Category: Moments
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Moments 27:海の青を守る積丹菩薩~Pray for the Blue, Buddha of Compassion
自宅のある旭川は北海道内でも夏の暑さが厳しいことで知られるが、今年の猛暑は残酷とも言え、これで道内のクーラー普及率が上がってしまうかと思うと涼やかな自然風が自慢の北海道にも温暖化の悪影響が広がることは必至、心配でならない。 「地球温暖化は作り話だ」また昨年厳しい寒波に見舞われた自国に対し「我が国にもほんの少し地球温暖化が必要だ」などと平然とツイートしてのけるアノ方の言葉をよりにもよってこんな時に思い出してはカッカカッカと勝手に暑さを助長する愚かな我が身が情けない。 ならば気分だけでも爽やかな夏をと出かけたドライブも異常気象に完敗、どう頑張ってもクーラーは必要であり、ゆえに車内は涼しいには涼しい、けれど強力な日光が肌にチリチリと射し込み「どこかでおいしいシーフードでも」とか言ってたくせにすっかり食欲も落ちてアイスバーばかりペロペロ舐めている始末であった。 積丹町から美しい積丹ブルーを眺めながら小樽・札幌方面へと向かう途中、巨大なこの岩に出会う。実際に名称を持つのかは分からないが、柔らかい鼻やあごのラインと穏やかな風貌から私は「積丹菩薩」と呼んでおり、彼女の前を通り過ぎる時には必ず声を掛けている。 「こんにちは、よろしくお願いいたします」 彼女は積丹の美しい海を望み、背後にちっぽけな私の声を感じながら何を思っているのだろう。平和な世、美しい地球の存続を念じてくれているようには見えまいか。 だからついお願いしてしまう「よろしくお願いいたします、明日も、10年後も100年後もこの海が青く、ここに暮らす人たちが夏を楽しんでいられますよう守ってあげてください」。私は本当に微力だから、つい。 「ならばまずはあなたも日々の暮らしに気を配りなさい」と積丹菩薩に窘められそうで気が引けるが、菩薩を通り過ぎてからも、私の左に広がる青い海と北海道の短い夏がいつまでも変わらぬよう、クーラーを切って窓を開け、手のひらいっぱいに暖かな海風を受けて祈った。 ◆後日談: 私の名付けた「積丹菩薩」実は「弁天岩」と呼ばれているのだそう。そうか、弁天様か。でもなあ、菩薩の方が、イメージに合うんじゃないかなあ。
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Moments 26: Linger
There must be something strangely sacred in salt. It is in our tears and in the sea. – Kahlil Gibran 4月の海にはまだ冬が漂っている。 北へ向かうのを躊躇っているかのように留まる。 送り出そうか、引き留めようか。 心も波にまかせて寄せては引き、もじもじする。 雪の残る浜辺に立つと、潮風が時折遠い昔の思い出を連れてきて厄介だ。 何も考えずに眺めていたいのに、面倒なことをしてくれるな。近寄ってくれるな。 すると仕方なさそうに潮風は、耳元でギブランの言葉を囁いてみせる。 すべては塩のせい。清らかな潮風の神秘が心を揺さぶるだけだと。 そうか、思いを残したものたちとの決別は潮風にまかせるのがいい。 身勝手な私は都合のいい答えを得て 心を痛めず思い出たちを波に乗せたら4月の海に背を向ける。
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Moments 25: 視界を埋め尽くす氷の群れ
