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冬が来るまえに
“So Far Away” by Carole King 10月17日、旭川、札幌など北海道のところどころで初雪が降った。 街の紅葉は美しいのに、秋が旅立つのを待たずに冬が来て少し慌てた。 まだ足りない、私には秋がまだ。 北海道の中央より少し北にある旭川市。 この町に美しい英国風庭園がある。それがここ、「上野ファーム」。ガーデンは今月15日で今シーズンの公開を終え冬休みに入ったが、クローズのほんの数日前に大急ぎで訪れた。 上野ファームは、旭川の美しい秋を集めた庭だ。入口を抜けると、別世界。 秋のイングリッシュガーデンは、イギリスの画家、コンスタンブルの描いた風景画のように誰の心にも安らぎを与えてくれる。 ああ、風が冷たくなかったなら、いつまでもここに座っているのに。 花の季節はまだ終わらないと、力強く主張するこの花の名前は何だろう。 デルフィニウムのようで、違うような。 太陽に向かって夏を呼び戻さんと真っすぐに伸びていた。 元気に実っていたのはポークウィード(pokeweed)。和名は洋種山ゴボウという。 こんなにおいしそうなのに、無情にも毒性植物。誘惑に負けて食べてしまった人がどれだけいることか。見るだけ、見るだけよ。 果汁は美しい染料に。見事な秋色のショールができそうだ。 レンガの壁に触れると、ひんやりと冷たい。夏に来た時は灼熱の太陽を受けて2秒と触っていられなかった。 陽光が秋の深まりとともに弱くなっていくことを、指先で感じた午後。 散歩道に、海松(みる)色の小さな小屋。かわいいこの扉の前に立つと、訪れる人は誰もここが日本だということを、ふと忘れてしまうはず。 北海道は不思議な国。10月になってもアジサイ、ひまわり、菜の花を見かける。このアジサイはやがて見事なバーガンディレッドに染まり、季節の終わりを私たちに告げる。 逞しいパンプキンのファーマーは上野ファームのフィナーレを鮮やかに彩っていた。 四つの季節、どれが好き?と尋ねられたら私は迷わず秋、と答えるだろう。けれど季節は、同じ場所には留まれない。 去りゆく秋を、呼び止めた気分だ。秋よ、さようなら。 これで冬を、迎えられる。
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Gusto~心になじむもの
“Put Love, Love, Love in It” by John Staddart 「コーヒーメーカーは手入れが面倒だ」と常々思っており、それを理由に長年Chemexを使ってきたのだが先日壊してしまった。新しいものを手に入れるまでの間、さてどうするかと思案した挙句に思い付いたのが、もう30年も使っているカラフェの代用。 さて日曜日の早朝7時前。仕事が立て込んでいる朝はブレクファストを摂らない。健康のためとガマンして飲む青汁のスムージーと4種類のサプリメンツ、そして1杯のコーヒーで私の1日は始まる。食事はせずともコーヒーは必ずその朝の気分でカップを選んで飲む。 なかなかいいでしょう、これ。ニューヨーク北部、マサチューセッツ州との境にある小さなアンティークショップで見つけたカラフェで、1890年代のイギリス製だと聞きながらも安価だったため話半分に聞き、結局はアンティークでなかろうがMade in UKでなかろうが、とにかく姿と色が気に入り持ち帰って以来の付き合いである。 心がとても喜んで、その日からワインがより美味しく、ダイニングがより楽しく、食器棚がより美しく見えるようになった。 Funkyで気取らない我が家のカラフェはホームパーティーの場でも好評で、使う楽しさのみならず見せる楽しさも、この出会いのおかげで味わうことができた。 厚手で深いので保温力にも優れており、使い始めてからすっかり我が家の「朝の顔」。これはもしかするとChemixを上回ってしまったかもしれない。 コーヒーカップは、これももう20年以上使っているTiffany製。当時Tiffanyは、先だってF.G.S.W. Maruがご紹介したBordallo Pinheiro を思わせる(カップに表示はないがおそらくBordallo Pinheiro)ポルトガル・メイドの陶器シリーズをいくつか出しており、このデザインには私のマテリアルガール・サイドが抑え切れず、マンハッタンの本店で見つけるなり購入したものだった。私はこれで紅茶も飲む。 ◆ 手になじみ、心になじむ。ブランドやクオリティに関係なく愛着を持てるものと暮らすのは楽しく、人生の小さな日々を豊かにしてくれる。 だから私は心に従う。心を先頭に立たせて歩き、心の求める出会いに誠実でありたい。このカラフェのようなものにも、人にだって。
