Category: Photography
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図書館までの道
雨上がり、旭川小記。 私たちの人生は道でつながっている。私の生にもさまざまな意味を持つ多くの道が延びており、交差している。それらの中には避けたいものもあれば、大好きな虹色ロードというのも超個人的見解onlyで存在する。 一応は文章を書く人間であるから書物との関わりは深く、図書館との付き合いもひと月の半分ほどの頻度なのだが、図書館で過ごす時間もさることながら私はそこへ辿り着くまでの散歩道を実に気に入っていて、いや気に入っているなんてものではなくむしろ至福のひとときとさえ言いたいほどに好んでおり、それを理由に図書館へ行くこともある。 旭川市中央図書館は大きな公園の中にある。 駐車場に車を止めると目の前には大きな池が広がる。池の前から左へ行けば程なく図書館。けれど陽気が穏やかなら右へ折れ散歩道をぐるりと一周して図書館へ行く。 ここ常磐公園は旭川を代表する名所のひとつで「旭川八景」に、また「日本の都市公園100選」にも選定されている緑豊かな市民の憩いの場である。明治43年(1910)開設、大正5年(1916)開園というからどれだけの人がどのような出で立ちで誰と歩いたのだろうと考えると想像が尽きず胸が躍る。 平成最後の2018年はこうである。揃いのウェアでウォーキングをする俊足老夫婦、野原で小さい子供を遊ばせる美脚の若い母、先へ先へと急ぎたいトイプードルに着いていくのが大変な苦笑いの少女。三世代、四世代、公園への慈しみが漂う。 公園の敷地には図書館の他に上川神社頓宮や道立旭川美術館も設けられている。私は神道について知識を持たないので調べて初めて知ったのであるが、頓宮とは仮のお宮さんという意味だそうだ。親しみやすい佇まいの、居心地の良いお宮さんである。 旭川美術館は個人的な憩いの場であり、公園散歩とは別に安らぎと刺激を求めて訪れる。年に一、二度の大きな展覧会と旭川ならではの美術・工芸展は私の年間スケジュールにも組み込まれている。小さいが大切な、旭川の美術室。 九ちゃんの歌とは反対に「下を向いて歩こう」が私の公園散策のテーマである。殊に秋の公園は足下がとても楽しい。銀杏が山吹色に染まる頃など散歩中の犬さながらに興奮する。夫はそれを微笑みもせず、かと言って笑い種にするでもなく(たぶん)見守っている。 森の香りが喉にいいんじゃないかとか、常磐公園のダックは日本語で鳴きNYの家の前のダックは英語で鳴くに違いないだとか、何の意味もない話をしながら行き交う人たちと「こんにちは」「今年はいつまでも暖かいですね」とこちらも他愛もない挨拶を楽しみゆっくりゆっくり、散策路を廻る。 池の畔に沿って美しい園内を眺めながらベンチに座って休み、お宮さんに立ち寄り、栞にする色鮮やかな落ち葉を拾いながら30分ほどかけて図書館に辿り着く。秋の図書館前は私の旭川八景である。私はこの景色を100枚以上写真に収めているが、図書館の職員さんおひとりくらいは我が愚行にお気付きかも知れぬ。 館内に入ると混み具合を確かめ、午後の陽光が木漏れ日となって入る窓際の椅子を選んで読書を始める。本はその時興味を引くものであるが、毎回のように手に取るのはドナルド・キーン先生の著書である。名立たる文豪とのやりとりなど、その場で障子の陰からこっそり見ているようなくすぐったい気分にさせてくださる。 一度に借りられるのは10冊。毎回だいたい夫6冊、私は4冊。そのうち1冊は就寝前に読む洋書を混ぜ込んでいる。2週間借りていられるが、読んでは返しを繰り返す。 持ち帰りたい本を決めてデスクへ。2週間後の返却を約束して外に出ると、すっかり日が沈んでいる。必ず思う。図書館からの帰り道はコローの美術館にでもいるようだ。子供の頃に見た “Goatherds on the Borromean Islands” を思い出す。ああ、きれいだな、寒くなるまでしばらくここに居たいわ。 ガーガー グワッグワッ グェッグェ~ 静寂をぶち壊し私の感傷を木端微塵にする衝撃。 