過ぎゆく季節を惜しみながら、本日は流氷のお話。 2月21日。 2月が来ると毎日のように「流氷速報」を確認し、こちらのスケジュールと流氷の接岸がぴたりと合った日にはカメラを提げて車に乗り込む。 北海道の流氷は、オホーツク海のロシアに近い北岸で海水が凍りつき結合しながら南下してくるのであるが、いったん接岸してもその日の風の強さや向きによって陸から離れるため、一般人の観測は行き当たりばったりなところがある。 この日東へ向かうこと3時間、海岸線に出ると海が一面、凍っていた。厳密には流氷が密集して凍って見えたというものだが、きっと誰の目にも凍結した海。前日に接岸していたことを確認した上で当日のドライブを決めるも、一度ミスを経験していたためあまり期待せずに行こうと夫と話した。ところがありがたいまでの裏切り、これほど見事な流氷は初めてであった。 目の前の世界は蒼白く、水平線にだけ日が差して天と地を分けているように輝いていた。 視界を埋め尽くす氷の群れは、ロシアと日本を繋いでいるかのように思われた。ロシアからキタキツネが流氷に乗ってやってくるというし、こう凍っていては巡視船も動けまい。ここからぐんぐん歩いて行ったら国後島に着いちゃうんじゃないかしら、なあんてことを考えたりもした。 世界は不自然や不幸に満ちている。どれも元は人の心が動かし生み出すものだ。何と面倒なのだろうと思ったらひどく疲れたような気分になった。自然は感情など持たず私たちに島と島とを繋げて見せるのに。 つまらないことを考えながら時の止まったような、波音のない冬の海を凍てつく北風に耐えながらいつまでも眺めていた。 ◆ さて3月も中旬、東京はあさってが桜の開花予想日になっている。北海道は明日も雪の予報だが、流氷はいつまで見られることだろう。
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Moments 24: 東のエデン
広い北海道でも殊に豊かな自然を誇るのが道東である。2005年世界自然遺産に登録された知床をはじめ、今の時季は天然記念物のタンチョウヅルやオオワシ、オジロワシなどなかなか見ることのできない絶滅危惧種の生きものたちが自由に、平和に生きている。実は今日も出張中の夫から「今朝運転してたら頭の上をタンチョウが飛んでたよ」という電話があって激しく羨んだばかりだ。 道内では珍しくもない蝦夷シカの姿も、雪上となると格別な美しさを醸し出す。 鹿というと私はアメリカの方に馴染みがあるが、顔立ちが蝦夷シカよりも良いことから蝦夷シカにはどうしてももさ~っとした印象を持ってしまう。けれどこの日見た蝦夷シカのファミリーはまさにこの世の楽園、清らかなる命そのものであった。 冬の間、食べるものに苦労する蝦夷シカは春を待たずにその多くが死に、また繁殖力の強い彼等は夏場農作物を荒らし更には知床を中心に生態系への影響も懸念されることから、ひと冬に数千頭が殺処分されると言う。 もう3,4年前になるが冬に阿寒へ小旅行した際、ある道の駅の駐車場でセンセーショナルな光景を目の当たりにし、ランチを食べられなくなったことがある。 私たちの隣に駐車していたバンの上に、軽く10頭以上の蝦夷シカの首ばかりが血の滲む透明のビニール袋に詰められ載せられていた。殺処分した鹿の首を剥製にでもするのだろうか、どこまでも優しい目で空を見上げる彼等が何かを思っていたとしたら、おそらくそれは私たちへの憎しみというよりむしろ憐憫であったに違いないと、死してなお愛らしいあの瞳から思い込み、罰を受けている気持ちになったのだった。 弱肉強食は野生動物のみの世界に存在するものとばかり思って生きてきたが、人がその頂点ににいることをあの日、胸に彼らの立派な角先で刻み込まれたような気持ちになったのを、私は決して忘れはしない。 人の事情も分からなくはない。けれどあの蝦夷シカの家族が無事に春を迎えられますように、そして動物たちにとってあの地がいつまでも東の楽園でありますようにと願うことが無知な妄想であったとしても、この思いを変えることは無邪気に雪で顔を真っ白にしたかわいい蝦夷シカの姿を思い返すと、できそうにない。
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27年前の色~Night of Warmer Lights