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ひとつ目の秋
“You’ve Got a Friend” by Carole King 優しくてもの哀しい秋が好き。そして秋はCarole Kingの季節だ。 道北は1年のうち半年近くが雪に眠る。ほか3つの季節はどれも短く、秋も街を駆け抜けるように深まっていくから私はそれを追うのに精いっぱい。 休日、散歩をしていると音もなく足元に落ちたナナカマドの実。少しくすんだ朱が短い秋を急いで伝えるように憂いを含んでいる。 昨日の午後、東南の窓から初雪に覆われた十勝岳が見えた。あと3週間もしないうちに街も白くなるだろう。明日はクロゼットの衣替えをしよう。 今秋初めてのパンプキンは、出荷できないものを農園で選ばせてもらった。 裏が少し傷ついているので手に入ったものであるが、形だけ見るとマンハッタンのdeliで$50の値がついていても抱えて持ち帰るに違いない。それほど気に入った。 ニューヨークか。私は北海道を愛して止まないが、秋が来ると無性に帰りたくなる。 毎年通りのカツラやブナが色づき始めたら、木の実でキャンドルリースを作る。 2017年は、この1年楽しみに乾燥させたツルウメモドキの枝。 10月、11月のコーヒーテーブルがこの小さなリースひとつで華やかに、rusticになる。ろうそくは、シナモン&クローヴ。毎晩仕事から帰ってくる夫に「うちの中が一番秋だな」と言わせるのも秘かなる目的のひとつ。 仕事に追われても、リースを作るひとときは忘れない。 夫が知り合いの農家さんでごちそうになった「坊っちゃんかぼちゃ」の簡単スウィーツは今や我が家の定番だ。この秋ひとつ目の坊っちゃんかぼちゃももちろん農家さん命名「農家のホットパンプキン」で味わった。大好きだったスウィートポテトも、今はこれに勝てない。 ナナカマド、パンプキンパッチ、キャンドルリース、坊っちゃんかぼちゃ。 これが私の、今年ひとつ目の秋。 ◆ The Easiest Way to Cook “Farmers’ Hot Pumpkin”: 1.坊っちゃんかぼちゃ(直径10cmほどのもの)を水にくぐらせ、ラップする。 2.500wのマイクロウェイブで8分間加熱する。 3.あつあつのうちに上部をカットして種を取り除く。 4.バター、メイプルシロップはたっぷりと。最後にシナモンパウダーで仕上げ。 バターとメープルシロップが基本だが、中にアイスクリームを1スクープぽこっと落としたりマスカルポーネチーズとココアパウダーでパンプキンティラミスにしても秋らしいデザートになる。 ステーキの付け合わせとしてもよく合い、ローストガーリックのクリームソースに絡めたマカロニを中に詰めるのはおもてなしの時。
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Moments 18: 22時の散歩
“What a Difference a Day Makes” by Julie London 恋の行方は、22時の散歩次第。 空を見上げても星も見えないマンハッタン、22時。 ぽつりぽつりと人影が消え、静かになった通りを秋風に吹かれて歩く。 昼間は目にも留まらない店のショーウィンドウ。 暗い壁に浮かび上がり、二人は足を止めて奥を眺める。 彼女が言う、「気付かなかったね、このディスプレイはいつまでかしら」 彼が言う、「じゃあ、また来て確かめてみる?」 翌日も1週間後も22時、二人はまたここに来る。 彼女が言う、「サンクスギビングのデコレーションはいつ頃かしら」 彼が言う、「11月になったらすぐじゃない?来てみれば分かるよ」 その年のクリスマス。 彼女が言う、「来年の今頃もこの店はあるかしら」 彼が言う、「じゃあ来年の今日も来てみよう、一緒に」 口には出さないが二人は思う、この店がなくなったら僕たちは、私たちは。 けれど22時のニューヨークには見えている。 翌年のこの店のホリデイデコレーションと、雪で頭が真っ白の、二人の姿。 10年後の今夜、5歳の娘を真ん中にこの店の前で足を止める二人の笑顔。
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カウガールは甘くない:Being a Cowgirl is Hard to Do
