Category: Seasons
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ひとつ目の秋
“You’ve Got a Friend” by Carole King 優しくてもの哀しい秋が好き。そして秋はCarole Kingの季節だ。 道北は1年のうち半年近くが雪に眠る。ほか3つの季節はどれも短く、秋も街を駆け抜けるように深まっていくから私はそれを追うのに精いっぱい。 休日、散歩をしていると音もなく足元に落ちたナナカマドの実。少しくすんだ朱が短い秋を急いで伝えるように憂いを含んでいる。 昨日の午後、東南の窓から初雪に覆われた十勝岳が見えた。あと3週間もしないうちに街も白くなるだろう。明日はクロゼットの衣替えをしよう。 今秋初めてのパンプキンは、出荷できないものを農園で選ばせてもらった。 裏が少し傷ついているので手に入ったものであるが、形だけ見るとマンハッタンのdeliで$50の値がついていても抱えて持ち帰るに違いない。それほど気に入った。 ニューヨークか。私は北海道を愛して止まないが、秋が来ると無性に帰りたくなる。 毎年通りのカツラやブナが色づき始めたら、木の実でキャンドルリースを作る。 2017年は、この1年楽しみに乾燥させたツルウメモドキの枝。 10月、11月のコーヒーテーブルがこの小さなリースひとつで華やかに、rusticになる。ろうそくは、シナモン&クローヴ。毎晩仕事から帰ってくる夫に「うちの中が一番秋だな」と言わせるのも秘かなる目的のひとつ。 仕事に追われても、リースを作るひとときは忘れない。 夫が知り合いの農家さんでごちそうになった「坊っちゃんかぼちゃ」の簡単スウィーツは今や我が家の定番だ。この秋ひとつ目の坊っちゃんかぼちゃももちろん農家さん命名「農家のホットパンプキン」で味わった。大好きだったスウィートポテトも、今はこれに勝てない。 ナナカマド、パンプキンパッチ、キャンドルリース、坊っちゃんかぼちゃ。 これが私の、今年ひとつ目の秋。 ◆ The Easiest Way to Cook “Farmers’ Hot Pumpkin”: 1.坊っちゃんかぼちゃ(直径10cmほどのもの)を水にくぐらせ、ラップする。 2.500wのマイクロウェイブで8分間加熱する。 3.あつあつのうちに上部をカットして種を取り除く。 4.バター、メイプルシロップはたっぷりと。最後にシナモンパウダーで仕上げ。 バターとメープルシロップが基本だが、中にアイスクリームを1スクープぽこっと落としたりマスカルポーネチーズとココアパウダーでパンプキンティラミスにしても秋らしいデザートになる。 ステーキの付け合わせとしてもよく合い、ローストガーリックのクリームソースに絡めたマカロニを中に詰めるのはおもてなしの時。
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Mellow Yellow Hokkaidow~秋色北海道
“Hello My Friend” by America 短い夏が去っていった。 季節が変わったと教えてくれるのは山から流れてくる冷たい風と、街中を柔らかく包み込んで胸をきゅっとせつなくさせる、優しい黄色の世界だ。 カラーコード#FEF263・黄檗色(きはだいろ)。 東川町キトウシ森林公園のルックアウトから見る秋色風景は、稲の刈り入れを控えた今が一番美しい。車のボンネットに寝転がってしばらくじっと見ていると、太陽の角度が変わるにつれて下界を覆う黄色少しずつ変化していく。 現実であることを忘れてしまう、一瞬の錯覚が楽しい。 晩夏の北海道を彩った女郎花色のルドベキアもそろそろその役目を終え、次の季節へと命を繋ぐ。 家路を走る私たちを和ませるのは、山吹色の田んぼに差す午後4時の日差しの温かさ。 丘には金茶色のキバナコスモスが色鮮やかに咲き乱れ、秋の訪れを歓迎する。青空にも、雨の日にも似合うこの花が、私は今の季節一番好き。 太陽の恵みも繊細な承和色(そがいろ)の葉に守られて、今年も大きく育ちました。もうすぐ刈り入れ、私たちが白く小さな新しいいのちの粒に出会えるのももうすぐだろう。 柑子色(こうじいろ)のケイトウ、花言葉は「おしゃれ」「気取り屋」「色褪せぬ恋」。