Tag: Asahikawa-City
-
図書館までの道
雨上がり、旭川小記。 私たちの人生は道でつながっている。私の生にもさまざまな意味を持つ多くの道が延びており、交差している。それらの中には避けたいものもあれば、大好きな虹色ロードというのも超個人的見解onlyで存在する。 一応は文章を書く人間であるから書物との関わりは深く、図書館との付き合いもひと月の半分ほどの頻度なのだが、図書館で過ごす時間もさることながら私はそこへ辿り着くまでの散歩道を実に気に入っていて、いや気に入っているなんてものではなくむしろ至福のひとときとさえ言いたいほどに好んでおり、それを理由に図書館へ行くこともある。 旭川市中央図書館は大きな公園の中にある。 駐車場に車を止めると目の前には大きな池が広がる。池の前から左へ行けば程なく図書館。けれど陽気が穏やかなら右へ折れ散歩道をぐるりと一周して図書館へ行く。 ここ常磐公園は旭川を代表する名所のひとつで「旭川八景」に、また「日本の都市公園100選」にも選定されている緑豊かな市民の憩いの場である。明治43年(1910)開設、大正5年(1916)開園というからどれだけの人がどのような出で立ちで誰と歩いたのだろうと考えると想像が尽きず胸が躍る。 平成最後の2018年はこうである。揃いのウェアでウォーキングをする俊足老夫婦、野原で小さい子供を遊ばせる美脚の若い母、先へ先へと急ぎたいトイプードルに着いていくのが大変な苦笑いの少女。三世代、四世代、公園への慈しみが漂う。 公園の敷地には図書館の他に上川神社頓宮や道立旭川美術館も設けられている。私は神道について知識を持たないので調べて初めて知ったのであるが、頓宮とは仮のお宮さんという意味だそうだ。親しみやすい佇まいの、居心地の良いお宮さんである。 旭川美術館は個人的な憩いの場であり、公園散歩とは別に安らぎと刺激を求めて訪れる。年に一、二度の大きな展覧会と旭川ならではの美術・工芸展は私の年間スケジュールにも組み込まれている。小さいが大切な、旭川の美術室。 九ちゃんの歌とは反対に「下を向いて歩こう」が私の公園散策のテーマである。殊に秋の公園は足下がとても楽しい。銀杏が山吹色に染まる頃など散歩中の犬さながらに興奮する。夫はそれを微笑みもせず、かと言って笑い種にするでもなく(たぶん)見守っている。 森の香りが喉にいいんじゃないかとか、常磐公園のダックは日本語で鳴きNYの家の前のダックは英語で鳴くに違いないだとか、何の意味もない話をしながら行き交う人たちと「こんにちは」「今年はいつまでも暖かいですね」とこちらも他愛もない挨拶を楽しみゆっくりゆっくり、散策路を廻る。 池の畔に沿って美しい園内を眺めながらベンチに座って休み、お宮さんに立ち寄り、栞にする色鮮やかな落ち葉を拾いながら30分ほどかけて図書館に辿り着く。秋の図書館前は私の旭川八景である。私はこの景色を100枚以上写真に収めているが、図書館の職員さんおひとりくらいは我が愚行にお気付きかも知れぬ。 館内に入ると混み具合を確かめ、午後の陽光が木漏れ日となって入る窓際の椅子を選んで読書を始める。本はその時興味を引くものであるが、毎回のように手に取るのはドナルド・キーン先生の著書である。名立たる文豪とのやりとりなど、その場で障子の陰からこっそり見ているようなくすぐったい気分にさせてくださる。 一度に借りられるのは10冊。毎回だいたい夫6冊、私は4冊。そのうち1冊は就寝前に読む洋書を混ぜ込んでいる。2週間借りていられるが、読んでは返しを繰り返す。 持ち帰りたい本を決めてデスクへ。2週間後の返却を約束して外に出ると、すっかり日が沈んでいる。必ず思う。図書館からの帰り道はコローの美術館にでもいるようだ。子供の頃に見た “Goatherds on the Borromean Islands” を思い出す。ああ、きれいだな、寒くなるまでしばらくここに居たいわ。 ガーガー グワッグワッ グェッグェ~ 静寂をぶち壊し私の感傷を木端微塵にする衝撃。 人も去り体感温度が10℃ほども落ちた蒼い池で「さあ夕食だみんな集まれ」と楽しげに鳴くダックの群れが水面を揺らす。