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Count Blessings in My Twinkle Lair
“Darn That Dream” Music and Performed by Bill Evans 何もない日に自然と心の赴く場所が、ひととき心を浸したい隠れ家が小樽にある。 「北一硝子」は小樽が誇る老舗硝子製品ブランド。この町を訪れ北一の硝子を手に取らないまま去る人はおそらくそうはいないだろう。優しい風合いの北一のガラスは小樽の思い出を、消えることのない暖炉のようにほんのり暖かく残してくれる。 北一3号館に私の、その場所がある。「北一ホール」北一硝子のカフェテリアだ。 観光客が幸せな笑顔で行き来する通りから3号館に入るとそこは地下壕、を私は知らないが、100年も昔へ誘うラビリンスに迷い込むようなコリドー。10歩進んで外を見ると明るい太陽に照らされた普段の小樽があるのに、手の届かない星のような気持ちにさせる異空間。 冷たい石の壁に小さく灯るランプが連なり、目で追っていくとその奥は更なる迷宮。自ら足を踏み入れるのに一瞬、緊張する。北一ホールのエントランスはまるでブラックホール。 店の中は広く、高く、そして暗い。167個もの石油ランプの明かりだけが煌めき、突き当たりのガラスの壁にリフレクションとなって銀河をつくる。 客の顔は見えない。時折出入りする人の足音とギーギーという木床の軋音が静かに心地良く響く。遠い過去への鉄の扉を自ら開いたような、そんな音にも思えてくる。 店自慢のアイスロイヤルミルクティーは、紅茶の苦みにまろやかなミルクが穏やかで贅沢な、成熟した大人に似合う味。ソフトクリームが少し溶けてからがおいしいと私は思っている。白くシャープな螺旋が消え始めたら良い頃合だが、そのほんの数分を、天井や壁のステンドグラスを眺めながら待つのが楽しい。 ここでの会話は小さな声で。特別な話などしたくない。ましてや別れ話などしない方がいい。そのあとしばらくは来られなくなってしまうから。 この店で何か読むのなら、小説よりも詩集がいい。小説に夢中になってこの時を味わうことを忘れてはもったいない。そしてホールに広がる銀河は、言葉の世界をより豊かにしてくれる。 今日はロルカの詩集を持ってきた。 And After The labyrinths formed by time dissolve. 時が形成した迷宮が消えていく。 (Only desert remains.) (砂漠だけが残る。) The heart, fountain of desire, dissolves. 心と欲望の泉が消えていく。 (Only desert remains.) (砂漠だけが残る。) The illusion of dawn and kisses dissolve. 夜明けの錯覚と口づけが消えていく。 Only desert Remains.…
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Nightcap and April Snow
music by WEE “You Can Fly on My Aeroplane” 音楽でも聴きながら。 私の町は昨日・今日と、名残雪にしっとりと包まれた。 毎年4月も中旬、ある年は下旬にも雪の降る旭川であるが、こんな日は去りゆく冬と別れる時間が愛おしい。 今夜はNYから25年来の友人Mattがやってきており、夕方も早いうちからバーボンのボトルを左手に書棚を物色していると思ったら、懐かしいWEEのアルバム”You Can Fly on My Aeroplane”を選んでプレイヤーに滑り込ませた。 書斎から戻るとキャビネットからグラスを取り出して夫と彼自身にはバーボンソーダを、私には「これ1杯にしておけよ」とオンザロックを作ってくれた。それから彼等はビジネスだのNYだのと話を始め、私は黙ってCDを聴いていた。こんな曲が似合う夜だ。 1977年リリースのこのアルバム。メロウでサイケデリックで、華やかでワルだった70年代の魅力が詰まっている。 もう随分と昔の話だ。私の記憶が正しければ、Astor PlaceからLafayetteを少し下った辺りだったか、小さなレコードショップがあって、知り合ったばかりの夫とデートの途中で立ち寄り、二人でこのアルバムを買ったのだった。 ああそう言えば、店から出ると道の向こう側にストレッチが止まり、奥の扉からスーパーロングのドレッドがダースベイダーのマントにも見えた巨大(は私の見た目であるが)な男が出てきた。周囲を歩く人たちは皆驚いて呆然と立ち尽くすほどの威圧感であったのだが、俯き加減の笑顔は穏やかで瞳がとても美しかったのを覚えている。Maxi Priestだった。 カリッ、と夫のアーモンドをかじる音が軽く響いて、今この時に連れ戻された。 