毛先に残った夏の欠片が風に飛ばされてシャボン玉と消えてしまっても、二人の恋は秋とともに深まっていく。 今日の旭岳は鶏冠石(けいかんせき)の黄。紅葉の見頃を迎えた山肌が傾いていく陽光に照らされて、青空に凛と聳える日中の姿とは違う、女神の微笑にも似たソフトな一面が恋しい気持ちを呼び覚ます。 ふと母の声が聞きたくなる。明日は電話をしてみよう。 夏季限定のこのドリンクもベンディングマシンから姿を消し、代わりにアップルティーがディスプレイされていた。 気まぐれな秋の空は刈り入れの終わった飴色の麦畑を憂鬱にさせる。 灰色の雲が広がり、雨が降り、虹が出て、また雨が降り、丘が眠りにつこうという頃、この道の向こうから冬の精・雪虫が7日後の初雪を告げにやってくる。 9月の夕陽ははちみつ色。ミルキーなオレンジをほんのり含み、柔らかに暮れていく。 澄んだ風がいい気持ち。肌寒くても少しの間ここに立っていよう、あの太陽が、地平線へ沈むまで。 “Nothing dies as beautifully as autumn.” – Ashlee Willis, A Wish Made of Glass
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夏の終わりのSky Palette
“I Wanna Thank You” by Maze ft. Frankie Beverly 雄大な自然に囲まれて暮らしていると、自然とカメラを空へ向けることが多くなる。 特に夏の終わりは人それぞれに特別な、思い出の詰まった季節。空もまた、この時にしか見られない色や形やエモーションを私たちに残してくれるから、その瞬間を見逃さないよう、今日も私は大空を見上げる。 どこまでも広がる真っ青な空にひとつふたつ、どっしりと重たい底辺のある雲を見つけたら、そろそろぱらっとひと雨来そう。この雲が降らせる雨は20分後、美瑛に残った夏の暑さをきれいに消し去ってしまった。 富良野・十勝連峰。山肌を撫でるように流れ込む滝雲は、そこだけ見ると恐ろしさも感じるが淡い水色の空が「心配ないよ」と言っているかのように雲を穏やかに見せる。 美瑛・富良野で遊んだ帰り道、車を走らせる夫がサイドミラーをちらりと見て言う。 「後ろ、見てごらん、空がすごい色」 ほんとうだ。これまでに見たことのないオレンジとグレーのコントラスト。楽しかった一日のフィナーレにふさわしい、美しい丘の夕陽。 海を見に行った帰り、海岸線を走っていると「おや?太陽が3つ」。 帰宅してすぐに写真を見てみると、なるほどこういうことだったか。空もにくいことをするものだ、何でもない一日をこんなふうに「忘れられない日」にしてくれる。 嵐が去った後の空は時折凄まじい余韻を残す。驚異なのか怒りなのか。たったひとつ私に分かるのは、人がどんなに優れていても、この空をつくることはできないということ。 そしてこれがもし空の怒りなのだとしたら、私たちは毎日空を見上げて尋ねるべきだ。 明日もまた、変わらないこの空に出会えますか、と。まだ間に合いますか、と。 好きで好きでたまらない、海辺で過ごす黄金時間。夏の終わりの色合いはまた格別だ。 このまましばらく時が止まればいいのにと見るたび思う。この星に生きる私たちでなければ味わうことのできない、夕陽を待つ少し前のひととき。 午後を書斎で過ごし、本を読むには暗くなったと顔を上げると、目の前に広がる燃えるような夕陽。”Breathtaking” まさにこの一瞬だと思う。 最後の収穫を待つ麦畑に季節の移り変わりを告げる雨がもうすぐやってくる。 カラーコード #778899の空に、地上が美しく浮かび上がる。 この空の名前は、Hex Light Slate Gray. 何と美しいサンセットだろう、そう思ってカメラを取り出すと空が描いているのは色どりだけではなかった。 明日の大空へと向かって優美に飛び立つフェニックスの姿に小さな幸運を感じる。 涼やかな晩夏の日暮れ時にぽっかりと浮かぶ満月のやさしい桃色に、厳しい夏の暑さや苦い思い出だけが、日焼けした肌がぽろぽろと落ちるように消えていく。 今年は懐かしい友にも会えた。青春時代を共に生きてきた人は宝物だ。ふとそんなことを思ったら、月を見ながらキーンと冷えたワインクーラーを飲みたくなった。 今日、北から吹く風に秋の気配を感じた。夏が、もうすぐ旅立つ。