“Please Come Home for Christmas” by Eagles 今日は電気の、何とかならないかなあ、な話。 LED電球を使っていますか?我が家は、このゴールドのフロアランプひとつだけ。 1日10時間電気を使ったとして、 白熱電球は最大約6カ月 電球型蛍光灯は約3年7カ月 LED電球は約11年の寿命。 また年間の電気代に換算してみると、 白熱電球は4,257円 電球型蛍光灯は867円 LED電球は615円と、 LEDは驚きの安さである。さらにLED電球は買った時は他の電球よりも高いものの寿命を考えるとコストパフォーマンスは他の2つと変わらない計算になるという(参考: エネチェンジ)。 初歩的な情報を知るだけでも、LEDは今を生きる私たちにとって有難い存在だ。 がしかしこの時季、街を彩るまばゆいばかりのイルミネーションにどうも以前のようにうっとりできない。原因はおそらくLED電球の光。 ◆ こちらの写真。何と27年前の今日、食事に行く途中通りかかって気まぐれに撮影したリンカーン・センター(マンハッタンW.66丁目の総合芸術施設)のクリスマスツリー。 当時私はロックフェラーセンターの巨大クリスマスツリーよりもリンカーン・センターのこのツリーの方を好んでおり、学校や買い物帰りにはわざわざ遠回りをしてまで立ち寄っては「かわいいなあ」と眺めていた。 古い写真で写りが悪いが、マルチカラーが愛らしい、華やかで上品なツリー。おそらく現在はLED電球のツリーに替わったことだろう。この日の思い出が消えてしまうともったいないから、なるべくクリスマスにはリンカーン・センターの前を通らないようにしよう。 大きな声では言えないが、実は私の家のクリスマスツリーには従来のイルミネーションライツを使っている。高さ2.5mのツリーに、ニューヨークから持ってきた頃は1200個、あまりに電気代が高かったので翌年700個まで減らし、現在は500個に。それでも1月の電気代が軽く1万円オーバーになるので最近では、地球にやさしくない我が家のツリーに少々肩身の狭い思いでライトアップの時間を気持ち減らすようになった。けれどどうしてもLEDに替える勇気を持てないでいる。 LEDは私たちのために開発されたもので、皆が率先して使っていくべきであることは十分分かっている。分かっているつもりではあるものの、あの日のツリーと旭川駅前・買物公園のLEDイルミネーションを比較すると、やはり温かみのある昔の灯りの方がいいなと思ってしまう。それでなくても極寒の地で、LEDの蒼白いイルミネーションはかなり寒々しい。頭の中で、クリスマスなのに胸を締めつけるイーグルスの “Please Come Home for Christmas” が流れない。 LED電球の灯りが、何とかして以前のライトのようにならないものか。できることならどこかに手紙でも書きたい気分の、あの日から27年経った今宵である。
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Moments 23: かわいい雪国~Snowville Baby
旭川、12月のよく晴れた朝。気温は-10℃。 ニューヨークも雪は降るが、やはり北海道の積雪には適わない。そして雪国文化に触れたのも旭川に移ってきてからのことで、5年経った今もそこここで新しい発見に出会えるから毎年冬の訪れが楽しみだ。 これまでに知った「北海道の冬」の中でも群を抜いて可愛らしいのが、これ。今、下の写真を見てくださっている方もきっと、笑顔になっておいでのことでしょう。お人形みたいでしょう? お母さんが小さい子供をそりに乗せてお買い物に出かける光景。子供は、これもまた雪国の風物詩、フード付きのふかふかなスノースーツを着てそりから落ちてしまわないように、上手にバランスを取って座っている。お行儀が良くて、かわいくてたまらない。どんな気持ちで乗っているのか、見るたび車を降りて聞きに行きたい衝動に駆られる。 実はそりに載せるのは子供だけでなかったりする。最低気温が-20℃にもなる旭川では路面の凍結は日常茶飯事で、重たい荷物を持って歩くことがとても大変なのだ。 そこでスーパーマーケットでも売っている小さなそりに買い物袋を載せて家路を歩く。足元が滑りやすくても比較的楽に歩を進めることができるという。 またこの季節がやってきた。冷たい北風の中を歩いていく姿は気の毒にも思えてしまうが、見ている方は心がやわらかになる。 あまりの愛らしさに、気を取られてしまわないよう気をつけなければ。
