Tag: Antique Shop
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十勝の農家をかっこよく~音更町 Farmer’sの流儀
“I Won’t Last A Day Without You” by Carpenters 道東・音更町(おとふけちょう)に私たち夫婦のような海外帰りには応えられないオーダーメイド家具店がある。名は、”Farmer’s(ファーマーズ)”。 少し遠くから見慣れたデザインの建物が見えてくるなり驚きと懐かしさに興奮した。まったく予期していなかった「以前はよく見た家」が突如として現れたからだ。 1994年、「十勝の農家さんをかっこよく」をコンセプトに生まれたFarmer’s は2階建てのコテージスタイル。まず目に飛び込んできたのはおびただしい数の輸入雑貨。そしてそれ以上に目を引き心を奪われたのは、全てがFarmer’s で作られているという美しき西洋家具であった。 Farmhouse Style(ファームハウス・スタイル) 。ラスティックでありながらモダンで上品、温かみとノスタルジアに満ちた居心地良い空間が信条のその住宅・インテリアスタイルは、自然豊かな田園風景の中に立つ大きな邸宅ばかりではなく、マンハッタンのコンドミニアムなどでも人気が高い。 Farmer’s の家具や雑貨のテイストはまさにファームハウス・スタイルだ。 代表の山田さんやスタッフさんも、もの静かでおしゃれな、まさにファームハウス・スタイルがぴったりな素敵な方たちだ。どんなことにも丁寧に答えてくださり、大切な家具の作製を安心してお任せできると感じる。 この店に置かれている雑貨はヨーロッパのものが多いが、私はニューヨークからやってきたのでファームハウス・スタイルというとまず思いつくのがアメリカ北東部、ニューイングランド地方の広大な敷地に立つ美しい屋敷群。 我が家は毎年夏と秋の休暇に訪れた。こうしてアメリカを離れた今、紅葉の華やかな秋が訪れると心があの風景へと飛んでいく。そして今年はこの店を知って久し振りにアメリカの空気感に浸るなり、決定的なホームシックに陥った。 そのくらい、ここはノスタルジアに溢れている。 上下左右隅々まで楽しいFarmer’s を象徴しているのが所謂「高い所」。初めて訪れた時ここなら半日はいられると思ったが、その気持ちは今も変わらない。 ただの家具店ではない、ただの輸入雑貨店でもない。Farmer’s だからこその空間づくりは、海外の農家にお呼ばれしたような感覚を私たちに与える。 座り心地の良いこのソファには、早朝の牛の世話を終えた赤いサスペンダーの家主が帰ってきて腰を下ろし、妻がマシュマロ入りのココアを淹れて持ってくるのを待っている。そんな様子が想像できる。 シンプルだからこそ見て、触って分かる丁寧な仕事。「ご要望にできる限り沿ったかたちでファブリックまで厳選します」という代表の心強い言葉に、私なら…と早速妄想が始まる。 ニューイングランド地方は、コネチカット、マサチューセッツ、ロードアイランド、バーモント、ニューハンプシャー、メインの6州から成っている地域で、アメリカ北東部の美しさを独り占めしたような景観に溢れ、人々の暮らしぶりもとても豊かで、夏の避暑地としても知られる場所が多くある。 こちらからの眺めは、ハーバードやマサチューセッツ工科大学を誇るボストン辺りの大学職員宅といった雰囲気だ。 椅子にステンシルが施されたデスクはアンティーク・フィニッシュのペールホワイト。温かく落ち着いて何時間でもソーイングを楽しめる「主婦の仕事場」として、またライティングデスクとしても活躍してくれるに違いない。 引き出しのシェルカップ・プル・ハンドル(shell-cup pull handle・貝型取っ手)がヴィンテージの深みを伝える。 