリーは驚き玄関ホールへ駆けつけると、階段下にオリヴァーが耳から血を流して倒れていた。気分の良かったその日、彼は何を思ったかおぼつかない足取りで2階へ上がっていこうとしていたようだ。 すぐに手術ということになったがドクターからは、このままになるかもしれない、 “I’m sorry” という言葉が返ってきただけだった。 そう言われても信じない。ケリーは心にそう決めて、いつオリヴァーが目を覚ましても良いように、目を覚ました時彼女が傍におらず不安にさせてはいけないと片時も離れず祈り、彼の名を呼び、「あなた、今夜はミートボールよ、そろそろ起きて」と声を掛け続けた。 何の反応もないまま1日が過ぎ、事故から翌々日の午後、オリヴァーは意識を取り戻した。ケリーを見つけると小さく笑顔をつくり、彼女の手を軽く握り返すと彼女も両手で彼の手を包んで肯いた。 しばらくそうして見つめ合ったあと、もう殆ど動かせない彼の唇が何かを言おうとしている。彼女が彼の口元に耳を近付けると、ようやく聞き取れるような声で、 「僕と結婚してくれませんか」 今、彼女は「あれが彼の本心だったのか、それとも夢でも見ていただけだったのか、実を言うと分からないの」とさっぱりとした口調で言う。そしてこう続けた。 「でもね、同じ相手が別人になってもやっぱり結婚しようと思うのだもの、私は生涯彼に愛されていたのよね」 病床のプロポーズは、彼の最後の言葉となった。 認知症の介護は時に壮絶で、逃げ出しそうになったこともあるとケリーは話した。それでも現在、彼との人生は幸せだったと胸を張って振り返られるのは、彼女を支えてきたのが、夫オリヴァーと共に30余年育んできた真実の愛であったからに他ならない。 ケリーは今も、年に2度の結婚記念日を、庭のハーブで作ったオリヴァーの好物、レモンとセージのケーキを作って祝っている。 「彼と向かい合って食べているのよ」私にフレッシュミントティーを淹れてくれる彼女は昔と変わらずとても幸せそうだ。 夫よ。もしもずっとずっと先のいつか、あなたが私を忘れてしまったなら、今よりももっと楽しい話ばかりをして大きな声で笑って暮らそう。思い出の地を、初めて巡ったような顔をして「また来ようね」と言おう。もしもずっとずっと先のいつか、私があなたを忘れてしまったなら、そんな日が来てしまったなら、とは考えずにおくわ。私はあなたを決して忘れたりしません。初めて旅したグリーンポートも、辛くて帰れないのではないかとさえ思った山登りの思い出も、スロットでジャックポットが入り続けたバブリーな夜も失ってしまってはもったいないもの。だから今からオメガ3を飲んで大豆を食べて、あなたに迷惑を掛けないように心掛けておくつもり。 北見観光協会ホームページ top, herb & table images by Shelby Deeters American flag image by Aaron Burden wedding aisle…
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Tender Words on Say Something Nice Day
“You Can Have Charleston” by Darius Rucker, born and raised in Charleston, SC 毎年6月1日は”Say Something Nice Day” (優しい言葉をかける日)。 発祥はアメリカ、サウスキャロライナ州・チャールストン。2006年、北チャールストンと南チャールストン市長・キース・サメイが「私たちの人生に関わってくれた特別な人たちに感謝の気持ちを伝えよう」と宣言したホリデイで、国で制定されている祝日ではないが現在も市長は毎年市議会でこの日を称えるのだそうだ。 雨が多くても、きらきらと輝く夏の日差しがぴったりな美しいこの町だからこそ生まれた、ポジティブで愛らしいホリデイであると、遠い日の短い旅を振り返るたび思う。 特別なイベントなどが催されるといったことはないものの、家族や友人、普段お世話になっている人たちに「いつもありがとう」と声をかけ、オフィスや学校ではデスクの上にメモを残したり、また病院ではドクターやナースに、郵便配達に来てくれるメイルマンにも感謝を伝えようというアクティビティは、チャールストンからやがて全米各地へと広まった。 