Category: Travel
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Photograph
“Photograph” by Nickelback This is a little story that actually happened during our journey from home in New York to Los Angeles; about the fleeting friendship among me, my husband and this guy named Joe met at an auto repair shop in New Mexico and also about a picture disappeared a year later from the bar…
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Street Tales #1: Beale Street
“All Your Love” by John Mayall & The Bluesbreakers w/ Eric Clapton(1966) 1990年代初頭だからかれこれもう30年近くも前の、我が夫Mattの話。 当時グリニッチ・ヴィレッジにThe Bottom Lineというヴェニューがあって彼も私もよく足を運んだ。残念ながら2004年に30年の歴史を閉じたのだが、実に多くのミュージックシーンがそこで生まれ、今も語り継がれている。 authorized by WNYC 確か、今日のように暑い日の午後。Mattがひとりワシントン・スクエアを歩いていると、彼の着ているTシャツを指差して見覚えのない男性が近付いてくる。そして、 「おお、それうちの店だよ」さらに、 「気に入った。今夜ボトムラインで友達が演奏するからおいでよ」 黒いTシャツには白字で “Rum Boogie Cafe” というロゴが入っており、着ている本人はその店で買ってきたわけでも、また別段何を意識して着ていたわけでもなかったものだからただ驚き、彼の差し出すチケットを言われるままに受け取った。 その日の夕方ボトムラインへ行くと、昼間会った自称「Rum Boogie Cafeのオーナー」は店の奥で誰かと話をしていたが視線が合ったので手をあげて礼を言うと彼も笑顔で手を振った。 彼の言っていた「友達」がブルース・ロックのレジェンド John Mayallだと知って、Mattは街角に転がっていた幸運を拾ったような夢心地で演奏を楽しんだと言う。 その話はここでおしまいなのであるが、数年後、旅行中メンフィスに立ち寄った時、黒に白字で店のロゴが入ったTシャツを思い出してBeale Streetを歩きながら当時の夫の話を聞いていると、 「あ、ここだ」 Rum Boogie Cafeは、トワイライト・アワーにネオンが美しく映える、居心地の良いブルース・バーだった。 実のところ、夫はその男性の言うことを話半分に聞いていたと言う。ニューヨークには人の数だけ思いもよらないおかしな出会いもあるものだから。 けれど結果的には嬉しいかたちで予想を裏切られ、普段は冷静でシニカルな夫も素直に興奮していた。そして長い時を経てボトムラインの思い出と再会したことを、彼は大いに喜んだ。 Time goes by. Life goes on. 時間とともに街は変わる。けれど心の中にある青春時代の風景は、決して色褪せ消えゆくことはない。 Rum Boogie Cafe John Mayall…
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利尻の女神 ~ Rishiri Goddess Parenting Colony
