Tag: 美瑛町
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Etymology for Two~二人の語源香る美瑛・アスペルジュの皿
Song: You Taught My Heart to Sing – Cheryl Bentyne 良いお天気の暖かな、結婚記念日にありがたい4月のとある木曜日。単身赴任で夫が普段家にいないためゆっくり計画を立てることもできないまま、酒の苦手な夫婦は急遽せめておいしいランチでもと午後1時の予約をとってお昼過ぎ、美瑛へ向かった。 美瑛町・アスペルジュ(Asperges)は、多くのメディアで取り上げられミシュランガイド北海道2012年にひとつ星をも獲得したカジュアルフレンチで、隣接する美瑛選果を訪れるたび外から覗いてみては賑わっている様子に「次は必ず」とその場を離れていたのであるが、ようやく機会が巡ってきた。 ガラスの扉越しに見える白い店内はこのあと目の前に運ばれてくるであろう色鮮やかな料理の数々と楽しいひとときを予感させた。野菜が、美味しいはず。 ◆ 「結婚生活、どう?」と独身の友人たちに尋ねられるたびその時のムードで思いつくことを話していたものの、その答えは実に適当であった。そう簡単に表現できるものでもないし。けれど不思議と二十余年にわたる私たちという関係の語源になるような言葉が、この日出会った絵画のように美しいひと皿ひと皿の上に漂うようで香るようで、次々と浮かぶのだった。 人参のムース Infatuation ー 心酔 アミューズブーシュはにんじんのムース。最初のひと品は本の表紙だ。タイトルと装丁によって与えられる第一印象。恋の始まりに似た、恥じらいを含んだような柔らかさと、ふんわりとした甘さに夢中になる。美瑛の森に遊ぶキューピッドの羽さながらの軽やかさも記念日のランチにふさわしい。 美瑛の畑 ー 20種類の野菜を使った取り合わせ Rapture ー 歓喜 「混ぜてお召し上がりください」そう勧めてくださった彩り鮮やかなサラダは花盛りを迎えた7月の美瑛を思わせる。混ぜてしまうのが躊躇われ、散りばめられた何種類ものソースとともに少しずつ食べ比べながら、人が感じる最もシンプルな、けれど胸躍らせる「美味しい」という魔法にかかり、また意外なボリュームにも驚いたのだった。 越冬じゃがいものピューレ “淡雪” Labyrinth ー 迷宮 結婚生活はまさに迷宮、一度その扉を開いて足を踏み入れたら幸せと同時に戸惑いや不安もついてくる。けれど恋から始まった二人の人生、立ち止まるわけには行かぬ。そうして時折分かれ道を前に逡巡しながらも一歩ずつ奥へと進んでいくにつれ分かってくる、優しさ、平穏、そして二人でいることの心地良さ。 淡雪はほんのりポタージュのお味で、島のように中央に顔を見せているマッシュポテトの滑らかな口当たりと温かさに心身の凝りもほぐれる。ああ、美味しい。飾られた山わさび(ホースラディッシュ)は北海道らしい遊び心を感じた。 新玉ねぎブレゼ Nature ー 本質 シンプルな玉ねぎの煮込みは母の言葉のように優しく胸に沁み込んでいく。 毎日の暮らしを共に重ねていきながら、夫婦は互いの善きも悪しきも受け入れていくようになる(私には悪しきエゴやらアクやらがゴマンとあるが、ひいき目なのか夫にはさして見当たらないのが哀しき現実)。10年後、20年後、やがて見えてくる相手の心の一番奥底で輝いている魅力が、夫婦という間柄だからこそ見つけることのできるその人の本質と言えはしまいか。 夫と私の間にはしみじみという雰囲気が漂わないが、玉ねぎのレイヤーが小さな日常を重ねていくような日めくりカレンダーにも似て、穏やかな日々に感謝したくなった。 私たちはこの層の、今どの辺りだろう。 北海道産牛頬肉の赤ワイン煮込み Maturation ー 熟成 「深み」という言葉が、年々好きになる。 夫と私のような成長の遅い夫婦にはなかなかしっくりこないこの言葉ではあるが、そういえば学生時代から今日までの二人の時間も会話もシルエットも、徐々に丸みを帯びてきたような気がしたり、しなかったり。 フォークを軽く当てただけでほろりと崩れるワイン煮込み、まさに「深み」という言葉がよく似合う。繊細な頬肉と香り高く艶やかなワインソースは五感を酔わせる官能的な料理だ。しなやかな夫のカトラリー使いにも惚れ惚れする。 美瑛産豚ロースのグリエ It is not…
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Simple Pleasures – Welcome to the Patchwork Hills
