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Solitude Lovers Union

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  • July 12, 2017

    Signs #1: Heartbreak Hotel

    Signs #1: Heartbreak Hotel

    “Heartbreak Hotel” by Elvis Presley   旅先で、また暮らしの中でもふと目につく看板やシンボルがある。それは特別私に関わりのあるものでなくてもどこか気になり、好きになり、「あのサインを見ると心が晴れる」「この看板の下に立つとイヤなことを忘れられる」そんなふうにいつしか心のお守りになっていたりすることもある。 本当のことを言えば、特別エルヴィスが好きだというわけでもない。けれどアメリカにいる限りこの人の存在を100%スルーして生きるなどできないのだから、やはりKingと言われるだけの存在なのだ。 そして「特別好きでもない」とか言いながら彼の歌なら何曲でも歌えるし、メンフィスを訪れるたびやっぱりGracelandに立ち寄ってしまうし、エルヴィスの好物だったというバナナプディングだって作れちゃうのだから、調子の良いことに実はけっこう好きだったりするのかもしれない。 Elvisの名曲 “Heartbreak Hotel”は、こんな歌。 Well, since my baby left me  / かわいいあの子が僕のもとを去ってから I found a new place to dwell  / 新しい住処を見つけたんだ Well, it’s down at the end of Lonely Street  / ロンリー・ストリートの突き当たり At Heartbreak Hotel  / ハートブレイク・ホテルさ Where I’ll be, I’ll be so lonely baby  / 寂しいよ、寂しくてたまらない […]

  • July 11, 2017

    Street Tales #1: Beale Street

    Street Tales #1: Beale Street

    “All Your Love” by John Mayall & The Bluesbreakers w/ Eric Clapton(1966)   1990年代初頭だからかれこれもう30年近くも前の、我が夫Mattの話。 当時グリニッチ・ヴィレッジにThe Bottom Lineというヴェニューがあって彼も私もよく足を運んだ。残念ながら2004年に30年の歴史を閉じたのだが、実に多くのミュージックシーンがそこで生まれ、今も語り継がれている。    authorized by WNYC 確か、今日のように暑い日の午後。Mattがひとりワシントン・スクエアを歩いていると、彼の着ているTシャツを指差して見覚えのない男性が近付いてくる。そして、 「おお、それうちの店だよ」さらに、 「気に入った。今夜ボトムラインで友達が演奏するからおいでよ」 黒いTシャツには白字で “Rum Boogie Cafe” というロゴが入っており、着ている本人はその店で買ってきたわけでも、また別段何を意識して着ていたわけでもなかったものだからただ驚き、彼の差し出すチケットを言われるままに受け取った。 その日の夕方ボトムラインへ行くと、昼間会った自称「Rum Boogie Cafeのオーナー」は店の奥で誰かと話をしていたが視線が合ったので手をあげて礼を言うと彼も笑顔で手を振った。 彼の言っていた「友達」がブルース・ロックのレジェンド John Mayallだと知って、Mattは街角に転がっていた幸運を拾ったような夢心地で演奏を楽しんだと言う。 その話はここでおしまいなのであるが、数年後、旅行中メンフィスに立ち寄った時、黒に白字で店のロゴが入ったTシャツを思い出してBeale Streetを歩きながら当時の夫の話を聞いていると、 「あ、ここだ」 Rum Boogie Cafeは、トワイライト・アワーにネオンが美しく映える、居心地の良いブルース・バーだった。 実のところ、夫はその男性の言うことを話半分に聞いていたと言う。ニューヨークには人の数だけ思いもよらないおかしな出会いもあるものだから。 けれど結果的には嬉しいかたちで予想を裏切られ、普段は冷静でシニカルな夫も素直に興奮していた。そして長い時を経てボトムラインの思い出と再会したことを、彼は大いに喜んだ。 Time goes by. Life goes on. 時間とともに街は変わる。けれど心の中にある青春時代の風景は、決して色褪せ消えゆくことはない。  Rum Boogie Cafe John Mayall […]