Ocean Waves 面積182.15k㎡・人口約5.500人、北海道は利尻島。都会人には思いもよらない自然の美と驚嘆に溢れている。そして小さな物語が生まれそうな神秘も。 北海道には名前の付いた岩が多いと海岸線をドライブしながらよく思うものだが、利尻島では2つ見つけた。ひとつは「寝熊の岩」クマが寝そべっているような形をしていると言う。けれど残念ながら私の目にはお昼寝中のクマが映りはしなかった。 そしてもうひとつ、これは何かあるに違いないと思わせたのが「人面岩」である。 お分かりになるだろうか、海に向かい天を仰いで笑っている人の横顔。しめ縄のせいか、アイヌの娘に見える。穏やかな眼差しはうっとりと輝く太陽を見つめ、口元からは美しい利尻の自然を称えた民謡が聞こえてきそうだ。 ところがこの人面岩、いくら調べても名前が付いている他には特別な記述がない。何か伝説でも潜んでいそうな佇まいなのに。 ウミネコ (Black-Tailed Gull) はチドリ目カモメ科の鳥類で、4月から7月にかけて繁殖する。北海道はウミネコが好んで繁殖する地である。ちなみにウミネコとカモメの一番簡単な違いは、クチバシの先端。きれいなイエローはカモメ、先端に赤斑を持つのがウミネコ。 ウミネコはカモメ同様顔に優しさが感じられずなかなかの強面であるが、こうして子供に寄り添っている姿を見ると、どんな生きものにも愛情は存在するのだということを実感させられる。心なしか子に向ける視線も温かい。 まるでこの地と海を守る女神がウミネコたちと談笑しているような人面岩は7月、子育てマンションとして小さな楽園を成している。 女神は大きな波から子供たちを守り、成長を見守り、ウミネコの親鳥は女神を信じてここに落ち着き、安心して子を立派に育て上げるという使命と向き合っているに相違ない。 誰の束縛も受けない自由という幸せがここにある。けれど一方でその幸せはあらゆる「他」を無碍に傷つけない、本能に導かれた暗黙の了解という小さな秩序のもとに成り立っているものなのだと、ほんの短い時間絵本に登場するような光景を眺めながら、これが人にはどんなに難しいことかと羨ましく思ったのだった。 利尻島観光案内 Rishiri Island by japan-guide.com
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テキサス恐怖症 ~ Texasphobia
“Why Can’t We Be Friends” by WAR 北米大陸横断決行中、何度となく訪れる「中だるみ」。前回アリゾナで「中だるみNo.8」に襲われた話をしたが、あんなの実は、かわいいものなのである。 ニューヨークからロスアンジェルスまでの旅で最も長くツライ中だるみをお見舞いしてくれるのが、696.241k㎡の広大な面積を誇る私たちの宿敵、テキサス州である。 総面積83.425k㎡の我が北海道と比べると、「でっかいどう・ほっかいどう」なはずの北海道が8個すっぽり入ってしまう大きさということになり、計算してみて驚きを新たにした。 テキサスの旅はヒューストンから始まり、途中ダラス近郊の友人宅で優雅な2泊を過ごさせてもらった後再び走り始めた。 大王テキサス、悪いことばかりではない。その広大な土地を、渋滞や信号に止められることもなくただひたすら走り続けるのは快感であり、地球を手に入れたようで気持ちも大きくなるものだ。 「ここで油田でも探すか」「来年の今頃は石油王だ」 NYに帰れば思い出しもしないこんなことを言ってみちゃったりもする。 そしてテキサスはホームに誇りを持っているなと思う。ファーストフードのデイリー・クイーンに立ち寄ると、どこにでもあるデイリー・クイーンではなく明らかに「テキサスのデイリー・クイーン」を主張している。 ちなみにここでスナックタイムをとるのは2度めだったが、相変わらず客はいなかった。 カントリー・ライカーならちょっとダイニングルームに取り入れてみたくなるデザイン。 エキストラ・ラージのドリンクカップはお土産にもなるかわいらしさ。飲み終わった後レストルームできれいに洗い店から持ち出すも、次の州に入るなり「じゃまだ」と夫に捨てられてしまった。 私たち夫婦にはこうしたケースが多々ある。今も忘れられないのは私が自分で絵付けしたクリスマスのオーナメントボール。「また描けばいいでしょ」を理由にまとめて捨てられてしまったが、これだけは今も少々恨んでおるぞ、夫。 とは言え仲良し夫婦はここまでの旅のおさらいなど話しながらぐんぐん西へと進む。 特筆すべき風景などない為、途中小さな家や牧場のサインなど見ると安心する。