“Simple Pleasures” by Basia 6月も中旬になって黄土色の畑に緑の面積が増えてくると、私の「美瑛・富良野」シーズンが始まる。 家から美瑛町までは車で40分ほどであるが、用もないのに毎週末必ず足を運んでは決まったルートを走り、微妙な季節の動きなど感じるのを楽しみに早朝から出かける。 美瑛の丘は畑が多く、作物が育つ季節には緑のグラデーションと土色でパッチワークのように見えることから「パッチワークの丘」と呼ばれるようになった。 純白一色の雪の美瑛も大好きだが、今頃から8月にかけてここに来ると心だけでなく身体も健康になって帰れるような気持ちになるから不思議だ。 パッチワークの丘を巡るなら、朝早くからがいい。十勝連峰に雲海がたなびき、朝露に濡れたみずみずしい緑の香りがすがすがしく、おいしい。 ゆっくりと2,3度、大きく深呼吸をすると、遠くからカッコーの声が響いてくる。 やがて夏の朝特有の霞みが切れ、青い空と強い光の太陽が顔を出すと、丘の風景も目を覚ましたように活気づく。 北海道に来て好きになったもののひとつが青麦畑だ。 西から東へと通りゆく風に引かれるように一面の青麦が波打つさまは、地上の海原。6,7月の北海道は1年で最も気候の良い時で、カラッと晴れた休日などは、青麦畑の前に車を止めてひんやりと冷たい風を受けながら、この光景を何時間でも見ていられる。 パッチワークの丘を巡る「パッチワークの路」上にひとり立っている「クリスマスツリーの木」。美瑛には名前のついた木が多くある。テレビCMに登場した木やパッケージのイラストになった木などさまざまであるが、これだけは個人的に違うなあと、実は見るたび思う。 私だったらこれ、ちょっと長いが「不二家のパラソルチョコレートの木」と名付ける。閉じたパラソルをチョコレートケーキに立ててあるような、そんな風に見えるのだ。 因みに我が家ではこの木とは違う、やはり美瑛の丘に聳え立つもみの木をクリスマスツリーと呼んでいる。一面の銀世界に建つこの木はまさに神に選ばれたクリスマスツリーだが、夏の佇まいもとても爽やかで美しい。古い友達のようにフレンドリーだとも思う。 冬にこの木を見るたび夫は「ライトアップしないともったいないよな」と言う。そのくらいクリスマスで、そのくらい魅力的。私も近くを通る時は挨拶をするようにしている。 昔ハワイのある占い師から「木は人の声が聞こえるから悪口を言ってはダメだ」と聞かされて以来、気に入った木を見つけた時や森を歩いている間、木々に挨拶をしている。彼女曰く「優しい言葉を掛けると、気分を良くしたその木が幸せのエッセンスを降らせる」のだそうだ。 幸田文が随筆「木」の中で、8月のひのきを見ると「活気があふれ」「意欲的に生きている」「もし木がしゃべりだすとしたら、こんな時なのではなかろうか」と書いているが、確かに夏の木にはエナジーとふくよかな心、誇りさえ感じる。 そして木々と話をしながら、何か命あるもの同士のつながりも感じさせてくれていることにも気付く。 美瑛の名物とも言える赤い屋根の家は現在は使われていないが、プロアマ問わずフォトグラファーに人気の建物となっており、フォトジェニックな美瑛の代表的な存在として生き続ける為にメンテナンスが施されているという。 滑らかなパッチワークのうねりは作物の刈り入れまで私たちの心を躍らせ、また安らぎも与えてくれる。 人は手を伸ばせばすぐそこにある幸運を見失いがちになるが、どこまでも広いこの丘に立ってみると分かる、自然に囲まれて暮らす “simple pleasures(ささやかな喜び)”こそが望むべき幸せなのだということが。 all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Sanctuary Named “God of the Forest” (森の神様)
“Fall In” music by Esperanza Spalding 北海道にもようやく春が訪れて、と言っても日中まだまだ15度に満たない日も多いのでジャケットやストールが必要な日も多いのであるが、それでも日差しの明るい晴れの日には森だけでなく街中の緑もどんどん育ち、人の目にも心にも活力を与えてくれるようになった。そんなとき、日々色濃くなっていく木々の葉に命の強さを感じる。 パワースポットというカルチャーワードを私は日本に来て初めて知ったが、まさに命に力を与えてくれる場所だと言う。信仰を持つ人にとっては勿論聖地と呼ばれる「神聖な場所」が実際に存在するが、信仰を持たない人にとってのサンクチュアリーは心にエナジーと安らぎを与える場所であり、自然と心が赴くのもまた信仰のひとつなのかなと思ったりもする。 