  • July 9, 2017

    利尻の女神 ~ Rishiri Goddess Parenting Colony

    利尻の女神 ~ Rishiri Goddess Parenting Colony

    Ocean Waves   面積182.15k㎡・人口約5.500人、北海道は利尻島。都会人には思いもよらない自然の美と驚嘆に溢れている。そして小さな物語が生まれそうな神秘も。 北海道には名前の付いた岩が多いと海岸線をドライブしながらよく思うものだが、利尻島では2つ見つけた。ひとつは「寝熊の岩」クマが寝そべっているような形をしていると言う。けれど残念ながら私の目にはお昼寝中のクマが映りはしなかった。 そしてもうひとつ、これは何かあるに違いないと思わせたのが「人面岩」である。 お分かりになるだろうか、海に向かい天を仰いで笑っている人の横顔。しめ縄のせいか、アイヌの娘に見える。穏やかな眼差しはうっとりと輝く太陽を見つめ、口元からは美しい利尻の自然を称えた民謡が聞こえてきそうだ。 ところがこの人面岩、いくら調べても名前が付いている他には特別な記述がない。何か伝説でも潜んでいそうな佇まいなのに。 ウミネコ (Black-Tailed Gull) はチドリ目カモメ科の鳥類で、4月から7月にかけて繁殖する。北海道はウミネコが好んで繁殖する地である。ちなみにウミネコとカモメの一番簡単な違いは、クチバシの先端。きれいなイエローはカモメ、先端に赤斑を持つのがウミネコ。 ウミネコはカモメ同様顔に優しさが感じられずなかなかの強面であるが、こうして子供に寄り添っている姿を見ると、どんな生きものにも愛情は存在するのだということを実感させられる。心なしか子に向ける視線も温かい。 まるでこの地と海を守る女神がウミネコたちと談笑しているような人面岩は7月、子育てマンションとして小さな楽園を成している。 女神は大きな波から子供たちを守り、成長を見守り、ウミネコの親鳥は女神を信じてここに落ち着き、安心して子を立派に育て上げるという使命と向き合っているに相違ない。 誰の束縛も受けない自由という幸せがここにある。けれど一方でその幸せはあらゆる「他」を無碍に傷つけない、本能に導かれた暗黙の了解という小さな秩序のもとに成り立っているものなのだと、ほんの短い時間絵本に登場するような光景を眺めながら、これが人にはどんなに難しいことかと羨ましく思ったのだった。   利尻島観光案内 Rishiri Island by japan-guide.com

  • July 7, 2017

    テキサス恐怖症 ~ Texasphobia

    テキサス恐怖症 ~ Texasphobia

    “Why Can’t We Be Friends” by WAR     北米大陸横断決行中、何度となく訪れる「中だるみ」。前回アリゾナで「中だるみNo.8」に襲われた話をしたが、あんなの実は、かわいいものなのである。 ニューヨークからロスアンジェルスまでの旅で最も長くツライ中だるみをお見舞いしてくれるのが、696.241k㎡の広大な面積を誇る私たちの宿敵、テキサス州である。 総面積83.425k㎡の我が北海道と比べると、「でっかいどう・ほっかいどう」なはずの北海道が8個すっぽり入ってしまう大きさということになり、計算してみて驚きを新たにした。 テキサスの旅はヒューストンから始まり、途中ダラス近郊の友人宅で優雅な2泊を過ごさせてもらった後再び走り始めた。 大王テキサス、悪いことばかりではない。その広大な土地を、渋滞や信号に止められることもなくただひたすら走り続けるのは快感であり、地球を手に入れたようで気持ちも大きくなるものだ。 「ここで油田でも探すか」「来年の今頃は石油王だ」 NYに帰れば思い出しもしないこんなことを言ってみちゃったりもする。 そしてテキサスはホームに誇りを持っているなと思う。ファーストフードのデイリー・クイーンに立ち寄ると、どこにでもあるデイリー・クイーンではなく明らかに「テキサスのデイリー・クイーン」を主張している。 ちなみにここでスナックタイムをとるのは2度めだったが、相変わらず客はいなかった。 カントリー・ライカーならちょっとダイニングルームに取り入れてみたくなるデザイン。 エキストラ・ラージのドリンクカップはお土産にもなるかわいらしさ。飲み終わった後レストルームできれいに洗い店から持ち出すも、次の州に入るなり「じゃまだ」と夫に捨てられてしまった。 私たち夫婦にはこうしたケースが多々ある。今も忘れられないのは私が自分で絵付けしたクリスマスのオーナメントボール。「また描けばいいでしょ」を理由にまとめて捨てられてしまったが、これだけは今も少々恨んでおるぞ、夫。 とは言え仲良し夫婦はここまでの旅のおさらいなど話しながらぐんぐん西へと進む。 特筆すべき風景などない為、途中小さな家や牧場のサインなど見ると安心する。何しろ平坦な土地は何マイル先まで見えているのか分からないが、途中ふと宇宙のどこか小さな星にとり残されたような気持ちになるのだ。 家も牧場もあっという間になくなって、青い空と緑の大地をただ駆け抜けていくだけだ。景色に疲れることなどあるはずもないとお思いかもしれないが、何時間走っても同じ場所にいるような錯覚は「つまらない」を飛び越えて恐怖感をもたらすものである。 「ねえ、大丈夫かしら、テキサスから出られるのかしら」 真剣に夫に尋ねると、安心させてくれればよいものを無情にも「実はちょっと不安」。 唯一の救いはこれ。テキサスを通り抜けるうち何度となく目にするパンプジャックは油井の掘削機。広大な農地や野原のみならずこれもまたテキサスを代表する光景。なかなか味がある。 パンプジャックに叫んでしまったりもする。どうせ通る車もないことだし、手なんか振ったりもしてしまう。することも話すこともないものだから、この頃には旅にありがちな大胆行動がおかしな方向へ傾いている。 「ありがとう、私たちの目の前に現れてくれて、ありがとう」 けれどもう、奇行さえも億劫になって、二人じっと前を見据え走るだけ。テキサスを侮っていた。と言うよりテキサスを避けて別の州を通り過ぎてくればよかったと猛省するのだった。 ラジオからWARの “Why Can’t We Be Friends” が流れてくる。まさにテキサスへ訴えかけたい歌である。歌詞の意味などおかまいなしに、会話を失った愚かな夫婦は大声を張り上げこの歌を合唱しながら暮れゆく夕陽に向かって走り続けた。 決してテキサスがフレンドリーでないということでなくこっちが精神崩壊を起こしかけているだけであるが、どこまで行っても同じ景色、どこまで走ってもニューメキシコまであと何マイル、なんて出てこないのだから仕方ない。 山もなく、小さな丘も川もなく、ただずーっと平地が広がっているだけのテキサス。この我慢比べ、とっくに私たちの負けは決まっていた。 テキサスは、直進する迷路だ。 日が暮れてもやっぱり同じ風景。ああもう耐えられない。とうとう私は、長時間愚痴も言わず運転し続けている夫へ決して言ってはいけない言葉を発してしまった。 「飽きた」 更に悪いことに、配慮のない妻はこのひと言を吐き捨てるなり、図々しくも寝落ちたのだった。 どこだったか、日記でも出してこなければ思い出すことができないが、おそらく小さな町のモーテルで1泊でもして翌朝またしばらく走ると、ようやく「ようこそニューメキシコへ」のサイン。テキサス滞在ほぼ4日。この時点で私はもうニューメキシコが大好きになっちゃった。 さすがの夫も「次はテキサス抜きね」。私は夫に握手を求め「ありがとうありがとう」と何度も言った。 さらばテキサス。もう当分おぬしに会うこともなかろうが、中だるみの苦しみと敗北感を忘れた頃、今度は何か強力なマンネリバスターを引っ提げて再度挑む。  

