Tag: 旭川
-
伝統に集う~旭川市・男山酒造「酒蔵開放」
2月10日、日曜日。仕事の合間を縫って、北海道生活7年目にして初めて以前よりの望みであった催し物を訪れた。この日は午前9時の段階で-13℃、厳しい寒さではあったが穏やかな空で、酒など飲めもしないくせに「祭り」が好きだというだけですっかり酒豪気分であった。 開館は午前10時。その少し前に到着すると、広い駐車場のある店舗はすべてこの日のために、男山酒造「酒蔵開放」のために開放されていた。我が家は近隣のホームセンターに車を止めて時々ずるずると滑りながら軽やかなパウダースノーの中を歩いて行った。 そう、この日は年に一度の「酒蔵開放」酒造り真っ只中の男山酒造の庭で地元民に酒をふるまってくれる行事である。1979年に始まったこの催し、今年は40周年に当たる。 我が町旭川に現存する老舗酒造は私の知る限り「国士無双」で知られる高砂酒造と今回訪れた男山酒造、1887年創業の老舗である。 男山酒造の庭には小さな庭園があって、春から夏にかけては美しい花が咲き誇り、秋になると紅葉を眺めながらその前を通る。また市内にある「男山自然公園」はその昔アイヌの人たちの暮らしの場であった突硝山という丘の南に位置し、4月になるとカタクリやエゾエンゴサクといった北海道の春を告げる愛らしい花が咲き、ちょっとしたトレッキングコースになっていて日差しが暖かくなってくると私たちも散歩に出かける。開園期間は短いが無料で散策でき、「地元あっての」といった心意気を感じる。そういえば、ザゼンソウという不思議な植物を初めて見たのも男山自然公園だった。 酒蔵開放では2回の鏡開きを行うが、縁起をかつぎ?1回目をしかと見届ける。 当日男山がふるまってくれた2種類のうち、清らかな雪解け水のように美しい、澄んだこちらが樽酒。寒さもあったろうが、香りのきつい酒ではなかったためか本当に水のように見えてこれなら1杯飲み干せるだろうと、前身は江戸時代に遡る老舗酒蔵の逸品を軽く侮る。 隣のブースでふるまっていたのは「平安~室町の酒」かめ酒。発酵途中の酒だろうと夫は言っていたが本当?酒を知らぬ私はしゅわしゅわの甘酸っぱいこの濁り酒をとても気に入った。「これはおかわりだ」と思うや否や身体がかる~くなり始め、異変に気付いた夫が「ゆっくり飲みなよ」と警告を与える。が、私は滅多に人の言うことを聞かぬ我儘一徹な性分である。 左がスムースな口当たりとキリッとしたお味の樽酒、右が微炭酸の嬉しいマイルドなかめ酒。「少しだけお願いします」と言ったのになみなみ注いでくれ、「絶対飲めないのに~」と言いながら気がつくと平気で減っているのであった。いかん、これはいかんぞ。 「かわいい雪国」でおなじみの北国冬の風物詩 “Kids on the Sleigh” である。あとひと月もすればこのかわいらしい姿も見られなくなるな、ちょっと寂しい。 この日最も衝撃的だったのは朝摘み野菜ならぬ朝搾り酒「今朝ノ酒」。試飲できることもあってか長い列ができており、やめておけと諭す夫を振り払い愚かな妻は列に加わる。私の前でこのボトルを買っていた人が「これ何度?」と尋ねると「21度ね」。無理だ、さすがにこれは飲めない。せっかくしおらしく「すみません、ほんの1cmくらいお願いします」と言ったのに「なあに言ってんの、ほらいいからいいから」とやはりなみなみ。 仕方ない、それに縁起ものである、何事もチャレンジだと口にしてみるもさすがに強い。個人的にはヴォッカを口にした感覚。当然ながら半分で断念。すぐさま大好物の甘酒試飲コーナーへと急いだ。男山の甘酒は非常に美味であったはずだが無念、どうにも思い出せない。 これより奥のフードコート広場も飲んだり食べたりの幸せな人たちで溢れており、更に奥の倉庫内では男山のブランドを彩る多くの品種が販売され、試飲も勧められていた。けれどこの頃になると、表情も口調も変わらないが意識が確かに遠のいており、これ以上の試飲は断念せざるを得なくなっていた。 楽しい冬の催し物と酒を含んだ温かさが嬉しい朝であった。人出は分単位で増えていき、私たちが帰る頃にはたいそうな人だかりとなっていた。旭川の伝統を味わおうと市民が集結する。この賑わいには独特の温度と躍動感がある。地元民の心の結びつきなのか、それともこの旭川で町とともに生きてきた男山酒造の吸引力なのか。 いつにもましてぼんやりな頭で考えてみるまでもなく、まだまだひよっこの旭川市民は己の町に愛着を持つ地元の人たちが誇らしく思え、ここに住まう己の幸運に浸り、どっしりと優しい男山酒造の存在感に安らぎを得たような有難い心持ちで意気揚々の男山の庭を後にした。 心踊る酒蔵開放、きっと来年もと思ったのは私だけではない。幾種類もの酒を続けざまに飲み干す妻を横目に「来年はさ、タクシーで来ようね」と呟く夫であった。