人も去り体感温度が10℃ほども落ちた蒼い池で「さあ夕食だみんな集まれ」と楽しげに鳴くダックの群れが水面を揺らす。「彼らはどこで寝るのかね」と小学生も考えないような疑問を題材に車に乗るまで話す。「さすがに水も冷たいだろうし、まあ草むらだね」という何とも安直且つ稚拙な結論に。けれどその道すがらがとても楽しい。 帰路、必ず旭川の象徴「北海道遺産」旭橋をくぐっていく。黄昏時の空に浮かぶ旭橋の灯りをとても気に入っている。時折感じる時代を遡りゆくようなアトモスフィアは旭川独特であり、拙著にも書くほどこの橋が、そして我が町旭川が好きである。 我が町。ニューヨークが私の町だ、故郷だと思ってきたがそれは成熟できないでいた私の意固地であった。故郷とは、日々の中から生まれる町への愛なのだとここにいて思う。 最近借りている書物の中で猛烈に気に入った一冊が、国木田独歩著「空知川の岸辺」の足跡を辿る「国木田独歩 空知川の岸辺で」(岩井洋著・道新選書)である。 恋狂いだ。愛した女との新しい門出の為に縁も所縁もない北海道の地へ土地の購入にやってくるのだ。情熱的な人は好きであるがこういった男と恋をすることはないなと笑いながら、滞在中の人との関わりや独歩の心境の変化、それだけでなく明治時代の北海道の様子や厳しい自然までも美しい文章で綴ってくれていることにひたすら喜びを感じた。 この本、返却したくなくてしばらく借り続けていた。しかたがないからとりあえずノートをとり、おそらくは後日購入することになるであろう。そのくらい楽しい本であった。 図書館への道は、名著と私を結ぶ赤い糸。図書館への道は、旭川が私にくれる心嬉しい30分。そしてまた、人生のジグソーパズルを完成へと向け毎日毎日探し見て、迷いながら合わせていくうちに見つけた、幸せの1ピースである。 昨日、図書館前のクローバー畑にかわいい花が咲いているのを夫が見つけた。嬉しい半面、眠りに就けずにいる花たちにはそろそろ疲れも溜まってきているだろうと申し訳なくなった。人はどこまで自然の邪魔をして生きてゆかねばならぬのだろう。
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白いコートの妖精たち
私の日常にはもともと決まった休みなどないのであるが、今年は思いの外慌ただしく、ソリチュード愛好家組合主宰者が「わたしの時間」とすっかり縁遠くなっていた。まったくもって不甲斐ない事態、珍しくもなくなった「ケイティ死亡説再浮上」なる件名の友からのメイル。北海道の屋根、旭岳の初冠雪を見逃すことのなかったことだけが救いであった。 今年の初冠雪は9月20日。 去年の9月下旬の旭岳はもっとずっと雪が多く純白と言えるほどであったから、今年は温かいのだろう。地球温暖化の影響であろうか北海道の気候も変わりつつあるようで、今では「梅雨のない北海道」とは言えなくなってきているのだそうである。 夏の終わり、かろうじてiPhoneに収めていた十勝の森。 北海道に来てからいつもカメラを傍らに置いていて、気がつくとシャッターを切るようにしていた。毎月1000枚を超える写真には季節の移り変わりや小旅行の思い出が詰まっているのであるが、ここ半年はめっきりその数も減り、夏からこちらは20枚も残していなかった。 「ものづくりな頭」がお留守になっていたことを猛省しながら先日ふと仕事部屋から窓の外を見ると、おや、これは。大雪山系が微かに雪を纏っている。無性に嬉しく、心が安らぐ。 外に出よう。旭岳の雪を見たらそんな気持ちになって、旭川の自宅から隣町東川へと車を走らせ、季節が変わるたびに出かけるキトウシ森林公園へと向かった。 キトウシ森林公園から望む東川町。手前はエゾヤマザクラの紅葉。 今にも降り出しそうな空の下はストールを羽織っても肌寒かった。格子模様の美しい田園風景は稲の刈り入れも終わり、田畑は今、半年間の長い眠りに就こうとしている。 「あ、雪虫だ!」 何ですって!それを追ってか森の奥へと走っていく子供たちの叫び声。「雪虫」の言葉に高揚感急上昇の中年夫婦。「つかまえたー!」