  • July 5, 2017

    Moments 11: Happy 4th of July

    Moments 11: Happy 4th of July

      7月4日は独立記念日 / Independence Day、アメリカは今日241歳になった。 ニューヨークの家にいると、この日はどこかしらのBBQパーティーに呼ばれて行くか、旅行先で花火を見るか、予定がなければ夫とマンハッタンか、あるいは自宅から近い港、ビーチ、ゴルフ場で催される花火大会に行く。地元の小さな花火大会も、退役軍人のカルテットによるジャズセッションなどがあったりして趣深く良いホリデイを過ごせるものだ。 旅行もアメリカ国内と決めている。国の誕生日に海外へ行く気にはなれず、特にこの日を目的にするならフィラデルフィアや首都ワシントンへと足が向く。 ここはアメリカ合衆国が誕生したフィラデルフィア市、インディペンデンス・ホール前モールのパビリオン。 独立戦争に勝利したアメリカの「自由の象徴」のひとつであるLiberty Bell(リバティ・ベル=自由の鐘)が、ガラスのケースに入れられることもなく、誰もが身近に感じられるよう展示されている。上部に刻まれているのは旧約聖書の言葉; 「全ての土地と全居住者に自由を宣言せよ」- レビ記 25:10 この鐘の前に立つたび、勝ち得たものが「自由」であることの真の意味と、人としての正しい生き方を考えさせられる。 この鐘はアメリカの大事を知らせる為にたびたび打ち鳴らされてきたが徐々に傷み始め、最後にその音が響いたのは1846年2月12日、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの誕生日であったと言われている。 役目を終えたリバティ・ベルは、今のアメリカを一体どう見ているのだろう。 さて我が家であるが、独立記念日を自宅で過ごす場合のディナーが決まっている。 Philly Cheesesteak(フィリー・チーズステイク)。フィラデルフィア生まれの、あくまでもカジュアルでどこまでもアメリカなホーギースタイルのサンドウィッチである。ホーギーとは薄切り肉や野菜を長細いパンに挟んだサンドウィッチを言う。 レシピと言えるほどのものはなく、オニオン、マッシュルームと共に炒め塩コショウしただけの薄切り牛肉にチーズを乗せるだけ。パンはイタリアンロールなどがよいが都心でも見ることがなかったので、口当たりの軽いバタールなどを選ぶといい。この美味しさとアメリカへの想いを新たにする為、私たちは大好きなこのサンドウィッチを独立記念日のこの日にのみ食べることにしている。 Philly Cheesesteakが毎年夏を連れてくる。そして早速、道北旭川は明日以降3日間とても暑くなるようだ。 もうひとつ、外せないのがアメリカ国歌。The Best National Anthem Ever!! と言えるのが1991年のスーパーボウルでウィットニー・ヒューストンが歌ったこれ。試合前テレビの前でこの国歌を聞いた時は胸が震えた。そして私たちのNY Giants 優勝を確信したのだった。ちょうど湾岸戦争の最中でもあり、彼女の歌う国歌はより特別なものとなった。 We’ll miss you, Whitney, and Happy Birthday, America!!   YouTube uploaded by CavBuffaloSoldier all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.