-
図書館までの道
雨上がり、旭川小記。 私たちの人生は道でつながっている。私の生にもさまざまな意味を持つ多くの道が延びており、交差している。それらの中には避けたいものもあれば、大好きな虹色ロードというのも超個人的見解onlyで存在する。 一応は文章を書く人間であるから書物との関わりは深く、図書館との付き合いもひと月の半分ほどの頻度なのだが、図書館で過ごす時間もさることながら私はそこへ辿り着くまでの散歩道を実に気に入っていて、いや気に入っているなんてものではなくむしろ至福のひとときとさえ言いたいほどに好んでおり、それを理由に図書館へ行くこともある。 旭川市中央図書館は大きな公園の中にある。 駐車場に車を止めると目の前には大きな池が広がる。池の前から左へ行けば程なく図書館。けれど陽気が穏やかなら右へ折れ散歩道をぐるりと一周して図書館へ行く。 ここ常磐公園は旭川を代表する名所のひとつで「旭川八景」に、また「日本の都市公園100選」にも選定されている緑豊かな市民の憩いの場である。明治43年(1910)開設、大正5年(1916)開園というからどれだけの人がどのような出で立ちで誰と歩いたのだろうと考えると想像が尽きず胸が躍る。 平成最後の2018年はこうである。揃いのウェアでウォーキングをする俊足老夫婦、野原で小さい子供を遊ばせる美脚の若い母、先へ先へと急ぎたいトイプードルに着いていくのが大変な苦笑いの少女。三世代、四世代、公園への慈しみが漂う。 公園の敷地には図書館の他に上川神社頓宮や道立旭川美術館も設けられている。私は神道について知識を持たないので調べて初めて知ったのであるが、頓宮とは仮のお宮さんという意味だそうだ。親しみやすい佇まいの、居心地の良いお宮さんである。 旭川美術館は個人的な憩いの場であり、公園散歩とは別に安らぎと刺激を求めて訪れる。年に一、二度の大きな展覧会と旭川ならではの美術・工芸展は私の年間スケジュールにも組み込まれている。小さいが大切な、旭川の美術室。 九ちゃんの歌とは反対に「下を向いて歩こう」が私の公園散策のテーマである。殊に秋の公園は足下がとても楽しい。銀杏が山吹色に染まる頃など散歩中の犬さながらに興奮する。夫はそれを微笑みもせず、かと言って笑い種にするでもなく(たぶん)見守っている。 森の香りが喉にいいんじゃないかとか、常磐公園のダックは日本語で鳴きNYの家の前のダックは英語で鳴くに違いないだとか、何の意味もない話をしながら行き交う人たちと「こんにちは」「今年はいつまでも暖かいですね」とこちらも他愛もない挨拶を楽しみゆっくりゆっくり、散策路を廻る。 池の畔に沿って美しい園内を眺めながらベンチに座って休み、お宮さんに立ち寄り、栞にする色鮮やかな落ち葉を拾いながら30分ほどかけて図書館に辿り着く。秋の図書館前は私の旭川八景である。私はこの景色を100枚以上写真に収めているが、図書館の職員さんおひとりくらいは我が愚行にお気付きかも知れぬ。 館内に入ると混み具合を確かめ、午後の陽光が木漏れ日となって入る窓際の椅子を選んで読書を始める。本はその時興味を引くものであるが、毎回のように手に取るのはドナルド・キーン先生の著書である。名立たる文豪とのやりとりなど、その場で障子の陰からこっそり見ているようなくすぐったい気分にさせてくださる。 一度に借りられるのは10冊。毎回だいたい夫6冊、私は4冊。そのうち1冊は就寝前に読む洋書を混ぜ込んでいる。2週間借りていられるが、読んでは返しを繰り返す。 持ち帰りたい本を決めてデスクへ。2週間後の返却を約束して外に出ると、すっかり日が沈んでいる。必ず思う。図書館からの帰り道はコローの美術館にでもいるようだ。子供の頃に見た “Goatherds on the Borromean Islands” を思い出す。ああ、きれいだな、寒くなるまでしばらくここに居たいわ。 ガーガー グワッグワッ グェッグェ~ 静寂をぶち壊し私の感傷を木端微塵にする衝撃。 人も去り体感温度が10℃ほども落ちた蒼い池で「さあ夕食だみんな集まれ」と楽しげに鳴くダックの群れが水面を揺らす。「彼らはどこで寝るのかね」と小学生も考えないような疑問を題材に車に乗るまで話す。「さすがに水も冷たいだろうし、まあ草むらだね」という何とも安直且つ稚拙な結論に。