何しろ平坦な土地は何マイル先まで見えているのか分からないが、途中ふと宇宙のどこか小さな星にとり残されたような気持ちになるのだ。 家も牧場もあっという間になくなって、青い空と緑の大地をただ駆け抜けていくだけだ。景色に疲れることなどあるはずもないとお思いかもしれないが、何時間走っても同じ場所にいるような錯覚は「つまらない」を飛び越えて恐怖感をもたらすものである。 「ねえ、大丈夫かしら、テキサスから出られるのかしら」 真剣に夫に尋ねると、安心させてくれればよいものを無情にも「実はちょっと不安」。 唯一の救いはこれ。テキサスを通り抜けるうち何度となく目にするパンプジャックは油井の掘削機。広大な農地や野原のみならずこれもまたテキサスを代表する光景。なかなか味がある。 パンプジャックに叫んでしまったりもする。どうせ通る車もないことだし、手なんか振ったりもしてしまう。することも話すこともないものだから、この頃には旅にありがちな大胆行動がおかしな方向へ傾いている。 「ありがとう、私たちの目の前に現れてくれて、ありがとう」 けれどもう、奇行さえも億劫になって、二人じっと前を見据え走るだけ。テキサスを侮っていた。と言うよりテキサスを避けて別の州を通り過ぎてくればよかったと猛省するのだった。 ラジオからWARの “Why Can’t We Be Friends” が流れてくる。まさにテキサスへ訴えかけたい歌である。歌詞の意味などおかまいなしに、会話を失った愚かな夫婦は大声を張り上げこの歌を合唱しながら暮れゆく夕陽に向かって走り続けた。 決してテキサスがフレンドリーでないということでなくこっちが精神崩壊を起こしかけているだけであるが、どこまで行っても同じ景色、どこまで走ってもニューメキシコまであと何マイル、なんて出てこないのだから仕方ない。 山もなく、小さな丘も川もなく、ただずーっと平地が広がっているだけのテキサス。この我慢比べ、とっくに私たちの負けは決まっていた。 テキサスは、直進する迷路だ。 日が暮れてもやっぱり同じ風景。ああもう耐えられない。とうとう私は、長時間愚痴も言わず運転し続けている夫へ決して言ってはいけない言葉を発してしまった。 「飽きた」 更に悪いことに、配慮のない妻はこのひと言を吐き捨てるなり、図々しくも寝落ちたのだった。 どこだったか、日記でも出してこなければ思い出すことができないが、おそらく小さな町のモーテルで1泊でもして翌朝またしばらく走ると、ようやく「ようこそニューメキシコへ」のサイン。テキサス滞在ほぼ4日。この時点で私はもうニューメキシコが大好きになっちゃった。 さすがの夫も「次はテキサス抜きね」。私は夫に握手を求め「ありがとうありがとう」と何度も言った。 さらばテキサス。もう当分おぬしに会うこともなかろうが、中だるみの苦しみと敗北感を忘れた頃、今度は何か強力なマンネリバスターを引っ提げて再度挑む。
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Moments #9: Life-Changing Dawn
朝陽を見るために、上級トレイルのノース・リム (North Rim)を選んで深夜グランド・キャニオンに入った。 ロッジで一夜を明かし、空の色が変わり始めると外に出て先端のビュー・ポイントへ向けて歩き始める。道には落下を防ぐフェンスもなく、細いトレイルの端から下を覗くと言わずと知れた断崖絶壁だ。どうしてこの道を選んだのだろうと今更に情けなく悔いてみたりする。 けれども細い道の内側を選ぶなどはあえてせず真ん中を歩いていくと、どのくらい歩いたのかは記憶になく、気が付けばビュー・ポイントに辿り着いていた。 規則正しいうねりを見せているブライト・エンジェル・フォールト (Bright Angel Fault) は活断層。日中に見るグランド・キャニオンは化石の町に見えるが、今も小さく震えながら生き続けていることを知る。 私たちを包む世界は青一色に染まり、時が止まったように風の音さえ聞こえない。じっと目の前の景色を見つめていると、私の人生など、この広い世界の中では小さな流れ星が落ちるほどの、一瞬のできごとなのだろうと思う。 空が白んできた。 ここでサンライズを待つ人たちはみな、祈るような気持ちで佇む。 