  • July 4, 2017

    北海道ソフトの夏2017 #1 ~ Introducing “Soft Cream Day”

    北海道ソフトの夏2017 #1 ~ Introducing “Soft Cream Day”

    “One Hundred Ways” by James Ingram     7月3日は「ソフトクリームの日」なのだそうだ。となれば道民としては黙っちゃいられない。日本社会未だフレッシュマンの私には他県の事情を知る由もないが、北海道の夏はソフトクリームで盛り上がる。 由来は1951年(昭和26年)7月3日、東京、明治神宮外苑。進駐軍が主催したカーニバルで販売したのが日本で初めてのソフトクリームだった。このイベントを記念して1990年(平成2年)日本ソフトクリーム協議会がこの日を「ソフトクリームの日」に制定したという話。 話は変わるが、毎年旭川近郊地元紙ライナーが「ソフトクリーム・ラリー」なるイベントを開催する。約1カ月間に紙上で紹介された100個以上のソフトクリームを食べた数を競うもので上位入賞者には賞品も出る。 今年は104種のソフトクリームを評価付き紹介しているもののソフトラリーの案内があったのかなかったのか分からず、ただそんなものがなくたって旭川っ子はソフトを食べまくるのだということで、ソフトラリーがないのなら、全道あちらこちらでおいしいソフトクリームを探訪しようと考えている。 私にとってバニラソフトの代表と言えば、江丹別町(えたんべつ)の伊勢ファーム。「青いチーズ」で全国区の認知度を誇る伊勢ファームのソフトクリームは濃厚でしっかりした甘さ。実はあまりバニラフレイバーを食べることのない私もこちらのソフトは時々無性に恋しくなる。 江別市野菜の駅 ふれあいファームしのつにて。わりにさっぱりとしたバニラ味のソフトクリームに、デコレーションの麦わら帽子はチーズパイ。個人的にバニラは甘みの強い濃厚なお味が好きなので少々物足りなさを感じたが、リフレッシュしたい時に食べるソフトクリームとしては上出来。つくづくバニラソフトひとつ取ってみてもお店によって随分と違うものだと感心する。 北海道民のソフト好きはまるでアメリカにいるような錯覚を見るようだ。どこへ行っても、例えばご当地ソフトを看板にしている道の駅でなくても、ショッピングモールのバスキン・ロビンスでさえ老若男女かわいいサンデーなど食べている。この光景を、私は東京で見た記憶がない。こんな道民が私は大好きだ。 ご当地ソフトの楽しいところはさまざまなフレイバー。こちらは芝ざくら滝上公園の「芝ざくらソフト」。芝ざくらってどんな味?とまず考える。 その年によって開花状況が異なるが、5月下旬から6月中旬までシバザクラのピンクの丘は世界中からの観光客で賑わう。この美しい丘にちなんだソフトはチェリーフレイバー、だと私は思っているが、あくまでもシバザクラソフトなのだそうだ。 不覚にも今シーズンのスタートを切ったのは、実はソフトクリームではなくジェラートだった。 上富良野・深山峠のトリックアート美術館横にある深山アイス工房の「ハニーキャラメル&ハスカップジェラート / Honey Caramel & Haskap Gelato」は絶妙なコンビネーション。 アイヌ語の「ハシカプ」から名付けられたハスカップ(Haskap)は北海道苫小牧市(とまこまい)勇払原野にのみ自生する木の実でブルーベリーのような爽やかな味の実をつけ、道内では主にジャムとして加工され、我が家でも夏が来るとブレクファストのヨーグルトやアイスクリームに添えて楽しんでいる。 ジェラートの後ろには雪解けの十勝連峰が美しい。フォトジェニックなスポットで北海道らしいスナップを撮るならここはなかなかいい。 北海道内ソフトクリームの旅にはこれがなければ、というのが中富良野・ファーム富田のラベンダーソフト。リッチでラベンダー香るヴァイオレットカラーのソフトクリームは濃厚ながら爽やかな風味。 実は最初、アロマオイルを食べるようだという先入観があったが、その心配は愚かなだけだった。これを食べずに富良野を去るのはもったいない。ラベンダーのおかげで後味がスーッ。 番外編。旭川近郊ではないがちょっと嬉しくなったのがさっぽろ羊の丘展望台で出会った「白い恋人ソフト」。期待していなかったのでチョコレートとのミックスにしてしまったが、失敗。これは白い恋人ソフトだけを楽しんだ方がいい。ソフトクリームというよりも「良いお菓子」という印象を持つ。 北海道にもようやく遅く短い夏がきた。これから秋風の吹き始める8月中旬まで、ライナーの紹介した104個のうちいくつ掌握できるか。100個目指してさあ、小旅行に出かけよう。  