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グレーの海と8小節
“Sing Our Song Together” by Mari Nakamoto 私の人生の中にあるいくつもの夏の終わりには、雨の日の海と遠い日に出会った歌の欠片が鮮明に描かれている。 私はまだ小さかった。ビーチで遊び、岬から青緑の太平洋を眺めて過ごした2週間のバカンスを終えて、私たち家族は楽しかった思い出をトランクいっぱいに詰め込み千葉・御宿町を後にした。 この日はお昼を過ぎた頃から急に暗い雨雲が広がって、大粒の雨が降り始めると時折窓ガラスに強く打ち付け、それまで車窓に耳をくっつけて波の音を聴いていた私には目の前に無数に迫る雨粒が恨めしかった。 遊び疲れて誰も口をきかず、横に座る弟を見るとすやすやと小さな寝息を立てていた。音を落としたFMラジオではビートルズを特集していたがなるべく耳に入れないように、徐々に空と海の灰色の境が消えていく海岸線の風景をぼんやり眺めていた。カーペンターズの “Rainy Days and Mondays” を帰ってすぐに聴きたいと思った。 その時、静かに響くCMソングに一瞬にして引き込まれた。女性ボーカルのジャズナンバーで、たった8小節、15秒間の歌の一部はしっとりとした大人のメランコリーを歌っており、少女の幼い胸に生まれて初めての「センチメンタル」を植え付けた。 以来毎年9月が近付くと、この8小節を思い出してはせつなく気だるい気持ちになる。 It’s hard to find a love today that won’t be gone tomorrow This changing world it moves so fast It’s in one day then out なぜだか今も分からないが、この8小節を初めて聴いた時も、また家に帰ってからも誰かにこの歌について尋ねることをしなかった、何と言う歌なのか誰が歌っているのか、知りたかったはずなのに。ただひとりになった時、こっそり歌うのが好きになった。 いつかきっと最初から最後までを聴かれる日が来るだろうと信じることにしたものの何の手がかりもなく、貪欲に探すこともせずに月日が流れ、秘密の8小節は私のクセのようになって、やがてこのまま知らずに終わっても悪くはないかなと思い始めていた気がする。 “Sing Our Song Together” が日本を代表するジャズシンガー、中本マリさんの名曲であることを知ったのはつい1か月前。街のとあるカフェで偶然耳にし、店の人に尋ね教えてもらったのだ。嬉しくて嬉しくてすぐにCDを探しに行ったがどこを当たっても見つからず、そこからようやく何人かの人に尋ねてようやく手に入れることができた。 さらに、今までコスモ石油のCMソングだとばかり思っていたこの歌が実は自動車メーカー、MAZDAの「コスモ」というモデルのコマーシャルだったということが分かったのはつい先週だ。何十年も経ちインターネットが普及してからYouTubeで知ることとなった。 「記憶を辿る」という言葉が好きであるが、その気になれば瞬時に過去が手に入る現代に生きることは幸せなのか戸惑ってしまう。これからまた時が行き過ぎるにつれ、物足りなさが増えていくのかと思うと妙につまらない気持ちになるのが少しつらい。 ◆ 長年の夢が叶った今、これは実に贅沢な悩みであるのだが、これだけ長い間待ち望んだ曲の全貌を知った途端歌の印象が変わってしまい、絶対に忘れないようにと秘かに歌い継いできた8小節と、共に過ごした時間がグレーの水平線の向こうへ消えていってしまいそうで、きっといつまでも愛していくだろうこの歌を今夜も聴きながら実のところ、とても寂しい思いをしている。 ◆YouTubeは1982年に放送されたマツダ・コスモのTVCM。30秒のロングバージョン。…
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晩夏、月の沙漠にて~Desert of the Moon
