Category: Midnight
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怖いもの見たさの1031
私は 1) 高熱を出す 2) 恐怖映画を鑑賞する、と悪夢を見る傾向にある。子供の頃からの癖のようなものでどうにもならないのであるが、10日前に熱を出し深夜、夫が飛び起きるほどの絶叫をした模様、未だに熱も下がらないし、ゆえに仕事も読書も捗らないしで「ミスター鶴の一声」=夫の助言。 「横になって映画でも見てたら?」 あ、そうねそれがいいわ。というわけでDVDを並べてある書棚の前に立ってみるも熱が原因の倦怠感からかなかなか決まらない。いっそ最下段の “24” を一気見するか ー やはり判断力が鈍っているようだ。ならばしっとり秋らしい映画にしようかなとも思えてくる。 ところが今日10月31日はHalloween なのである。アメリカのTVはこの時季どこも恐怖映画祭りで、新旧とり混ぜ毎日毎夜放送される。そうした大衆文化が体内を巡っている為に10月突入のファンファーレを聞くや否や怖がるくせに恐怖映画を渇望し始め、当日の今日などはもうカラッカラ。そこで映画チャンネルをくまなく探すも見たいのは今夜のThe Shining だけだ。しかもDVDを持っていたりする。 基本的に陰湿なばかりの映像が汚いホラー、特に邦画は一切見ない、いや見られない。「今夜悪夢が私を襲う」度100%な上に食欲不振が後を引くからである。第一に恐怖の中にも美がないと嫌なのである。一方海外のオカルト映画は25歳を超えたあたりから好んで見るようになった。子供の頃、映画館の前を通るたび目を逸らした「エクソシスト」のポスター。一生見ることはないだろうと思っていたが学生時代、それが事実に基づいていると知った途端に興味が湧き、両手バリアの隙間からおそるおそる見ているうちに夢中になったのが初めてだった。ワシントンに住んでいた頃は神父が悪魔に打ち勝ったあの階段も見に行き意味の分からない自信をつけた。 以来夫がいない夜だって独りで見られるようになったし、今ではChild’s Playなど子供騙しだと鼻先で笑えるほどにもなった。心が汚れてしまったからだとしたら哀しき成長である。 あまりにありきたりではあるが、私の好きな恐怖映画はこんな感じ。 1.The Shining (1980) 2.The Omen (1976) 3.The Exorcist (1973) 4.Horror of Dracula (1958) 5.Sleepy Hollow (1999) クラッシックばかり。緻密なからくりよりもじわりじわりと精神を震わせるものが好きである。CGを駆使した作品も入り込めないので見ないが、Sleepy Hollowはファンタジーとして楽しめると思っている。それからCGフリーの The Blair Witch Project は楽しみにシアターへ行ったが映像があまりに揺れるので別な意味で心身弱り、私を辛い目に遭わせたという罪状から生涯圏外とした。 私は中学に上がる頃までサンタクロース同様ドラキュラの存在を心底信じており(因みにアメリカの子供たちにはこういったケースは珍しくない。ニューヨークで生まれ育った日本の子供たちもその多くが13歳くらいでもサンタクロースを信じていたりする)、小5の時、両親がテレビでChristopher Lee の Horror of Dracula を見ている時偶然リビングルームを通りかかってよりにもよって吸血シーンを目にしてしまった。「早く寝た方がいいよ」と吸血鬼の恐怖から娘を守ろうとする優しい父に対して母などは「最後まで見る価値はある」とか言って11歳の娘を惑わせた。結末まで見届けた私がその夜悪夢にうなされ翌日冷蔵庫からにんにくを持ち出し母に見つかるまでこっそり携帯していたのは言うまでもない。 Stephen Kingの “Misery” やスペインの “El Orfanato”…
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Moments 18: 22時の散歩