  • July 3, 2017

    Moments 10: 黄金時間 ~ Golden Time of Day

    Moments 10: 黄金時間 ~ Golden Time of Day

        “They who dwell in the end of the earth stand in awe of Your signs; You make the dawn and the sunset shout for joy.”  – Psalm 65:8 「地の果てに暮らす人々は神の燦爛たる御しるしに畏れを抱き、夜明けと夕暮れには歓喜の声を上げる。」 – 詩編65:8   よほど忘れたい思い出でもない限り海を嫌う人はいないだろう。ただなぜだか、サンセットを好きになれないという声は時々聞く。嫌いなのではなく、サンセットを見ると哀しくなる、怖くなる、人生の、あるいはこの世の終わりを見るような、そんな気持ちになると言う。 ある日そのことを思い出し、北海道最北端の町・稚内から留萌方面へと日本海に臨むオロロンラインを走りながら理由を考えてみることにした。 7月に入っても夕方の海風はまだ冷たいが、窓を開けて潮風を吸い込むと、ふとユーミンの「潮風にちぎれて」が頭の中で流れ始める。この歌の「泳ぐにはまだ早い」という出だしの歌詞が昔からとても好きで、海沿いを走ると時折思い出す。 夕陽がホライズンへと向かい始める前のわずかなプラチナ時間。裸眼でビーチに立てば、太陽の光を受けた水面のまばゆさに自分が今何色を見ているのか分からなくなって、一瞬サンセットを好きになれない人はこんな時の小さな不安を嫌うのではないかと思ったりする。 やがて訪れる黄金時間。詩編の言葉、本来もっと深い意味があるはずだが、海を眺めながら聖書の言葉は本当だと思う。目の前の世界をゴールドに変えてしまう神業に思わず「んんん」と溜息混じりの歓喜が漏れたのが何よりの証拠。 ちょうど私の足元から、もうすぐ沈もうという太陽のリフレクションがひと際輝いてひと筋の道となり、私は自然がつくり出す幻想の世界をただ見つめながら思う。 これは今日の終わり、ましてや人生の終わりなどではない。永遠に明日がやってくるという約束だ。そして検証した結果、黄金時間に不安はない。私は好き、この夕暮れ時が、やっぱり好き。

  • July 1, 2017

    Cyanner Than Turquoise: Triple Crown of Hokkaido Blue

    Cyanner Than Turquoise: Triple Crown of Hokkaido Blue

    “A Shade of Blue” by Incognito feat. Maysa Leak     広い広い北海道には、ただ言葉もなく立ち尽くし溜息ばかりついてしまうような美しい場所がたくさんがある。が、その中でもこの世なのか天国なのか、一瞬混乱してしまうほどの美を競うのが水の青さだ。 北海道に来てほんの数年ではあるが、この地が好きで好きでたまらない理由のひとつが「ターコイズ以上にシアンな青」、ターコイズよりもっとシアンのようなきらめきを持った青い水辺である。 美瑛町の「青い池 / Blue Pond」はウィンドウズの壁紙で世界中に認知されたが、私はこの青を実際に見るまではそう大して信じてはいなかった。あまりにも鮮やかなシアンブルーは人工的に見えてしまうためだったかもしれない。けれど生まれて初めて見る青い池は、人工的なのではなくただ神秘的なのだった。 実はここ、人工池なのだそうだ。が、水自体に着色しているわけではもちろんなく、近くの白金温泉上流から流れてくる水のアルミニウムと美瑛川の水が混ざることによってできたコロイド粒子が陽光に反射してこのような青に見えるというが、私にはちんぷんかんぷんなので、美瑛の女神がここで髪を洗うと水がシアンブルーに染まる、くらいに想像したい。 駐車場に車を止めたら奥へ奥へと歩いて行き、木々をかき分けるように進むと、この池はまるで秘密の楽園。誰も見ていない時、美瑛の女神がこっそり髪を洗いに来る、とやはり私は思いたい。 青い池に程近い白髭の滝を見ようと白金温泉の橋の真ん中に立つと、美瑛川の水も青い池のように色鮮やかな青で夏の間は深い緑が添えられて何とも言えず涼しげだ。そして自然も、そして観光も休息する冬場の凍りついた姿も実に美しい。 世界2位の透明度を誇る摩周湖の伏流水から成ると言われている清里町(きよさと)の「神の子池 / Pond of God’s Child」。鬱蒼とした森の中にひっそりと息づくこの池はどこかミステリアスで、コロボックルの神話などあるのではないかと思えてくる。 1周220mの小さな池で深さ5m、底が見えるほど透き通っている。水温は通年8℃で、池の中に横たわる倒木は腐敗することもなくずっと眠っていると言う。 私が訪れた日はあいにくの空模様で輝くようなターコイズブルーに鉛色を少し混ぜたような色であるが、それでも透明度は変わらず、すぐ目の前で眺めながらも近寄りがたい雰囲気を見る人に与えていた。 ちなみに摩周湖の透明度は25.5mなのだそうだ。「霧の摩周湖」という歌があるくらいでなるほどすぐに霧がかかってしまう為なかなかクリアな摩周湖に出会えず、真上からじっくり湖底を覗いてみたいという衝動に駆られる。 日本では北海道でのみ見ることのできるオショロコマは絶滅危惧II類にリストされており、ここ神の子池で静かにゆったりと泳ぐ姿はまさに、神に選ばれた存在であると誰もが思うことだろう。 北海道3大ブルーと言われるのは美瑛町の「青い池」、弟子屈町(てしかが)の「摩周湖」、そしてこの、積丹半島(しゃこたん)の海。「積丹ブルー / Shakotan Blue」と呼ばれている。 お天気の良い日に当たれば神威岬(かむいみさき)に立ち寄り積丹ブルーを眺めていると、なぜだか世界中の海を手にしたような、ちょっと王様な気分になる。 ハワイに長く住み美しい海と戯れてきた私であるが、積丹ブルーの、神秘的な青のグラデーションは初めて見るもので、ハワイの海が親しみやすいものだとしたら、積丹ブルーは背筋を伸ばして笑顔を投げかけたい、そんな存在感を持っている。 積丹ブルーのすぐ近くには、実は「泊原発(とまりげんぱつ)」がある。函館や松前への旅を終えて小樽へ向けて走る途中に泊村を通るが、そのたび胸騒ぎがしてかなわない。 どうかどうか、積丹ブルーが永遠でありますように。この海の美しさが北海道にとって日本にとってどれだけ大切かを、私たちは決して忘れてはいけない。一度失った自然は、そう簡単には戻らないのだもの。   all photos & video by Katie Campbell / F.G.S.W.