日中、雲はグレイのグラデーションが美しく、水分を多く含んだ大粒の雪を絶え間なく降らした。宮下通りを走らせ車窓から中心街の様子を眺めると、おそらくアジアからのツーリストなのだろう、横断歩道を待つ30歳くらいの男女二人が思いがけない春の雪に空を見上げ、両手を広げて、ついでに大きく口まで開けて道北ならではの思い出づくりを楽しんでいた。故郷に帰って自慢するんだろうな、「Hokkaidoで4月の雪を飲んできた」と。 おそらくシーズン最後の雪の夜、良い気分だ。友の持ってきたFour Rosesの、鼻先から抜ける何とも良い香りを幾度も味わいアルバム1枚聴き終えたなら、ナイトキャップのオンザロックも最後のひと口を飲みほして、アイスホッケーの話で夜も明けそうな彼と夫には目もくれず、私はこのまま先に寝てしまおう。 music by WEE “Leavin’ You Alone”
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Honolulu City Lights
music by Keola & Kapono Beamer “Honolulu City Lights” 音楽でも聴きながら。 お聴きいただいている”Honolulu City Lights” をご存知の方はハワイ通、もしくは留学や駐在などロングステイの経験をお持ちではないだろうか。 ホノルルを去るせつなさを歌ったこの曲は1979年のリリースから今日まで、どれだけの人の心を潤してきたことだろう。 ホノルルの夜景といえば殆どの人が「タンタラスの丘」からの眺望を思い浮かべるはずだ。ハワイを代表するミリオンダラービューは日本からの観光客を魅了し、ロコボーイ&ガールに幾度となく恋の魔法をかけてきた。 が、私と仲間たちの好きなホノルルの夜景は、タンタラスから見る華やかなワイキキの輝きよりも友人リアンの部屋から見る、ミルキーウェイさながらに広がるマウンテンビューだった。 本土の大学へ編入が決まったリアンが旅立つ日。彼女の恋人テディとルームメイトのサラ、私を含む友人10人は観光名所から行き着けのベーカリーまで彼女を1日振り回し、アラモアナでアイスティーを飲みながら「日が暮れてきた、そろそろタンタラスへ行こうか」と誘うと、どこにも行きたくない、最後はうちからマウンテンビューを見ていたいと言った。 タンタラスから見るような煌びやかな光はほかの町でも楽しめる、けれどあの、手の届きそうな天の川はうちでしか見ることができないからと。 アラワイ運河に程近い彼女のアパートメントからは山側の夜景がよく見えた。ラナイに出て、悲しくなるから思い出話などせずに時間ぎりぎりまでただ、みんなで眺めていた。 あとから行くと言ったテディが空港に着いたのは私たちより10分ほど経ってからで、左手には小さなカセットプレイヤーを持っていた。80年代ハワイでも徐々にカセットからCDへと移行していったが、学生の殆どがまだカセットを使っていた。 それにハワイにはカセットがよく似合った。 フライトの時間が迫り、湿った海風の行き来するコリドーでテディは”Play”ボタンを押した。静かにHonolulu City Lightsが流れ出す。リアンの目からはみるみる涙が溢れ、こぼれ落ちた。ひとりひとりと抱き合い、最後にテディがピカケのレイを彼女の首にかけると二人にしか聞こえない小さな声で会話し、キスをして、あとから行くよと大きく手を振ると彼女はゲートの奥へと消えていった。 彼女を乗せた深夜の飛行機が飛び立つのを見届けてワイキキに戻る途中、何度も何度も繰り返し吹き込んだHonolulu City Lightsに誰かが「しつこくて最後は笑えてくる」と言った。皆涙を拭きながら笑った。 ひとり黙って窓の外を眺めるテディのために、私たちは空が白んで山の灯りが消えるまで、島じゅうをドライブした。 そうして朝は、残された者たちのためにまた訪れ、”Honolulu City Lights”は次に旅立つ誰かを待ち、眠りにつく。 ホノルルという町がある限りこの歌は愛され、いつの日も人の心に温かい涙を注ぎ続けていくのだろう。 そう言えばつい数日前初めてカーペンターズの”Honolulu City Lights”を聴いた。カレン・カーペンターのスムースな歌声はこの歌のムードにぴったりだし、こちらを先に聴いた人には「これこそがHonolulu City Lights」と思うのかもしれない。が、ホノルルに暮らし、去った経験のある人にとってはやはり、Beamer Bros.のオリジナルでなければ「あの日」には戻れない。 音楽はどんなに遠い昔の思い出も一瞬にして鮮やかに蘇らせる不思議な力を持つ。今夜は、この曲が連れてきた懐かしい人たちと語り合おう、ワインじゃなくて、学生時代に戻ってパンチでも飲みながら。 all photos by Katie Campbell from F.G.S.W.
