Category: Quotes
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Sky Palette 2018
The year has passed so hectically and fast. Reaching its goal, the two best things to be grateful for were the warmth of time for good reading and rendezvous with the sky of the great Hokkaido land. The reason why we feel purified looking up at the morning sky and soothed standing before the ocean…
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青春時代の入口で~西高野球部闘魂注入ダンサーズ
Everybody’s youth is a dream, a form of chemical madness. – F. Scott Fitzgerald 仕事にかまけて短い夏に背を向けていたら、いつしか旭川には涼やかな風が吹き、9月。辺りを見回せば、ススキやコスモスが揺れている。 無類の旅好きがこの夏は極小旅行にも出かけずいじけ気味であるのだが、日本に来てから夏の楽しみになった高校野球がひとつ、私にレモンスカッシュな思い出をつくってくれた。 遡ること6月28日。前日雨で順延になった高校野球旭川地区予選の試合がどうやら開催される模様。時計を見るとあと20分で試合開始とある。大急ぎでその日は休日の夫を起こして支度をし、ブレクファストに用意しておいたアップルデニッシュを持ってスタルヒン球場へと急いだ。 スタルヒン球場は本当は旭川市民球場と言うのだそうだが、ロシア帝国に生まれ旭川で育った伝説の投手、ヴィクトル・スタルヒン(1916-1957)の功績を称え「スタルヒン球場」と名付けられたそうである。ロシア革命、第二次世界大戦と激動の時代に苦しめられた彼の人生に触れ、あらためて戦争への憤りと平和でなくてはならない日本が変わっていきそうな懸念に胸が痛む。 さて、記憶に残る最後の野球観戦は確か Yankee Stadium. しかも現在のスタジアムではなくBabe Ruth や今も我等夫婦が愛して止まない “Donnie Baseball” Don Mattingly のホームグラウンド、旧球場であった。Hideki Matsui も大活躍していた頃だから随分前のことになる。 学生時代はほぼ毎週末ヤンキースを観に行っていた。当時はそれを誇らしく思えるほどの弱小チームで、現在とはまったく違った、昔ながらのワイルドなヤンキースだった。あのムードがなくなっていくにつれ、私はMLBを見なくなったように思う。 ヤンキースに纏わるエピソードは尽きることがないが、球場近くの駐車場に車を止め外に出ると、ブラスバンドの演奏と応援団の声が高らかに響いていた。 「初めてのスタルヒン球場」の感動もそこそこに球場に入ると、地区大会だからか午前中の試合だったからか観客数はそれほど多くもなく、私たちはバックネット裏中段辺りに腰を下ろし、アップルデニッシュを食べながら観戦し始めた。 楽しい。もう楽しい。その場に座っているだけなのに、初々しい熱気が球場いっぱいに広がって見ている私たちにも伝わってくるのだ。 強豪旭川実業高校対旭川西高校の戦いは、1回の裏西高校の攻撃中であった。北海道の高校野球を知らなくとも地元対決というのはそれだけで見応えがあった。が、ひとつ問題が。どうせならどちらかひとチームを応援したいスポーツ観戦、なのにどちらを応援してよいか分からない。両校の選手たちが一生懸命プレイしているのにどちらか一方を選ぶだなんて、私にはできない。強い方?弱い方?うちに近い方?いくら何でもそれは違うだろう。そこで試合を観戦しながら心が傾くのを待つことにした。 どこかのサイトに北北海道は旭川実業が優勝候補の一校であると書かれてあって、なるほど引き締まったプレイにまとまりのある応援団。強豪と言われるのにただただ肯く。トランペット・ソロもなかなかの腕前。盛り上げるなあと感心。 すると突然、びびびと私の好奇心アンテナが10時の方向へと伸びる。左前方、西高校の野球部員らしき男の子が5人、半狂乱(でもないか)でブラスバンドの演奏に合わせ舞っているのである。ダンスを、しているのだ。 今はどこの学校もこうなの?確かに野球部員だ、ダンス部員ではなかろう。曲によってダンス、そう、闘魂注入ダンスも違うフォーメーションで実にかっこよく、実におもしろい。これが野球場でなければパフォーマンスだと思ってしまうくらいだ。チアリングも変わったものだなあと、時代比較、日米比較しながら実感する。