“Red Neck Woman” by Gretchen Wilson ある夏、ダラスに住む友人カール、モニカ夫妻をいつものように車で各地を旅しながら10日をかけて訪れた。 テキサスは私たちの宿敵であるが(テキサス恐怖症~Texasphobia参照)学生時代からの仲であるこの二人が私は大好きで、テキサスが近付くにつれファイトモードになりつつも楽しみでならなかった。 広大なテキサスらしい大きな屋敷に滞在中、彼等はカウボーイの町、フォートワース・ストックヤーズ (Fort Worth Stockyards) を案内してくれた。 ここは1866年以降家畜のせり市として名を馳せ、1976年国立指定歴史地域となった町。現在せりは行われておらず、昔らしさもどの程度残っているか定かではないが、カウボーイ・カウガールのパレードやロデオなどウェスタンの世界を満喫できる有名な観光名所である。 道行くリトル・カウガールに目が留まる。こういう風情が日本にもあれば国全体の文化的ブランド力が随分と上がるであろうにと思う。 遠目で申し訳ないのだが、生まれて初めて見るカウガールはキラキラと眩しいほどに美しく、まるで馬を操る生けるBarbieという感じだ。 あ、ほんとにそっくり。 私たちが見たのは彼等の息子が楽しめるファミリー向けのショーで、カウガールのマーチやロデオ、子供の牛追いならぬポニー追いなどほがらかなアトラクションばかりでとても楽しかったのであるが、私の目はとにかくカウガールたちに釘付けで、あることが頭に浮かび最後はショーを見るよりぼや~んと考え事をしていた。 ショーの後、カウガール・ミュージアムを見て廻りながらますますその世界に引き込まれた。そして「私はこれに、2,3日なれないか」というオコガマシイにも程がある図々しい欲が頭をもたげ始め、となったら本能先行型であるので早速館内案内をしていた女性に尋ねてみた。 「カウガールになるには、どうしたらいいの?」 彼女は実に誠実に、私の子供染みた疑問に答えてくれた。 カウガールになる最低条件は、 1.カウボーイ・カウガールとテキサスの歴史を学ぶ 2.これを天職と思えるか何度も自分自身に問いかける 3.カウガールらしい身なりをする 4.何度も牧場を訪れる 5.カウガールの仕事を知る(馬に乗り、牛を追う。家畜の世話など) なるほど「学ぶ」に関しては抵抗はないし、カウガールのアウトフィットはかわいいから文句なし。馬術経験者なので馬に乗るのも問題はない。やりたいことがあれば住む場所などどこでも良いし、テキサスなら敵陣に乗り込むようなものだ、行ってやろうじゃないのってくらいである。けれど威勢の良いのはここまでであった。 2、4、5で私は振り落とされることになる。 問題は、牛だ。 カウガールのカウ (cow)、は「牛」である。ゆえに牛の世話は欠かせない。あああ。 「カウガールになるかどうかは懸命に牧場で牛の世話をしてからの話よ、一日中きれいにしていられるとは冗談にも言えない仕事だから」と言い「彼女たちの服装にしても機能性重視であっておしゃれという認識は半分以下ね」と続けた。 彼女の言葉でテンションは8割方落ちた。 さらに「あ、そういえば」ふと思い出したくもないことを思い返してしまった。9歳の時、キャンプの朝牛舎の2階から干し草を落とす手伝いをしていた際干し草に足を滑らせ、穴から牛の背中目がけて落っこちたことを。その際あの牛舌で頭をベロリと舐められ、以来牛が強いトラウマになったことも。 おまけに重労働を強いられるカウガール、血の滴るようなこんな肉だって食べられなければやっていかれない。しかしこのステーキはもう凡人の許容範囲を優に超えている。 恐るべしテキサス。ムリムリ、私には絶対に無理。第一、書く仕事を諦められるのかというと、やっぱり無理だ。 情けない目で夫を見ると「あたりまえじゃん」と言いた気に口元でせせら笑っている。 無念だ、今回もテキサスに完敗である。カウガールの夢は、奇しくも修行どころか憧れの入口でその日のうちに萎え消えた。 帰路、カウガールになろうという女性たちはどういう夢を持ってその道へ赴くのかずっと考えていた。クールな人生の構築か、歴史・文化継承の担い手か、あるいはファミリービジネスか。結局私のような軟弱な女には想像もつかなかったが、ひとつだけ確実に感じ取ったことが大きな収穫となった。 Being a cowgirl is one big commitment. とてつもなく大きな決断だ。カウボーイ、カウガールには日本の武士道に似たハードボイルドなところがあると思うのだ。生半可な気持ちでは続けることどころか入り込むことさえできない。そして楽しむことは大切であるがそれ以前に、常に冷静に、ひたむきに従事するという固い決意がなければ結実しない生き方なのだというものだ。 この日出会ったカウガールたちもきっと、可憐でプレザントなだけでなく、気骨のある内面を持ちハンサムに生きているんだろうな。 とても適わない。大した取り柄もない我が身をちっぽけだ、不器用だと苦々しく見つめ直すも「彼女たちの気骨を身につけよう」という目標を得て、最後には満たされた気分でフォートワースを後にした。 ◆ 余談であるが、その年の10月、モニカから荷物が届いた。中にはカウガールのコスチュームが入っており、カードには「夢を叶えてね」と書かれてあった。 友の小さな夢を実現させようという温かい友情に思わず衣装を抱きしめた。にもかかわらず最後の「それを着てOTB(場外馬券売り場)へ行かれたら20ドルあげるよ~」というところを読むなり真意を測りきれなくなるケイティであった。…