けれどその道すがらがとても楽しい。 帰路、必ず旭川の象徴「北海道遺産」旭橋をくぐっていく。黄昏時の空に浮かぶ旭橋の灯りをとても気に入っている。時折感じる時代を遡りゆくようなアトモスフィアは旭川独特であり、拙著にも書くほどこの橋が、そして我が町旭川が好きである。 我が町。ニューヨークが私の町だ、故郷だと思ってきたがそれは成熟できないでいた私の意固地であった。故郷とは、日々の中から生まれる町への愛なのだとここにいて思う。 最近借りている書物の中で猛烈に気に入った一冊が、国木田独歩著「空知川の岸辺」の足跡を辿る「国木田独歩 空知川の岸辺で」(岩井洋著・道新選書)である。 恋狂いだ。愛した女との新しい門出の為に縁も所縁もない北海道の地へ土地の購入にやってくるのだ。情熱的な人は好きであるがこういった男と恋をすることはないなと笑いながら、滞在中の人との関わりや独歩の心境の変化、それだけでなく明治時代の北海道の様子や厳しい自然までも美しい文章で綴ってくれていることにひたすら喜びを感じた。 この本、返却したくなくてしばらく借り続けていた。しかたがないからとりあえずノートをとり、おそらくは後日購入することになるであろう。そのくらい楽しい本であった。 図書館への道は、名著と私を結ぶ赤い糸。図書館への道は、旭川が私にくれる心嬉しい30分。そしてまた、人生のジグソーパズルを完成へと向け毎日毎日探し見て、迷いながら合わせていくうちに見つけた、幸せの1ピースである。 昨日、図書館前のクローバー畑にかわいい花が咲いているのを夫が見つけた。嬉しい半面、眠りに就けずにいる花たちにはそろそろ疲れも溜まってきているだろうと申し訳なくなった。人はどこまで自然の邪魔をして生きてゆかねばならぬのだろう。
-
白いコートの妖精たち
私の日常にはもともと決まった休みなどないのであるが、今年は思いの外慌ただしく、ソリチュード愛好家組合主宰者が「わたしの時間」とすっかり縁遠くなっていた。まったくもって不甲斐ない事態、珍しくもなくなった「ケイティ死亡説再浮上」なる件名の友からのメイル。北海道の屋根、旭岳の初冠雪を見逃すことのなかったことだけが救いであった。 今年の初冠雪は9月20日。 去年の9月下旬の旭岳はもっとずっと雪が多く純白と言えるほどであったから、今年は温かいのだろう。地球温暖化の影響であろうか北海道の気候も変わりつつあるようで、今では「梅雨のない北海道」とは言えなくなってきているのだそうである。 夏の終わり、かろうじてiPhoneに収めていた十勝の森。 北海道に来てからいつもカメラを傍らに置いていて、気がつくとシャッターを切るようにしていた。毎月1000枚を超える写真には季節の移り変わりや小旅行の思い出が詰まっているのであるが、ここ半年はめっきりその数も減り、夏からこちらは20枚も残していなかった。 「ものづくりな頭」がお留守になっていたことを猛省しながら先日ふと仕事部屋から窓の外を見ると、おや、これは。大雪山系が微かに雪を纏っている。無性に嬉しく、心が安らぐ。 外に出よう。旭岳の雪を見たらそんな気持ちになって、旭川の自宅から隣町東川へと車を走らせ、季節が変わるたびに出かけるキトウシ森林公園へと向かった。 キトウシ森林公園から望む東川町。手前はエゾヤマザクラの紅葉。 今にも降り出しそうな空の下はストールを羽織っても肌寒かった。格子模様の美しい田園風景は稲の刈り入れも終わり、田畑は今、半年間の長い眠りに就こうとしている。 「あ、雪虫だ!」 何ですって!それを追ってか森の奥へと走っていく子供たちの叫び声。「雪虫」の言葉に高揚感急上昇の中年夫婦。「つかまえたー!」勝利の雄叫びを挙げる5,6歳の男児。自分たちのすぐ目の前で大量に飛んでいるのに気付かず子供たちが追いかけるのを目で追い、先を越されたとライバル意識むき出しの中年夫婦。「あ、あれだ!」夫はキャップを虫捕り網代わりにあっちだこっちだと彼らに負けじと走りまわる。 雪虫はコットンのような白い毛と羽を持つアブラムシの仲間で、5mmより小さいくらいのかわいらしい虫である。その命はとても儚くて、寿命は一週間、熱に弱いため人の手のひらに載っても死んでしまうことがあるのだという。本当に、雪のよう。「えええ、アブラムシ~」と友人の殆どが言うが、「いいや、冬の訪れを告げる晩秋のマスコットなのだ」と私は雪虫の名誉を守るべく高唱する。 5分後、「やった!」 イイトシをして涙ぐましいものだと同情してくれたのだろう、慈悲深い一匹の雪虫がキャップの内側に留まってくれた。