キッチンプランも自由自在だ。どんな大家族の食をも支えられる広々としたタイルのキッチンは機能的で実に愛らしい。このカウンターなら、パーティーの料理のアイデアがいくらでも浮かびそう。 加えて何だかとても懐かしいダブル・シンク。日本で見ることはほとんどないが、これもFarmer’s の手にかかれば可能になる。 このシャドーボックス・ディスプレイケースの前を通った時、ニューハンプシャー州に住む友人宅を思い出した。彼女の家にも、アンティークのガラス瓶が飾られたこんなシェルフがあったなあと。 学生時代の友人マーゴはボストン出身、コネチカットの大学を卒業した生粋のニューイングランダーだ。 ニューハンプシャーの自宅は彼女の夫、チャールズの両親が建てたもので、2階建てで壁は白く、屋根と窓の扉が深いネイビーといった、重厚感のあるファームハウススタイル。部屋数12、小川の流れる大きな庭もあった。 子供部屋はカントリーカラーが強いと温かく、愛らしい。マーゴの家も子供部屋は手触りのよい木の家具が揃っており、そう言えば彼女の娘、アリソンの部屋にこのテディ親子が座っている椅子とそっくりな、トールペイントを施した青い椅子があった。 アリソンはとてもお転婆で、私たちの滞在中この椅子を「私の馬車だ」と乗り回して壊し大泣きしたのを思い出した。できることならあの頃に戻ってアリソンにこの椅子をプレゼントしたい。一瞬で泣き止んだことだろう。 マーゴの家は山間部にあり、夏は青々とした緑に、秋には色鮮やかな紅葉が家を、また彼らの暮らしをも華やかに染める。ハロウィーンやサンクスギヴィングに彼女の家へ行くと、玄関からダイニングルームまで、まるで10月の森を歩くようなやさしいデコレーションに包まれる。 ダイニングルームには陶器やガラスの小さなランプがいくつも下がっており、天井に小さな宇宙をつくっていた。 夫と私を本気にさせたのが、この青いキャビネット。クラッシックでエレガントな佇まいと深い青は、ファームハウス・スタイル家具の王道を行く。 名著 “Da Vinch Code” を書いたDan Brown もニューハンプシャー出身であるが、彼の書斎にもこんな書棚があるんじゃないかしら、とふと思った。 マサチューセッツ州のケープ・コッド(Cape Cod)は全米有数のリゾート地で、周辺の人の暮らしやアメリカ北東部の海辺をモチーフにしたインテリアスタイルをケープコッド・スタイルと呼ぶが、このキャビネットとチェアのスポットはケープコッド・スタイルそのものだ。…
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思い出と再会する回廊~雨竜町「豆電球」の不思議
“或る日突然” by トワ・エ・モア(1969) 私は昭和生まれの人間だから、昭和の香りには敏感だし、懐かしいし、とても恋しい。ましてや日本で大人になることなく渡米した我が身我が心は日本にいると時折記憶の中で生きているような気がしてならず、ヴィンテージ・ジャパンを探し求めて彷徨い歩くこともある。 東京にいると浅草や柴又がそれに当たるが、遠く離れた今、北海道でもようやく、ちょっと寂しげなそんな気持ちを満たしてくれる宝もののような場所に出会うことができた。 北海道雨竜郡雨竜町、「豆電球」というその店はリサイクルショップと称しているが、夫は店のマダムに「いいえ、ここはミュージアムです」と言っていた。 店の建物は旧雨竜中学校をオーナーさんが13年前に移築されたもので、敷地に入るなりタイムスリップしたような気分になる。 扉を開くと、遠い昔暮らしの中にあった古い歌が流れていて、私はもうするするとタイムワープし身体さえ小さくなったように無邪気な少女の頃に戻っていた。 昭和以前にまで遡る錯覚と、その世界をつくる古きものたち。 