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Mellow Yellow Hokkaidow~秋色北海道
“Hello My Friend” by America 短い夏が去っていった。 季節が変わったと教えてくれるのは山から流れてくる冷たい風と、街中を柔らかく包み込んで胸をきゅっとせつなくさせる、優しい黄色の世界だ。 カラーコード#FEF263・黄檗色(きはだいろ)。 東川町キトウシ森林公園のルックアウトから見る秋色風景は、稲の刈り入れを控えた今が一番美しい。車のボンネットに寝転がってしばらくじっと見ていると、太陽の角度が変わるにつれて下界を覆う黄色少しずつ変化していく。 現実であることを忘れてしまう、一瞬の錯覚が楽しい。 晩夏の北海道を彩った女郎花色のルドベキアもそろそろその役目を終え、次の季節へと命を繋ぐ。 家路を走る私たちを和ませるのは、山吹色の田んぼに差す午後4時の日差しの温かさ。 丘には金茶色のキバナコスモスが色鮮やかに咲き乱れ、秋の訪れを歓迎する。青空にも、雨の日にも似合うこの花が、私は今の季節一番好き。 太陽の恵みも繊細な承和色(そがいろ)の葉に守られて、今年も大きく育ちました。もうすぐ刈り入れ、私たちが白く小さな新しいいのちの粒に出会えるのももうすぐだろう。 柑子色(こうじいろ)のケイトウ、花言葉は「おしゃれ」「気取り屋」「色褪せぬ恋」。毛先に残った夏の欠片が風に飛ばされてシャボン玉と消えてしまっても、二人の恋は秋とともに深まっていく。 今日の旭岳は鶏冠石(けいかんせき)の黄。紅葉の見頃を迎えた山肌が傾いていく陽光に照らされて、青空に凛と聳える日中の姿とは違う、女神の微笑にも似たソフトな一面が恋しい気持ちを呼び覚ます。 ふと母の声が聞きたくなる。明日は電話をしてみよう。 夏季限定のこのドリンクもベンディングマシンから姿を消し、代わりにアップルティーがディスプレイされていた。 気まぐれな秋の空は刈り入れの終わった飴色の麦畑を憂鬱にさせる。 灰色の雲が広がり、雨が降り、虹が出て、また雨が降り、丘が眠りにつこうという頃、この道の向こうから冬の精・雪虫が7日後の初雪を告げにやってくる。 9月の夕陽ははちみつ色。ミルキーなオレンジをほんのり含み、柔らかに暮れていく。 澄んだ風がいい気持ち。肌寒くても少しの間ここに立っていよう、あの太陽が、地平線へ沈むまで。 “Nothing dies as beautifully as autumn.” – Ashlee Willis, A Wish Made of Glass
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New Yorkの背筋は永遠なり:Undying and Stronger
あの日のことは決して忘れないし、話したいことも数限りない。けれどどのように話せばよいのか、悲しみか、怒りか、恐怖か、ただ複雑な思いが溢れるだけで16年経った今日も私にはよく分からない、ただひとつを除いては。 ◆ 大学時代、ダウンタウンへ研修に行った折恩師がワールドトレードセンターの麓から空高く聳え立つツインタワーを指差し「ニューヨークの背筋」と呼んだ。 私はこの言葉がとても好きになり、当時ワールドトレードセンターに用事ができるとそこで会った人に必ず話して聞かせ、彼等は口を揃えて「ここで働けることを誇りに思う」と言った。彼等の中には16年前の今日、命を落とした人もいる。 世界経済の道標、ニューヨークの誇りであった2本の巨塔は卑劣な手段で倒され、家族や友人たちにとっても、また国にとっても世界にとっても大切な命が奪われた。 ペンタゴンの事件でも私は友人を失ったが、私の人生を豊かにしてくれた人たちが一瞬にしていなくなる恐怖と憎しみは、今も消えることがない。 けれどもニューヨークは悲嘆に暮れることなく苦難を希望に変え、さらに強く不死身となるべく新しいワールドトレードセンターを築いている。 事件の3ヶ月後、ニュージャージーからニューヨークの家へ帰る途中、当たり前に見ていたワールドトレードセンターがなくなったことを目の当たりにし、なぜだかその時「ぜったいに負けない」と漠然と呟いたのを思い出した。 ◆ 昨日、ヒストリーチャンネルでSeptember 11th の特集を見ていたら、あの事件で家族を失くしたという男性がこう言った。 「明日の今頃死んでいるのなら、せめて今日は幸せでいたい」 これは彼の懇願などではなく意志の強さであり、こうした思いがニューヨークを悲しみの淵から救ったのだろうと私は思った。 ◆ 私たちは、明日を知らずとも戦わずして今日、勝者でいよう。不変且つ最強の勝者とは、平和な社会の中で潔く生きて行く姿に他ならない。 今を思い残すことなく懸命に生き、国を守ってくれる人たちに感謝し、明日も明後日も、10年後もこの幸せが続いていることを願うのではなくその実現に努め、誰もが平等に持つ命と幸せの権利を侵そうとする悪に屈せず果敢に歩いていくことを、今日も私たちの姿勢を正してくれる「ニューヨークの背筋」とそこで犠牲となった多くの命に誓う。