雪を連れてくる、純白のオーバーコートを着た冬の妖精。 まだ元気かな、キャップに留まった雪虫/ snow fairy 雪虫は北海道やロシアのみに生息する虫かと思っていたが、トウキョウ・シティボーイの夫は子供の頃冬に見かけたのだそうである。ハマギャルの私は見たことがなく、雪虫の群れが螺旋を描いて飛んでいるのを「北海道の雪は特別な性質を持っている」と一瞬本気で思ったほどにその様子は神秘的だ。 他地域では綿虫や雪ん子、京都では「白子屋お駒はん」と呼ばれているのだそうだ。京都らしい愛らしい名前。私も呼びたいが、私が言ってみてもどうもはんなりとはならないのが分かっているのでできることなら京都出身の人に言って聞かせてもらいたい。きっとやんわりとした良い響きであろう。 旭川市出身の小説家・井上靖の「しろばんば」、これも雪虫の愛称であるが、残念ながら「しろばんば」の舞台は旭川ではなく何と伊豆である。となれば加えて残念なことに、雪虫は東京よりさらに温かい地方でも生息していることになり、夢の「雪虫は北海道の妖精」説は私の拙い妄想に終わる。 10月10日忠別ダムから見た旭岳。雪を、ほんの少し。 我が家から約1時間、旭岳の麓、忠別ダム。ここから望む旭岳はダム湖にリフレクションを映しとても美しく、この辺りの絶景スポットのひとつであると私は思っているが、久し振りの絶景スポットに興奮が過ぎてダム湖を撮り忘れてしまった。 そしてここでも多くの雪虫が楽しそうに舞っていた。来る、雪が来る。一週間後か、二週間後かと胸が躍る。 そうして10日、11日と連日現れた雪虫たちは翌々日、街より先に大雪山に雪を降らせた。下の画像が13日午後4時頃我が家のバルコニーで撮影した旭岳である。午前中は曇っていたがお昼頃から雲が切れ始め、夕方には美しい姿を見せてくれた。 自宅バルコニーから、10月13日午後の大雪山系・旭岳。 この時季の山はとても良い。新雪を眺めながら同時に紅葉も楽しめる。今年は先月の胆振東部地震が影響して観光が随分と落ち込んでいるが、それでも旭岳への一本道には多くの車が走っており、ところどころ外国からの観光客が旭岳を背に記念撮影をしているのを見ながら胸が温かくなった。観光地・旭川に暮らせばこれは日常の光景であるも、この日はあらためて、地震の恐怖にも敬遠せずこの地を訪れてくれた人たちへの感謝と、災害に負けない北海道の強さへの安堵を胸に抱いた。 今年も雪虫がやってきた。旭岳に雪を届け、街はいつになるだろう。秒読み。私はそうだな、次の木曜日と予想しよう。
-
青春時代の入口で~西高野球部闘魂注入ダンサーズ
Everybody’s youth is a dream, a form of chemical madness. – F. Scott Fitzgerald 仕事にかまけて短い夏に背を向けていたら、いつしか旭川には涼やかな風が吹き、9月。辺りを見回せば、ススキやコスモスが揺れている。 無類の旅好きがこの夏は極小旅行にも出かけずいじけ気味であるのだが、日本に来てから夏の楽しみになった高校野球がひとつ、私にレモンスカッシュな思い出をつくってくれた。 遡ること6月28日。前日雨で順延になった高校野球旭川地区予選の試合がどうやら開催される模様。時計を見るとあと20分で試合開始とある。大急ぎでその日は休日の夫を起こして支度をし、ブレクファストに用意しておいたアップルデニッシュを持ってスタルヒン球場へと急いだ。 スタルヒン球場は本当は旭川市民球場と言うのだそうだが、ロシア帝国に生まれ旭川で育った伝説の投手、ヴィクトル・スタルヒン(1916-1957)の功績を称え「スタルヒン球場」と名付けられたそうである。ロシア革命、第二次世界大戦と激動の時代に苦しめられた彼の人生に触れ、あらためて戦争への憤りと平和でなくてはならない日本が変わっていきそうな懸念に胸が痛む。 さて、記憶に残る最後の野球観戦は確か Yankee Stadium. しかも現在のスタジアムではなくBabe Ruth や今も我等夫婦が愛して止まない “Donnie Baseball” Don Mattingly のホームグラウンド、旧球場であった。Hideki Matsui も大活躍していた頃だから随分前のことになる。 学生時代はほぼ毎週末ヤンキースを観に行っていた。当時はそれを誇らしく思えるほどの弱小チームで、現在とはまったく違った、昔ながらのワイルドなヤンキースだった。あのムードがなくなっていくにつれ、私はMLBを見なくなったように思う。 