“The Desert of the Moon(月の沙漠)” by Suzanne Hird 少女時代、房総半島の御宿海岸は私にとって「晩夏の庭」、そして「月の沙漠公園」は去ってゆく夏を送るさよならの港であった。 「もう2,3日ここにいようか」父の言葉に期待して私は夏休みの宿題を、プールへ行こうよという友の誘いに揺れながらも御宿のサマーハウスへ行く前に済ませたものだった。 私たち家族の夏のバカンスは毎年比較的長く10日ほどで、父が仕事で戻ることにならない限り2週間滞在することもあった。毎年休みが近くなると、 「御宿に2週間なら2学期からは学校から帰ったら真っ先に宿題をします」 守れもしない祈りをヨコシマな理由で必死に神様へ送っていたことを、今更ではありますがここに告白し、懺悔します。 夏が終わり、2学期が始まるなり私が誓いを破ったのはご想像のとおりである。 御宿町の「月の沙漠公園」には、海岸の一画に物語が立っている。 童謡「月の沙漠」は、詩人で画家の加藤まさを(1897-1977) が1923年 (大正12年) 少女向け雑誌に発表した詩に作曲家佐々木すぐるが曲を付けたもの。 この歌の舞台とされる場所には諸説あるが、加藤が病気療養で滞在していた千葉県夷隅郡御宿町が有力で、のちに御宿町がこの月の沙漠公園を設けると彼自身、御宿を舞台と認めるようになったという話もある。 また「月の沙漠」は一般的に「月の砂漠」(砂)と思われがちであるが、加藤がイメージしたのが御宿の浜であったことから砂浜を意味する「沙」の文字を使ったと言われている。 夏を遊び尽くした人々は御宿を去り、よほど波の高い日でなければサーファー達もそう多く見かけることはなくなって、日が落ちると現実から切り離されたようなあのモニュメントだけがひっそりと立っていた。夜の帳が下り始める頃、くっきりと漆黒に浮かび上がる月の沙漠の王子と妃が好きだった。 まるで国を追われ逃げていくような二人の哀しげな様子が、あの姿を見るたび幼い私の胸を騒がせた。彼等の行く手に何があるのか、最後まで逃げ切れるのかと月の浮かんだ浜辺で、深夜目が覚めた時にもよく思い浮かべた。 弟と私は波打ち際で「月の沙漠」を何度も何度も歌った。幻想的な情景とは裏腹に、描いては波に消されていくケンケンパの輪の中を飛び跳ね、軽快に、笑いながら。 遊び疲れた頃、秋の気配を感じさせる夕暮れ時の空を見上げて弟は、 「涙は出ないけどつらい空だねえ」天の淡いパープルを映したきれいな瞳で言った。 「ああほんとだ、ほんとだね」とつまらない言葉で返したのを覚えている。本当は、弟の大人びたもの言いに驚き、おかしくなったものの笑ってはいけないと唇を固く結んで耐えていた為に適当な言葉が出てこなかったのだ。 5つ違いの私の弟。小さい頃から家族の誰より温かく澄んだ心を持ち、穏やかで絵心があり、詩を好んだ。ベッドタイム、私たちは母の腕にあごをのせて子供向けの楽しい詩集を聴くのが楽しみだった。彼はケタケタとよく笑い、周囲を笑顔にする優しい言葉はいつも、パステルカラーのように柔らかだった。 互いに家族を持った今も、時折二度と戻らない無邪気な時代への愛おしさを心の奥に感じる。彼の脳裏にもこの海が残っていることを願いながら。 旅の終わり、私たちは水際で去りゆく季節に手を振ったが、ずっとここで旅をしている月の沙漠の二人は、この夏も楽しい思い出を持ち帰る多くの人たちを見送ってきたんだろうな。そしてあてもなく沙漠をゆく彼等は、月が空高く上り人気のなくなった海岸で密やかに話すのだろう、 「この海もまた静かになるね。歌でも歌って行くとしようか」 次回”グレーの海と8小節~Gray Ocean & Dim Memory” へつづく… 「月の沙漠」:「こんなに不思議、こんなに哀しい童謡の謎2」合田道人著参照
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時を脱ぐ~Leave the Time Behind