“What a Difference a Day Makes” by Julie London 恋の行方は、22時の散歩次第。 空を見上げても星も見えないマンハッタン、22時。 ぽつりぽつりと人影が消え、静かになった通りを秋風に吹かれて歩く。 昼間は目にも留まらない店のショーウィンドウ。 暗い壁に浮かび上がり、二人は足を止めて奥を眺める。 彼女が言う、「気付かなかったね、このディスプレイはいつまでかしら」 彼が言う、「じゃあ、また来て確かめてみる?」 翌日も1週間後も22時、二人はまたここに来る。 彼女が言う、「サンクスギビングのデコレーションはいつ頃かしら」 彼が言う、「11月になったらすぐじゃない?来てみれば分かるよ」 その年のクリスマス。 彼女が言う、「来年の今頃もこの店はあるかしら」 彼が言う、「じゃあ来年の今日も来てみよう、一緒に」 口には出さないが二人は思う、この店がなくなったら僕たちは、私たちは。 けれど22時のニューヨークには見えている。 翌年のこの店のホリデイデコレーションと、雪で頭が真っ白の、二人の姿。 10年後の今夜、5歳の娘を真ん中にこの店の前で足を止める二人の笑顔。
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Moments 15: Hocus Pocus in POTUS’s Umbilicus
“You Can’t Stop the Rain” by Loose Ends とても褒められた話ではないのであるが、私たち夫婦、正直に申せば常習的夜遊び隊、ニューヨーク近郊のカジノホテルではちょっと顔を覚えられた存在で、カードゲームの腕前にもそこそこ自信がある。 折に触れカジノの話をすることになるであろうが、今夜に限ってこんなことを思い出したのは、夕方外に出た時に感じた雨のにおいがあの夜と同じだったから。 ◆ 現在のアメリカ大統領、ドナルド・トランプ所有のカジノホテル “Taj Mahal” は行きつけのひとつで、ニュージャージー州アトランティック・シティーのカジノ群へ行くと、だいたい深夜2時から2時半頃別のカジノから移って夜明けまでここで遊び宿泊するというのが決まったルートであったのだが、この夜は遅くになって雨が強くなり、早くからTaj にいた。 確か深夜1時になろうという時だったかと思う。そろそろ場がまとまってテーブルの集中力が高まって来た頃、ひとり負けが続いていた壮年男性が席を離れると後ろでビアを片手に見物していた見た目30代前半の男性が席に着いた。イタリア系だったろうか、この男、最初から妙なムードを持っていた。 場を乱す素質を持っていたというのか、テーブルで遊んでいたプレーヤーは全員感じ取っていたはずだ。遊び方の悪さも際立ち、わざと彼に目をやらない人もいればまじまじと睨むように見る人もいた。 (これは自宅の娯楽用BJテーブルでカジノ内部の写真撮影は禁止されています。) 最初から2,3のラウンドはおとなしくしていた男が、次のシャッフルからその邪悪な正体を見せるのだった。 ディーラーが彼の前にカードをセットするたび「トゥーンヌッ」と鼻先から抜けるような声(本当は「音」と言いたい、だって下から上へとしゃくりあげるようなヘンな声だったんだから)を上げたのだ。ギャンブルは当然ながらお金を賭けているわけなので、不審な所作や言動があれば見張り役のピットボスと言われるスタッフに睨まれ、最悪セキュリティが来てどこぞへ連行される。途端にテーブルの空気がピリピリと張り詰める。 皆の不安は的中、「トゥーンヌッ」でテーブルの空気は乱れ始め、男が入ってくるまではプレーヤー優勢で進んでいたゲームが一転、男のひとり勝ちという無情な事態を引き起こした。彼は酒に酔っており、へらへらと笑いながらふざけていた。 本気で遊んでいる、という言い方はカジノ経験者ならではの感覚だが、賞金稼ぎさながらの真剣勝負に挑んでいる男たちも大勢いるわけだ。1回に1万ドル以上(約100万円) をベットするプレーヤーも珍しくない。私の右横にいた中国系の男性は、それまではブラックチップ(1枚100ドル)とオレンジチップ(1枚1000ドル)を何本も高く積み上げていたが、男が来るなり殆どを失った。私たちも、私たちにとってはかなりの額を負けた。 次のラウンドからピットボスがテーブル前に着いた。おそらく男に対する何らかの指示が内部からあったのだろう。