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Hokkaido ~ Longing for Spring
Music: Serenade from “Hassan” Composed by Frederick Delius 音楽でも聴きながら。 北海道、3月。 氷柱が艶やかに光り始めた。 日差しが淡く柔らかくなり気温が氷点下を上回ると 真冬の間は太く長くなっていくばかりだった氷柱が水へと戻る準備に入るのだ。 パーンパーンと森の奥から響くトドマツやハルニレの「がまわれ」も ひとつ、またひとつと消えていく。 オホーツクの海を白く覆った流氷も今、去る時を知る。 大雪の山々には子育てを始めたキタキツネが、今か今かと雪解けを待つ。 「静かに、きっともうあと少し」 耳をそばだてじっと確かめるのは、雪の下から微かに伝わる春の鼓動。 おや? たった今、親子の耳にも届いたようだ、春のいのちの生まれる音が。 気が逸るのは人間たち。雪割り、苗づくり、花壇の手入れ。 コートをクリーニングに出してブーツをしまって、ふきのとうはいつ採りに? カタクリが咲いたら花見の準備を。 4月、5月の夢を見る人間たち。 all photos by Katie Campbell from F.G.S.W.
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Last Supper, Last Song #2
Music by Ambrosia “Biggest Part of Me” 音楽でも聴きながら。 地球での仕事を終え、空へと自分の魂を送る時のBGMを選ぶのもまた「最後の晩餐」同様究極の選択。さて2017年3月25日現在、あなたは何を選ぶ? 遡ること大学3年の春。付き合い始めて半年の恋人テイは、よく晴れた日曜の朝に私を呼び出すことが多く、週末の朝はたいていセントラルパークの散歩から始まった。 9時少し前。セントラルパーク・ウェストを下っていくと、パークの入口でテイが左の肘に買い物袋を提げSunday paperを読んでいるのが見えた。新聞で顔が隠れていてもすぐに分かったのは、彼の履いていたティールグリーンのブリーチを私が気に入っていたからだ。 「遅れたね、おはよう」 「元気?オレも今来たとこだよ」 新聞をたたむと彼は買い物袋の中を見せて「ブレクファスト」と笑った。りんご2つとスナップル(瓶入りのフレーバード・アイスティー)のピーチティー2本がこの日の二人の朝食となった。 パークには動物園やカルーセルなどのアトラクションがあるほか池でボートを漕ぐこともできるが、私たちが好んでしていたのは橋巡り。セントラルパークには30以上の美しい橋やアーチがあり、おしゃべりをしながらそれらを渡ったり下をくぐったりするだけでも楽しめる。最も美しい橋のひとつ、1862年に造られたBow Bridgeの欄干には気品があり、ぼんやり眺めていると、日傘を差したドレスの貴婦人や馬車に乗る紳士、100年以上も昔の風景が浮かび上がるようだ。映画の撮影などにも登場する。 テイと私はりんごを片手に時折シャクッとかじりながら橋を渡り、2時間も歩いただろうか、疲れた頃、近くの芝生に腰を下ろした。 学校の話などしていると、すぐそばでピクニックをしているカップルのラジオからこの曲が流れてきた。 You’re the biggest part of me You’re the life that breathes in me And I’ll be your savior to you For the rest of my life するとテイが突然、私の目をじっと見つめたまま歌い始めたのだ。 両手を胸に当てて大声で歌う彼の姿を周囲は笑って見ていたが、私の心の野原には一斉にピンクやイエローの花が咲き始め、小川のほとりからはきらきらと輝く極太の虹がハープの音色とともに緩やかなカーブを描いて延びていく。さらに私のおめめからは金色の星が次々とこぼれ落ち、脳天からは独立記念日級の花火がバンバンと打ち上がっていたはずだ。 私でなくても、20代女子なら誰だって”rest of my life(一生)”なんて言葉を投げかけられたらときめかずにはいられない。 テイは私を「恋する乙女」に化かし、それからまた1時間歩く間、絡ませた彼の指先まで「私のものだ」などと思い過ごしながら、ランチをしようと街へ出た。…