さっきまで蒼ざめていた世界はいつの間にか温かみを取り戻し、いよいよ新しい一日の訪れを迎えようとしている。 この瞬間、感動・歓喜の声を上げる人はいなかった。太陽は誰の頭上にも等しく、普段と同じように昇るのに、見たことなど一度もない、まばゆい輝きにただ圧倒され、目を閉じると頭の先から足の先まで浄化されるような神聖な気持ちに満たされた。 すると、昨日までの悩みやわだかまりのしこりが心地良いクラック音とともにひび割れて消えていき、古く硬くなった心を新しいものと取り替えたような気分。 思いきり空気を胸に吸い込むと、さっきまでただ立ち尽くしていた4,5人も美しい朝を笑顔を迎えていた。 太陽が岩山を離れ空に浮かぶと、周りの景色は偉大なるグランド・キャニオンなのにホームタウンのいつもの朝と同じ景色に見えた、空も岩肌も針葉樹たちも。 ただ人の心は昨日までのそれとは違っている。古く固まった心はこの崖で朝陽が風化し、みずみずしく生まれ変わったから。 自然は私たちに何も求めない。けれど私たちは自然の力を借りて今日も明日も、迷わず進んでいく。自然に身を委ねることは一種の信仰であるのだろうと、すっかり明るくなった足元と雄大なグランド・キャニオンの景色を交互に見ながら下界へと戻っていった。
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Escapism ~ 過ぎ来し方と遊ぶ家
BGM: “Missing You” by George Duke 冬に別れを告げる心の準備も整った5月初旬、春を求めて道東へ向かい帯広、釧路と巡ってゆっくり海岸線を走りながら目指したのは日本最東端の町・根室。そして旅の終着点に決めた納沙布岬を訪れて帰路に着こうという頃。 陽の傾き始めた根室の静かな町で見つけた白い看板。”guild Nemuro”. ヨーロピアン・アンティークをはじめ日本製ジュエリーやアパレル、テーブルウェアを揃えたセレクトショップだ。オーナーの中島孝介氏が2013年この地に構えた。 扉を開き足を踏み入れると、そこには柔らかなライティングと午後の自然光が溶け合ってノスタルジックな空気が流れ、サイプレスやジュニパー、あるいはフランキンセンスだろうか、その中にベルガモットを落としたような神聖で心地良いセント、空間に広がる静寂。思わず深呼吸する。 まず目に飛び込むのは、スムースで優しい光を湛えたミルキーホワイトの食器。店全体に楚々とした印象を与えているそれらはヨーロピアンアンティークと日本製。質感の違いが楽しい。 ダウンタウン・マンハッタンのインテリアショップを思わせる、ラスティックながらもスタイリッシュなディスプレイの店内に心なしか懐かしいのはおそらく、店のそこここに佇むヴィンテージインダストリアルの家具が持つ温かで重厚な存在感のため。 コッパーのケトルは広い店内でもひと際輝きを放っている。とても気に入ってしばらくの間、かがんだままじっと見とれていた。 店主に尋ねると、ここに集められたアンティークはオランダ、フランス、ベルギーで彼の心を掴んだものたちなのだと言う。 成り行きに任せたようにもデザインされたようにも見えるウッドストーブのコーナー。フロアに漂う北海道の冷気は時を止める役割を担う。音もなく、耳に入るのは靴音だけ。 店主との運命の出会いを果たした鯨は、guild Nemuroの守護神となって悠久の時へと私たちの船出を誘う。 100年前の北欧に咲き誇っていた花たちは海を超え、遠い日本の小さな町で新しい命を授かり再びその美しさを取り戻した。 私は壁の前に立って我が家を思い描く。この9枚のフレームを北西に窓のある書斎に飾ると、マホガニーのデスクとよく合うに違いない。3枚ずつ縦に、横に。いややはりこのままにしてあの部屋をミュージアムにしよう。空想は尽きない。 良いものを置いている店では想像力も、また願望も豊かになるものだ。 この店は、古き良き世界の国々へ連れていってくれるだけでなく、現代日本の美も伝えている。アンティークテーブルにも馴染む食器はプレーンで落ち着きがあり料理を選ばない、長崎・波佐見焼のテーブルウェアブランド”Common” のもの。横に並ぶカトラリーは、北欧の貴族が使ったものか。