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今なお熱き生命の痕跡~鹿追町・神田日勝記念美術館
If passion drives you, let reason hold the reins. – Benjamin Franklin song: A Mi Manera (Comme d’habitude) – Gipsy Kings 思うところあってPCからしばらく離れてみようと、仕事をほっぽらかして時折読書をしにふらりと出かける別宅で2週間を過ごした。その家の近所には気に入った古本屋があり、行くと必ず108円の本ばかり10冊ほど買い込んで読み漁る。古本を好んで買うことに文字を扱う仕事をする者として気が引けたりもするが、古本屋の豊富な蔵書にいつも感激する。 そんな中ある朝早く、小説の文字に目が霞み時間を持て余している私のために夫が芸術散歩を提案してくれた。 「神田日勝を見に行ってみない?」 神田日勝(かんだにっしょう) ー 4,5年も前だろうか、Eテレ(どうもこの名称に馴染めない。「教育テレビ」が好き。何でもデジタル仕様にすればいいってもんじゃないぞ)の「日曜美術館」ではなかったかと思うが特集番組を見る機会に恵まれた。北海道に生きた画家ということで興味津々で45分間一歩も動かず見ていた。テーマとされた絶筆で未完の「馬」に衝撃を受け、同時に今回展覧会のパンフレットになっている「室内風景」が心に留まって忘れられず、夫の誘いに二つ返事で出かける支度を始めた。 神田日勝が家族とともに戦災を逃れ8歳の時にやってきた十勝地方・鹿追町(しかおいちょう)は、今は爽やかな風の通る整ったきれいな町で、芝生の庭がみずみずしいコテージレストランで優しいお味のランチを摂った後、美術館へ向かうことにした。 館内は小さいがスタイリッシュな造りで程良い重厚感を持ち、天井が高く温かい光が絵画を包んでいた。その空間に私はアメリカ横断の途中どこかで立ち寄った小さな教会を思い出した。そうした神聖な空気の宿る室内であった。 入るとすぐ右から神田日勝の画家としてのヒストリーを巡る旅が始まる。最初の3作は赤墨色や柿渋色が古い写真を思わせる色彩で描かれていたが、センチメンタルに描こうとしたわけではないことは、力強い彼の画風を知るにつれ理解ができた。 ー 農民である。画家である。 農民画家と言われることを嫌ったと言われる神田日勝の心情を、苦しい労働を強いられていたであろうこの絵の朴訥とした男たちの、束の間の安らぎに体を沈める姿を見ながら想像してみた。戦火を逃れ開拓民として疎開してきた人々が新天地・十勝での苦労に打ち勝てず次々と去る中で、家族の明日のためひたすらに働き、何より好きな絵を描きながら彼は胸に抱いていたのは、厳しい環境を耐え抜いた開拓農家の跡取りとしての誇りと独学で自らの画風を確立した芸術家としての誇り。前者は彼の血肉に漲るものであり、後者は高度成長期のせわしい外界を寄せ付けない広く深く屈強なまでのインナーセルフに輝くものではなかったか。 「飯場の風景」1963年 作品写真:神田日勝記念美術館 “Landscape of the Camp” 1963, KANDA Nissho 横たわって眠る男の穏やかな寝息と左に目を閉じて瞑想する男の鼓動、冷え切った二人の肉体を温めるストーブのパチパチという小さな音が聞こえてくるようで、この絵の前を通り過ぎる時、二人を起こしてはいかんとつい音を立てないようにそうっと爪先で歩いてしまったりするのは私だけではないだろう。 神田日勝が描く男たちは、彼の描く馬と似たところがある。手足が大きく逞しい。彼が苦楽を共にした農耕馬もまたしっかりとした足を持つ。大地に足をつけて真摯に生きるものの姿は彼の生と芸術に対する情熱を投影したものと思われた。 また、この「飯場の風景」の全体像を見たとき、学生時代に学んだジョルジュ・ブラックの “Violin and Candlestick”という作品が頭に浮かんだ。背景のコンポジションや色使い、黒く太いシルエットラインが似ているように一瞬感じられたのだった。 “Violin and…
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雨音を聴く水曜午後3時