ヤンキースに纏わるエピソードは尽きることがないが、球場近くの駐車場に車を止め外に出ると、ブラスバンドの演奏と応援団の声が高らかに響いていた。 「初めてのスタルヒン球場」の感動もそこそこに球場に入ると、地区大会だからか午前中の試合だったからか観客数はそれほど多くもなく、私たちはバックネット裏中段辺りに腰を下ろし、アップルデニッシュを食べながら観戦し始めた。 楽しい。もう楽しい。その場に座っているだけなのに、初々しい熱気が球場いっぱいに広がって見ている私たちにも伝わってくるのだ。 強豪旭川実業高校対旭川西高校の戦いは、1回の裏西高校の攻撃中であった。北海道の高校野球を知らなくとも地元対決というのはそれだけで見応えがあった。が、ひとつ問題が。どうせならどちらかひとチームを応援したいスポーツ観戦、なのにどちらを応援してよいか分からない。両校の選手たちが一生懸命プレイしているのにどちらか一方を選ぶだなんて、私にはできない。強い方?弱い方?うちに近い方?いくら何でもそれは違うだろう。そこで試合を観戦しながら心が傾くのを待つことにした。 どこかのサイトに北北海道は旭川実業が優勝候補の一校であると書かれてあって、なるほど引き締まったプレイにまとまりのある応援団。強豪と言われるのにただただ肯く。トランペット・ソロもなかなかの腕前。盛り上げるなあと感心。 すると突然、びびびと私の好奇心アンテナが10時の方向へと伸びる。左前方、西高校の野球部員らしき男の子が5人、半狂乱(でもないか)でブラスバンドの演奏に合わせ舞っているのである。ダンスを、しているのだ。 今はどこの学校もこうなの?確かに野球部員だ、ダンス部員ではなかろう。曲によってダンス、そう、闘魂注入ダンスも違うフォーメーションで実にかっこよく、実におもしろい。これが野球場でなければパフォーマンスだと思ってしまうくらいだ。チアリングも変わったものだなあと、時代比較、日米比較しながら実感する。本人たちにはおそらく「真剣なんだ、おもしろいなどと言ってくれるな」と言いたいところであろうが申し訳ない、見ているこっちは楽しくてたまらない。 にじりにじりと3塁側に近寄って行く怪しい中年夫婦。 そして気が付けばこんなところに。時折飛んでくるファウルボールに怯えつつも西高野球部闘魂注入ダンサーズ「ウェスト・ハイ・マイティ・ロケッツ(West High Mighty Rockets)」(勝手に命名)は休むことなく踊り続ける。真剣な、というより無表情でマーチングバンドに導かれるまま飛び跳ねる。ヒットが出ると大歓声。点が入るとまた飛び跳ねる。青春は、跳躍だ。 彼等5人とブラスバンド、チアリーダーズ、声援に駆け付けた生徒たちの声と動きが一つになってフィールドに注がれていた。甲子園の大舞台でなく、地区大会だからこそ強くそれを感じられた。マイティ・ロケッツは休むことなく、次々と繰り出される楽曲に合わせダンスを送り届ける。選手たちを、また応援席にいる全員を奮い立たせるように。 試合は惜しくも10-5で敗退となってしまったが、彼等は試合を大いに撹乱し、私たち見ている人の心を震わせた。勝った旭川実業の攻守も、応援も素晴らしかった。 選手たちが3塁側の応援席へと駆け付け美しい一列をつくると、応援団も前方へ駆け寄り大きな拍手を送った。ここにいる西高生全員が猛烈に感動しこの瞬間を心に刻み込んでいるのだろうと思ったら、遠い昔の高校時代が脳裏に浮かんで私の胸も熱くなった。 西高野球部の今年の夏は終わったが、去って行く背中を見送りながら、あの子たちは今、青春の入口に立っているんだなとふと思った。青春時代は人生のうちで最も楽しくて苦しくて、甘くて切ない季節。初めて味わう感情をいくつも積み重ねていく時間。熱い思いを抱いて足を踏み入れて行く彼等の足下は明るい光に照らされ、頭上には虹のアーチが歓迎していることだろう。何十年も経ってから、夢のような時代であったと振り返ってもらいたい。 そういえばこの日のスタルヒン、涼しい顔をしているようで実は笑いをかみ殺しているのを私は知っている。 両校の応援の中に、こんなふうに叫ぶのがあったのだ。 「オマエハイイオトコ ○○○」…
-
One Fine Day とフリルなブランチ