私から上の世代はノスタルジアを覚え、この店のマダムが言われた「世代によって感じ方が違うようですよ」の言葉どおり、若い世代には新鮮で刺激的に映ると言う。 この座敷、奥に文机があるが、ちょっとくたびれた浴衣に身を包んだ文豪が背を向け万年筆で原稿用紙に向かっている姿がふわんと浮かぶ。 流行の古民家カフェなど営む人たちも「豆電球」にインテリアを求めて通うようだ。 手前の愛くるしい車は、オーナーご夫妻の息子さん自作。 よく見てみると、病院などの大きな看板が使われている。ニューヨークやパリの街角に止まっていてもしっくりきてしまいそう。材料も風合いもアンティークでありながら新しい時代を颯爽と生き抜く潔さを持っている。人もこうありたいと思う。 ヴィンテージとは思えないほどにミントなオート三輪車は、1963年製MAZDA T600 。寄贈品で「永久保存展示品」。オーナーさんの言葉をお借りすると、「戦後の急発展中の日本を、輸送で強く支えた名車」。 明治・大正・昭和生まれも、また平成生まれも必見の風格。 私の母は若い頃ファッション業界におり、行きつけの生地屋さんがあって私もよく連れられて行ったが、このネオンをそこで見た記憶がある。そして不思議なことに、 「あ、これ知ってる」と呟いた途端、私がまだ3つくらいの頃の母が、彼女が着るととてもよく似合ったデニムのロングワンピースで仕事部屋を立ち回る姿が目の前に現れたのだ。 思わず夫にも「若い頃のママがそこにいる」と言い「しっかりしろ」と窘められたが、あまりに懐かしくて、嬉しくて、そして帰らぬ日々を実感して泣きたくなってしまった。 翌日母に電話をすると「あら、そうだった?」と素っ気なく言われてがっかりしたもののこの店を訪れることがなかったら、おしゃれでかっこよかった当時の母に再会することはなかったろう。 「豆電球」は、昭和に、というよりも昭和を生きてきた人たちが自らの思い出ともう一度出会う場所なのだと知った。 長い渡り廊下には家具や食器が「整列」している。その様子は、子供たちが先生のホイッスルで一列に並んでいるようにも見えるから「整列」。 歩くたびにぎぎっと鈍い音を立てる床の音にも聞き覚えがあり、懐かしさが心を潤していくのが分かる。 曲がトワ・エ・モアからグループサウンズ、百恵ちゃんの「いい日旅立ち」へと変わり、思わず口ずさむと、いくつぐらいの時だったろうか、当時女の子なら誰もが夢中になって遊んだゴム飛びを、幼い私が友人たちとしている光景が脳裏を過ぎった。 するとマダムが、「うちに来てくださるお客さまはね、皆さん店でかかる歌が懐かしいって、店内を歩きながら歌われるんですよ」 すごくよく分かる、その気持ち。 “いい日旅立ち” by 山口百恵 この店にはインテリアにもできそうなヴィンテージのミシンがいくつもおいてあり、この日も若い女性がひとつ買っていった。何に使うのかな、尋ねてみればよかった。 もちろんウラングラスも置かれていた。その横にはリトファニーが施された茶碗。照明をあてて怪しく浮き上がる日本髪の女性の顔はヴィクトリア時代のイギリスで人気を博した日本の技とデザイン。 カメラを向けると夫が「そ、それはやめておいたら?」と言うので思い留まった。そのくらい妖艶で、何やら今にも話し出しそうな、魂を吸い取られそうなほど精巧に(ちょっと不気味に)できていた。 薄暗い蛍光灯の明かりにも、つつましいながらも力強い戦後昭和の暮らしが見える。子供の頃の、おばあちゃんちを思い出しませんか? 「豆電球」は営業日が週3日。これだけの広さとボリューム、本当に博物館にいるように楽しめるのに「もっとお店を開けてはいかがですか?」と伺うと、「いいええ、3日が精いっぱいなんですよ」 理由がおありですか?「あとの4日は仕入れたものや陳列しているもののお手入れをしてるんです」 そう、この店に置かれたものすべて、ゴミやほこりがまったく見当たらないのだ。 