本人たちにはおそらく「真剣なんだ、おもしろいなどと言ってくれるな」と言いたいところであろうが申し訳ない、見ているこっちは楽しくてたまらない。 にじりにじりと3塁側に近寄って行く怪しい中年夫婦。 そして気が付けばこんなところに。時折飛んでくるファウルボールに怯えつつも西高野球部闘魂注入ダンサーズ「ウェスト・ハイ・マイティ・ロケッツ(West High Mighty Rockets)」(勝手に命名)は休むことなく踊り続ける。真剣な、というより無表情でマーチングバンドに導かれるまま飛び跳ねる。ヒットが出ると大歓声。点が入るとまた飛び跳ねる。青春は、跳躍だ。 彼等5人とブラスバンド、チアリーダーズ、声援に駆け付けた生徒たちの声と動きが一つになってフィールドに注がれていた。甲子園の大舞台でなく、地区大会だからこそ強くそれを感じられた。マイティ・ロケッツは休むことなく、次々と繰り出される楽曲に合わせダンスを送り届ける。選手たちを、また応援席にいる全員を奮い立たせるように。 試合は惜しくも10-5で敗退となってしまったが、彼等は試合を大いに撹乱し、私たち見ている人の心を震わせた。勝った旭川実業の攻守も、応援も素晴らしかった。 選手たちが3塁側の応援席へと駆け付け美しい一列をつくると、応援団も前方へ駆け寄り大きな拍手を送った。ここにいる西高生全員が猛烈に感動しこの瞬間を心に刻み込んでいるのだろうと思ったら、遠い昔の高校時代が脳裏に浮かんで私の胸も熱くなった。 西高野球部の今年の夏は終わったが、去って行く背中を見送りながら、あの子たちは今、青春の入口に立っているんだなとふと思った。青春時代は人生のうちで最も楽しくて苦しくて、甘くて切ない季節。初めて味わう感情をいくつも積み重ねていく時間。熱い思いを抱いて足を踏み入れて行く彼等の足下は明るい光に照らされ、頭上には虹のアーチが歓迎していることだろう。何十年も経ってから、夢のような時代であったと振り返ってもらいたい。 そういえばこの日のスタルヒン、涼しい顔をしているようで実は笑いをかみ殺しているのを私は知っている。 両校の応援の中に、こんなふうに叫ぶのがあったのだ。 「オマエハイイオトコ ○○○」…
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今なお熱き生命の痕跡~鹿追町・神田日勝記念美術館
If passion drives you, let reason hold the reins. – Benjamin Franklin song: A Mi Manera (Comme d’habitude) – Gipsy Kings 思うところあってPCからしばらく離れてみようと、仕事をほっぽらかして時折読書をしにふらりと出かける別宅で2週間を過ごした。その家の近所には気に入った古本屋があり、行くと必ず108円の本ばかり10冊ほど買い込んで読み漁る。古本を好んで買うことに文字を扱う仕事をする者として気が引けたりもするが、古本屋の豊富な蔵書にいつも感激する。 そんな中ある朝早く、小説の文字に目が霞み時間を持て余している私のために夫が芸術散歩を提案してくれた。 「神田日勝を見に行ってみない?」 神田日勝(かんだにっしょう) ー 4,5年も前だろうか、Eテレ(どうもこの名称に馴染めない。「教育テレビ」が好き。何でもデジタル仕様にすればいいってもんじゃないぞ)の「日曜美術館」ではなかったかと思うが特集番組を見る機会に恵まれた。北海道に生きた画家ということで興味津々で45分間一歩も動かず見ていた。テーマとされた絶筆で未完の「馬」に衝撃を受け、同時に今回展覧会のパンフレットになっている「室内風景」が心に留まって忘れられず、夫の誘いに二つ返事で出かける支度を始めた。 神田日勝が家族とともに戦災を逃れ8歳の時にやってきた十勝地方・鹿追町(しかおいちょう)は、今は爽やかな風の通る整ったきれいな町で、芝生の庭がみずみずしいコテージレストランで優しいお味のランチを摂った後、美術館へ向かうことにした。 館内は小さいがスタイリッシュな造りで程良い重厚感を持ち、天井が高く温かい光が絵画を包んでいた。その空間に私はアメリカ横断の途中どこかで立ち寄った小さな教会を思い出した。そうした神聖な空気の宿る室内であった。 入るとすぐ右から神田日勝の画家としてのヒストリーを巡る旅が始まる。最初の3作は赤墨色や柿渋色が古い写真を思わせる色彩で描かれていたが、センチメンタルに描こうとしたわけではないことは、力強い彼の画風を知るにつれ理解ができた。 ー 農民である。画家である。 農民画家と言われることを嫌ったと言われる神田日勝の心情を、苦しい労働を強いられていたであろうこの絵の朴訥とした男たちの、束の間の安らぎに体を沈める姿を見ながら想像してみた。戦火を逃れ開拓民として疎開してきた人々が新天地・十勝での苦労に打ち勝てず次々と去る中で、家族の明日のためひたすらに働き、何より好きな絵を描きながら彼は胸に抱いていたのは、厳しい環境を耐え抜いた開拓農家の跡取りとしての誇りと独学で自らの画風を確立した芸術家としての誇り。