Music: Jeux d’eau – Ravel 冷たい雨の水曜日。晴れていればスタルヒン球場に高校野球の予選でも見に行こうと張り切っていたのに中止の発表。しかたがないから町の小さなソリチュードでも探しに出ようと支度をした。 2時間走って辿り着いたのは空港近くのアイスクリーム・パーラー。私たちとすれ違いに2色のアイスクリームを手に車に戻るパリッとグレーのスーツを着こなした男性。ふと夏のマンハッタンを歩くビジネスマンを思い出す。 新鮮な雨水を受けてすくすくと育つぶどうの葉の喜ぶ様子が手に取るように分かる。秋にはこのぶどう棚いっぱいにプヨンと弾力のある甘酸っぱい実をつけるのだろう。 道民は雨が降ろうが雪が舞おうが老若男女アイスクリームを食べるトライブなのである。例え5年選手でもね。エアリーもコクの深い上質なアイスクリームに午後の気だるさが吹き飛ぶ。 今日のフレイバー: Mocha + Strawberry 店には店主の女性と私たち夫婦のみで、店先の水たまりに雨粒が落ちる音が聞こえる。 ポロン、ポロン、ポロン、トゥン。最後のトゥンは、高く響く。 淀みのない澄んだ雨の音楽はリズムよく、休むことなく続く。それはピアノのような、あるいはグロッケンシュピールの鍵盤の上でマレットがはじけるような、軽快な音。 6月の雨を好きだと言う人は少ないが、6月の緑は一年で一番美しい。秋色の葉も、憧れの眼差しで生き生きと季節を満喫する豊かな緑を眺めているよう。 「どんな植物も、6月だけは緑でないと」かわいい愚痴が聞こえてくる。 夏を待てないパティオのチェアは少し寂しげにベンチに向かって恨みごとを言うと、ベンチは涼しげに微笑んでチェアを宥めるに違いない。 「もう7月になろうってのに、ああもう冷たい。体が冷えるわ、ねえ」 「鉄の椅子になったことも北海道に送られたことも、すべて運命、受け入れることよ」 ◆ When it rains in Japan, they often make the hanging dolls with papers or fabrics called “Teru-Teru Bozu” meaning “the boys that bring the sunshine” as a kind of good-luck charm…
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初恋時計~桜桃忌に寄せて
「太宰は青春時代と同じなのよ、一度は通る道」と母は言った。 少女時代太宰に心酔していた娘(私)への戒めの言葉である。食い入るように「人間失格」を読む娘の背中を見ながら、あの子はやがてダメ男に人生をボロボロにされるのではないかと懸念したと言う。 以前にもお話したとおり、私は著名人のプライベートライフにまったく関心を抱かない。才能で仕事をしている人のその才能にエクスタシーを感じるからであるが、太宰だけは違った。この人のこと、もっと知りたい。そう思ってしまった。おそらく太宰は私の初恋だ。 小学5年生の時、初めて太宰の著作を読んだ。推薦図書にもなっていた「走れメロス」ではなく、実家の書棚に見つけた「斜陽」であった。「走れメロス」の内部事情(太宰と檀一夫の逸話)を母から聞かされて、理由は今もって解明されていないが、読まない方が良いような気持ちになったのだった。 私の母は教育熱心であったが自身も小学6年で尾崎士郎の「人生劇場」を読んだという武勇伝を持っており、書物はどんなものでも読ませてくれた。どうせ分かりゃしないだろうと思っていたのかもしれない。当然のことながら言葉の意味、ストーリーの全てを解釈できるわけがなく、けれど当時強烈に本から漂う戦後のケオティックな空気に私は落ちた。 それから勉強もお稽古ごともそっちのけで調べた。コンピューターなどない時代であるから地元横浜は青葉台の図書館から都内の図書館を渡り歩き、自由が丘や渋谷の書店を廻り、虎ノ門に勤めていた父をも六本木・赤坂・日本橋とこき使い、塾の帰りには神田の古本屋街にも通い詰め、ある書物からヒントを得ると次の書物を探した。 