リサイクルショップや古道具屋へ行くと、商品として並んでいるものも所有者が持ってきた時のままを思わせるほこりが積もっていたり、古いタグが貼りっぱなしだったりするもので私たちもそれを当然と思っているところがあるが、伺ってあらためて感激した。 オーナー夫妻の、長い年月を掛けて完成させた大切な店と、心を傾けて選んだものたちへの愛が店内いっぱいに溢れている。だからこの店の空気は柔らかく、温かいんだ。 私はこのコリドーがとても気に入った。ここに立っていると、あの突き当たりの角から記憶の外に消えていた思い出たちがあとからあとから私に向かって歩いてくるようだ。 お菓子やタバコのパッケージ、どれもとても状態が良い。きっと誰かが子供の頃、クッキーか何かの缶に大切にしまっておいて時々開けてはにんまり笑っていたのだろう、「コレクション」と呼んで。 昔の、田舎の文房具屋さんてこんなだったんじゃないかしら。そう思わせる一画には実際にノートや鉛筆、ぬりえ、小さなおもちゃなどが楽しげに並べられている。 目敏い夫が見つけたこの「くれよん」を私は初めて見たが、とてもかわいらしく、しゃがんで顔を近付け眺めてみる。運動会や「良い歯の子」の賞品だったのではないかと想像していたら、この小さな箱がとても特別なものに思えてきた。 この場所でマダムにお話を伺っていると「あのスイッチ、大きいでしょう?ふつうに使ってるんですよ」。彼女の視線を追って振り返るとそのサイズに言葉が出ない。 オーナー夫妻の遊び心、ものを作る楽しさと、作ったもので見る人を楽しませる優しさが心に沁みてくる。この時、ああいい時間だな、そう思った。 マダムはとてもかわいい方で、会話の中で最も多いのではないかと思った言葉が「夫がね」。 「夫がね、木工の作業をずっとしているでしょう、だからひと息つけるような空間を作ってあげたかったの」 荒れた庭地を土づくりから始めて何年も掛けて造り上げられたこの庭は、ご主人さまへの思いを注いで仕上げられた見事なものだ。 なるほど癒しの庭には心に安らぎを与えてくれる清楚な草花ばかりが美しく咲いていた。 この庭には一切肥料を使っていないのだそうだ。「愛情の勝利ですね」そう言うとマダムは小さくこぶしを上げて「そうかしら」と笑ってらした。 楽しいひとときをいただいたお礼を言うと、「こういう出会いが何よりの幸せ」とマダムは外まで見送ってくださった。外はすっかり日暮れ時で、店は閉店時間を過ぎていた。 ◆ 帰り道、とうに忘れていた昔のことが途切れることなく思い出され、ずっと話していた。名前さえ忘れていた友達の顔も、いくつもいくつも蘇った。 もしもあなたに会いたくても会えない懐かしい人がいたならば、「豆電球」へ行ってみて。きっとその人があの回廊であなたを待っていてくれるはずです。…
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Escapism ~ 過ぎ来し方と遊ぶ家
BGM: “Missing You” by George Duke 冬に別れを告げる心の準備も整った5月初旬、春を求めて道東へ向かい帯広、釧路と巡ってゆっくり海岸線を走りながら目指したのは日本最東端の町・根室。そして旅の終着点に決めた納沙布岬を訪れて帰路に着こうという頃。 陽の傾き始めた根室の静かな町で見つけた白い看板。”guild Nemuro”. ヨーロピアン・アンティークをはじめ日本製ジュエリーやアパレル、テーブルウェアを揃えたセレクトショップだ。オーナーの中島孝介氏が2013年この地に構えた。 扉を開き足を踏み入れると、そこには柔らかなライティングと午後の自然光が溶け合ってノスタルジックな空気が流れ、サイプレスやジュニパー、あるいはフランキンセンスだろうか、その中にベルガモットを落としたような神聖で心地良いセント、空間に広がる静寂。