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Moments 22: 太陽の季節を乗せた列車
10月。富良野の帰り、今年最後のノロッコ号を見送った。 6月から10月にかけて、色どり美しい美瑛・富良野を走るノロッコ号。 爽やかな夏風と車窓を流れゆくのどかな田園風景を眺める時間は 名所巡りよりも甘いメロンよりも心を満たしてくれる。 この夏もたくさんの笑顔と楽しい思い出を運んだのだろう。 遠くにノロッコ号を見つけて踏切に立ち、待った。 そしてのんびりのんびり近付いた列車の中に、私は見つけた。 ふたりの乗客のすぐうしろに、太陽の季節が乗っているのを。 列車は目の前をゆっくり通り過ぎ、あとには感傷的な晩夏の余韻が漂った。 太陽の季節を連れ去ったノロッコ号が小さく小さく、やがて見えなくなると 雪に覆われた十勝連峰から、冬の訪れを告げる冷たい風が下りてきた。 明日はウールのコートを出そう。
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Moments 21: 旭岳600m地点~秋と冬の境
10月下旬、起きると町が白くなっていた朝、ふと山の様子を知りたくなって隣町・東川町の北海道の屋根「旭岳」まで走ってみることにした。我が家から車で50分ほどだ。 北海道の雪は人気のニセコのみならず道北の内陸もまたさらさらのパウダースノーで知られるが、冬の初めはまだ水分を多く含むため、道内テレビ放送局のニュースキャスターは「東京の雪」と紹介していた。 朝は路面も真っ白だったがお昼前にはすっかり溶けていた。雪も降り、今年の紅葉もいよいよ見納めの頃を迎えた。 秋が、もう少し長ければいいのに。 程なく前方に車の雪下ろしをしている男性を発見。上はかなり積もっているもよう。 木々の枝に雪が載って少しずつ冬が見えてくるも、まだ秋と言えなくもない。 ぐんぐん車を走らせていく。そして。 秋と冬の境は、600m地点を超えた辺りにあった。 時折薄日が差すと、この光がまるで雪をふうっと吹きかけ、木々を白く染めていくかに見える。自然でなければつくることのできない美しさ。 新しい季節の入口に立った気分。 「標高800m辺りからぐっと景色が変わるよ」という夫の言葉は確かなのだが、今シーズンは私たちの出足が遅かったようだ。 秋は600mで終わり、800mの辺りはもう12月が来たかのよう。 標高1500m地点、ロープウェイ駅に到着。 小雪の舞い散る駅周辺は-6℃、森は長い冬の眠りに就いた。 日本で一番早く冬の訪れる旭岳。屋根の氷柱もだいぶ伸びて、スキー客を出迎える準備は着々と進んでいる。 私はこれを確認して、さあ、冬から晩秋へと逆戻り。
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Moments 19: October Rain
ー 10月の雨 ー 10月の雨は、魔法の雫。 ひとしきり町を濡らしてまたひとコマ季節を動かすと 雲の合間から気まぐれに虹の贈りもの。 車を降りて、しばらくここで見ていよう。 10月の雨は、奇跡の粒子。 夏を遣り過ごしうなだれていたアスパラガス畑に いたずらのような、一瞬の輝きを振りかける。 まばたきしないで、しっかり心に刻み込もう。 いつまでも思い留めておきたい風景は、10月の雨が描き出す。 photos and poem by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Moments 18: 22時の散歩