「彼らはどこで寝るのかね」と小学生も考えないような疑問を題材に車に乗るまで話す。「さすがに水も冷たいだろうし、まあ草むらだね」という何とも安直且つ稚拙な結論に。けれどその道すがらがとても楽しい。 帰路、必ず旭川の象徴「北海道遺産」旭橋をくぐっていく。黄昏時の空に浮かぶ旭橋の灯りをとても気に入っている。時折感じる時代を遡りゆくようなアトモスフィアは旭川独特であり、拙著にも書くほどこの橋が、そして我が町旭川が好きである。 我が町。ニューヨークが私の町だ、故郷だと思ってきたがそれは成熟できないでいた私の意固地であった。故郷とは、日々の中から生まれる町への愛なのだとここにいて思う。 最近借りている書物の中で猛烈に気に入った一冊が、国木田独歩著「空知川の岸辺」の足跡を辿る「国木田独歩 空知川の岸辺で」(岩井洋著・道新選書)である。 恋狂いだ。愛した女との新しい門出の為に縁も所縁もない北海道の地へ土地の購入にやってくるのだ。情熱的な人は好きであるがこういった男と恋をすることはないなと笑いながら、滞在中の人との関わりや独歩の心境の変化、それだけでなく明治時代の北海道の様子や厳しい自然までも美しい文章で綴ってくれていることにひたすら喜びを感じた。 この本、返却したくなくてしばらく借り続けていた。しかたがないからとりあえずノートをとり、おそらくは後日購入することになるであろう。そのくらい楽しい本であった。 図書館への道は、名著と私を結ぶ赤い糸。図書館への道は、旭川が私にくれる心嬉しい30分。そしてまた、人生のジグソーパズルを完成へと向け毎日毎日探し見て、迷いながら合わせていくうちに見つけた、幸せの1ピースである。 昨日、図書館前のクローバー畑にかわいい花が咲いているのを夫が見つけた。嬉しい半面、眠りに就けずにいる花たちにはそろそろ疲れも溜まってきているだろうと申し訳なくなった。人はどこまで自然の邪魔をして生きてゆかねばならぬのだろう。
-
白いコートの妖精たち
私の日常にはもともと決まった休みなどないのであるが、今年は思いの外慌ただしく、ソリチュード愛好家組合主宰者が「わたしの時間」とすっかり縁遠くなっていた。まったくもって不甲斐ない事態、珍しくもなくなった「ケイティ死亡説再浮上」なる件名の友からのメイル。北海道の屋根、旭岳の初冠雪を見逃すことのなかったことだけが救いであった。 今年の初冠雪は9月20日。 去年の9月下旬の旭岳はもっとずっと雪が多く純白と言えるほどであったから、今年は温かいのだろう。地球温暖化の影響であろうか北海道の気候も変わりつつあるようで、今では「梅雨のない北海道」とは言えなくなってきているのだそうである。 夏の終わり、かろうじてiPhoneに収めていた十勝の森。 北海道に来てからいつもカメラを傍らに置いていて、気がつくとシャッターを切るようにしていた。毎月1000枚を超える写真には季節の移り変わりや小旅行の思い出が詰まっているのであるが、ここ半年はめっきりその数も減り、夏からこちらは20枚も残していなかった。 「ものづくりな頭」がお留守になっていたことを猛省しながら先日ふと仕事部屋から窓の外を見ると、おや、これは。大雪山系が微かに雪を纏っている。無性に嬉しく、心が安らぐ。 外に出よう。旭岳の雪を見たらそんな気持ちになって、旭川の自宅から隣町東川へと車を走らせ、季節が変わるたびに出かけるキトウシ森林公園へと向かった。 キトウシ森林公園から望む東川町。手前はエゾヤマザクラの紅葉。 今にも降り出しそうな空の下はストールを羽織っても肌寒かった。格子模様の美しい田園風景は稲の刈り入れも終わり、田畑は今、半年間の長い眠りに就こうとしている。 「あ、雪虫だ!」 何ですって!それを追ってか森の奥へと走っていく子供たちの叫び声。「雪虫」の言葉に高揚感急上昇の中年夫婦。「つかまえたー!」勝利の雄叫びを挙げる5,6歳の男児。自分たちのすぐ目の前で大量に飛んでいるのに気付かず子供たちが追いかけるのを目で追い、先を越されたとライバル意識むき出しの中年夫婦。「あ、あれだ!」夫はキャップを虫捕り網代わりにあっちだこっちだと彼らに負けじと走りまわる。 