前者は彼の血肉に漲るものであり、後者は高度成長期のせわしい外界を寄せ付けない広く深く屈強なまでのインナーセルフに輝くものではなかったか。 「飯場の風景」1963年 作品写真:神田日勝記念美術館 “Landscape of the Camp” 1963, KANDA Nissho 横たわって眠る男の穏やかな寝息と左に目を閉じて瞑想する男の鼓動、冷え切った二人の肉体を温めるストーブのパチパチという小さな音が聞こえてくるようで、この絵の前を通り過ぎる時、二人を起こしてはいかんとつい音を立てないようにそうっと爪先で歩いてしまったりするのは私だけではないだろう。 神田日勝が描く男たちは、彼の描く馬と似たところがある。手足が大きく逞しい。彼が苦楽を共にした農耕馬もまたしっかりとした足を持つ。大地に足をつけて真摯に生きるものの姿は彼の生と芸術に対する情熱を投影したものと思われた。 また、この「飯場の風景」の全体像を見たとき、学生時代に学んだジョルジュ・ブラックの “Violin and Candlestick”という作品が頭に浮かんだ。背景のコンポジションや色使い、黒く太いシルエットラインが似ているように一瞬感じられたのだった。 “Violin and…
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Etymology for Two~二人の語源香る美瑛・アスペルジュの皿
Song: You Taught My Heart to Sing – Cheryl Bentyne 良いお天気の暖かな、結婚記念日にありがたい4月のとある木曜日。単身赴任で夫が普段家にいないためゆっくり計画を立てることもできないまま、酒の苦手な夫婦は急遽せめておいしいランチでもと午後1時の予約をとってお昼過ぎ、美瑛へ向かった。 美瑛町・アスペルジュ(Asperges)は、多くのメディアで取り上げられミシュランガイド北海道2012年にひとつ星をも獲得したカジュアルフレンチで、隣接する美瑛選果を訪れるたび外から覗いてみては賑わっている様子に「次は必ず」とその場を離れていたのであるが、ようやく機会が巡ってきた。 ガラスの扉越しに見える白い店内はこのあと目の前に運ばれてくるであろう色鮮やかな料理の数々と楽しいひとときを予感させた。野菜が、美味しいはず。 ◆ 「結婚生活、どう?」と独身の友人たちに尋ねられるたびその時のムードで思いつくことを話していたものの、その答えは実に適当であった。そう簡単に表現できるものでもないし。けれど不思議と二十余年にわたる私たちという関係の語源になるような言葉が、この日出会った絵画のように美しいひと皿ひと皿の上に漂うようで香るようで、次々と浮かぶのだった。 人参のムース Infatuation ー 心酔 アミューズブーシュはにんじんのムース。最初のひと品は本の表紙だ。タイトルと装丁によって与えられる第一印象。恋の始まりに似た、恥じらいを含んだような柔らかさと、ふんわりとした甘さに夢中になる。美瑛の森に遊ぶキューピッドの羽さながらの軽やかさも記念日のランチにふさわしい。 美瑛の畑 ー 20種類の野菜を使った取り合わせ Rapture ー 歓喜 「混ぜてお召し上がりください」そう勧めてくださった彩り鮮やかなサラダは花盛りを迎えた7月の美瑛を思わせる。混ぜてしまうのが躊躇われ、散りばめられた何種類ものソースとともに少しずつ食べ比べながら、人が感じる最もシンプルな、けれど胸躍らせる「美味しい」という魔法にかかり、また意外なボリュームにも驚いたのだった。 越冬じゃがいものピューレ “淡雪” Labyrinth ー 迷宮 結婚生活はまさに迷宮、一度その扉を開いて足を踏み入れたら幸せと同時に戸惑いや不安もついてくる。けれど恋から始まった二人の人生、立ち止まるわけには行かぬ。そうして時折分かれ道を前に逡巡しながらも一歩ずつ奥へと進んでいくにつれ分かってくる、優しさ、平穏、そして二人でいることの心地良さ。 淡雪はほんのりポタージュのお味で、島のように中央に顔を見せているマッシュポテトの滑らかな口当たりと温かさに心身の凝りもほぐれる。ああ、美味しい。飾られた山わさび(ホースラディッシュ)は北海道らしい遊び心を感じた。 新玉ねぎブレゼ Nature ー 本質 シンプルな玉ねぎの煮込みは母の言葉のように優しく胸に沁み込んでいく。 毎日の暮らしを共に重ねていきながら、夫婦は互いの善きも悪しきも受け入れていくようになる(私には悪しきエゴやらアクやらがゴマンとあるが、ひいき目なのか夫にはさして見当たらないのが哀しき現実)。10年後、20年後、やがて見えてくる相手の心の一番奥底で輝いている魅力が、夫婦という間柄だからこそ見つけることのできるその人の本質と言えはしまいか。 夫と私の間にはしみじみという雰囲気が漂わないが、玉ねぎのレイヤーが小さな日常を重ねていくような日めくりカレンダーにも似て、穏やかな日々に感謝したくなった。 私たちはこの層の、今どの辺りだろう。 北海道産牛頬肉の赤ワイン煮込み Maturation ー 熟成 「深み」という言葉が、年々好きになる。 夫と私のような成長の遅い夫婦にはなかなかしっくりこないこの言葉ではあるが、そういえば学生時代から今日までの二人の時間も会話もシルエットも、徐々に丸みを帯びてきたような気がしたり、しなかったり。 フォークを軽く当てただけでほろりと崩れるワイン煮込み、まさに「深み」という言葉がよく似合う。繊細な頬肉と香り高く艶やかなワインソースは五感を酔わせる官能的な料理だ。しなやかな夫のカトラリー使いにも惚れ惚れする。 美瑛産豚ロースのグリエ It is not…