迷惑になるから奇声を上げるなと生真面目な顔で男に告げたがやはり男はへらへらと笑い、トゥーンヌッを続け、耐えきれなくなった私たちを含むプレーヤー全員が席を立つなりセキュリティが2人やって来て、男はテーブルから連れ出されると人ごみに消えた。 場に平和は再来したものの、一度乱れた気はなかなか浄化されない。誰もあのテーブルに戻ることはなく、私たちも残りのチップを換金してカジノを離れた。 「もう今夜は部屋に戻ろうか」「あいつめ~」二人で話しながら、良い運を吸い尽くされたようで遊びを続ける気分にはなれず、頭でも冷やすかと外に出た。 雨は止んでいたが、ひんやりと潤った空気は雨のにおいを含み、これがいっそう私を憂鬱にした。そして驚いたことに、普段ならいくら深夜の雨上がりとは言え一人として歩いていないなどということは考えられないボードウォークに見事に人影がなく、ただネオンを映してそれを美しいと思うも、それより何より「景気が悪い眺め」としか解釈できず、眠ることのないアトランティック・シティーで有り得ないほど早くホテルルームに戻ったのだった。 ◆ それにしてもまさか世界中が注目した不動産王が大統領になろうとは、あの夜Taj で遊んでいた人たちの誰が思っただろう。個人的には今の彼よりも大富豪という姿で全米のギャンブラーたちを手のひらの上で遊ばせている方が、ずっとかっこよかったのにと思うのだが。
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Emperor Gold Mystery
“I Will Survive” by Chantay Savage あの夜は始まりからおかしかったのだ。 ミッドタウン・マンハッタン、午後6時。 徹夜明けで疲れていたのもあるとは思う。サロンの予約時間を間違え諦めて出てくることになったり、夫の仕事が終わるのを待つカフェで、注文したヴィエナ・コーヒーの代わりにココアが運ばれてきたり、店を出る時7ドルのコーヒーに10ドルを差し出したらおつりの3ドルに10ドル札が1枚紛れていたり(自分の名誉の為に申し上げておくが、この10ドルはその場でお返しした)。 どうも調子が狂っていると思いながら、普段どおりSheratonのロビーで夫を待ち、その後仲間4人と合流、メキシコからハネムーンでニューヨークにやってきた友人夫婦を囲んで食事。ダウンタウンへ行った。 お祝いということもあって、全員食事の席でけっこうな量のワインを飲み、終わって彼等を見送ると午後11時を過ぎていたのではないだろうか、その時ミッドタウンに戻っていたのだが、地下鉄に乗ったのかタクシーだったのか、もうそのあたりはぜんぜん覚えていない。Broadwayか6th Ave.の57丁目から南へ歩いて行ったように思う。 誰かが「飲み直そう」と言い、その時一緒にいたメンバーの半分がこう覚えているので確かだとは思うのであるが、おそらく何の理由もなくNovotelのラウンジに向かった(はずだ)。 小さなバーラウンジのストゥールに着くと、皆でBudを頼んだ、かも。 すると、これだけは覚えているのだが、東洋系のバーテンダーが言った。 「お金は要らないから、これちょっと飲んでみない?」 取り敢えず口直しにと水を勧められて、皆してグラスの水をひと口ふた口飲んだ。それから彼は見たこともないラベルの(申し訳ないがまったく記憶にない)ビアを運んできて私たちの前に置いた。 「僕が造ってるビアなんだ」 名前は確か「エンペラー・ゴールド」。中国の何とかという場所に水のとても美味しい場所があり、そこの水で造ったと言っていたような気がするので、彼はチャイニーズ・アメリカンだった可能性が高い。 冷たい水でワインの残り香をもう一度さらい、あらためてグラスの中のビアを見てみると、非常の細かな泡と薄い金色が上品でとても美しい、と思った気がする。 キンキンに冷えたエンペラー・ゴールドをのどに流し込むと、一瞬酔いが醒めた。実においしいのだ。ホップのえぐみや余計な風味はまったく感じられず、滑らかですっきりとした後味と鼻先から抜けるフルーティな香りも極上だった。何となくではあるが、アメリカ人なら誰もが大好きなMiller Genuine Draftを更に爽やかにして、1664の繊細な香りを加えたようなお味だったように思う。大量のワインなどすっかり忘れて、タンブラーのビアを最後までおいしく飲み干した。 