雪虫はコットンのような白い毛と羽を持つアブラムシの仲間で、5mmより小さいくらいのかわいらしい虫である。その命はとても儚くて、寿命は一週間、熱に弱いため人の手のひらに載っても死んでしまうことがあるのだという。本当に、雪のよう。「えええ、アブラムシ~」と友人の殆どが言うが、「いいや、冬の訪れを告げる晩秋のマスコットなのだ」と私は雪虫の名誉を守るべく高唱する。 5分後、「やった!」 イイトシをして涙ぐましいものだと同情してくれたのだろう、慈悲深い一匹の雪虫がキャップの内側に留まってくれた。雪を連れてくる、純白のオーバーコートを着た冬の妖精。 まだ元気かな、キャップに留まった雪虫/ snow fairy 雪虫は北海道やロシアのみに生息する虫かと思っていたが、トウキョウ・シティボーイの夫は子供の頃冬に見かけたのだそうである。ハマギャルの私は見たことがなく、雪虫の群れが螺旋を描いて飛んでいるのを「北海道の雪は特別な性質を持っている」と一瞬本気で思ったほどにその様子は神秘的だ。 他地域では綿虫や雪ん子、京都では「白子屋お駒はん」と呼ばれているのだそうだ。京都らしい愛らしい名前。私も呼びたいが、私が言ってみてもどうもはんなりとはならないのが分かっているのでできることなら京都出身の人に言って聞かせてもらいたい。きっとやんわりとした良い響きであろう。 旭川市出身の小説家・井上靖の「しろばんば」、これも雪虫の愛称であるが、残念ながら「しろばんば」の舞台は旭川ではなく何と伊豆である。となれば加えて残念なことに、雪虫は東京よりさらに温かい地方でも生息していることになり、夢の「雪虫は北海道の妖精」説は私の拙い妄想に終わる。 10月10日忠別ダムから見た旭岳。雪を、ほんの少し。 我が家から約1時間、旭岳の麓、忠別ダム。ここから望む旭岳はダム湖にリフレクションを映しとても美しく、この辺りの絶景スポットのひとつであると私は思っているが、久し振りの絶景スポットに興奮が過ぎてダム湖を撮り忘れてしまった。 そしてここでも多くの雪虫が楽しそうに舞っていた。来る、雪が来る。一週間後か、二週間後かと胸が躍る。 そうして10日、11日と連日現れた雪虫たちは翌々日、街より先に大雪山に雪を降らせた。下の画像が13日午後4時頃我が家のバルコニーで撮影した旭岳である。午前中は曇っていたがお昼頃から雲が切れ始め、夕方には美しい姿を見せてくれた。 自宅バルコニーから、10月13日午後の大雪山系・旭岳。 この時季の山はとても良い。新雪を眺めながら同時に紅葉も楽しめる。今年は先月の胆振東部地震が影響して観光が随分と落ち込んでいるが、それでも旭岳への一本道には多くの車が走っており、ところどころ外国からの観光客が旭岳を背に記念撮影をしているのを見ながら胸が温かくなった。観光地・旭川に暮らせばこれは日常の光景であるも、この日はあらためて、地震の恐怖にも敬遠せずこの地を訪れてくれた人たちへの感謝と、災害に負けない北海道の強さへの安堵を胸に抱いた。 今年も雪虫がやってきた。旭岳に雪を届け、街はいつになるだろう。秒読み。私はそうだな、次の木曜日と予想しよう。
-
早春のWhite Savanna
ようやく春の足音が聞こえ始めたホームタウン、旭川。雪解けも進んで道路が見えるようになった。日差しも幾分暖かくなって、これから散歩が楽しくなる。 その前に、長い冬の締めくくり。 朝晩はまだ-15℃程度まで下がっていた旭川であるが2月28日のこの日はよく晴れて日中は-2℃まで上がり、気持ちが春めいて散歩をしようと旭川の誇り、常磐公園を訪れたのだった。 公園内は、除雪された散歩道を除きこの4,5カ月間に降り積もった1mを超える雪が一面に広がって、あらためて道北の厳しい冬を振り返らせた。 カメラを提げた夫が木の上に残った雪を見て言った。 「動物だ」 なるほど辺りを見回してみると、見える見える、気に登って昼寝をしている動物たちが。ここはまるで、純白のサバンナだ。 木登りしているか、あるいは下りようとしているかで微妙に動物の種類が変わってくる。左を頭とすると小象に見える。 生まれて間もない子供たち、と思って見てみるとかわいらしい。 