  • June 29, 2017

    Moments #9: Life-Changing Dawn

    Moments #9: Life-Changing Dawn

      朝陽を見るために、上級トレイルのノース・リム (North Rim)を選んで深夜グランド・キャニオンに入った。 ロッジで一夜を明かし、空の色が変わり始めると外に出て先端のビュー・ポイントへ向けて歩き始める。道には落下を防ぐフェンスもなく、細いトレイルの端から下を覗くと言わずと知れた断崖絶壁だ。どうしてこの道を選んだのだろうと今更に情けなく悔いてみたりする。 けれども細い道の内側を選ぶなどはあえてせず真ん中を歩いていくと、どのくらい歩いたのかは記憶になく、気が付けばビュー・ポイントに辿り着いていた。 規則正しいうねりを見せているブライト・エンジェル・フォールト (Bright Angel Fault) は活断層。日中に見るグランド・キャニオンは化石の町に見えるが、今も小さく震えながら生き続けていることを知る。 私たちを包む世界は青一色に染まり、時が止まったように風の音さえ聞こえない。じっと目の前の景色を見つめていると、私の人生など、この広い世界の中では小さな流れ星が落ちるほどの、一瞬のできごとなのだろうと思う。 空が白んできた。 ここでサンライズを待つ人たちはみな、祈るような気持ちで佇む。 さっきまで蒼ざめていた世界はいつの間にか温かみを取り戻し、いよいよ新しい一日の訪れを迎えようとしている。 この瞬間、感動・歓喜の声を上げる人はいなかった。太陽は誰の頭上にも等しく、普段と同じように昇るのに、見たことなど一度もない、まばゆい輝きにただ圧倒され、目を閉じると頭の先から足の先まで浄化されるような神聖な気持ちに満たされた。 すると、昨日までの悩みやわだかまりのしこりが心地良いクラック音とともにひび割れて消えていき、古く硬くなった心を新しいものと取り替えたような気分。 思いきり空気を胸に吸い込むと、さっきまでただ立ち尽くしていた4,5人も美しい朝を笑顔を迎えていた。 太陽が岩山を離れ空に浮かぶと、周りの景色は偉大なるグランド・キャニオンなのにホームタウンのいつもの朝と同じ景色に見えた、空も岩肌も針葉樹たちも。 ただ人の心は昨日までのそれとは違っている。古く固まった心はこの崖で朝陽が風化し、みずみずしく生まれ変わったから。 自然は私たちに何も求めない。けれど私たちは自然の力を借りて今日も明日も、迷わず進んでいく。自然に身を委ねることは一種の信仰であるのだろうと、すっかり明るくなった足元と雄大なグランド・キャニオンの景色を交互に見ながら下界へと戻っていった。  