中にはイヤな思いをさせられて良い言葉なんてとても浮かばないという人もいるに違いない。そんな時は、こんないいことを言った男の子がいる。 「優しい言葉を伝えられないなら、何も言わなければいいんだよ」 ディズニーの「バンビ」に登場するバンビの友達、うさぎのサンパー。気分が悪くて誰かに嫌味を言ってしまいそうならむしろ、何も言わず気持ちを軽くしてくれる詩集を読んだり、画集を眺めたりしてみる、ハーブティーでも飲みながら、せめてこの日だけは。これもまた、ささやかな幸せのつくり方。 心のこもった優しい言葉には人を幸福にする力がある。誰かと誰かが優しい言葉をかけ合ってそこで生まれたふたつの小さな幸せが世界中に広がっていけば、この地球はもっともっと美しい星になるだろうに。Say Something Nice Dayには、こうした願いも込められている。 今日車を走らせながらふと子供の頃に食べていた母のお弁当を思い出し、もう食べることもないんだなと思ったら年齢を重ねることの寂しさを感じたのだった。 母のお弁当はバラエティに富んでいた。定番だったのは、唐揚げとゆで卵の黄身の部分をマッシュポテトとマヨネーズで和えてソフトクリームのように、半分にカットした白身の中に絞り出したエッグカップサラダのコンボくらいで、ホームメイド・バーガーの日もあれば、六本木の明治屋で時々買ってきた、見たこともなければ子供の口にはお味もちょっと微妙な「中近東のパン」なる名前のグレーのパンを使ったフライドチキンのサンドウィッチ、そして干しぶどうとにんじんのバターピラフの真ん中にドライカレーという日の丸弁当の日もあった。正直なところ、友人たちから「あ、ケイティの日の丸弁当、ヘン!」とランチボックスを覗き込むように笑われた苦い思い出もあるが、母には永遠にコンフィデンシャルとする。 今では珍しくもないシンプルなエッグカップサラダは東京・麻布で生まれ育った母らしく、すぐ隣に住んでいたアメリカ人家庭で祖母が教わったものだ。おかげでこのひと品は親子三代に渡る我が家の伝統料理になった。 年老いた母は今も気丈でしんみりした話など好む人ではないが、「あなたのお弁当が食べたいわ」と今の気持ちを贈ったら、きっととても喜んでくれるだろう。 もうすぐ現役を引退する父には、「ありがとう、私の幸せな人生はパパがつくってくれたものです」と、電話は恥ずかしいからメイルしよう。 両親以上に大切になった夫には、そうだな、”You’re my eternal OAO(one and only) buddy (あなたは永遠に唯一無二の大親友)” と彼の肩をたたいて言おう。どうせおちゃらけられて終わるのだろうけど。 最後に、6月1日、ここに遊びにきてくれたあなたへ。 大切なお時間を私たちF.G.S.W. のために使ってくださってありがとうございます。 今日一日、フレッシュな空気を胸いっぱいに吸い込んでいつものごはんもより美味しく、大切な人たちとの会話も楽しみながら、幸せな気分でお過ごしください。 そしてこれからあなたが歩いていく道に、いつも明るく暖かな光が注がれていますように。 tulip photo by Roman Kraft…
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Otaru Pathos After 6
“Gotcha Love” music by Estelle 閉店間際まで北一ホールで話をし、空想をし、詩集を読んで外に出ると午後5時50分。 空が青いうちは大いに賑わっていた通りもひとり、またひとりと消えていき、町が紅く染まるにつれて恋が始まったときのようなセンチメントに包まれる。 愛と郷愁はどこか似ている。 北一硝子のサインにも灯りが入った。日中の小樽は仮の姿で、亡霊が夜を待つように、日が暮れるにつれ真の姿を現し始める。50年前、100年前へと戻っていくような目眩をも誘う。 小樽の夜は早く訪れる。 蔵造りのガラスショップや飲食店の殆どが午後6時には扉を閉めて、通りは黄昏時にはもう静まり返る。正直な気持ちを言えばせめて8時くらいまでは開いていてほしいけれど、現代人の、ましてやアメリカからやってきた人間の思いなど嘲笑されるだけなのだ、「分かってないね、小樽を」と。 ここからは恋人たちの時間。 ふたりは小樽運河を臨む道路に出る。