“Crazy You” by Zo! feat. Sy Smith 水平線に紅く大きな太陽がゆっくりと落ちていくのをビーチに座って眺めながら、「今何時かな」「このあとはどこへ行く?」何のあてもなく隣に座る愛しい人と風の吹く方向へ流されていくような、そんな夏を探しに出かけよう、腕時計はデスクに置いて。 アメリカ最古のシーサイド・リゾートは訪れる人の平均年齢が60代?70代?と思えるほどに落ち着いた海辺の町。サーフィンやヨットよりも波打ち際を犬を走らせ散歩する人が似合う、大人の夏を過ごす場所。 ニューヨークの家を朝6時に出発してゆっくりとNew Jersey Turnpike を下って行き、11時前には全米トップ10ビーチにも選ばれたことのあるニュージャージー州最南端、ケープ・メイの美しい浜辺が見えてきた。 「ビクトリアンスタイル・ジンジャーブレッドハウス」が軒を連ね、歴史と異国文化を感じさせるこの風景に誰もが心を奪われる。ヴィンテージの絵本を開いたような美しい街並み。 宿は1867年に建てられたビクトリアンスタイルのB&B。老夫婦の経営で、ハイシーズンだと言うのに一歩足を踏み入れると人影もなく、波の音も聞こえない。遠い昔に来たような、突然知らない国を訪れたような、とても家から4時間の距離とは思えない驚きとせつなさを帯びたディスタンスを覚える。 「この時間は、やっぱりゲストはここにいないのね」オーナーに尋ねると、 「そうね、馬車に乗って街を廻ったりワイナリーに行ったり、ここは見かけよりアトラクションがあるのよ。あなたたちはまだ若いから、自転車でツアーするといいわ」過剰なアクションもなくさらりとした、けれども正直な瞳で語る彼女を私はとても気に入った。ここでの1週間はきっと良い思い出になる。 予約しておいた部屋に通されると時計も、テレビも電話もない。飛び乗らなければ横になれないほど背の高いベッド、広くてゆったりと海を眺められるバルコニー、そして夜風に当たらずとも漆黒の海をいつまでも眺めていられるサンルームのついた贅沢な空間は、私たちを秒針の響かない自由な世界へと連れ出してくれた。 いつしか昼下がり。ランチに出ようと言いながら、バルコニーのチェアに腰を沈めると急にまぶたが重くなって、うたた寝。規則的にやって来る波や馬車馬のポクポクという蹄の音が運ばれ、その心地良さにもうここを動けない。 次に目が覚めたのは首元がひんやりと冷たくなったのを感じた時。日はだいぶ傾いていた。 裏のアートギャラリーやギフトショップを少し見て、明日はゆっくりウィンドーショッピングをしようと決めてから海に戻ってきた。 広い広い砂浜は繊細な白い砂。素足で歩くともうだいぶ冷たい。ロングドライブで今日は疲れたし、二人ビーチに腰を下ろして、手ですくった砂を足先にこぼしながら話をした。 砂の中から、角が取れてまるくなったグラスボトルか何かの破片を見つけた。手に取ると、直径1cmほどの小さい石のような、涙のかたまりのようなもの。そこに通りかかった老人が手のひらの破片を見て言った。 「よかったね、Cape May ダイアモンドだ」 この町では、海を旅して戻ってきたまるいガラスの欠片をこう呼んだ。 人気もまばらになったビーチにもうすぐ日が落ちる。 淡いイエローの大きな太陽は大西洋の空気をたっぷり含んで潤んで見えた。周囲を黄金色に、オレンジ色に、やがて群青が差し始める空は色彩で時を刻み、それを見届けた人々は宿へ、バーへと散って行った。 「今何時ごろかな」「まだトワイライトアワーではないね」 そもそもtwilight hour とは何時から何時を指すのだろう、dusk とはどの程度暗くなるまでを言うのだろう。普段なら大して面白いと思えることでもないこんな話も、分刻みの暮らしを脱ぎ捨てると興味深く感じられてくる。 日本語でdusk は「薄暮(はくぼ)」と言うことを、ニューヨークに戻ってから調べて知った。情景が目の前に広がるような、良い言葉だ。 そうして海から寄せるやや強い風は私たちをコテージへと帰らせた。 「ディナーは軽く飲みながら」。シャワーを浴びて、夏の夜風をよく通すインド綿のドレスに、彼はリネンのボタンダウンに着替えると再び外に出た。 午後6時55分。この町の小さなアーケードで今日初めて時計を見る。 腕時計を外して初めて分かった。私たちは、ベッドに入る時間さえも時に支配されていたことを。仕事をするようになってから、「眠いな、そろそろ寝よう」を理由に寝室に入ったことなど一度もなくなっていた。余裕。この言葉さえ忘れそうだった。 そう彼に伝えると「どうやら野生に目覚めてしまったようだな」と笑った。なるほど、それもおもしろい。これからは本能に任せて生きてみるとしようか。 さし当たって明日、海が朝日に輝き始める頃、海岸線の長い道のりを思いのままにどこまでも自転車で走ろう。 CapeMay.com