  • June 28, 2017

    「ふと」の豊かさ ~ Art of Insensibility

    「ふと」の豊かさ ~ Art of Insensibility

    “Special Way” by Kool & The Gang 1日が50時間あればいいと思ったことがある。 時間と文字に追われ、ゆっくりと食事を摂る時間もない時には、サンドウィッチはよくできた食べものだと思いながら右手でキー、左手にパストラミのサンドウィッチを持って仕事、ランチ、仕事、ランチを交互にこなしていく。チャップリンの「黄金狂時代」のようだと友人たちと笑ったことがあった。 もちろん週末はやってくるけれど、その週末さえも必死に消化しようとしていた。 が、北海道に降り立ち、仕事から離れてしばらく経つと、これまでとは違う自分が生まれたことに気付く。 ふとした光景やその日の天気に心が大きく動くのだ。無意識に空を見上げ、両手をいっぱいに広げて新鮮な空気を吸い込み、道端の花をしゃがみ込んで眺める時間がとても多くなった。本当に、無意識に。 重たい雲の広がる日のポピーは、色鮮やかなのにどこかアンニュイなルドンの描いた絵に似ていると思った。そういえばルドンはちょっと目を背けたくなるような不気味な(そして滑稽な雰囲気も持ち合わせた)絵も残したが、後年描いたさまざまな花の絵を私はとても気に入っている。繊細で華やかで、儚くて。 「ふと」は心の余裕が生む小さな、そして豊かさに満ちた衝動だ。 6月は全道で道花のハマナスをはじめルピナスやマーガレットなど多くの花が咲き乱れる。 私はニューヨークでルピナスを見たことはなかったし、マーガレットにしても街角のデリへ行くと店先に1ダース10ドルのブーケで売っており、それを疑いもせずかわいいと思っていたのだが、北海道ではどちらも野原や田んぼのあぜ道など至るところに咲いている。 花咲く野原は天使の楽園と言いたくなるほどで、同じ花の美しさでも大地から太陽へ向かって伸びているものと、命を切り取られたものとでは違うものだとあらためて思い知らされる。 そして素晴らしいことに、花々を摘んでいる人を見たことがない。 もちろん、切り花だって嫌いではない。刈り取られたラベンダーなどはビビッドな紫色と心安らぐ爽やかな香りを、つい手元に置きたくなってしまうもの。 ある朝、ふと日差しのとても明るいのに気付いてバルコニーに出て空を見上げると、haloが二重の大きな虹の輪となって太陽を囲んでいた。こんな神さまの遊びを見た日は何かいいことを期待するが、たとえば何もない日で終わっても、小さな良い思い出は残る。それだけでいい。 富良野のラベンダー・イーストには地下水をくみ上げるかわいいフォーセットがある。近付いて手を差し出すと真夏でもあまりの冷たさに驚き、またひとつ地球という星のシステムを実感して嬉しくなる。これもまた地方暮らしの魅力、ここで暮らせる私は幸運に恵まれた。 夏の美瑛町にやってくると、ゴッホの描いたアルルの風景を思い出す。週末にふらりとここを訪れて何の気なしに小道など撮ってみるとほら、油彩にしか見えなくなったりするから不思議だ。 心にゆとりがある時は、空模様によく気がつくものだ。リビングルームが急に陰り始め、何故だか少し不安になって腰に手を当て窓の外を眺めると、大雪山系が普段とは違う顔を見せていた。 漆黒の雲が山の頭上に垂れ込め、輝くような白い雲が降らすのは雨か、雪か。こんな日は、天が何か重要なことを私たちに伝えているのではないかと思えてならない。 休みの日のドライブから帰る途中、田んぼに夕陽のリフレクションがとてもきれいで車を止めた。特別な風景でなくたって、ふと目に留まったものがいつまでも心の中の「美しいものだけを置く部屋」に飾られることもある。きっと、この日の夕陽とどこからともなく聞こえてきたカエルのかわいい鳴き声を、忘れることはないだろう。 私はやがてまたニューヨークへ戻っていくが、ここで見つけた「ふと」というささやかな衝動をいつまでも大切にしたいと思っている。 けれどいつかまた忙しい日々の中で「ふと」を忘れそうになったなら、迷わずここに戻ってこよう、疲れた心が故郷を求めるように。

  • June 26, 2017

    Reminiscence ~ 思い違いの贈りもの

    Reminiscence ~ 思い違いの贈りもの

    “Nothing’s Gonna Change My Love for You by George Benson     人は思い出の多い時代に触れたものをいつまでも忘れないものだ。それが文学であったりファッションであったり。音楽や香りなどは特に深く心に刻まれる。 1980年代をハワイで過ごした。あの頃、MTVやラジオから流れた歌には今よりもっとメロディアスでストレートな純愛を歌ったものが多かったように思う。今日のこの歌も同様だ。 1985年にリリースされたジョージ・ベンソンの”Nothing’s Gonna Change My Love for You” は世界中で大ヒットし、ホノルルのカラオケバーでも恋人に捧げる歌としてそれはそれはひと晩に何度も聴かされたものだ。 確か、Hawaiian TelephoneかどこかのCMになっていたのではなかったか、とハワイを離れワシントン、ニューヨークへと移ってからもずっと勝手に懐かしんでいた。 私の中ですっかりHawaiian TelのCMソングとして定着し、「ハワイアン・テルの歌」という固有名詞化すらしてしまったこの歌に特別な思い出があったわけではないが、朝学校へ行く前に耳にし、学校から帰ってきてTVやラジオをつけると流れており、そのたび心地良く耳に響いた。 あれから30年以上が経ち、今日ふと気になって調べてみるも、どうにもこの歌がCMソングであったという事実が出てこない。そう言えばジョージ・ベンソンの後、ハワイ出身のポップアイドル、グレン・メディロスがカバーしていたが、私の記憶の中では彼のバージョンではなかった。 午後に入るとますます気になって用事を済ませるなりデスクに着き、YouTubeで探してみると「こ、これではないか」という動画がひとつ見つかった。 ジョージ・ベンソンの”Nothing’s Gonna Change My Love for You” と間違えていた Hawaiian TelのCMソングはこれだった。 もう会うこともないだろうという人との奇跡のような再会にも思えた。 これを見た途端、私を乗せたタイムマシンが宇宙の渦に巻き込まれて瞬時に80年代へと遡り、懐かしい人たちが次々と現れ、この歌と今はなきCMの中のGina Jenkinsの爽やかな笑顔を見なければきっと還ってくることもなかったであろう楽しい友の笑い声や、部屋でひとり流した涙までもが私の心に戻ってきた。 学校が終わって家に帰ると、私はよくリビングルームの窓際に座って冷たいフルーツパンチを飲んだ。金曜の夕方などその窓からワイキキ沖に出ているたくさんのヨットとダイアモンドヘッドを暮れゆく夕陽が赤く染めていて、グラスの中のパンチと同じ色だと思いながら眺めていたあの光景がこの曲とともに浮かぶ。 恋人との間に別れ話が出た夜、彼の親友がワインクーラーとKFCのフライドチキンを山ほど持ってやってきて、やけ食いしながら泣いたり怒ったり、朝まで半狂乱で踊っていた時もこのCMが流れていた。 夕方、母とアラモアナ・センターへ買い物に行った帰りの黄昏時の空や、その夜食べたTVディナー(マイクロウェイブでチンしてでき上がるディナープレート)、当時アラモアナ・センターのスーパーマーケットでしか手に入らなかった絶品オニオン・ブレッドの味まで蘇って、もう二度と戻ってこないあの時間を思い胸が何度も何度も締めつけられた。 どこかで、何らかのかたちで記憶のすり替えが起きたのだろう。ジョージ・ベンソンとCMの温かい声が重なったか、それとも単にどちらも毎日5回も10回も聴いていたからなのか、今の私にはもう判別がつかない。が、いずれにしても、ジョージ・ベンソンの歌とこのCMソングの持つ思い出はまったく違ったものだったということが分かったし、愛して止まないハワイ時代を彩る2つの歌が手に入ったことをとても嬉しく思っている。 遠い過去に置き忘れてきた美しい思い出が、間の抜けた私の小さな勘違いが返してくれたものだったのだと思うと、昨日までの私自身にもほんの少し感謝したい気持ちになった。 それにしても、”Nothing’s Gonna Change My Love for You” に特別なメモリーがないということは、あれだけカラオケバーで歌われていたにもかかわらず当時私の為に歌ってくれた人はいなかったということであり、そう思うと今更ではあるがちょっと面白くなかったりもする。