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思い出と再会する回廊~雨竜町「豆電球」の不思議
“或る日突然” by トワ・エ・モア(1969) 私は昭和生まれの人間だから、昭和の香りには敏感だし、懐かしいし、とても恋しい。ましてや日本で大人になることなく渡米した我が身我が心は日本にいると時折記憶の中で生きているような気がしてならず、ヴィンテージ・ジャパンを探し求めて彷徨い歩くこともある。 東京にいると浅草や柴又がそれに当たるが、遠く離れた今、北海道でもようやく、ちょっと寂しげなそんな気持ちを満たしてくれる宝もののような場所に出会うことができた。 北海道雨竜郡雨竜町、「豆電球」というその店はリサイクルショップと称しているが、夫は店のマダムに「いいえ、ここはミュージアムです」と言っていた。 店の建物は旧雨竜中学校をオーナーさんが13年前に移築されたもので、敷地に入るなりタイムスリップしたような気分になる。 扉を開くと、遠い昔暮らしの中にあった古い歌が流れていて、私はもうするするとタイムワープし身体さえ小さくなったように無邪気な少女の頃に戻っていた。 昭和以前にまで遡る錯覚と、その世界をつくる古きものたち。 私から上の世代はノスタルジアを覚え、この店のマダムが言われた「世代によって感じ方が違うようですよ」の言葉どおり、若い世代には新鮮で刺激的に映ると言う。 この座敷、奥に文机があるが、ちょっとくたびれた浴衣に身を包んだ文豪が背を向け万年筆で原稿用紙に向かっている姿がふわんと浮かぶ。 流行の古民家カフェなど営む人たちも「豆電球」にインテリアを求めて通うようだ。 手前の愛くるしい車は、オーナーご夫妻の息子さん自作。 よく見てみると、病院などの大きな看板が使われている。ニューヨークやパリの街角に止まっていてもしっくりきてしまいそう。材料も風合いもアンティークでありながら新しい時代を颯爽と生き抜く潔さを持っている。人もこうありたいと思う。 ヴィンテージとは思えないほどにミントなオート三輪車は、1963年製MAZDA T600 。寄贈品で「永久保存展示品」。オーナーさんの言葉をお借りすると、「戦後の急発展中の日本を、輸送で強く支えた名車」。 明治・大正・昭和生まれも、また平成生まれも必見の風格。 私の母は若い頃ファッション業界におり、行きつけの生地屋さんがあって私もよく連れられて行ったが、このネオンをそこで見た記憶がある。そして不思議なことに、 「あ、これ知ってる」と呟いた途端、私がまだ3つくらいの頃の母が、彼女が着るととてもよく似合ったデニムのロングワンピースで仕事部屋を立ち回る姿が目の前に現れたのだ。 思わず夫にも「若い頃のママがそこにいる」と言い「しっかりしろ」と窘められたが、あまりに懐かしくて、嬉しくて、そして帰らぬ日々を実感して泣きたくなってしまった。 翌日母に電話をすると「あら、そうだった?」と素っ気なく言われてがっかりしたもののこの店を訪れることがなかったら、おしゃれでかっこよかった当時の母に再会することはなかったろう。 「豆電球」は、昭和に、というよりも昭和を生きてきた人たちが自らの思い出ともう一度出会う場所なのだと知った。 長い渡り廊下には家具や食器が「整列」している。その様子は、子供たちが先生のホイッスルで一列に並んでいるようにも見えるから「整列」。 歩くたびにぎぎっと鈍い音を立てる床の音にも聞き覚えがあり、懐かしさが心を潤していくのが分かる。 曲がトワ・エ・モアからグループサウンズ、百恵ちゃんの「いい日旅立ち」へと変わり、思わず口ずさむと、いくつぐらいの時だったろうか、当時女の子なら誰もが夢中になって遊んだゴム飛びを、幼い私が友人たちとしている光景が脳裏を過ぎった。 するとマダムが、「うちに来てくださるお客さまはね、皆さん店でかかる歌が懐かしいって、店内を歩きながら歌われるんですよ」 すごくよく分かる、その気持ち。 “いい日旅立ち” by 山口百恵 この店にはインテリアにもできそうなヴィンテージのミシンがいくつもおいてあり、この日も若い女性がひとつ買っていった。何に使うのかな、尋ねてみればよかった。 もちろんウラングラスも置かれていた。その横にはリトファニーが施された茶碗。