私が覚えているのはここまでだ。 週末にまた昨夜と同じメンバーが集まると、あのビアの話になった。口火を切ったのは確か夫だ。 「それにしてもうまかったよね、エンペラー・ゴールド」 「え?」「は?」「へ?」 誰も覚えていなかった。エンペラー・ゴールドを勧められたことも、バーテンダーと話をしたことも、Novotelのバーに立ち寄ったことすらも。 覚えているのは夫と私だけで、あとの4人は酔い潰れた状態だったのか、あの夜のディナーからあとの記憶がないと言う。結局この話がこのあと6人の間でされることは二度となかった。 それから夫と私はエンペラー・ゴールドを思い出しては探してみたが、あれから15年、まだ見つかっていない。あの味だけでも忘れないよう、近い味と香りを求めて世界中のあらゆるビアを取り寄せては飲み続けてきた。けれど残念ながら「これかも」と思えるものにも出会えていない。 かなりの確率で私たちは、エンペラー・ゴールドに辿り着くことはないだろう。むしろあれは夢だったような気さえする。けれど脳裏に小さくとも残る限り、まだまだ探し続けるつもりだ。 どなたかあのすっきりとキレの良い、デリケートなエンペラー・ゴールドに巡り会ってらしたら是非Katieまでお知らせいただきたい。そして教えてください、どこで出会ったか、そしてそれは本当にエンペラーゴールドか。 NYC photos by Ben Dumond Beer photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Nightcap and April Snow
music by WEE “You Can Fly on My Aeroplane” 音楽でも聴きながら。 私の町は昨日・今日と、名残雪にしっとりと包まれた。 毎年4月も中旬、ある年は下旬にも雪の降る旭川であるが、こんな日は去りゆく冬と別れる時間が愛おしい。 今夜はNYから25年来の友人Mattがやってきており、夕方も早いうちからバーボンのボトルを左手に書棚を物色していると思ったら、懐かしいWEEのアルバム”You Can Fly on My Aeroplane”を選んでプレイヤーに滑り込ませた。 書斎から戻るとキャビネットからグラスを取り出して夫と彼自身にはバーボンソーダを、私には「これ1杯にしておけよ」とオンザロックを作ってくれた。それから彼等はビジネスだのNYだのと話を始め、私は黙ってCDを聴いていた。こんな曲が似合う夜だ。 1977年リリースのこのアルバム。メロウでサイケデリックで、華やかでワルだった70年代の魅力が詰まっている。 もう随分と昔の話だ。私の記憶が正しければ、Astor PlaceからLafayetteを少し下った辺りだったか、小さなレコードショップがあって、知り合ったばかりの夫とデートの途中で立ち寄り、二人でこのアルバムを買ったのだった。 ああそう言えば、店から出ると道の向こう側にストレッチが止まり、奥の扉からスーパーロングのドレッドがダースベイダーのマントにも見えた巨大(は私の見た目であるが)な男が出てきた。周囲を歩く人たちは皆驚いて呆然と立ち尽くすほどの威圧感であったのだが、俯き加減の笑顔は穏やかで瞳がとても美しかったのを覚えている。Maxi Priestだった。 カリッ、と夫のアーモンドをかじる音が軽く響いて、今この時に連れ戻された。 日中、雲はグレイのグラデーションが美しく、水分を多く含んだ大粒の雪を絶え間なく降らした。宮下通りを走らせ車窓から中心街の様子を眺めると、おそらくアジアからのツーリストなのだろう、横断歩道を待つ30歳くらいの男女二人が思いがけない春の雪に空を見上げ、両手を広げて、ついでに大きく口まで開けて道北ならではの思い出づくりを楽しんでいた。故郷に帰って自慢するんだろうな、「Hokkaidoで4月の雪を飲んできた」と。 おそらくシーズン最後の雪の夜、良い気分だ。友の持ってきたFour Rosesの、鼻先から抜ける何とも良い香りを幾度も味わいアルバム1枚聴き終えたなら、ナイトキャップのオンザロックも最後のひと口を飲みほして、アイスホッケーの話で夜も明けそうな彼と夫には目もくれず、私はこのまま先に寝てしまおう。 music by WEE “Leavin’ You Alone”