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旭川のいなせな夏。永山屯田まつり2017
日本各地、夏祭り真っ盛り。北海道も毎週末どこかしらで花火大会同様大小さまざまな夏祭りが開催されている。 旭川も、来月3~5日の「旭川夏まつり」に先駆けて29、30日と「永山屯田まつり」が開かれた。毎年最も楽しみにしているイベントのひとつだ。 旭川夏まつりには規模も内容も到底かないっこないわけだが、こんなに粋でカッコイイ祭りはないと、おそらく殆どの地元住民が思っているに違いない。私などは5月になり、風が柔らかくなり始め窓を開けられるようになると夜毎聞こえるお囃子の練習に早くもソワソワし始める。 永山屯田まつりは今回が31回目。旭川が発展するにつれ住民のライフスタイルが変わると地域のコミュニケーションが希薄になった。これを憂いた市民委員会、商業団体、農業団体が住民のための「手作りの祭り」をつくろうと1984年に誕生させたのがこの祭りと言う。 祭りを最高に盛り上げるのは30~40に及ぶとも言われる山車のパレード「屯山(みやま)あんどん流し」だ。当日夕方になると、これを見る為に近隣住民は沿道に集まる。デッキチェアをセットしたり、中には家の玄関先でジンギスカンパーティー(地元では「ジンパ」と呼ぶ)をしながら楽しむ人たちもいる。 静かな住宅街での催しものであるため道路もそう広くはなく、行燈は少しずつ間隔を置いてゆっくりと通り過ぎていく。お囃子と掛け声に、小さな子供は一緒に叫び、踊る。子供の声、人々の笑顔、歓喜の踊り。ここには平和が凝縮されているなとつくづく思う。 あんどん流しの主役は、道内最大級の和太鼓「永山屯田太鼓」。サラシを巻いたうら若き乙女が2人1組で意外にも淡々と打ち鳴らす姿は圧巻、そして何ともいなせだ。「いなせ」という言葉は主に江戸っ子の男性に対して使うものらしいが、なんのなんの、旭川の女たちの雄姿こそ「いなせ」という言葉がぴったりである。 あ、もちろん男性陣も。荒々しく逞しい姿は祭りの花だ。 あんどん流しのアイドル、とは私が勝手に言っているだけであるが、毎年楽しみにしている旭川農業高校の行燈。目が赤く光り、首が動いたり口から煙を吐くこともある。 躍動感のあるとても美しい行燈。この高校は生産物の販売など、地域への貢献度も高い。 こんなアクロバティックな行燈もある。2時間にわたる屯山あんどん流しはずっと立って見ていても飽きることもなく、気分が高潮しているから疲れも感じない。あとになって「こ、腰が・・・」ということにはなるのだが。 後先になったが、あんどん流しのトップを切ったのは永山小学校。見ていてとても微笑ましく、掛け声もかわいい。 交差する行燈に沿道の観客の心も躍る。こうして行燈は行き過ぎ、最後は「おまつり広場」に集結して最後の盛り上がりを見せ、フィナーレを迎える。 おまつり広場では、すべての行燈が輪になるように集まり、しばしそれぞれに乱舞する。訪れた私たちも大きな掛け声に続き、屯田まつりの最後を共に飾る。 今年は2日間天候に恵まれ、涼しさも助けになったか夜にも関わらず多くの地元住民や観光客で大いに賑わった。やはりとてもよい祭りだ。私はそのうちニューヨークへ帰っていく身であるが、屯田まつりのあとは必ず「老後もここにいようか」と考える。冬の寒さは厳しくとも、穏やかに楽しく暮らせる旭川が好きで好きでたまらない。 ◆ 夜が更けて今、東の窓からひんやりとした風が舞い込んだ。誰もが感じる祭りのあとの寂寥感がせつなくもあり、心地良くもある。 こうして無事に屯田まつりが終わり、来週の夏祭りが終わりお盆が明けるころ、道北旭川には秋風が吹き始める。
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Moments #8: Listening to the Loved One