そんなふうに太宰漬けの日々を送りながら出会った長篠康一郎著「太宰治 武蔵野心中」は、一番に欲しかった「斜陽」のモデル・太田静子著「あはれわが歌」がどうしても見つからず、代わりにすずらん通りの古本屋でちょうど私の目線に陳列されていたのを見つけたもの。当時でも入手が少々難しい本であると言われたのを記憶している。 この本は、太宰の編集者であった野原一夫著「回想 太宰治」などとともに何度も何度も読み返した愛読書のひとつだが、太宰と心中した山崎富栄の日記文が多く掲載されており、禁断の恋に溺れた二人の生々しい会話は特に当時10代の私には刺激が強過ぎ、一時は嫌悪感に悩んだものだった。小説からも伝わる、すかした口説き文句で都合よく女性に甘えちゃうような、ちょっと安っぽい男の恋心と太宰が彼女に実際に語り掛けた言葉とが重なって、煮詰めたハチミツさながらのしつこい甘さに処女心が胸やけを起こしたのだった。 スキ。キライ。スキなのにキライ。キライだけどスキ。太宰は少女にさえ複雑な愛し方を植え付け、あの頃から私も太宰の愛人の一人であるような気分で生きてきた気がする。 太宰に関する書物で最近見つけたものに「太宰治必携 – 三好行雄・編」がある。美しい初版本で1981年に出版されたものだ。作家論事典、作品論事典、現代の評価といった大きなテーマ分けがされ、彼を知る、あるいは研究した専門家たちそれぞれにとっての太宰像が披露されている。 私はあくまでも恋しい気持ちで太宰の本を読むし、思ったように解釈したいので誰の意見に左右されるでもないが、物語や随筆についての記述には当時の雑誌等に掲載された書評の抜粋もあり、芥川賞選考で太宰を酷評した川端康成が「女生徒」で大絶賛している一文などは「おお、プロの仕事」と興味深く読み、タイムマシンにでも乗って当時へ立ち戻って生きた言葉を目の前で聞いているような高揚感に背中がぞくっとした。 太宰文学は理屈で解釈してはいけないと思っているから良い気分で読めるばかりではなかったが、知らないことにも多く出会え、なかなか楽しい本であった。 時が経ち、日本を離れ、多くの小説や小説家と出会い太宰との時間が少なくなっても、折に触れ書棚に、まるで墓石のように腰を落ち着けて私を見つめる彼の小説群を前にすると、懐かしさと愛しさが、何度でも込み上げてくる。 太宰治を形容するとしたらどんな言葉を選ぶかと尋ねられたら、私は迷わず “charming” と答えたい。長編も短編も多く残し私はどれもとても好きだが、無頼派と位置付けられた彼の名作たちはもとより、「フォスフォレッセンス」のように夢現な物語がとてもチャーミングな作家だと思うのだ。 ◆ 太宰を「ブーム・メーカー」、本の虫として成長させてもらった存在だと言った母は松本清張に終着した。私にも好きな作家は多くいるが、愛すべきこの小説家への想いを閉じ込めた初恋の時を、私はこのまま止めておくつもり。ネジは巻かない。先へ進めなくたって一向に構わない。何十年と太宰文学に酔いしれながらも人並みに分別は身についたと自負しているし、幸運なことに男を見る目にも長けている(はず)。それを証拠に太宰さんのような男に引っ掛かったことなど一度足りとない(はず)。 6月19日、桜桃忌。ふと思った。太宰さんは一体何人の初恋の人になったのだろう。やっぱりなかなかに罪な人。
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GOD: Kamehameha Day, 1988
The vanquisher of life is the one who has more good old days in his heart at the end of the road. – SLU Song: One More Try – George Michael GOD – Good Old Days. 古き良き時代は国や町の歴史に留まらず、私たちの人生にも必ずあるものだ。 古い写真をニューヨークから持ってきており、折に触れデスクに広げてみては思い出の時を呼び戻す。遠い昔に想いを馳せる時間は本当に楽しいもの、ありがたいもの。 6月11日は「太平洋のナポレオン」と謳われたというカメハメハ大王を讃えるハワイアン・ホリデイ、Kamehameha Dayである。ハワイ各地パレードなどの催しで賑やかな一日となり公共機関や学校も休みとなる。 