“Saturday Morning” by Rachael Yamagata 夫も私も忙しかった10月。久し振りに会った休みの朝は、ゆっくり起きてブランチしてから「日本の都市公園100選」にも選ばれている旭川の常磐公園へ今年最後の紅葉を見に。 この日のブランチはケイティ命名「フリルなピアディーナ」。9月の終わり、オープン直後の北欧の風 道の駅とうべつ「レストランAri」で出会ったかわいくて美味しいピアディーナを真似て家で作ってみた。おしゃれで栄養満点で意外にも食べやすい。定番ブランチになりそう。 因みにこの道の駅、入った途端IKEAの香りがするのであるが、調べたところ使われている家具はやはりIKEA製であった。なかなか素敵な道の駅。 ◆「フリルなピアディーナ」の作り方は最後に。 うららかな昼下がり、この日の気温は7℃ともう秋とも言えない寒さ。けれど風もなく歩くには心地良い。気分も軽く、時もゆっくりと流れてゆく。 座って何か飲もうということになったものの、腰を下ろすとベンチが冷たくて諦めた。お日さまは暖かいのに、やはりここは旭川。冬の訪れをベンチで実感。 誰も乗らなくなったボートの上でダックが日なたぼっこ、というより寒くて固まっているようにも見えてしまう。たぶんそう、寒いのだわ。 見事という言葉しか浮かばない、それほどに美しい枯葉のじゅうたんは、踏んでみると何てソフトなのだろう。降り注ぐ午後の日差しがつくる木漏れ日も、夏のそれとはやはり様子が違う。センチメンタルでいい感じだ。 絵本の中にでも入り込んだようなこの小道を夫と話をしながら歩く時間は、それが永遠でもよいと思えるくらい気に入っている。夫は楽しい話の達人なのだ。 この日の話題は「手相」。空に手をかざしながら彼はスターとソロモンの輪を持ち、私は太陽線と縦一直線の運命線を持つのだと言う。おもしろいおもしろいと喜ぶも、傍から見ればややもすると「え?これが?ほんとに??」そして「相手にしても仕方のない、ほっとくしかない愚かな夫婦」ということになろう。 周囲の目などおかまいなしに、二人の会話は続く。途中、公園内の神社に立ち寄ってお参りし、私だけおみくじを引いた。心の温まるお告げが書かれていた。 どんなに忙しくても、こんなささやかな良い一日があるから明日を楽しみに生きられる。 公園のボードウォークを北風と踊る枯葉の美しさも忘れてはいけない。こういう季節の小さなひとこまが意外にも5年先、10年先の良い思い出の中に描かれているものだ。 風がいっそう冷たくなって、指先がキーンとする。熱いお茶が飲みたくなって、私たちは公園と、晩秋のOne Fine Dayを後にした。 ◆ フリルなピアディーナのお材料 2人分: ・薄めのピッツァクラスト:2枚(直径20cm、軽くトーストして柔らかくする) ・蒸し鶏 200g (ランチならローストチキン、ローストビーフもおすすめ) ・チーズ:普段はエメンタールですが今回はチェダーとゴーダ3層のスライスチーズ使用 ・ベイビーリーフ、紫キャベツ・スプラウツ、千切り大根やミックスビーンズのサラダなどお好みで。マスタード・リーフなどもアクセントになって美味しいし、具材に合わせたハーブを替えればちょっとしたおもてなしランチになる。野菜はフレンチドレッシングやオリーブオイル+ソルトを軽くかけておく。 ・チェリートマトはMUST! 大きなサンドウィッチもこれがあると飽きがきません。 ・真ん中のパンプキンサラダは電子レンジにかけマッシュしたパンプキンをマヨネーズとメイプルシロップで和えたものを使いました。メイプルシロップの香りが強過ぎるという場合はハニーやオリゴ糖で。 ・ソースはマヨネーズ+ホースラディッシュ(北海道では「山わさび」と呼びます)。私は甘みの強いアメリカのマヨネーズが好きですが、今回は日本製マヨネーズがよく合います。 ◆具をクラストのハーフスペースに載せたら半分に折り、くるくると巻いて、中央にできた穴にパンプキンサラダやポテトサラダを押し込み、空いているスペースにビーンズも加え、大きめのペーパーナプキンで包んでカップに差して立てておく。私はメイソンジャーを使用。 ◆ピアディーナはイタリアの軽食で、丸いクラストを半分に折って具材を挟むことが多いが、「北欧の風 道の駅とうべつ」の「レストランAri」さんではこんなにかわいいサンドウィッチにしていた。パーティーメニューにもできそう。
-
冬が来るまえに