そんなファンタジックな情景が目の前に映し出されるよう。 アンティークたちが生まれた頃へと遡り、時空を超えた散歩でもするようにゆっくりと見て回るのが楽しいguild Nemuro。そこにあるひとつひとつに刻まれた物語を空想すると、魂が身体から抜け出したような浮遊感を覚える。 この時気がついた。この店で私はエスカピズム(escapism・現実逃避)を体験しているのだ。 一番奥でこちらをじっと見つめるキリンに圧倒されその場に立ち尽くしていると「お譲りしましょうか」とラフに言う店主。もの静かな彼の宇宙レベルの思考にもう一度驚く。 guild Nemuroがコンセプトに掲げる「衣食住」は店独自の世界を際限なく広げていく。 店主が根室に移るきっかけとなったジュエリーデザイナー・古川弘道氏やファッション・デザイナー・suzuki takayuki氏の作品もまたこの店をよりchicに彩っている。 陶器やガラスの美しさに魅了され、手に取ればそのぬくもりに夢中になり、時の経つのも忘れたままいつしか扉の向こうは夜へと色を変え始めている。 陽光の射し込む時間帯には夕暮れ時とは違った、爽やかでライブリーなエナジーが漂うのだろう。 guild Nemuroに纏わるさまざまな話を惜しげもなく聞かせてくれた親切な店主に別れを告げて店を出ると、日曜日の午後6時40分。夕陽はオレンジとパープルを程よく混ぜて街中を染め、美しい日常が私を100年前の世界から覚醒させた。 過ぎ越し方と遊ぶ家は、明日もここで訪れる人を待つ。 guild Nemuroホームページ AVMホームページ suzuki takayukiホームページ 根室市観光協会ホームページ Nemuro Tourism Information official Website(in English) all images edited by Kaori…
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Moments #6: Shiretoko – Sea Breeze Kind of Welcome
日々の営みに疲れたら行ってみるといい。 ペルシャンブルーの海、常緑樹の知床連山、平和に暮らす命。 人生観を変える旅は、小さな奇跡と限りない歓喜に満ちている。 まばたきせずに見つめていると、ほら、 オホーツクの海風がくれる、これがようこその挨拶。 ・海の向こうに見える青き雪山は、北方領土・国後島。 知床斜里町観光協会ホームページ photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Ancient Mushroom?
“Tin Man” music by America 振り返ればもう10年以上も前になる。31日をかけて夫と二人ニューヨークからロスアンジェルスまで、くたびれかけてもなかなかファンキーだった愛車のBMW325isに乗って2度目の北米大陸横断を敢行した。これはその時の写真である。 確かな場所を覚えていないのであるが、アリゾナ州のどこかで間違いないと思う。ニューメキシコに2泊した後グランドキャニオンに向かう途中、こんな感じのロッキーな道ばかりで流れる景色にほとほと飽き、やがて「中だるみNO.8」が二人を襲った。 因みにアメリカを横断する人は必ず経験するだろう、同じような道が何時間も続き、特に南西部に多いのであるが、隣で運転する相手との会話も重たくなって車内の空気が写真のように乾燥してくるあのいやな感じ。その時の為に、旅に出る前予め手帳に話題を500は書き留めておくとよい。 さて、私たちにも「まだこんな?いつまでこんな?」な空気が立ち込め始めた頃、突然起死回生のそれが目に入った。こちらである。 近くに車を止めて近くまで歩いていくと、188cmの夫の3倍、いや4倍あったようにも思える(実際には3倍くらいだったかもしれぬ)巨大なマッシュルーム型の岩。 「こんなセンセーションに出会えるなんて、やっぱり旅には幸運が付きものだね」 「これはもしや、古代マッシュルームの化石なんじゃなかろうかね」 などと、先程までのどよ~んとした無言の3時間をさらりと忘れ、ありもしない話に狂乱する愚かな夫婦を巨岩と、そして近くで水仕事をしていたネイティブ・アメリカンの若い女性は情けなさそうな笑顔で快く受け入れてくれた。 