照明をあてて怪しく浮き上がる日本髪の女性の顔はヴィクトリア時代のイギリスで人気を博した日本の技とデザイン。 カメラを向けると夫が「そ、それはやめておいたら?」と言うので思い留まった。そのくらい妖艶で、何やら今にも話し出しそうな、魂を吸い取られそうなほど精巧に(ちょっと不気味に)できていた。 薄暗い蛍光灯の明かりにも、つつましいながらも力強い戦後昭和の暮らしが見える。子供の頃の、おばあちゃんちを思い出しませんか? 「豆電球」は営業日が週3日。これだけの広さとボリューム、本当に博物館にいるように楽しめるのに「もっとお店を開けてはいかがですか?」と伺うと、「いいええ、3日が精いっぱいなんですよ」 理由がおありですか?「あとの4日は仕入れたものや陳列しているもののお手入れをしてるんです」 そう、この店に置かれたものすべて、ゴミやほこりがまったく見当たらないのだ。 リサイクルショップや古道具屋へ行くと、商品として並んでいるものも所有者が持ってきた時のままを思わせるほこりが積もっていたり、古いタグが貼りっぱなしだったりするもので私たちもそれを当然と思っているところがあるが、伺ってあらためて感激した。 オーナー夫妻の、長い年月を掛けて完成させた大切な店と、心を傾けて選んだものたちへの愛が店内いっぱいに溢れている。だからこの店の空気は柔らかく、温かいんだ。 私はこのコリドーがとても気に入った。ここに立っていると、あの突き当たりの角から記憶の外に消えていた思い出たちがあとからあとから私に向かって歩いてくるようだ。 お菓子やタバコのパッケージ、どれもとても状態が良い。きっと誰かが子供の頃、クッキーか何かの缶に大切にしまっておいて時々開けてはにんまり笑っていたのだろう、「コレクション」と呼んで。 昔の、田舎の文房具屋さんてこんなだったんじゃないかしら。そう思わせる一画には実際にノートや鉛筆、ぬりえ、小さなおもちゃなどが楽しげに並べられている。 目敏い夫が見つけたこの「くれよん」を私は初めて見たが、とてもかわいらしく、しゃがんで顔を近付け眺めてみる。運動会や「良い歯の子」の賞品だったのではないかと想像していたら、この小さな箱がとても特別なものに思えてきた。 この場所でマダムにお話を伺っていると「あのスイッチ、大きいでしょう?ふつうに使ってるんですよ」。彼女の視線を追って振り返るとそのサイズに言葉が出ない。 オーナー夫妻の遊び心、ものを作る楽しさと、作ったもので見る人を楽しませる優しさが心に沁みてくる。この時、ああいい時間だな、そう思った。 マダムはとてもかわいい方で、会話の中で最も多いのではないかと思った言葉が「夫がね」。 「夫がね、木工の作業をずっとしているでしょう、だからひと息つけるような空間を作ってあげたかったの」 荒れた庭地を土づくりから始めて何年も掛けて造り上げられたこの庭は、ご主人さまへの思いを注いで仕上げられた見事なものだ。 なるほど癒しの庭には心に安らぎを与えてくれる清楚な草花ばかりが美しく咲いていた。 この庭には一切肥料を使っていないのだそうだ。「愛情の勝利ですね」そう言うとマダムは小さくこぶしを上げて「そうかしら」と笑ってらした。 楽しいひとときをいただいたお礼を言うと、「こういう出会いが何よりの幸せ」とマダムは外まで見送ってくださった。外はすっかり日暮れ時で、店は閉店時間を過ぎていた。 ◆ 帰り道、とうに忘れていた昔のことが途切れることなく思い出され、ずっと話していた。名前さえ忘れていた友達の顔も、いくつもいくつも蘇った。 もしもあなたに会いたくても会えない懐かしい人がいたならば、「豆電球」へ行ってみて。きっとその人があの回廊であなたを待っていてくれるはずです。…
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September: Freshly-Brewed Santa Fe Morning
“Love Has Fallen on Me” by Rotary Connection サンタ・フェは広いアメリカの中で最も好きな町のひとつ。歴史、文化、風俗。どれをとっても魅力に溢れ、訪れるたび新しい何かを与え、感じさせてくれる。 朝が大好きだ。いや夜遊びレンジャーだからミッドナイトもたまらないが、普段どんなに仕事が忙しくて夜更かしをしても朝はぱっと目が覚めて晴れだろうと雨だろうと、その朝のムードをからだいっぱいに取り込むことにしている。 サンタ・フェの朝は、淹れたてのアイスティーのように爽やかで、そしてコクがある。 特に9月は真夏の暑さが和らいで、朝はもともと涼しい町だが日が高くなっても午前中は清々しい、気がつけば太陽の下を歩いていると言っても過言ではないほどに。都会の公園を歩くのとはまったく違った、ふれあいの多い散歩。これが「コク」の部分。 