勝利の雄叫びを挙げる5,6歳の男児。自分たちのすぐ目の前で大量に飛んでいるのに気付かず子供たちが追いかけるのを目で追い、先を越されたとライバル意識むき出しの中年夫婦。「あ、あれだ!」夫はキャップを虫捕り網代わりにあっちだこっちだと彼らに負けじと走りまわる。 雪虫はコットンのような白い毛と羽を持つアブラムシの仲間で、5mmより小さいくらいのかわいらしい虫である。その命はとても儚くて、寿命は一週間、熱に弱いため人の手のひらに載っても死んでしまうことがあるのだという。本当に、雪のよう。「えええ、アブラムシ~」と友人の殆どが言うが、「いいや、冬の訪れを告げる晩秋のマスコットなのだ」と私は雪虫の名誉を守るべく高唱する。 5分後、「やった!」 イイトシをして涙ぐましいものだと同情してくれたのだろう、慈悲深い一匹の雪虫がキャップの内側に留まってくれた。雪を連れてくる、純白のオーバーコートを着た冬の妖精。 まだ元気かな、キャップに留まった雪虫/ snow fairy 雪虫は北海道やロシアのみに生息する虫かと思っていたが、トウキョウ・シティボーイの夫は子供の頃冬に見かけたのだそうである。ハマギャルの私は見たことがなく、雪虫の群れが螺旋を描いて飛んでいるのを「北海道の雪は特別な性質を持っている」と一瞬本気で思ったほどにその様子は神秘的だ。 他地域では綿虫や雪ん子、京都では「白子屋お駒はん」と呼ばれているのだそうだ。京都らしい愛らしい名前。私も呼びたいが、私が言ってみてもどうもはんなりとはならないのが分かっているのでできることなら京都出身の人に言って聞かせてもらいたい。きっとやんわりとした良い響きであろう。 旭川市出身の小説家・井上靖の「しろばんば」、これも雪虫の愛称であるが、残念ながら「しろばんば」の舞台は旭川ではなく何と伊豆である。となれば加えて残念なことに、雪虫は東京よりさらに温かい地方でも生息していることになり、夢の「雪虫は北海道の妖精」説は私の拙い妄想に終わる。 10月10日忠別ダムから見た旭岳。雪を、ほんの少し。 我が家から約1時間、旭岳の麓、忠別ダム。ここから望む旭岳はダム湖にリフレクションを映しとても美しく、この辺りの絶景スポットのひとつであると私は思っているが、久し振りの絶景スポットに興奮が過ぎてダム湖を撮り忘れてしまった。 そしてここでも多くの雪虫が楽しそうに舞っていた。来る、雪が来る。一週間後か、二週間後かと胸が躍る。 そうして10日、11日と連日現れた雪虫たちは翌々日、街より先に大雪山に雪を降らせた。下の画像が13日午後4時頃我が家のバルコニーで撮影した旭岳である。午前中は曇っていたがお昼頃から雲が切れ始め、夕方には美しい姿を見せてくれた。 自宅バルコニーから、10月13日午後の大雪山系・旭岳。 この時季の山はとても良い。新雪を眺めながら同時に紅葉も楽しめる。今年は先月の胆振東部地震が影響して観光が随分と落ち込んでいるが、それでも旭岳への一本道には多くの車が走っており、ところどころ外国からの観光客が旭岳を背に記念撮影をしているのを見ながら胸が温かくなった。観光地・旭川に暮らせばこれは日常の光景であるも、この日はあらためて、地震の恐怖にも敬遠せずこの地を訪れてくれた人たちへの感謝と、災害に負けない北海道の強さへの安堵を胸に抱いた。 今年も雪虫がやってきた。旭岳に雪を届け、街はいつになるだろう。秒読み。私はそうだな、次の木曜日と予想しよう。
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Moments 27:海の青を守る積丹菩薩~Pray for the Blue, Buddha of Compassion