  • June 24, 2017

    Simple Pleasures – Welcome to the Patchwork Hills

    Simple Pleasures – Welcome to the Patchwork Hills

    “Simple Pleasures” by Basia     6月も中旬になって黄土色の畑に緑の面積が増えてくると、私の「美瑛・富良野」シーズンが始まる。 家から美瑛町までは車で40分ほどであるが、用もないのに毎週末必ず足を運んでは決まったルートを走り、微妙な季節の動きなど感じるのを楽しみに早朝から出かける。 美瑛の丘は畑が多く、作物が育つ季節には緑のグラデーションと土色でパッチワークのように見えることから「パッチワークの丘」と呼ばれるようになった。 純白一色の雪の美瑛も大好きだが、今頃から8月にかけてここに来ると心だけでなく身体も健康になって帰れるような気持ちになるから不思議だ。 パッチワークの丘を巡るなら、朝早くからがいい。十勝連峰に雲海がたなびき、朝露に濡れたみずみずしい緑の香りがすがすがしく、おいしい。 ゆっくりと2,3度、大きく深呼吸をすると、遠くからカッコーの声が響いてくる。 やがて夏の朝特有の霞みが切れ、青い空と強い光の太陽が顔を出すと、丘の風景も目を覚ましたように活気づく。 北海道に来て好きになったもののひとつが青麦畑だ。 西から東へと通りゆく風に引かれるように一面の青麦が波打つさまは、地上の海原。6,7月の北海道は1年で最も気候の良い時で、カラッと晴れた休日などは、青麦畑の前に車を止めてひんやりと冷たい風を受けながら、この光景を何時間でも見ていられる。 パッチワークの丘を巡る「パッチワークの路」上にひとり立っている「クリスマスツリーの木」。美瑛には名前のついた木が多くある。テレビCMに登場した木やパッケージのイラストになった木などさまざまであるが、これだけは個人的に違うなあと、実は見るたび思う。 私だったらこれ、ちょっと長いが「不二家のパラソルチョコレートの木」と名付ける。閉じたパラソルをチョコレートケーキに立ててあるような、そんな風に見えるのだ。 因みに我が家ではこの木とは違う、やはり美瑛の丘に聳え立つもみの木をクリスマスツリーと呼んでいる。一面の銀世界に建つこの木はまさに神に選ばれたクリスマスツリーだが、夏の佇まいもとても爽やかで美しい。古い友達のようにフレンドリーだとも思う。 冬にこの木を見るたび夫は「ライトアップしないともったいないよな」と言う。そのくらいクリスマスで、そのくらい魅力的。私も近くを通る時は挨拶をするようにしている。 昔ハワイのある占い師から「木は人の声が聞こえるから悪口を言ってはダメだ」と聞かされて以来、気に入った木を見つけた時や森を歩いている間、木々に挨拶をしている。彼女曰く「優しい言葉を掛けると、気分を良くしたその木が幸せのエッセンスを降らせる」のだそうだ。 幸田文が随筆「木」の中で、8月のひのきを見ると「活気があふれ」「意欲的に生きている」「もし木がしゃべりだすとしたら、こんな時なのではなかろうか」と書いているが、確かに夏の木にはエナジーとふくよかな心、誇りさえ感じる。 そして木々と話をしながら、何か命あるもの同士のつながりも感じさせてくれていることにも気付く。 美瑛の名物とも言える赤い屋根の家は現在は使われていないが、プロアマ問わずフォトグラファーに人気の建物となっており、フォトジェニックな美瑛の代表的な存在として生き続ける為にメンテナンスが施されているという。 滑らかなパッチワークのうねりは作物の刈り入れまで私たちの心を躍らせ、また安らぎも与えてくれる。 人は手を伸ばせばすぐそこにある幸運を見失いがちになるが、どこまでも広いこの丘に立ってみると分かる、自然に囲まれて暮らす “simple pleasures(ささやかな喜び)”こそが望むべき幸せなのだということが。   all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.    

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