ネイティブ・アメリカンの歴史と文化には彼等の信仰や神話に基づいた物事がたくさんある。この岩についても何かしら彼等にとって大切な意味があるといけないと思ってエピソードや物語がないか尋ねることもせず、またマッシュルーム岩に触れもしないまま早々に車に戻った。 このような形の岩は世界各地の特に砂漠地帯に見られ、主に風や水による侵食によって数千年を掛けてマッシュルーム型になると言う。自然の営み、というよりも私は神様のいたずらと思いたいくらいにコミカルで人の心を和ませる穏やかな風貌の岩であった。 先程は調子に乗って言っていたが、「旅には幸運が付きもの」これはまんざら旅疲れした二人の寝言でもないように思う。長い長い道中、こんなに楽しいひとときを与えてくれるものに出会えるのだもの。 さて、3度目の大陸横断はいつになることか。 all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Sanctuary Named “God of the Forest” (森の神様)
“Fall In” music by Esperanza Spalding 北海道にもようやく春が訪れて、と言っても日中まだまだ15度に満たない日も多いのでジャケットやストールが必要な日も多いのであるが、それでも日差しの明るい晴れの日には森だけでなく街中の緑もどんどん育ち、人の目にも心にも活力を与えてくれるようになった。そんなとき、日々色濃くなっていく木々の葉に命の強さを感じる。 パワースポットというカルチャーワードを私は日本に来て初めて知ったが、まさに命に力を与えてくれる場所だと言う。信仰を持つ人にとっては勿論聖地と呼ばれる「神聖な場所」が実際に存在するが、信仰を持たない人にとってのサンクチュアリーは心にエナジーと安らぎを与える場所であり、自然と心が赴くのもまた信仰のひとつなのかなと思ったりもする。 もうだいぶ前のことだが、私が愛して止まない隣町、東川町の小さな骨董品店に立ち寄った折、首振りのかわいいキタキツネの置きものに目が留まり「ニューヨークに帰る時のお土産になりそう」と夫と同時に肯いて手に取るなり「紅茶でもどう?」と勧めてくれた店主さんの言葉のままに座り込んでお茶をいただいていると、私たちが選んだキタキツネは「オンコの木」でできていると言われ「初めて聞く名前です」と答えるとイチイ(またはアララギ)という種類でオンコという名は北海道や東北で呼ばれるのだと教えてくれた。 それから神話を織り交ぜながら木々に纏わるさまざまな話を聞かせてくれた中で「森の神様はカツラの木で」の「カツラ」ではなく「森の神様」という言葉に私の好奇心アンテナがトゥルトゥルと両耳から立ち上った。その店に行ったのはクリスマスの頃で道北はすっぽりと純白のパウダースノーに覆われており、森の神様には春から秋でないと会えないのだと言われて(雪が深い為森の中に入れないというだけ)ひたすら次の春が訪れるのを、デスクの前に「森の神様に会いに行く」と書いて待った。 森の神様は、私の家から程近い美瑛町の、何でもない深い深い森の中に、いる。東川町から天人峡までは道道213号線一本道なのだが、森の神様は経済効果をもたらすような観光スポットではないので大きなゲートやましてや売店などあるはずもなく、道路沿いに「森の神様まで400m」の看板があるものの北海道生活5年目にもなる私はこれを頼りに辿り着けたことがまだ一度もない。必ず通り過ぎては戻ることになる。 そうして2キロほども行き過ぎてからUターンし、ゆっくり左側を注視しながら戻っていくと、小さな立て札が見えてくる「森の神様」とだけ書かれた立て札が。 213号線から車で林道に入るとしばらくして行き止まり。その奥に森の神様が鎮座している。 北海道森林管理局の公式発表によると、この木は推定樹齢900年、幹の周りは11メートル以上、高さは31メートルにも及ぶという。 神様だ、と誰もが思うのではなかろうか。周囲には無数の木々が立つもそれらがまるでこのカツラの巨木を崇めるかのように少し距離を置き、守るかのように囲って立ち並んでいる。