自宅のある旭川は北海道内でも夏の暑さが厳しいことで知られるが、今年の猛暑は残酷とも言え、これで道内のクーラー普及率が上がってしまうかと思うと涼やかな自然風が自慢の北海道にも温暖化の悪影響が広がることは必至、心配でならない。 「地球温暖化は作り話だ」また昨年厳しい寒波に見舞われた自国に対し「我が国にもほんの少し地球温暖化が必要だ」などと平然とツイートしてのけるアノ方の言葉をよりにもよってこんな時に思い出してはカッカカッカと勝手に暑さを助長する愚かな我が身が情けない。 ならば気分だけでも爽やかな夏をと出かけたドライブも異常気象に完敗、どう頑張ってもクーラーは必要であり、ゆえに車内は涼しいには涼しい、けれど強力な日光が肌にチリチリと射し込み「どこかでおいしいシーフードでも」とか言ってたくせにすっかり食欲も落ちてアイスバーばかりペロペロ舐めている始末であった。 積丹町から美しい積丹ブルーを眺めながら小樽・札幌方面へと向かう途中、巨大なこの岩に出会う。実際に名称を持つのかは分からないが、柔らかい鼻やあごのラインと穏やかな風貌から私は「積丹菩薩」と呼んでおり、彼女の前を通り過ぎる時には必ず声を掛けている。 「こんにちは、よろしくお願いいたします」 彼女は積丹の美しい海を望み、背後にちっぽけな私の声を感じながら何を思っているのだろう。平和な世、美しい地球の存続を念じてくれているようには見えまいか。 だからついお願いしてしまう「よろしくお願いいたします、明日も、10年後も100年後もこの海が青く、ここに暮らす人たちが夏を楽しんでいられますよう守ってあげてください」。私は本当に微力だから、つい。 「ならばまずはあなたも日々の暮らしに気を配りなさい」と積丹菩薩に窘められそうで気が引けるが、菩薩を通り過ぎてからも、私の左に広がる青い海と北海道の短い夏がいつまでも変わらぬよう、クーラーを切って窓を開け、手のひらいっぱいに暖かな海風を受けて祈った。 ◆後日談: 私の名付けた「積丹菩薩」実は「弁天岩」と呼ばれているのだそう。そうか、弁天様か。でもなあ、菩薩の方が、イメージに合うんじゃないかなあ。
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雨音を聴く水曜午後3時
Music: Jeux d’eau – Ravel 冷たい雨の水曜日。晴れていればスタルヒン球場に高校野球の予選でも見に行こうと張り切っていたのに中止の発表。しかたがないから町の小さなソリチュードでも探しに出ようと支度をした。 2時間走って辿り着いたのは空港近くのアイスクリーム・パーラー。私たちとすれ違いに2色のアイスクリームを手に車に戻るパリッとグレーのスーツを着こなした男性。ふと夏のマンハッタンを歩くビジネスマンを思い出す。 新鮮な雨水を受けてすくすくと育つぶどうの葉の喜ぶ様子が手に取るように分かる。秋にはこのぶどう棚いっぱいにプヨンと弾力のある甘酸っぱい実をつけるのだろう。 道民は雨が降ろうが雪が舞おうが老若男女アイスクリームを食べるトライブなのである。例え5年選手でもね。エアリーもコクの深い上質なアイスクリームに午後の気だるさが吹き飛ぶ。 今日のフレイバー: Mocha + Strawberry 店には店主の女性と私たち夫婦のみで、店先の水たまりに雨粒が落ちる音が聞こえる。 ポロン、ポロン、ポロン、トゥン。最後のトゥンは、高く響く。 淀みのない澄んだ雨の音楽はリズムよく、休むことなく続く。それはピアノのような、あるいはグロッケンシュピールの鍵盤の上でマレットがはじけるような、軽快な音。 6月の雨を好きだと言う人は少ないが、6月の緑は一年で一番美しい。秋色の葉も、憧れの眼差しで生き生きと季節を満喫する豊かな緑を眺めているよう。 「どんな植物も、6月だけは緑でないと」かわいい愚痴が聞こえてくる。 夏を待てないパティオのチェアは少し寂しげにベンチに向かって恨みごとを言うと、ベンチは涼しげに微笑んでチェアを宥めるに違いない。 「もう7月になろうってのに、ああもう冷たい。体が冷えるわ、ねえ」 「鉄の椅子になったことも北海道に送られたことも、すべて運命、受け入れることよ」 ◆ When it rains in Japan, they often make the hanging dolls with papers or fabrics called “Teru-Teru Bozu” meaning “the boys that bring the sunshine” as a kind of good-luck charm…