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Last Supper, Last Song #1
人として、この美しき地球で最後に口にするもの、 選べるとしたらあなたは何を思い浮かべますか。 もう10年も前、ある男性誌(既に廃刊)に、東京・ニューヨーク・ロンドン・パリ・ミラノで活躍するビジネス・エグゼクティブをひとりずつピックアップした小さなコーナーがあった。 行きつけの店や好きな時計のブランド、今乗っている車、描いている夢などを回答させるもので、見る人によっては共感を得にくいスタイリッシュな固有名詞がコーナースペース狭しと並んでいた。それだけなら選ばれた人のスタイルや雑誌自体のクオリティが想像できてしまうため毎月読もうなどとは思わなかったろうが、ひとつだけ、私の購読理由となったのが5問中最後のクエッション。 「最後の晩餐は何がいい?」 編集部がこの質問を投げかけた意図はいくつも考えられるが、おそらく5つほどの質問の中で最もパーソナルで正直に答えたくなるものではなかったか。 回答をひとつひとつ見てみると、世界中を飛び回り知識・経験・自信を身につけた彼等とは言え慣れ親しんだ食べものを選んでいたあたりは人間くさくて誰しも好感を持ったはずだ。 東京。ごはん・お味噌汁・納豆、お漬物など日本男児を誇りたくなる答えが多かった。「最後は極上の米」には思わず「そうかこれも捨て難い」。 パリジャンは食にも美しさが感じられる。生牡蠣を冷えたシャンパンで味わうとか、最後はりんごのプディング、とか。ロンドンボーイも子供の頃から食卓に上っていたであろうフィッシュ&チップスやビーンズ・オン・トーストなど選ぶところが愛らしい。 ファミリーを大切にするミラノの男性は、こちらも納得、お母さん、おばあちゃんの作るイタリア料理を挙げ、ニューヨーカーは、ああやっぱり、な「ステーキ」が大半を占めた。 地域性もさることながら暮らしぶりや育ってきた環境、また男性らしさ ― 大袈裟に言うと別れ際の男の美学たるものを垣間見ることができたようで、毎月大いに楽しませてもらった。最後の晩餐は決して悲しげなものなどではなく、彼等にとって、また私たちにとって「好き」と「思い出」を集約した、人生のフィナーレを飾る、まさにパーティーメニューであると言えよう。 けれどこのコーナーで最も気に入ったのは、選ばれた食べものの数々よりも彼等の答えが実に明快だという点だった。 性別に限らず、価値観や美意識をしっかりと持っている人は誰かを目標に掲げるでもなく日々を懸命に生きる自分の中から理想の人間像を創り出している。 まだるっこしいことを言ったが要は「ブレてない」。 「最後の晩餐」は彼等の、そんな本質を引き出そうとしたクエッションだったのではと思ったりする。「最後の最後」という究極の選択をスパッと言い切るかっこよさを、編集部は想定していたのではないだろうか。 常に潔く、清々しく自分らしさを表現できる己でありたいものだ。 「最後の晩餐」に出会ってからしばらく経ったある日、ツイッターで尋ねてみた。 「The Last Supper、あなたなら何を選ぶ?」 読者のターゲットが絞られた雑誌とは違い世界中のあらゆる職業を持つ人たちからの回答には、駄菓子屋に溢れる見たこともないお菓子を集めたような楽しさがあった。5つ星の高級ホテルで出会うメニューから家庭で生まれた創作料理、アメリカが誇るピーナッツバター&ジェリー(サンドウィッチ)まで。 そして私。 「20XX年現在、揚げたてのクリスピーなフレンチフライ。理由などない。365日好きなのだ」 多くの人たちから共感を得られたものの、価値観・美意識の欠片も感じられない何ともブレブレな回答。そしてこの答えが未だ変わらないことに、融雪の始まった北海道でカルディコーヒーファームのミントココアを飲みながらちいちゃくなって恥じる、2017年3月のとある日曜日である。 清々しい己を築き上げるにはまだまだ修行が足りない。 top photo by Emmy Smith