けれど思えば私はこの日ワイキキにいた試しがなく、パレードを見た記憶もひとつふたつ。しかも今でも忘れないが、この前日に友人がさらさらブロンドのフランス人男子にこっぴどく失恋し、彼女の心の傷を癒すべくセンチメンタル・小ジャーニーに出かけたのだから、カメハメハ大王には申し訳ないが、お祝いムードは微小であったと言える。 車2台で友人5人と私はワイキキを抜け、ダイアモンドヘッド側から島を廻った。昨日の今日で失恋したエリスはゆったりと海を眺めることもせず、私のどこが不満なのかと暴言を吐いては泣き、泣いては歌い、車窓の外へ向かってまたわめき。 カーレディオから、ちょうどこの時どのラジオステーションを聴いてもヒットチャート1位を独占していた我らが George Michael の(彼については思い出話がいくつもあり、いつかお話させていただくこともあるかと思うが)よりにもよって “One More Try” がかかりまくっており、私たちはこの歌を耳にするたび涙の大合唱でエメラルドの太平洋をすっ飛ばしていった。 青い空も流れる雲も、そして咲き誇る南国の花たちも、この日のこの瞬間にしか見せない顔を持っていた。当時は何気なく見上げその気もなくシャッターを切ったこんな風景が、30年を経た今再びまったく同じ色で同じ香りで頭上に蘇り、あの頃の私を連れ戻してくれるタイムマシンになっている。 私たちがその存在を認められる唯一のタイムマシンとは、アインシュタインの相対性理論なんかよりもっと身近な「写真」を言うのではなかろうか。 裏オアフの海はサーフィンのメッカでもあるが、私の目にはポルトガルの「サウダーデ」にも似た涙色のエモーションが漂っているなとしばしば思う。何だろう、時に置き去りにされた寂しさや虚しさというような。…
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Etymology for Two~二人の語源香る美瑛・アスペルジュの皿
Song: You Taught My Heart to Sing – Cheryl Bentyne 良いお天気の暖かな、結婚記念日にありがたい4月のとある木曜日。単身赴任で夫が普段家にいないためゆっくり計画を立てることもできないまま、酒の苦手な夫婦は急遽せめておいしいランチでもと午後1時の予約をとってお昼過ぎ、美瑛へ向かった。 美瑛町・アスペルジュ(Asperges)は、多くのメディアで取り上げられミシュランガイド北海道2012年にひとつ星をも獲得したカジュアルフレンチで、隣接する美瑛選果を訪れるたび外から覗いてみては賑わっている様子に「次は必ず」とその場を離れていたのであるが、ようやく機会が巡ってきた。 ガラスの扉越しに見える白い店内はこのあと目の前に運ばれてくるであろう色鮮やかな料理の数々と楽しいひとときを予感させた。野菜が、美味しいはず。 ◆ 「結婚生活、どう?」と独身の友人たちに尋ねられるたびその時のムードで思いつくことを話していたものの、その答えは実に適当であった。そう簡単に表現できるものでもないし。けれど不思議と二十余年にわたる私たちという関係の語源になるような言葉が、この日出会った絵画のように美しいひと皿ひと皿の上に漂うようで香るようで、次々と浮かぶのだった。 人参のムース Infatuation ー 心酔 アミューズブーシュはにんじんのムース。最初のひと品は本の表紙だ。タイトルと装丁によって与えられる第一印象。恋の始まりに似た、恥じらいを含んだような柔らかさと、ふんわりとした甘さに夢中になる。美瑛の森に遊ぶキューピッドの羽さながらの軽やかさも記念日のランチにふさわしい。 美瑛の畑 ー 20種類の野菜を使った取り合わせ Rapture ー 歓喜 「混ぜてお召し上がりください」そう勧めてくださった彩り鮮やかなサラダは花盛りを迎えた7月の美瑛を思わせる。混ぜてしまうのが躊躇われ、散りばめられた何種類ものソースとともに少しずつ食べ比べながら、人が感じる最もシンプルな、けれど胸躍らせる「美味しい」という魔法にかかり、また意外なボリュームにも驚いたのだった。 越冬じゃがいものピューレ “淡雪” Labyrinth ー 迷宮 結婚生活はまさに迷宮、一度その扉を開いて足を踏み入れたら幸せと同時に戸惑いや不安もついてくる。