もうだいぶ前のことだが、私が愛して止まない隣町、東川町の小さな骨董品店に立ち寄った折、首振りのかわいいキタキツネの置きものに目が留まり「ニューヨークに帰る時のお土産になりそう」と夫と同時に肯いて手に取るなり「紅茶でもどう?」と勧めてくれた店主さんの言葉のままに座り込んでお茶をいただいていると、私たちが選んだキタキツネは「オンコの木」でできていると言われ「初めて聞く名前です」と答えるとイチイ(またはアララギ)という種類でオンコという名は北海道や東北で呼ばれるのだと教えてくれた。 それから神話を織り交ぜながら木々に纏わるさまざまな話を聞かせてくれた中で「森の神様はカツラの木で」の「カツラ」ではなく「森の神様」という言葉に私の好奇心アンテナがトゥルトゥルと両耳から立ち上った。その店に行ったのはクリスマスの頃で道北はすっぽりと純白のパウダースノーに覆われており、森の神様には春から秋でないと会えないのだと言われて(雪が深い為森の中に入れないというだけ)ひたすら次の春が訪れるのを、デスクの前に「森の神様に会いに行く」と書いて待った。 森の神様は、私の家から程近い美瑛町の、何でもない深い深い森の中に、いる。東川町から天人峡までは道道213号線一本道なのだが、森の神様は経済効果をもたらすような観光スポットではないので大きなゲートやましてや売店などあるはずもなく、道路沿いに「森の神様まで400m」の看板があるものの北海道生活5年目にもなる私はこれを頼りに辿り着けたことがまだ一度もない。必ず通り過ぎては戻ることになる。 そうして2キロほども行き過ぎてからUターンし、ゆっくり左側を注視しながら戻っていくと、小さな立て札が見えてくる「森の神様」とだけ書かれた立て札が。 213号線から車で林道に入るとしばらくして行き止まり。その奥に森の神様が鎮座している。 北海道森林管理局の公式発表によると、この木は推定樹齢900年、幹の周りは11メートル以上、高さは31メートルにも及ぶという。 神様だ、と誰もが思うのではなかろうか。周囲には無数の木々が立つもそれらがまるでこのカツラの巨木を崇めるかのように少し距離を置き、守るかのように囲って立ち並んでいる。1本の大木ではなく数本が天高く伸びている様子は何か物語が潜んでいるようにも見え、威厳というよりも凛としている、の方がこの木にはよく似合う。 道道を走る車の音が聞こえないのは鬱蒼としている森のためか、それとも人間には見えない神秘のヴェールがこの場所を包んでいるからなのか、森の神様の袂に立ち、聞こえてくるのは風と、さやさやという木の葉の触れ合う音、そして時折微かに響いてくる鳥のさえずりだけだ。 森の神様の前に立ったら、まず下から上へ向かって眺めてみる。右へ左へと伸びている枝はしなやかな女性の腕にも似て、訪れた私たちを優しく迎え入れてくれているようだ。角度によって違って見える森の神様、ゆっくりぐるりとひと回りしてみるとその大きさに驚き、900年もの間どれだけの生きものたちを見守ってきたのだろうと思う。 ここに来て必ず気付く。大地から頭の先へ向かって何かが辿り上がって来、実際に吹いている風とは違う清々しい気がまっすぐ胸に入り込んでくる感覚。いい気持ちだ。 ここでの深呼吸は森の神様を仰ぎながら、降り注ぐ生命の粒とそこに湛えた閑けさをいただくようにするのがいい。いつもとは違う穏やかな気持ちで帰れるはずだ。それからそうっとその体に触れてみるといい。疲れた心を癒し、浄化してくれるはずだ。そして話をしてみるといい。何かよいことを、幸せな生き方のヒントを教えてくれるはずだ。 カツラには香りがあるのだそうで、森の神様に近付いていくといい香りがすると言う。これを感じられるようになるにはまだまだ森を歩く必要がありそうだがひとつだけ確信したのは、この木が私にとって初めての、心のサンクチュアリーになったということだ。 美瑛や富良野、旭川の観光名所巡りに疲れた頃には半日時間をとってほんのひととき森の神様と過ごしてみるといい。北海道の美しさをまたひとつお土産にできるだろう。 「森の神様」というソフトな名前もいいものだなと思ったら、これは1998年に美瑛町の小学生たちが命名したのだそうだ。森の神様もきっと、子供たちの清らかな心によってつけられた自身の名を気に入っているに違いない。 北海道森林管理局「美瑛・森の神様」 美瑛町ホームページ 「ようこそ東川」ホームページ all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.