しっぽを垂らして枝の上で眠っているライオンの姿などはまさにサバンナ。 ね、こんなふうに。 どれも同じに見えるぞと言われてしまいそうであるが、個人的にはこれがこの日のベストショット。パンダに、パンダに見えません? シャンシャンとまでは言わないが、今にももそもそと枝を伝って下りてきそう。 もはやアフリカに留まらず、ブレまくりのホワイト・サバンナである。 冬季旭山動物園のアイドル、ペンギン。今にも海に飛び込みそうな姿がかわいい。 今、「あ、ほんとだ~」って思いませんでした? 番外編は、北海道の開拓に尽力し初代北海道庁長官となった岩村通俊(Ⅰ840-1915)の銅像。彼は旭川が秘めた将来への可能性を見通し同市を東京、京都に次ぐ都にと推していた。 もしもこの構想が実現していたら北海道の道庁所在地は札幌ではなく旭川になっていたかもしれないという夢のような本当の話。 このような立派な人物を茶化すようで気が引けるが、どうにも岩村氏がバレエのtutu を履いて立っているように見えて仕方ない、と言ったのは私ではなく我夫である、と言い訳させていただこう。 これはもう生きものではなく、よれよれのお化け。 とまあ、見方によってはおもしろい木の上の雪を眺めながら大いに笑い、寒い中たっぷり2時間散歩を楽しんだ、良い休日であった。 そして最後に見つけたのは、エゾヤマザクラの小さな小さな蕾。常磐公園の桜の開花予想日は、今年は去年より少し早いか、5月4日。
-
旭川のいなせな夏。永山屯田まつり2017
日本各地、夏祭り真っ盛り。北海道も毎週末どこかしらで花火大会同様大小さまざまな夏祭りが開催されている。 旭川も、来月3~5日の「旭川夏まつり」に先駆けて29、30日と「永山屯田まつり」が開かれた。毎年最も楽しみにしているイベントのひとつだ。 旭川夏まつりには規模も内容も到底かないっこないわけだが、こんなに粋でカッコイイ祭りはないと、おそらく殆どの地元住民が思っているに違いない。私などは5月になり、風が柔らかくなり始め窓を開けられるようになると夜毎聞こえるお囃子の練習に早くもソワソワし始める。 永山屯田まつりは今回が31回目。旭川が発展するにつれ住民のライフスタイルが変わると地域のコミュニケーションが希薄になった。これを憂いた市民委員会、商業団体、農業団体が住民のための「手作りの祭り」をつくろうと1984年に誕生させたのがこの祭りと言う。 祭りを最高に盛り上げるのは30~40に及ぶとも言われる山車のパレード「屯山(みやま)あんどん流し」だ。当日夕方になると、これを見る為に近隣住民は沿道に集まる。デッキチェアをセットしたり、中には家の玄関先でジンギスカンパーティー(地元では「ジンパ」と呼ぶ)をしながら楽しむ人たちもいる。 静かな住宅街での催しものであるため道路もそう広くはなく、行燈は少しずつ間隔を置いてゆっくりと通り過ぎていく。お囃子と掛け声に、小さな子供は一緒に叫び、踊る。子供の声、人々の笑顔、歓喜の踊り。ここには平和が凝縮されているなとつくづく思う。 あんどん流しの主役は、道内最大級の和太鼓「永山屯田太鼓」。サラシを巻いたうら若き乙女が2人1組で意外にも淡々と打ち鳴らす姿は圧巻、そして何ともいなせだ。「いなせ」という言葉は主に江戸っ子の男性に対して使うものらしいが、なんのなんの、旭川の女たちの雄姿こそ「いなせ」という言葉がぴったりである。 あ、もちろん男性陣も。荒々しく逞しい姿は祭りの花だ。 あんどん流しのアイドル、とは私が勝手に言っているだけであるが、毎年楽しみにしている旭川農業高校の行燈。目が赤く光り、首が動いたり口から煙を吐くこともある。 躍動感のあるとても美しい行燈。この高校は生産物の販売など、地域への貢献度も高い。 こんなアクロバティックな行燈もある。2時間にわたる屯山あんどん流しはずっと立って見ていても飽きることもなく、気分が高潮しているから疲れも感じない。あとになって「こ、腰が・・・」ということにはなるのだが。 後先になったが、あんどん流しのトップを切ったのは永山小学校。見ていてとても微笑ましく、掛け声もかわいい。 交差する行燈に沿道の観客の心も躍る。