けれど恋から始まった二人の人生、立ち止まるわけには行かぬ。そうして時折分かれ道を前に逡巡しながらも一歩ずつ奥へと進んでいくにつれ分かってくる、優しさ、平穏、そして二人でいることの心地良さ。 淡雪はほんのりポタージュのお味で、島のように中央に顔を見せているマッシュポテトの滑らかな口当たりと温かさに心身の凝りもほぐれる。ああ、美味しい。飾られた山わさび(ホースラディッシュ)は北海道らしい遊び心を感じた。 新玉ねぎブレゼ Nature ー 本質 シンプルな玉ねぎの煮込みは母の言葉のように優しく胸に沁み込んでいく。 毎日の暮らしを共に重ねていきながら、夫婦は互いの善きも悪しきも受け入れていくようになる(私には悪しきエゴやらアクやらがゴマンとあるが、ひいき目なのか夫にはさして見当たらないのが哀しき現実)。10年後、20年後、やがて見えてくる相手の心の一番奥底で輝いている魅力が、夫婦という間柄だからこそ見つけることのできるその人の本質と言えはしまいか。 夫と私の間にはしみじみという雰囲気が漂わないが、玉ねぎのレイヤーが小さな日常を重ねていくような日めくりカレンダーにも似て、穏やかな日々に感謝したくなった。 私たちはこの層の、今どの辺りだろう。 北海道産牛頬肉の赤ワイン煮込み Maturation ー 熟成 「深み」という言葉が、年々好きになる。 夫と私のような成長の遅い夫婦にはなかなかしっくりこないこの言葉ではあるが、そういえば学生時代から今日までの二人の時間も会話もシルエットも、徐々に丸みを帯びてきたような気がしたり、しなかったり。 フォークを軽く当てただけでほろりと崩れるワイン煮込み、まさに「深み」という言葉がよく似合う。繊細な頬肉と香り高く艶やかなワインソースは五感を酔わせる官能的な料理だ。しなやかな夫のカトラリー使いにも惚れ惚れする。 美瑛産豚ロースのグリエ It is not…
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Moments 26: Linger
There must be something strangely sacred in salt. It is in our tears and in the sea. – Kahlil Gibran 4月の海にはまだ冬が漂っている。 北へ向かうのを躊躇っているかのように留まる。 送り出そうか、引き留めようか。 心も波にまかせて寄せては引き、もじもじする。 雪の残る浜辺に立つと、潮風が時折遠い昔の思い出を連れてきて厄介だ。 何も考えずに眺めていたいのに、面倒なことをしてくれるな。近寄ってくれるな。 すると仕方なさそうに潮風は、耳元でギブランの言葉を囁いてみせる。 すべては塩のせい。清らかな潮風の神秘が心を揺さぶるだけだと。 そうか、思いを残したものたちとの決別は潮風にまかせるのがいい。 身勝手な私は都合のいい答えを得て 心を痛めず思い出たちを波に乗せたら4月の海に背を向ける。
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早春のWhite Savanna
ようやく春の足音が聞こえ始めたホームタウン、旭川。雪解けも進んで道路が見えるようになった。日差しも幾分暖かくなって、これから散歩が楽しくなる。 その前に、長い冬の締めくくり。 朝晩はまだ-15℃程度まで下がっていた旭川であるが2月28日のこの日はよく晴れて日中は-2℃まで上がり、気持ちが春めいて散歩をしようと旭川の誇り、常磐公園を訪れたのだった。 公園内は、除雪された散歩道を除きこの4,5カ月間に降り積もった1mを超える雪が一面に広がって、あらためて道北の厳しい冬を振り返らせた。 カメラを提げた夫が木の上に残った雪を見て言った。 「動物だ」 なるほど辺りを見回してみると、見える見える、気に登って昼寝をしている動物たちが。ここはまるで、純白のサバンナだ。 木登りしているか、あるいは下りようとしているかで微妙に動物の種類が変わってくる。左を頭とすると小象に見える。 生まれて間もない子供たち、と思って見てみるとかわいらしい。 しっぽを垂らして枝の上で眠っているライオンの姿などはまさにサバンナ。 