1本の大木ではなく数本が天高く伸びている様子は何か物語が潜んでいるようにも見え、威厳というよりも凛としている、の方がこの木にはよく似合う。 道道を走る車の音が聞こえないのは鬱蒼としている森のためか、それとも人間には見えない神秘のヴェールがこの場所を包んでいるからなのか、森の神様の袂に立ち、聞こえてくるのは風と、さやさやという木の葉の触れ合う音、そして時折微かに響いてくる鳥のさえずりだけだ。 森の神様の前に立ったら、まず下から上へ向かって眺めてみる。右へ左へと伸びている枝はしなやかな女性の腕にも似て、訪れた私たちを優しく迎え入れてくれているようだ。角度によって違って見える森の神様、ゆっくりぐるりとひと回りしてみるとその大きさに驚き、900年もの間どれだけの生きものたちを見守ってきたのだろうと思う。 ここに来て必ず気付く。大地から頭の先へ向かって何かが辿り上がって来、実際に吹いている風とは違う清々しい気がまっすぐ胸に入り込んでくる感覚。いい気持ちだ。 ここでの深呼吸は森の神様を仰ぎながら、降り注ぐ生命の粒とそこに湛えた閑けさをいただくようにするのがいい。いつもとは違う穏やかな気持ちで帰れるはずだ。それからそうっとその体に触れてみるといい。疲れた心を癒し、浄化してくれるはずだ。そして話をしてみるといい。何かよいことを、幸せな生き方のヒントを教えてくれるはずだ。 カツラには香りがあるのだそうで、森の神様に近付いていくといい香りがすると言う。これを感じられるようになるにはまだまだ森を歩く必要がありそうだがひとつだけ確信したのは、この木が私にとって初めての、心のサンクチュアリーになったということだ。 美瑛や富良野、旭川の観光名所巡りに疲れた頃には半日時間をとってほんのひととき森の神様と過ごしてみるといい。北海道の美しさをまたひとつお土産にできるだろう。 「森の神様」というソフトな名前もいいものだなと思ったら、これは1998年に美瑛町の小学生たちが命名したのだそうだ。森の神様もきっと、子供たちの清らかな心によってつけられた自身の名を気に入っているに違いない。 北海道森林管理局「美瑛・森の神様」 美瑛町ホームページ 「ようこそ東川」ホームページ all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Moments #3: Sun in the Twilight
In Memphis, TN there is the sun that shines in the twilight. After the shop was closed and all those tourists were gone, Somehow you hear people laughing, instruments playing, And some of them singing under the sun. Sounds so familiar. Could be him, maybe them. But you never see how they’re doing under…
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Otaru Pathos After 6
“Gotcha Love” music by Estelle 閉店間際まで北一ホールで話をし、空想をし、詩集を読んで外に出ると午後5時50分。 空が青いうちは大いに賑わっていた通りもひとり、またひとりと消えていき、町が紅く染まるにつれて恋が始まったときのようなセンチメントに包まれる。 愛と郷愁はどこか似ている。 北一硝子のサインにも灯りが入った。日中の小樽は仮の姿で、亡霊が夜を待つように、日が暮れるにつれ真の姿を現し始める。50年前、100年前へと戻っていくような目眩をも誘う。 小樽の夜は早く訪れる。 蔵造りのガラスショップや飲食店の殆どが午後6時には扉を閉めて、通りは黄昏時にはもう静まり返る。正直な気持ちを言えばせめて8時くらいまでは開いていてほしいけれど、現代人の、ましてやアメリカからやってきた人間の思いなど嘲笑されるだけなのだ、「分かってないね、小樽を」と。 ここからは恋人たちの時間。 ふたりは小樽運河を臨む道路に出る。