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Moments 26: Linger
There must be something strangely sacred in salt. It is in our tears and in the sea. – Kahlil Gibran 4月の海にはまだ冬が漂っている。 北へ向かうのを躊躇っているかのように留まる。 送り出そうか、引き留めようか。 心も波にまかせて寄せては引き、もじもじする。 雪の残る浜辺に立つと、潮風が時折遠い昔の思い出を連れてきて厄介だ。 何も考えずに眺めていたいのに、面倒なことをしてくれるな。近寄ってくれるな。 すると仕方なさそうに潮風は、耳元でギブランの言葉を囁いてみせる。 すべては塩のせい。清らかな潮風の神秘が心を揺さぶるだけだと。 そうか、思いを残したものたちとの決別は潮風にまかせるのがいい。 身勝手な私は都合のいい答えを得て 心を痛めず思い出たちを波に乗せたら4月の海に背を向ける。
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#CountBlessingsMonday~月曜の朝のおまじない
Song: “Good Love” by Angela Johnson ft. Deni Hines Monday Blue という言葉があるが、私にはあまり縁がないようだ。月曜日云々というよりも朝がとても好きだからだと思うのであるが、先月患ったインフルエンザが思いの外重く回復にひと月を費やしてしまった為、2週間前に終える予定であった仕事が〆切当日の今日もぐずぐずと終わらないでいる始末で目が覚めるなり心は真っ青なのであった。 でも大丈夫。蒼白な月曜日をキランキランの一週間に変えるおまじないを私は持っている。 大学時代初期を私はハワイで過ごしたが、時が経つにつれて物足りなさに苦しむようになった。友達もたくさんいたしカレッジライフも楽しかったが、その中で何か自分自身に求めるものを放棄しているような気になっていたのだった。 変化が欲しい。そればかり考えながら、日曜の夜が来ると翌朝が重たく感じられた。 エルサという文学の教授と気が合って、時々キャンパス内のカフェで話し込むことがあった。ある金曜日の午後、私は彼女に今の自分をどうすべきか尋ねてみた。彼女の回答は、 「それはあなたにしか答えを導き出せない神さまからの出題。思いきり苦しむしかないわね」 そして、こう続けた。 「月曜日の朝はね、ブレクファストを食べながら自分がどんなに幸せか、それを数えてみるの。ちゃんと声に出して感謝するのよ。その一週間が輝くわよ」 次の月曜日、いつもより1時間早く起きてカリカリベーコンと目玉焼きのブレクファストを作った。とろりとした黄身にベーコンをディップして食べるのが好きなのだ。 席に着き、私はまずエルサとの出会いに感謝した。それから両親に、次に、私が休暇で実家に帰り再びホノルルに戻る前夜、こっそり私の好む曲を集めてCDを作り深夜に手渡してくれる心優しい弟に、私の人生を明るくしてくれている世界中から集まった楽しい友人たちに、遠く離れても日本で私を思ってくれる温かい友人たちに、愛読書を著してくれた作者にも。 本当だ、何て私の人生は恵まれているのだろう。感謝を言葉にすると、心がじわりと温かくなってふわりと軽くなって、身体に新鮮な空気がどんどん入ってくるような気分になった。以来私は己を戒め祈りを捧げる気持ちで #CountBlessingsMonday と名付け、朝食のテーブルで感謝を口にするようになった。 今朝は朝食のテーブルで、やっぱり真っ先にエルサに。それから彼のおかげで私の人生には恐れがない、永遠の大親友・夫に、愛して止まないニューヨークに、近付いてきた春に、それから最近知ったフローズンのパスタシリーズ。これがかなり気に入っていて夫が出張でいない忙しい夜はちゃちゃっとチンして食べているのであるが、これを生み出してくれた日清食品にも感謝しちゃうのだった。おかげでテンションを取り戻して仕事を終えることができ、この一週間も陽気に過ごせそうである。 日本は月曜日が終わってしまったが、ブルーな週明けを迎えた朝には是非試してみて。意外と効きます。