ね、こんなふうに。 どれも同じに見えるぞと言われてしまいそうであるが、個人的にはこれがこの日のベストショット。パンダに、パンダに見えません? シャンシャンとまでは言わないが、今にももそもそと枝を伝って下りてきそう。 もはやアフリカに留まらず、ブレまくりのホワイト・サバンナである。 冬季旭山動物園のアイドル、ペンギン。今にも海に飛び込みそうな姿がかわいい。 今、「あ、ほんとだ~」って思いませんでした? 番外編は、北海道の開拓に尽力し初代北海道庁長官となった岩村通俊(Ⅰ840-1915)の銅像。彼は旭川が秘めた将来への可能性を見通し同市を東京、京都に次ぐ都にと推していた。 もしもこの構想が実現していたら北海道の道庁所在地は札幌ではなく旭川になっていたかもしれないという夢のような本当の話。 このような立派な人物を茶化すようで気が引けるが、どうにも岩村氏がバレエのtutu を履いて立っているように見えて仕方ない、と言ったのは私ではなく我夫である、と言い訳させていただこう。 これはもう生きものではなく、よれよれのお化け。 とまあ、見方によってはおもしろい木の上の雪を眺めながら大いに笑い、寒い中たっぷり2時間散歩を楽しんだ、良い休日であった。 そして最後に見つけたのは、エゾヤマザクラの小さな小さな蕾。常磐公園の桜の開花予想日は、今年は去年より少し早いか、5月4日。
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Hopperを追い求める旅
私の家はニューヨークにあるのでぎりぎりニューイングランド地方には属さないのであるが、隣州コネチカット以東のロードアイランドやマサチューセッツは週末のドライブコースで、目的地は決めず目に飛び込んでくる大自然や美しい街並みを眺めるためだけに車を走らせる。 生涯ニューイングランドを描き続けたEdward Hopper をマンハッタンのWhitney Museum で初めて間近に見たのはもう30年も前ではないだろうか。全米有数のリゾート地という名刺とは別に、故郷のもの哀しい顔を見つめたその視線が数ある風景画に美しくせつなく映し出されており、以来とても好きなアーティストになった。 長い時を経てやってきた北海道で、ホッパーに出会うことが多いことに気がついた。以前ブログでもご紹介したが(“Sweet Illusion of Hopper’s New England”)山間、海沿いを走りながら現れる風景が、まるでホッパーの作品がキャンバスからはみ出しているように見え、その瞬間に遭遇するなりとても嬉しくなる。 これは日本海側の沿岸道路で私の好きなドライブラインであるが、人の気持ちにはそっぽを向きながらも寂しげな空気を漂わせている。ホッパーだなあと思う。ちなみにこれらの写真、撮ったままで加工などはまったくしていない。 あまり真面目に見ちゃだめなのよ、「ああ何となくそんなような」くらいの気持ちでごらんいただけると私は野望を果たせたことになる。 明日はOFF. どこへ行こうか、雪解けの進む北海道を走り抜ける。 ホッパーの絵画を追い求める旅は始まったばかり。またひとつ、北海道の新しい暮らし方とKHC(Kate the Hopper Chaser)、ただ勝手に楽しいだけの肩書を手に入れた。
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Moments 25: 視界を埋め尽くす氷の群れ
過ぎゆく季節を惜しみながら、本日は流氷のお話。 2月21日。 2月が来ると毎日のように「流氷速報」を確認し、こちらのスケジュールと流氷の接岸がぴたりと合った日にはカメラを提げて車に乗り込む。 北海道の流氷は、オホーツク海のロシアに近い北岸で海水が凍りつき結合しながら南下してくるのであるが、いったん接岸してもその日の風の強さや向きによって陸から離れるため、一般人の観測は行き当たりばったりなところがある。 この日東へ向かうこと3時間、海岸線に出ると海が一面、凍っていた。厳密には流氷が密集して凍って見えたというものだが、きっと誰の目にも凍結した海。前日に接岸していたことを確認した上で当日のドライブを決めるも、一度ミスを経験していたためあまり期待せずに行こうと夫と話した。