思わず深呼吸する。 まず目に飛び込むのは、スムースで優しい光を湛えたミルキーホワイトの食器。店全体に楚々とした印象を与えているそれらはヨーロピアンアンティークと日本製。質感の違いが楽しい。 ダウンタウン・マンハッタンのインテリアショップを思わせる、ラスティックながらもスタイリッシュなディスプレイの店内に心なしか懐かしいのはおそらく、店のそこここに佇むヴィンテージインダストリアルの家具が持つ温かで重厚な存在感のため。 コッパーのケトルは広い店内でもひと際輝きを放っている。とても気に入ってしばらくの間、かがんだままじっと見とれていた。 店主に尋ねると、ここに集められたアンティークはオランダ、フランス、ベルギーで彼の心を掴んだものたちなのだと言う。 成り行きに任せたようにもデザインされたようにも見えるウッドストーブのコーナー。フロアに漂う北海道の冷気は時を止める役割を担う。音もなく、耳に入るのは靴音だけ。 店主との運命の出会いを果たした鯨は、guild Nemuroの守護神となって悠久の時へと私たちの船出を誘う。 100年前の北欧に咲き誇っていた花たちは海を超え、遠い日本の小さな町で新しい命を授かり再びその美しさを取り戻した。 私は壁の前に立って我が家を思い描く。この9枚のフレームを北西に窓のある書斎に飾ると、マホガニーのデスクとよく合うに違いない。3枚ずつ縦に、横に。いややはりこのままにしてあの部屋をミュージアムにしよう。空想は尽きない。 良いものを置いている店では想像力も、また願望も豊かになるものだ。 この店は、古き良き世界の国々へ連れていってくれるだけでなく、現代日本の美も伝えている。アンティークテーブルにも馴染む食器はプレーンで落ち着きがあり料理を選ばない、長崎・波佐見焼のテーブルウェアブランド”Common” のもの。横に並ぶカトラリーは、北欧の貴族が使ったものか。そんなファンタジックな情景が目の前に映し出されるよう。 アンティークたちが生まれた頃へと遡り、時空を超えた散歩でもするようにゆっくりと見て回るのが楽しいguild Nemuro。そこにあるひとつひとつに刻まれた物語を空想すると、魂が身体から抜け出したような浮遊感を覚える。 この時気がついた。この店で私はエスカピズム(escapism・現実逃避)を体験しているのだ。 一番奥でこちらをじっと見つめるキリンに圧倒されその場に立ち尽くしていると「お譲りしましょうか」とラフに言う店主。もの静かな彼の宇宙レベルの思考にもう一度驚く。 guild Nemuroがコンセプトに掲げる「衣食住」は店独自の世界を際限なく広げていく。 店主が根室に移るきっかけとなったジュエリーデザイナー・古川弘道氏やファッション・デザイナー・suzuki takayuki氏の作品もまたこの店をよりchicに彩っている。 陶器やガラスの美しさに魅了され、手に取ればそのぬくもりに夢中になり、時の経つのも忘れたままいつしか扉の向こうは夜へと色を変え始めている。 陽光の射し込む時間帯には夕暮れ時とは違った、爽やかでライブリーなエナジーが漂うのだろう。 guild Nemuroに纏わるさまざまな話を惜しげもなく聞かせてくれた親切な店主に別れを告げて店を出ると、日曜日の午後6時40分。夕陽はオレンジとパープルを程よく混ぜて街中を染め、美しい日常が私を100年前の世界から覚醒させた。 過ぎ越し方と遊ぶ家は、明日もここで訪れる人を待つ。 guild Nemuroホームページ AVMホームページ suzuki takayukiホームページ 根室市観光協会ホームページ Nemuro Tourism Information official Website(in English) all images edited by Kaori…