そしてこの町の朝を歩くと、 “One day in September love came tumbling down on me ~” サイケデリック・ソウルなど歌ってしまう。道路を行き交う車にも道行く人にも慌ただしさなど少しもなく穏やかだが、爽やかな風に心がエナジェティックになるのだろう。 そう、誰かと巡り合って心に恋が生まれた時のような新鮮な驚きや喜びに似ている。 サンタ・フェに来たら朝は必ず散歩をする。当てもなく歩きながらネイティブ・アメリカンのバザーを覗いたり、アートの町にふさわしい色とりどりのハンドメイド雑貨の店に立ち寄るのも私たちの決まり。無造作に飾られたものたちには深い民族性に起因した迫力があり、手に取らずとも心が引き込まれる。 ナバホ族など、ニューメキシコ州はネイティブ・アメリカンの居住地としても知られるが、町には彼等の文化や信仰が息づいており、人の手によって作られたものにも彼等の魂が吹き込まれている。眺めて、触って、身につけて初めて彼等に出会えるような気がする。 そしてカラフルな手作り工芸品はどれも眩しい朝の太陽によく映える。 サンタ・フェを代表する観光スポット、本当は観光スポットなどというフラットな表現はしたくないくらい豊かな芸術に満たされたCanyon Roadは1.7kmにわたるギャラリーストリート。画廊の多くが庭を持ち、ブロンズ彫刻やクラフトアートなどが設えられている。 少しずつ日が高くなってきて9月とは言え「暑いな」と思ったら木陰を選んで歩く。日なたとの気温差も、新しくやってきた秋風もすっきりと心地良い。 街角のレストランでブランチを食べたらしばらく二人で旅の話でもして、午後になったらまた歩く。思い出づくりなんて忘れて、ただひたすらに今日の気分が向かう方へ、またRotary Connection でも歌いながら。
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夏の終わりのSky Palette
“I Wanna Thank You” by Maze ft. Frankie Beverly 雄大な自然に囲まれて暮らしていると、自然とカメラを空へ向けることが多くなる。 特に夏の終わりは人それぞれに特別な、思い出の詰まった季節。空もまた、この時にしか見られない色や形やエモーションを私たちに残してくれるから、その瞬間を見逃さないよう、今日も私は大空を見上げる。 どこまでも広がる真っ青な空にひとつふたつ、どっしりと重たい底辺のある雲を見つけたら、そろそろぱらっとひと雨来そう。この雲が降らせる雨は20分後、美瑛に残った夏の暑さをきれいに消し去ってしまった。 富良野・十勝連峰。山肌を撫でるように流れ込む滝雲は、そこだけ見ると恐ろしさも感じるが淡い水色の空が「心配ないよ」と言っているかのように雲を穏やかに見せる。 美瑛・富良野で遊んだ帰り道、車を走らせる夫がサイドミラーをちらりと見て言う。 「後ろ、見てごらん、空がすごい色」 ほんとうだ。これまでに見たことのないオレンジとグレーのコントラスト。楽しかった一日のフィナーレにふさわしい、美しい丘の夕陽。 海を見に行った帰り、海岸線を走っていると「おや?太陽が3つ」。 帰宅してすぐに写真を見てみると、なるほどこういうことだったか。空もにくいことをするものだ、何でもない一日をこんなふうに「忘れられない日」にしてくれる。 嵐が去った後の空は時折凄まじい余韻を残す。驚異なのか怒りなのか。たったひとつ私に分かるのは、人がどんなに優れていても、この空をつくることはできないということ。 そしてこれがもし空の怒りなのだとしたら、私たちは毎日空を見上げて尋ねるべきだ。 明日もまた、変わらないこの空に出会えますか、と。まだ間に合いますか、と。 好きで好きでたまらない、海辺で過ごす黄金時間。夏の終わりの色合いはまた格別だ。 このまましばらく時が止まればいいのにと見るたび思う。この星に生きる私たちでなければ味わうことのできない、夕陽を待つ少し前のひととき。 午後を書斎で過ごし、本を読むには暗くなったと顔を上げると、目の前に広がる燃えるような夕陽。”Breathtaking” まさにこの一瞬だと思う。 最後の収穫を待つ麦畑に季節の移り変わりを告げる雨がもうすぐやってくる。 カラーコード #778899の空に、地上が美しく浮かび上がる。 この空の名前は、Hex Light Slate Gray. 何と美しいサンセットだろう、そう思ってカメラを取り出すと空が描いているのは色どりだけではなかった。 明日の大空へと向かって優美に飛び立つフェニックスの姿に小さな幸運を感じる。 涼やかな晩夏の日暮れ時にぽっかりと浮かぶ満月のやさしい桃色に、厳しい夏の暑さや苦い思い出だけが、日焼けした肌がぽろぽろと落ちるように消えていく。 今年は懐かしい友にも会えた。青春時代を共に生きてきた人は宝物だ。ふとそんなことを思ったら、月を見ながらキーンと冷えたワインクーラーを飲みたくなった。 今日、北から吹く風に秋の気配を感じた。夏が、もうすぐ旅立つ。