“What a Difference a Day Makes” by Julie London 恋の行方は、22時の散歩次第。 空を見上げても星も見えないマンハッタン、22時。 ぽつりぽつりと人影が消え、静かになった通りを秋風に吹かれて歩く。 昼間は目にも留まらない店のショーウィンドウ。 暗い壁に浮かび上がり、二人は足を止めて奥を眺める。 彼女が言う、「気付かなかったね、このディスプレイはいつまでかしら」 彼が言う、「じゃあ、また来て確かめてみる?」 翌日も1週間後も22時、二人はまたここに来る。 彼女が言う、「サンクスギビングのデコレーションはいつ頃かしら」 彼が言う、「11月になったらすぐじゃない?来てみれば分かるよ」 その年のクリスマス。 彼女が言う、「来年の今頃もこの店はあるかしら」 彼が言う、「じゃあ来年の今日も来てみよう、一緒に」 口には出さないが二人は思う、この店がなくなったら僕たちは、私たちは。 けれど22時のニューヨークには見えている。 翌年のこの店のホリデイデコレーションと、雪で頭が真っ白の、二人の姿。 10年後の今夜、5歳の娘を真ん中にこの店の前で足を止める二人の笑顔。
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Moments 15: Hocus Pocus in POTUS’s Umbilicus
“You Can’t Stop the Rain” by Loose Ends とても褒められた話ではないのであるが、私たち夫婦、正直に申せば常習的夜遊び隊、ニューヨーク近郊のカジノホテルではちょっと顔を覚えられた存在で、カードゲームの腕前にもそこそこ自信がある。 折に触れカジノの話をすることになるであろうが、今夜に限ってこんなことを思い出したのは、夕方外に出た時に感じた雨のにおいがあの夜と同じだったから。 ◆ 現在のアメリカ大統領、ドナルド・トランプ所有のカジノホテル “Taj Mahal” は行きつけのひとつで、ニュージャージー州アトランティック・シティーのカジノ群へ行くと、だいたい深夜2時から2時半頃別のカジノから移って夜明けまでここで遊び宿泊するというのが決まったルートであったのだが、この夜は遅くになって雨が強くなり、早くからTaj にいた。 確か深夜1時になろうという時だったかと思う。そろそろ場がまとまってテーブルの集中力が高まって来た頃、ひとり負けが続いていた壮年男性が席を離れると後ろでビアを片手に見物していた見た目30代前半の男性が席に着いた。イタリア系だったろうか、この男、最初から妙なムードを持っていた。 場を乱す素質を持っていたというのか、テーブルで遊んでいたプレーヤーは全員感じ取っていたはずだ。遊び方の悪さも際立ち、わざと彼に目をやらない人もいればまじまじと睨むように見る人もいた。 (これは自宅の娯楽用BJテーブルでカジノ内部の写真撮影は禁止されています。) 最初から2,3のラウンドはおとなしくしていた男が、次のシャッフルからその邪悪な正体を見せるのだった。 ディーラーが彼の前にカードをセットするたび「トゥーンヌッ」と鼻先から抜けるような声(本当は「音」と言いたい、だって下から上へとしゃくりあげるようなヘンな声だったんだから)を上げたのだ。ギャンブルは当然ながらお金を賭けているわけなので、不審な所作や言動があれば見張り役のピットボスと言われるスタッフに睨まれ、最悪セキュリティが来てどこぞへ連行される。途端にテーブルの空気がピリピリと張り詰める。 皆の不安は的中、「トゥーンヌッ」でテーブルの空気は乱れ始め、男が入ってくるまではプレーヤー優勢で進んでいたゲームが一転、男のひとり勝ちという無情な事態を引き起こした。彼は酒に酔っており、へらへらと笑いながらふざけていた。 本気で遊んでいる、という言い方はカジノ経験者ならではの感覚だが、賞金稼ぎさながらの真剣勝負に挑んでいる男たちも大勢いるわけだ。1回に1万ドル以上(約100万円) をベットするプレーヤーも珍しくない。