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GOD: Kamehameha Day, 1988
The vanquisher of life is the one who has more good old days in his heart at the end of the road. – SLU Song: One More Try – George Michael GOD – Good Old Days. 古き良き時代は国や町の歴史に留まらず、私たちの人生にも必ずあるものだ。 古い写真をニューヨークから持ってきており、折に触れデスクに広げてみては思い出の時を呼び戻す。遠い昔に想いを馳せる時間は本当に楽しいもの、ありがたいもの。 6月11日は「太平洋のナポレオン」と謳われたというカメハメハ大王を讃えるハワイアン・ホリデイ、Kamehameha Dayである。ハワイ各地パレードなどの催しで賑やかな一日となり公共機関や学校も休みとなる。 けれど思えば私はこの日ワイキキにいた試しがなく、パレードを見た記憶もひとつふたつ。しかも今でも忘れないが、この前日に友人がさらさらブロンドのフランス人男子にこっぴどく失恋し、彼女の心の傷を癒すべくセンチメンタル・小ジャーニーに出かけたのだから、カメハメハ大王には申し訳ないが、お祝いムードは微小であったと言える。 車2台で友人5人と私はワイキキを抜け、ダイアモンドヘッド側から島を廻った。昨日の今日で失恋したエリスはゆったりと海を眺めることもせず、私のどこが不満なのかと暴言を吐いては泣き、泣いては歌い、車窓の外へ向かってまたわめき。 カーレディオから、ちょうどこの時どのラジオステーションを聴いてもヒットチャート1位を独占していた我らが George Michael の(彼については思い出話がいくつもあり、いつかお話させていただくこともあるかと思うが)よりにもよって “One More Try” がかかりまくっており、私たちはこの歌を耳にするたび涙の大合唱でエメラルドの太平洋をすっ飛ばしていった。 青い空も流れる雲も、そして咲き誇る南国の花たちも、この日のこの瞬間にしか見せない顔を持っていた。当時は何気なく見上げその気もなくシャッターを切ったこんな風景が、30年を経た今再びまったく同じ色で同じ香りで頭上に蘇り、あの頃の私を連れ戻してくれるタイムマシンになっている。 私たちがその存在を認められる唯一のタイムマシンとは、アインシュタインの相対性理論なんかよりもっと身近な「写真」を言うのではなかろうか。 裏オアフの海はサーフィンのメッカでもあるが、私の目にはポルトガルの「サウダーデ」にも似た涙色のエモーションが漂っているなとしばしば思う。何だろう、時に置き去りにされた寂しさや虚しさというような。…
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Etymology for Two~二人の語源香る美瑛・アスペルジュの皿
Song: You Taught My Heart to Sing – Cheryl Bentyne 良いお天気の暖かな、結婚記念日にありがたい4月のとある木曜日。単身赴任で夫が普段家にいないためゆっくり計画を立てることもできないまま、酒の苦手な夫婦は急遽せめておいしいランチでもと午後1時の予約をとってお昼過ぎ、美瑛へ向かった。 美瑛町・アスペルジュ(Asperges)は、多くのメディアで取り上げられミシュランガイド北海道2012年にひとつ星をも獲得したカジュアルフレンチで、隣接する美瑛選果を訪れるたび外から覗いてみては賑わっている様子に「次は必ず」とその場を離れていたのであるが、ようやく機会が巡ってきた。 ガラスの扉越しに見える白い店内はこのあと目の前に運ばれてくるであろう色鮮やかな料理の数々と楽しいひとときを予感させた。野菜が、美味しいはず。 ◆ 「結婚生活、どう?」