“So Far Away” by Carole King 10月17日、旭川、札幌など北海道のところどころで初雪が降った。 街の紅葉は美しいのに、秋が旅立つのを待たずに冬が来て少し慌てた。 まだ足りない、私には秋がまだ。 北海道の中央より少し北にある旭川市。 この町に美しい英国風庭園がある。それがここ、「上野ファーム」。ガーデンは今月15日で今シーズンの公開を終え冬休みに入ったが、クローズのほんの数日前に大急ぎで訪れた。 上野ファームは、旭川の美しい秋を集めた庭だ。入口を抜けると、別世界。 秋のイングリッシュガーデンは、イギリスの画家、コンスタンブルの描いた風景画のように誰の心にも安らぎを与えてくれる。 ああ、風が冷たくなかったなら、いつまでもここに座っているのに。 花の季節はまだ終わらないと、力強く主張するこの花の名前は何だろう。 デルフィニウムのようで、違うような。 太陽に向かって夏を呼び戻さんと真っすぐに伸びていた。 元気に実っていたのはポークウィード(pokeweed)。和名は洋種山ゴボウという。 こんなにおいしそうなのに、無情にも毒性植物。誘惑に負けて食べてしまった人がどれだけいることか。見るだけ、見るだけよ。 果汁は美しい染料に。見事な秋色のショールができそうだ。 レンガの壁に触れると、ひんやりと冷たい。夏に来た時は灼熱の太陽を受けて2秒と触っていられなかった。 陽光が秋の深まりとともに弱くなっていくことを、指先で感じた午後。 散歩道に、海松(みる)色の小さな小屋。かわいいこの扉の前に立つと、訪れる人は誰もここが日本だということを、ふと忘れてしまうはず。 北海道は不思議な国。10月になってもアジサイ、ひまわり、菜の花を見かける。このアジサイはやがて見事なバーガンディレッドに染まり、季節の終わりを私たちに告げる。 逞しいパンプキンのファーマーは上野ファームのフィナーレを鮮やかに彩っていた。 四つの季節、どれが好き?と尋ねられたら私は迷わず秋、と答えるだろう。けれど季節は、同じ場所には留まれない。 去りゆく秋を、呼び止めた気分だ。秋よ、さようなら。 これで冬を、迎えられる。
-
旭川のいなせな夏。永山屯田まつり2017
日本各地、夏祭り真っ盛り。北海道も毎週末どこかしらで花火大会同様大小さまざまな夏祭りが開催されている。 旭川も、来月3~5日の「旭川夏まつり」に先駆けて29、30日と「永山屯田まつり」が開かれた。毎年最も楽しみにしているイベントのひとつだ。 旭川夏まつりには規模も内容も到底かないっこないわけだが、こんなに粋でカッコイイ祭りはないと、おそらく殆どの地元住民が思っているに違いない。私などは5月になり、風が柔らかくなり始め窓を開けられるようになると夜毎聞こえるお囃子の練習に早くもソワソワし始める。 永山屯田まつりは今回が31回目。旭川が発展するにつれ住民のライフスタイルが変わると地域のコミュニケーションが希薄になった。これを憂いた市民委員会、商業団体、農業団体が住民のための「手作りの祭り」をつくろうと1984年に誕生させたのがこの祭りと言う。 祭りを最高に盛り上げるのは30~40に及ぶとも言われる山車のパレード「屯山(みやま)あんどん流し」だ。当日夕方になると、これを見る為に近隣住民は沿道に集まる。デッキチェアをセットしたり、中には家の玄関先でジンギスカンパーティー(地元では「ジンパ」と呼ぶ)をしながら楽しむ人たちもいる。 静かな住宅街での催しものであるため道路もそう広くはなく、行燈は少しずつ間隔を置いてゆっくりと通り過ぎていく。お囃子と掛け声に、小さな子供は一緒に叫び、踊る。子供の声、人々の笑顔、歓喜の踊り。ここには平和が凝縮されているなとつくづく思う。 あんどん流しの主役は、道内最大級の和太鼓「永山屯田太鼓」。サラシを巻いたうら若き乙女が2人1組で意外にも淡々と打ち鳴らす姿は圧巻、そして何ともいなせだ。「いなせ」という言葉は主に江戸っ子の男性に対して使うものらしいが、なんのなんの、旭川の女たちの雄姿こそ「いなせ」という言葉がぴったりである。 あ、もちろん男性陣も。荒々しく逞しい姿は祭りの花だ。 あんどん流しのアイドル、とは私が勝手に言っているだけであるが、毎年楽しみにしている旭川農業高校の行燈。目が赤く光り、首が動いたり口から煙を吐くこともある。 躍動感のあるとても美しい行燈。この高校は生産物の販売など、地域への貢献度も高い。 こんなアクロバティックな行燈もある。2時間にわたる屯山あんどん流しはずっと立って見ていても飽きることもなく、気分が高潮しているから疲れも感じない。あとになって「こ、腰が・・・」ということにはなるのだが。 後先になったが、あんどん流しのトップを切ったのは永山小学校。見ていてとても微笑ましく、掛け声もかわいい。 交差する行燈に沿道の観客の心も躍る。こうして行燈は行き過ぎ、最後は「おまつり広場」に集結して最後の盛り上がりを見せ、フィナーレを迎える。 おまつり広場では、すべての行燈が輪になるように集まり、しばしそれぞれに乱舞する。