目の前を、家路を急ぐ車が少し冷たくなった春風を切って通り過ぎてゆく。夜の群青が下りて地上に残る紅を溶かしてゆく様子を彼女は見逃さない。 「寒くない?」彼が尋ねると、 「大丈夫。これが北海道の4月なんだね、きっと忘れないだろうな」 信号が青になって、運河へ。 団体の観光客はホテルへ、食事へと散っていき、揺れる水辺を眺めながら語り合う恋人たちが数組。フランス語、韓国語、ロシア語、そして英語。言葉は違うがみな一様に肩を寄せて佇み、小樽に漂う爽やかな哀愁で心を潤す。 午後7時。運河を後にしたら、少し飲もうかと目指すのは坂の途中の「小樽バイン」。 恋するふたりが人目も気にせず見つめ合うには少し明るくて広過ぎるが、すっきりとしたケルナーから始めて3つめのグラスを空ける頃、小樽ワインは瑞々しい媚薬であることを彼女は知る、今夜が忘れられない夜になる予感とともに。 小樽バインをあとにすると、通りの向こうに怪しく光る旧「日本銀行小樽支店」。この町が大切に守る歴史的建造物も夜には彼等の思い出づくりにひと役買ってくれる。 「ホテルに戻る?」 「せっかくだからもう少し歩こう、酔いを醒まさないと」 彼は彼女の手を取ってまた坂を下りていく。一生に一度の大切な言葉は、運河で贈ることに決めたようだ。
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Count Blessings in My Twinkle Lair
“Darn That Dream” Music and Performed by Bill Evans 何もない日に自然と心の赴く場所が、ひととき心を浸したい隠れ家が小樽にある。 「北一硝子」は小樽が誇る老舗硝子製品ブランド。この町を訪れ北一の硝子を手に取らないまま去る人はおそらくそうはいないだろう。優しい風合いの北一のガラスは小樽の思い出を、消えることのない暖炉のようにほんのり暖かく残してくれる。 北一3号館に私の、その場所がある。「北一ホール」北一硝子のカフェテリアだ。 観光客が幸せな笑顔で行き来する通りから3号館に入るとそこは地下壕、を私は知らないが、100年も昔へ誘うラビリンスに迷い込むようなコリドー。10歩進んで外を見ると明るい太陽に照らされた普段の小樽があるのに、手の届かない星のような気持ちにさせる異空間。 冷たい石の壁に小さく灯るランプが連なり、目で追っていくとその奥は更なる迷宮。自ら足を踏み入れるのに一瞬、緊張する。北一ホールのエントランスはまるでブラックホール。 店の中は広く、高く、そして暗い。167個もの石油ランプの明かりだけが煌めき、突き当たりのガラスの壁にリフレクションとなって銀河をつくる。 客の顔は見えない。時折出入りする人の足音とギーギーという木床の軋音が静かに心地良く響く。遠い過去への鉄の扉を自ら開いたような、そんな音にも思えてくる。 店自慢のアイスロイヤルミルクティーは、紅茶の苦みにまろやかなミルクが穏やかで贅沢な、成熟した大人に似合う味。ソフトクリームが少し溶けてからがおいしいと私は思っている。白くシャープな螺旋が消え始めたら良い頃合だが、そのほんの数分を、天井や壁のステンドグラスを眺めながら待つのが楽しい。 ここでの会話は小さな声で。特別な話などしたくない。ましてや別れ話などしない方がいい。そのあとしばらくは来られなくなってしまうから。 この店で何か読むのなら、小説よりも詩集がいい。小説に夢中になってこの時を味わうことを忘れてはもったいない。そしてホールに広がる銀河は、言葉の世界をより豊かにしてくれる。 今日はロルカの詩集を持ってきた。 And After The labyrinths formed by time dissolve. 時が形成した迷宮が消えていく。 (Only desert remains.) (砂漠だけが残る。) The heart, fountain of desire, dissolves. 心と欲望の泉が消えていく。 (Only desert remains.) (砂漠だけが残る。) The illusion of dawn and kisses dissolve. 夜明けの錯覚と口づけが消えていく。 Only desert Remains.…