私の右横にいた中国系の男性は、それまではブラックチップ(1枚100ドル)とオレンジチップ(1枚1000ドル)を何本も高く積み上げていたが、男が来るなり殆どを失った。私たちも、私たちにとってはかなりの額を負けた。 次のラウンドからピットボスがテーブル前に着いた。おそらく男に対する何らかの指示が内部からあったのだろう。迷惑になるから奇声を上げるなと生真面目な顔で男に告げたがやはり男はへらへらと笑い、トゥーンヌッを続け、耐えきれなくなった私たちを含むプレーヤー全員が席を立つなりセキュリティが2人やって来て、男はテーブルから連れ出されると人ごみに消えた。 場に平和は再来したものの、一度乱れた気はなかなか浄化されない。誰もあのテーブルに戻ることはなく、私たちも残りのチップを換金してカジノを離れた。 「もう今夜は部屋に戻ろうか」「あいつめ~」二人で話しながら、良い運を吸い尽くされたようで遊びを続ける気分にはなれず、頭でも冷やすかと外に出た。 雨は止んでいたが、ひんやりと潤った空気は雨のにおいを含み、これがいっそう私を憂鬱にした。そして驚いたことに、普段ならいくら深夜の雨上がりとは言え一人として歩いていないなどということは考えられないボードウォークに見事に人影がなく、ただネオンを映してそれを美しいと思うも、それより何より「景気が悪い眺め」としか解釈できず、眠ることのないアトランティック・シティーで有り得ないほど早くホテルルームに戻ったのだった。 ◆ それにしてもまさか世界中が注目した不動産王が大統領になろうとは、あの夜Taj で遊んでいた人たちの誰が思っただろう。個人的には今の彼よりも大富豪という姿で全米のギャンブラーたちを手のひらの上で遊ばせている方が、ずっとかっこよかったのにと思うのだが。
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Moments 14: ひまわり経典~from Sunflower Sutra
“We’re all golden sunflowers inside.” – from “Sunflower Sutra” by Allen Ginsberg 年に1度、8月に必ず訪れる大好きな場所がある。北海道雨竜郡北竜町「ひまわりの里」。23.1ヘクタールの畑に150万本ものひまわりが植えられており、地元はじめ国内外の観光客の笑顔を美しいゴールデンイエローに照らしている。 100円以上の支援金を寄付すると、ここで採れたひまわりの種をもらえる。これを家に、町に、国に持ち帰って植えれば北竜のひまわりが世界中で花開く。旅の思い出が毎年夏が来るたび庭に咲く。何と素敵な夢だろう。 ◆ アメリカの詩人、アーレン・ギンズバーグが “On the Road” の著者ジャック・ケルアックに捧げたと言われる “Sunflower Sutra(サンフラワー・スートラ)” の一節で「私たちはみな黄金のひまわりだ(心に黄金のひまわりを咲かせている)」と謳っている。 「内なる己」をテーマとした叙情歌の中で彼は、世知辛い現代社会に生きる私たちに「君たちは、自分が黄金色のひまわりだと言うことを忘れてしまったのか」と問いかけ、また「君たちはひまわりなのだ」と諭している。150万本のひまわりが夏風に揺れるのを眺めながらこの詩を思い出しては帰り際、口元に笑みが浮かび心の凝りがほぐれていることに気づく。 終戦記念日が近い。戦争を知らない私たち一般人にできる最もシンプルで優しい平和活動は、今あるたったひとつの命を大切に、一度きりの人生を使いきるべく楽しみ、誰かの微笑みを壊すことなく心にひまわりを咲かせ、枯らせないように水を与えて穏やかに生きていくこと。こんなことでよいのではなかろうか。 「きれいごと」と言われてしまうだろうか。 1.5 million stems of sunflowers at “Himawari no Sato/Sunflower Village” in Hokuryu Town, Hokkaido 北竜町ひまわりの里公式サイト