と独身の友人たちに尋ねられるたびその時のムードで思いつくことを話していたものの、その答えは実に適当であった。そう簡単に表現できるものでもないし。けれど不思議と二十余年にわたる私たちという関係の語源になるような言葉が、この日出会った絵画のように美しいひと皿ひと皿の上に漂うようで香るようで、次々と浮かぶのだった。 人参のムース Infatuation ー 心酔 アミューズブーシュはにんじんのムース。最初のひと品は本の表紙だ。タイトルと装丁によって与えられる第一印象。恋の始まりに似た、恥じらいを含んだような柔らかさと、ふんわりとした甘さに夢中になる。美瑛の森に遊ぶキューピッドの羽さながらの軽やかさも記念日のランチにふさわしい。 美瑛の畑 ー 20種類の野菜を使った取り合わせ Rapture ー 歓喜 「混ぜてお召し上がりください」そう勧めてくださった彩り鮮やかなサラダは花盛りを迎えた7月の美瑛を思わせる。混ぜてしまうのが躊躇われ、散りばめられた何種類ものソースとともに少しずつ食べ比べながら、人が感じる最もシンプルな、けれど胸躍らせる「美味しい」という魔法にかかり、また意外なボリュームにも驚いたのだった。 越冬じゃがいものピューレ “淡雪” Labyrinth ー 迷宮 結婚生活はまさに迷宮、一度その扉を開いて足を踏み入れたら幸せと同時に戸惑いや不安もついてくる。けれど恋から始まった二人の人生、立ち止まるわけには行かぬ。そうして時折分かれ道を前に逡巡しながらも一歩ずつ奥へと進んでいくにつれ分かってくる、優しさ、平穏、そして二人でいることの心地良さ。 淡雪はほんのりポタージュのお味で、島のように中央に顔を見せているマッシュポテトの滑らかな口当たりと温かさに心身の凝りもほぐれる。ああ、美味しい。飾られた山わさび(ホースラディッシュ)は北海道らしい遊び心を感じた。 新玉ねぎブレゼ Nature ー 本質 シンプルな玉ねぎの煮込みは母の言葉のように優しく胸に沁み込んでいく。 毎日の暮らしを共に重ねていきながら、夫婦は互いの善きも悪しきも受け入れていくようになる(私には悪しきエゴやらアクやらがゴマンとあるが、ひいき目なのか夫にはさして見当たらないのが哀しき現実)。10年後、20年後、やがて見えてくる相手の心の一番奥底で輝いている魅力が、夫婦という間柄だからこそ見つけることのできるその人の本質と言えはしまいか。 夫と私の間にはしみじみという雰囲気が漂わないが、玉ねぎのレイヤーが小さな日常を重ねていくような日めくりカレンダーにも似て、穏やかな日々に感謝したくなった。 私たちはこの層の、今どの辺りだろう。 北海道産牛頬肉の赤ワイン煮込み Maturation ー 熟成 「深み」という言葉が、年々好きになる。 夫と私のような成長の遅い夫婦にはなかなかしっくりこないこの言葉ではあるが、そういえば学生時代から今日までの二人の時間も会話もシルエットも、徐々に丸みを帯びてきたような気がしたり、しなかったり。 フォークを軽く当てただけでほろりと崩れるワイン煮込み、まさに「深み」という言葉がよく似合う。繊細な頬肉と香り高く艶やかなワインソースは五感を酔わせる官能的な料理だ。しなやかな夫のカトラリー使いにも惚れ惚れする。 美瑛産豚ロースのグリエ It is not…
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Moments 26: Linger
There must be something strangely sacred in salt. It is in our tears and in the sea. – Kahlil Gibran 4月の海にはまだ冬が漂っている。 北へ向かうのを躊躇っているかのように留まる。 送り出そうか、引き留めようか。 心も波にまかせて寄せては引き、もじもじする。 雪の残る浜辺に立つと、潮風が時折遠い昔の思い出を連れてきて厄介だ。 何も考えずに眺めていたいのに、面倒なことをしてくれるな。近寄ってくれるな。 すると仕方なさそうに潮風は、耳元でギブランの言葉を囁いてみせる。 すべては塩のせい。清らかな潮風の神秘が心を揺さぶるだけだと。 そうか、思いを残したものたちとの決別は潮風にまかせるのがいい。 身勝手な私は都合のいい答えを得て 心を痛めず思い出たちを波に乗せたら4月の海に背を向ける。