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Moments 15: Hocus Pocus in POTUS’s Umbilicus
“You Can’t Stop the Rain” by Loose Ends とても褒められた話ではないのであるが、私たち夫婦、正直に申せば常習的夜遊び隊、ニューヨーク近郊のカジノホテルではちょっと顔を覚えられた存在で、カードゲームの腕前にもそこそこ自信がある。 折に触れカジノの話をすることになるであろうが、今夜に限ってこんなことを思い出したのは、夕方外に出た時に感じた雨のにおいがあの夜と同じだったから。 ◆ 現在のアメリカ大統領、ドナルド・トランプ所有のカジノホテル “Taj Mahal” は行きつけのひとつで、ニュージャージー州アトランティック・シティーのカジノ群へ行くと、だいたい深夜2時から2時半頃別のカジノから移って夜明けまでここで遊び宿泊するというのが決まったルートであったのだが、この夜は遅くになって雨が強くなり、早くからTaj にいた。 確か深夜1時になろうという時だったかと思う。そろそろ場がまとまってテーブルの集中力が高まって来た頃、ひとり負けが続いていた壮年男性が席を離れると後ろでビアを片手に見物していた見た目30代前半の男性が席に着いた。イタリア系だったろうか、この男、最初から妙なムードを持っていた。 場を乱す素質を持っていたというのか、テーブルで遊んでいたプレーヤーは全員感じ取っていたはずだ。遊び方の悪さも際立ち、わざと彼に目をやらない人もいればまじまじと睨むように見る人もいた。 (これは自宅の娯楽用BJテーブルでカジノ内部の写真撮影は禁止されています。) 最初から2,3のラウンドはおとなしくしていた男が、次のシャッフルからその邪悪な正体を見せるのだった。 ディーラーが彼の前にカードをセットするたび「トゥーンヌッ」と鼻先から抜けるような声(本当は「音」と言いたい、だって下から上へとしゃくりあげるようなヘンな声だったんだから)を上げたのだ。ギャンブルは当然ながらお金を賭けているわけなので、不審な所作や言動があれば見張り役のピットボスと言われるスタッフに睨まれ、最悪セキュリティが来てどこぞへ連行される。途端にテーブルの空気がピリピリと張り詰める。 皆の不安は的中、「トゥーンヌッ」でテーブルの空気は乱れ始め、男が入ってくるまではプレーヤー優勢で進んでいたゲームが一転、男のひとり勝ちという無情な事態を引き起こした。彼は酒に酔っており、へらへらと笑いながらふざけていた。 本気で遊んでいる、という言い方はカジノ経験者ならではの感覚だが、賞金稼ぎさながらの真剣勝負に挑んでいる男たちも大勢いるわけだ。1回に1万ドル以上(約100万円) をベットするプレーヤーも珍しくない。私の右横にいた中国系の男性は、それまではブラックチップ(1枚100ドル)とオレンジチップ(1枚1000ドル)を何本も高く積み上げていたが、男が来るなり殆どを失った。私たちも、私たちにとってはかなりの額を負けた。 次のラウンドからピットボスがテーブル前に着いた。おそらく男に対する何らかの指示が内部からあったのだろう。迷惑になるから奇声を上げるなと生真面目な顔で男に告げたがやはり男はへらへらと笑い、トゥーンヌッを続け、耐えきれなくなった私たちを含むプレーヤー全員が席を立つなりセキュリティが2人やって来て、男はテーブルから連れ出されると人ごみに消えた。 場に平和は再来したものの、一度乱れた気はなかなか浄化されない。誰もあのテーブルに戻ることはなく、私たちも残りのチップを換金してカジノを離れた。 「もう今夜は部屋に戻ろうか」「あいつめ~」二人で話しながら、良い運を吸い尽くされたようで遊びを続ける気分にはなれず、頭でも冷やすかと外に出た。 雨は止んでいたが、ひんやりと潤った空気は雨のにおいを含み、これがいっそう私を憂鬱にした。そして驚いたことに、普段ならいくら深夜の雨上がりとは言え一人として歩いていないなどということは考えられないボードウォークに見事に人影がなく、ただネオンを映してそれを美しいと思うも、それより何より「景気が悪い眺め」としか解釈できず、眠ることのないアトランティック・シティーで有り得ないほど早くホテルルームに戻ったのだった。 ◆ それにしてもまさか世界中が注目した不動産王が大統領になろうとは、あの夜Taj で遊んでいた人たちの誰が思っただろう。個人的には今の彼よりも大富豪という姿で全米のギャンブラーたちを手のひらの上で遊ばせている方が、ずっとかっこよかったのにと思うのだが。