訪れた私たちも大きな掛け声に続き、屯田まつりの最後を共に飾る。 今年は2日間天候に恵まれ、涼しさも助けになったか夜にも関わらず多くの地元住民や観光客で大いに賑わった。やはりとてもよい祭りだ。私はそのうちニューヨークへ帰っていく身であるが、屯田まつりのあとは必ず「老後もここにいようか」と考える。冬の寒さは厳しくとも、穏やかに楽しく暮らせる旭川が好きで好きでたまらない。 ◆ 夜が更けて今、東の窓からひんやりとした風が舞い込んだ。誰もが感じる祭りのあとの寂寥感がせつなくもあり、心地良くもある。 こうして無事に屯田まつりが終わり、来週の夏祭りが終わりお盆が明けるころ、道北旭川には秋風が吹き始める。
-
Conversation ~ ハクセキレイと人は会話できるのか
と”We’re in This Love Together” by Al Jarreau 季節を戻すこと春5月、ようやく桜が咲き始めた旭川・神居古潭(カムイコタン)。アイヌ語で「神の住む場所」を意味し、アイヌの人たちにとって神聖な場所とされている。 春から雪の降る前まで自然の美しさを心に刻むことのできる、穏やかで心休まるスポットだ。 この日、桜の写真を撮りに来たもののまだ少し早く写真を諦めて辺りを見回していると、 チッチッ、チュイーーッ 10mほど離れた場所で鳴いているハクセキレイ。高く澄んだかわいい声。 「そうだ」 この前神社で出会ったカワセミに似た鳥を思い出し、鳥と人が会話できるか、この小さな鳥を相手に試してみることにした。 鳥の言葉(鳴き声)を真似しても会話にはならない。ならば人の言葉で。 「おはよう、おはよう」 できる限りハクセキレイの鳴き声に近い高さで抑揚を抑え、何度も何度も話しかけた。 ハクセキレイは私の声を聞いているのかいないのか、ただそこにじっとしていた。辺りは風もなく、他には何の音もない。 「やっぱりだめかな」そう夫につぶやくと、セキレイは背を向け飛んでしまった。 やっぱりだめか。人の、いや私の愚かさを嘲笑するでもなくセキレイはいなくなった。 かと思いきや。ハクセキレイはどこからか飛んできて私たちから3mほど先の欄干に留まった。明らかにこちらを意識している様子。 懲りない私はがぜんやる気満々、嬉しくてたまらず早速再びこの子とのチャットを試みる。 「おはよう、おはよう、いいお天気だね」 同じトーンで何度も同じ言葉を繰り返した。ハクセキレイは一歩ずつ私たちに近づき、こちらの様子を窺っている。私はさらに続ける。 「おはよう、おはよう、いいお天気だね。家族はどこ?空を飛ぶのはどんな気持ち?」 この時、ハクセキレイはクッと顔を傾けた。まさか、私の言葉を分析しているのか。 さらに続ける。何としてもこの子と話をするのだ。 「おはよう、おはよう、今日はいいお天気だね、ここは静かで人もいないから、安心して遊べるね」 なるべく簡単な言葉を、そして彼等の生に関わる言葉を選んで話しかける。すると。 キュイッキュイッ、チッチッ、キュイーーッ ハクセキレイが声を発した。私は続けて話しかける。ハクセキレイが応える。話しかける。応える。 信じていただけるだろうか、これが20分も続いたのだ。 横でハクセキレイの写真を撮り続けていた夫も目を丸くして驚いていた。このまま掛け合いを続けていたら、もっと仲良くなれただろうか。ところが20分を過ぎたところで、これまでずっと普段出さないような高音でさえずって(話しかけて)いた愚かな私の声が枯れた。 会話が途切れ、私がひとつ咳払いをすると、ハクセキレイは「なあんだ」という様子で背を向け山の方へ飛んで行き、もう戻ってはこなかった。 胸を張って結論を言おう。ハクセキレイと人は、言葉を交わせます。 ◆ セキレイという鳥は、本来とても人懐っこいのだそうだ。道案内をしてくれるとも言う。また、セキレイは尾を縦に振る動作をするが、これに関して面白い話が日本書紀に記されている。 「男神・イザナギとその妻、女神・イザナミはセキレイの尾の動きを真似て夫婦の営みを身につけた」 1300年も昔の文学に既に登場していたセキレイ。こうした人(日本書紀では神だが)との関わり合いをとってみても、神居古潭のハクセキレイと私が会話できたって何らおかしくないことに納得がいく、誰が何と言ったって。 ちなみに、私の問いに対するあのセキレイの答えはおそらくこうだろう。 「おはよう、あんた朝から元気だね。空を飛ぶのはそりゃ気持ちいいよ。だけど遊んでばかりいるわけじゃないよ、見たとこあんたは遊んでばかりいそうだけど」 About 神居古潭