目の前を、家路を急ぐ車が少し冷たくなった春風を切って通り過ぎてゆく。夜の群青が下りて地上に残る紅を溶かしてゆく様子を彼女は見逃さない。 「寒くない?」彼が尋ねると、 「大丈夫。これが北海道の4月なんだね、きっと忘れないだろうな」 信号が青になって、運河へ。 団体の観光客はホテルへ、食事へと散っていき、揺れる水辺を眺めながら語り合う恋人たちが数組。フランス語、韓国語、ロシア語、そして英語。言葉は違うがみな一様に肩を寄せて佇み、小樽に漂う爽やかな哀愁で心を潤す。 午後7時。運河を後にしたら、少し飲もうかと目指すのは坂の途中の「小樽バイン」。 恋するふたりが人目も気にせず見つめ合うには少し明るくて広過ぎるが、すっきりとしたケルナーから始めて3つめのグラスを空ける頃、小樽ワインは瑞々しい媚薬であることを彼女は知る、今夜が忘れられない夜になる予感とともに。 小樽バインをあとにすると、通りの向こうに怪しく光る旧「日本銀行小樽支店」。この町が大切に守る歴史的建造物も夜には彼等の思い出づくりにひと役買ってくれる。 「ホテルに戻る?」 「せっかくだからもう少し歩こう、酔いを醒まさないと」 彼は彼女の手を取ってまた坂を下りていく。一生に一度の大切な言葉は、運河で贈ることに決めたようだ。
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Last Supper, Last Song #2
Music by Ambrosia “Biggest Part of Me” 音楽でも聴きながら。 地球での仕事を終え、空へと自分の魂を送る時のBGMを選ぶのもまた「最後の晩餐」同様究極の選択。さて2017年3月25日現在、あなたは何を選ぶ? 遡ること大学3年の春。付き合い始めて半年の恋人テイは、よく晴れた日曜の朝に私を呼び出すことが多く、週末の朝はたいていセントラルパークの散歩から始まった。 9時少し前。セントラルパーク・ウェストを下っていくと、パークの入口でテイが左の肘に買い物袋を提げSunday paperを読んでいるのが見えた。新聞で顔が隠れていてもすぐに分かったのは、彼の履いていたティールグリーンのブリーチを私が気に入っていたからだ。 「遅れたね、おはよう」 「元気?オレも今来たとこだよ」 新聞をたたむと彼は買い物袋の中を見せて「ブレクファスト」と笑った。りんご2つとスナップル(瓶入りのフレーバード・アイスティー)のピーチティー2本がこの日の二人の朝食となった。 パークには動物園やカルーセルなどのアトラクションがあるほか池でボートを漕ぐこともできるが、私たちが好んでしていたのは橋巡り。セントラルパークには30以上の美しい橋やアーチがあり、おしゃべりをしながらそれらを渡ったり下をくぐったりするだけでも楽しめる。最も美しい橋のひとつ、1862年に造られたBow Bridgeの欄干には気品があり、ぼんやり眺めていると、日傘を差したドレスの貴婦人や馬車に乗る紳士、100年以上も昔の風景が浮かび上がるようだ。映画の撮影などにも登場する。 テイと私はりんごを片手に時折シャクッとかじりながら橋を渡り、2時間も歩いただろうか、疲れた頃、近くの芝生に腰を下ろした。 学校の話などしていると、すぐそばでピクニックをしているカップルのラジオからこの曲が流れてきた。 You’re the biggest part of me You’re the life that breathes in me And I’ll be your savior to you For the rest of my life するとテイが突然、私の目をじっと見つめたまま歌い始めたのだ。 両手を胸に当てて大声で歌う彼の姿を周囲は笑って見ていたが、私の心の野原には一斉にピンクやイエローの花が咲き始め、小川のほとりからはきらきらと輝く極太の虹がハープの音色とともに緩やかなカーブを描いて延びていく。さらに私のおめめからは金色の星が次々とこぼれ落ち、脳天からは独立記念日級の花火がバンバンと打ち上がっていたはずだ。 私でなくても、20代女子なら誰だって”rest of my life(一生)”なんて言葉を投げかけられたらときめかずにはいられない。 テイは私を「恋する乙女」に化かし、それからまた1時間歩く間、絡ませた彼の指先まで「私のものだ」などと思い過ごしながら、ランチをしようと街へ出た。…