「鳥は言語でコミュニケートする」という話は本当か。知識もないのに確かめずにはいられず、これを知って以来さえずっている鳥に遭遇するとそっと近付き鳴き声に耳を傾けることが多くなった。 5月のとある休日の朝。朝食がてら散歩に出ると、桜の季節とは言え北海道の朝はまだ10℃をやっと超えるくらいでウールのコートをまだまだ手放せず、ポケットに手を入れたままあてもなく歩いた。 我が家から10分足らずのお宮さんに立ち寄ると参道には人影もなく、時折さわさわと聞こえる木の葉を春風が揺らすだけ。この音が心地良く耳をそばだてていたらすぐ近くから、 キュイーキュイーキュルルルルル 夫と私は周囲の木々を見回し、1分も経たずに鳴き声の主を特定した。 あの鳥だ。桜の木だ。 こういう時はむやみに意識し過ぎて身を低くなどするよりも平静を装って普通に歩いて近付く方がいい。この解釈が正しいかは定かでないが、とにかく鳥の真下まで無事に辿り着き、気配を消すよう努めた。 鳥は私たちにじっと背を向けている。人の気配を感じてというよりも、何かに集中しているような佇まいにも見える。 キュイーキュイーキュルルルルル 尾を震わせ神社の隅々まで響きわたるほどの美しい声に息を飲む。いったい何を言っているのだろう、誰に向かって鳴いているのだろう。 すると、 キュイーンッキュイーンッ 同じ声だが跳ね上がるように艶っぽい、鳴き方の違う鳥がどこかにいる。そしてもう一度。 キュイーンッキュイーンッキュイーーーンッ 残念なことに人は実に多くの言葉を持ちながら、こうして鳥の鳴き声を文字にして並べてみると何とも間の抜けた感じになってしまう。が、そんなことにはおかまいなしにカワセミに似たこの鳥は肩を少し持ち上げるようにして、天まで届くような実に澄んだ声で再び、 キュイーキュイーキュルルルルル そしてまた鳴くのを止めると、鳥は羽をたたみ私たちには見えないように少し俯いた。どことなく悲しげに見える鳥の後ろ姿を不思議に思う。私たちほど複雑な感情を持っていたりはしないだろうに、この哀愁はどこから漂ってくるものなのか。そしてほどなく、姿の見えない鳥がこの声に返すように短くさえずった。 キュイッ 突然、私たちの頭上の鳥はキュッと素早く軽く振り返り、身を固くした。 ぴくりとも動かず顔だけをもっと高い木へと向けたまま、ただひたすらに相手の次の言葉を待つその瞳は、相手に何かを懇願するようにも、また胸に秘めた思いに潤ませているようにも見えた。 咄嗟に感じた。彼等の、これが恋に落ちた瞬間ではないかと。 それからこの鳥は幾度も小さく羽を広げたり立ち位置を確かめたりしながら、一度ぴたっと止まると艶っぽい声の主へと飛んで行った。 自然豊かな北海道は多くの鳥が繁殖地として選ぶ。山を歩いたり車で通り抜けながら呼応するふたつの鳴き声を聞くたびに、ああ恋の季節なんだなと思い幸せを分けてもらっているような気分になる。が、実際にはどんな会話を交わしているのだろう。シジュウカラなどは人間に近い言語のやりとりができると言う。 「下に鬱陶しい人間が2個もいるんだよ、どうしようか。やつらの嫌がるものでも落としてやろうか」 まさかそんなことは言っていないだろうと信じたい鬱陶しい人間2個、次回は何とかして彼等の会話に入り込みたいと独自の方法を模索している。 all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Hokkaido ~ Longing for Spring
Music: Serenade from “Hassan” Composed by Frederick Delius 音楽でも聴きながら。 北海道、3月。 氷柱が艶やかに光り始めた。 日差しが淡く柔らかくなり気温が氷点下を上回ると 真冬の間は太く長くなっていくばかりだった氷柱が水へと戻る準備に入るのだ。 パーンパーンと森の奥から響くトドマツやハルニレの「がまわれ」も ひとつ、またひとつと消えていく。 オホーツクの海を白く覆った流氷も今、去る時を知る。 大雪の山々には子育てを始めたキタキツネが、今か今かと雪解けを待つ。 「静かに、きっともうあと少し」 耳をそばだてじっと確かめるのは、雪の下から微かに伝わる春の鼓動。 おや? たった今、親子の耳にも届いたようだ、春のいのちの生まれる音が。 気が逸るのは人間たち。雪割り、苗づくり、花壇の手入れ。 コートをクリーニングに出してブーツをしまって、ふきのとうはいつ採りに? カタクリが咲いたら花見の準備を。 4月、5月の夢を見る人間たち。 all photos by Katie Campbell from F.G.S.W.