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Hopperを追い求める旅
私の家はニューヨークにあるのでぎりぎりニューイングランド地方には属さないのであるが、隣州コネチカット以東のロードアイランドやマサチューセッツは週末のドライブコースで、目的地は決めず目に飛び込んでくる大自然や美しい街並みを眺めるためだけに車を走らせる。 生涯ニューイングランドを描き続けたEdward Hopper をマンハッタンのWhitney Museum で初めて間近に見たのはもう30年も前ではないだろうか。全米有数のリゾート地という名刺とは別に、故郷のもの哀しい顔を見つめたその視線が数ある風景画に美しくせつなく映し出されており、以来とても好きなアーティストになった。 長い時を経てやってきた北海道で、ホッパーに出会うことが多いことに気がついた。以前ブログでもご紹介したが(“Sweet Illusion of Hopper’s New England”)山間、海沿いを走りながら現れる風景が、まるでホッパーの作品がキャンバスからはみ出しているように見え、その瞬間に遭遇するなりとても嬉しくなる。 これは日本海側の沿岸道路で私の好きなドライブラインであるが、人の気持ちにはそっぽを向きながらも寂しげな空気を漂わせている。ホッパーだなあと思う。ちなみにこれらの写真、撮ったままで加工などはまったくしていない。 あまり真面目に見ちゃだめなのよ、「ああ何となくそんなような」くらいの気持ちでごらんいただけると私は野望を果たせたことになる。 明日はOFF. どこへ行こうか、雪解けの進む北海道を走り抜ける。 ホッパーの絵画を追い求める旅は始まったばかり。またひとつ、北海道の新しい暮らし方とKHC(Kate the Hopper Chaser)、ただ勝手に楽しいだけの肩書を手に入れた。
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Moments 25: 視界を埋め尽くす氷の群れ
過ぎゆく季節を惜しみながら、本日は流氷のお話。 2月21日。 2月が来ると毎日のように「流氷速報」を確認し、こちらのスケジュールと流氷の接岸がぴたりと合った日にはカメラを提げて車に乗り込む。 北海道の流氷は、オホーツク海のロシアに近い北岸で海水が凍りつき結合しながら南下してくるのであるが、いったん接岸してもその日の風の強さや向きによって陸から離れるため、一般人の観測は行き当たりばったりなところがある。 この日東へ向かうこと3時間、海岸線に出ると海が一面、凍っていた。厳密には流氷が密集して凍って見えたというものだが、きっと誰の目にも凍結した海。前日に接岸していたことを確認した上で当日のドライブを決めるも、一度ミスを経験していたためあまり期待せずに行こうと夫と話した。ところがありがたいまでの裏切り、これほど見事な流氷は初めてであった。 目の前の世界は蒼白く、水平線にだけ日が差して天と地を分けているように輝いていた。 視界を埋め尽くす氷の群れは、ロシアと日本を繋いでいるかのように思われた。ロシアからキタキツネが流氷に乗ってやってくるというし、こう凍っていては巡視船も動けまい。ここからぐんぐん歩いて行ったら国後島に着いちゃうんじゃないかしら、なあんてことを考えたりもした。 世界は不自然や不幸に満ちている。どれも元は人の心が動かし生み出すものだ。何と面倒なのだろうと思ったらひどく疲れたような気分になった。自然は感情など持たず私たちに島と島とを繋げて見せるのに。 つまらないことを考えながら時の止まったような、波音のない冬の海を凍てつく北風に耐えながらいつまでも眺めていた。 ◆ さて3月も中旬、東京はあさってが桜の開花予想日になっている。北海道は明日も雪の予報だが、流氷はいつまで見られることだろう。