ところがありがたいまでの裏切り、これほど見事な流氷は初めてであった。 目の前の世界は蒼白く、水平線にだけ日が差して天と地を分けているように輝いていた。 視界を埋め尽くす氷の群れは、ロシアと日本を繋いでいるかのように思われた。ロシアからキタキツネが流氷に乗ってやってくるというし、こう凍っていては巡視船も動けまい。ここからぐんぐん歩いて行ったら国後島に着いちゃうんじゃないかしら、なあんてことを考えたりもした。 世界は不自然や不幸に満ちている。どれも元は人の心が動かし生み出すものだ。何と面倒なのだろうと思ったらひどく疲れたような気分になった。自然は感情など持たず私たちに島と島とを繋げて見せるのに。 つまらないことを考えながら時の止まったような、波音のない冬の海を凍てつく北風に耐えながらいつまでも眺めていた。 ◆ さて3月も中旬、東京はあさってが桜の開花予想日になっている。北海道は明日も雪の予報だが、流氷はいつまで見られることだろう。
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#CountBlessingsMonday~月曜の朝のおまじない
Song: “Good Love” by Angela Johnson ft. Deni Hines Monday Blue という言葉があるが、私にはあまり縁がないようだ。月曜日云々というよりも朝がとても好きだからだと思うのであるが、先月患ったインフルエンザが思いの外重く回復にひと月を費やしてしまった為、2週間前に終える予定であった仕事が〆切当日の今日もぐずぐずと終わらないでいる始末で目が覚めるなり心は真っ青なのであった。 でも大丈夫。蒼白な月曜日をキランキランの一週間に変えるおまじないを私は持っている。 大学時代初期を私はハワイで過ごしたが、時が経つにつれて物足りなさに苦しむようになった。友達もたくさんいたしカレッジライフも楽しかったが、その中で何か自分自身に求めるものを放棄しているような気になっていたのだった。 変化が欲しい。そればかり考えながら、日曜の夜が来ると翌朝が重たく感じられた。 エルサという文学の教授と気が合って、時々キャンパス内のカフェで話し込むことがあった。ある金曜日の午後、私は彼女に今の自分をどうすべきか尋ねてみた。彼女の回答は、 「それはあなたにしか答えを導き出せない神さまからの出題。思いきり苦しむしかないわね」 そして、こう続けた。 「月曜日の朝はね、ブレクファストを食べながら自分がどんなに幸せか、それを数えてみるの。ちゃんと声に出して感謝するのよ。その一週間が輝くわよ」 次の月曜日、いつもより1時間早く起きてカリカリベーコンと目玉焼きのブレクファストを作った。とろりとした黄身にベーコンをディップして食べるのが好きなのだ。 席に着き、私はまずエルサとの出会いに感謝した。それから両親に、次に、私が休暇で実家に帰り再びホノルルに戻る前夜、こっそり私の好む曲を集めてCDを作り深夜に手渡してくれる心優しい弟に、私の人生を明るくしてくれている世界中から集まった楽しい友人たちに、遠く離れても日本で私を思ってくれる温かい友人たちに、愛読書を著してくれた作者にも。 本当だ、何て私の人生は恵まれているのだろう。感謝を言葉にすると、心がじわりと温かくなってふわりと軽くなって、身体に新鮮な空気がどんどん入ってくるような気分になった。以来私は己を戒め祈りを捧げる気持ちで #CountBlessingsMonday と名付け、朝食のテーブルで感謝を口にするようになった。 今朝は朝食のテーブルで、やっぱり真っ先にエルサに。それから彼のおかげで私の人生には恐れがない、永遠の大親友・夫に、愛して止まないニューヨークに、近付いてきた春に、それから最近知ったフローズンのパスタシリーズ。これがかなり気に入っていて夫が出張でいない忙しい夜はちゃちゃっとチンして食べているのであるが、これを生み出してくれた日清食品にも感謝しちゃうのだった。おかげでテンションを取り戻して仕事を終えることができ、この一週間も陽気に過ごせそうである。 日本は月曜日が終わってしまったが、ブルーな週明けを迎えた朝には是非試してみて。意外と効きます。