こうして行燈は行き過ぎ、最後は「おまつり広場」に集結して最後の盛り上がりを見せ、フィナーレを迎える。 おまつり広場では、すべての行燈が輪になるように集まり、しばしそれぞれに乱舞する。訪れた私たちも大きな掛け声に続き、屯田まつりの最後を共に飾る。 今年は2日間天候に恵まれ、涼しさも助けになったか夜にも関わらず多くの地元住民や観光客で大いに賑わった。やはりとてもよい祭りだ。私はそのうちニューヨークへ帰っていく身であるが、屯田まつりのあとは必ず「老後もここにいようか」と考える。冬の寒さは厳しくとも、穏やかに楽しく暮らせる旭川が好きで好きでたまらない。 ◆ 夜が更けて今、東の窓からひんやりとした風が舞い込んだ。誰もが感じる祭りのあとの寂寥感がせつなくもあり、心地良くもある。 こうして無事に屯田まつりが終わり、来週の夏祭りが終わりお盆が明けるころ、道北旭川には秋風が吹き始める。
-
Conversation ~ ハクセキレイと人は会話できるのか
と”We’re in This Love Together” by Al Jarreau 季節を戻すこと春5月、ようやく桜が咲き始めた旭川・神居古潭(カムイコタン)。アイヌ語で「神の住む場所」を意味し、アイヌの人たちにとって神聖な場所とされている。 春から雪の降る前まで自然の美しさを心に刻むことのできる、穏やかで心休まるスポットだ。 この日、桜の写真を撮りに来たもののまだ少し早く写真を諦めて辺りを見回していると、 チッチッ、チュイーーッ 10mほど離れた場所で鳴いているハクセキレイ。高く澄んだかわいい声。 「そうだ」 この前神社で出会ったカワセミに似た鳥を思い出し、鳥と人が会話できるか、この小さな鳥を相手に試してみることにした。 鳥の言葉(鳴き声)を真似しても会話にはならない。ならば人の言葉で。 「おはよう、おはよう」 できる限りハクセキレイの鳴き声に近い高さで抑揚を抑え、何度も何度も話しかけた。 ハクセキレイは私の声を聞いているのかいないのか、ただそこにじっとしていた。辺りは風もなく、他には何の音もない。 「やっぱりだめかな」そう夫につぶやくと、セキレイは背を向け飛んでしまった。 やっぱりだめか。人の、いや私の愚かさを嘲笑するでもなくセキレイはいなくなった。 かと思いきや。ハクセキレイはどこからか飛んできて私たちから3mほど先の欄干に留まった。明らかにこちらを意識している様子。 懲りない私はがぜんやる気満々、嬉しくてたまらず早速再びこの子とのチャットを試みる。 「おはよう、おはよう、いいお天気だね」 同じトーンで何度も同じ言葉を繰り返した。ハクセキレイは一歩ずつ私たちに近づき、こちらの様子を窺っている。私はさらに続ける。 「おはよう、おはよう、いいお天気だね。家族はどこ?空を飛ぶのはどんな気持ち?」 この時、ハクセキレイはクッと顔を傾けた。まさか、私の言葉を分析しているのか。 さらに続ける。何としてもこの子と話をするのだ。 「おはよう、おはよう、今日はいいお天気だね、ここは静かで人もいないから、安心して遊べるね」 なるべく簡単な言葉を、そして彼等の生に関わる言葉を選んで話しかける。すると。 キュイッキュイッ、チッチッ、キュイーーッ ハクセキレイが声を発した。私は続けて話しかける。ハクセキレイが応える。話しかける。応える。 信じていただけるだろうか、これが20分も続いたのだ。 横でハクセキレイの写真を撮り続けていた夫も目を丸くして驚いていた。このまま掛け合いを続けていたら、もっと仲良くなれただろうか。ところが20分を過ぎたところで、これまでずっと普段出さないような高音でさえずって(話しかけて)いた愚かな私の声が枯れた。 会話が途切れ、私がひとつ咳払いをすると、ハクセキレイは「なあんだ」という様子で背を向け山の方へ飛んで行き、もう戻ってはこなかった。 胸を張って結論を言おう。ハクセキレイと人は、言葉を交わせます。 ◆ セキレイという鳥は、本来とても人懐っこいのだそうだ。道案内をしてくれるとも言う。また、セキレイは尾を縦に振る動作をするが、これに関して面白い話が日本書紀に記されている。 「男神・イザナギとその妻、女神・イザナミはセキレイの尾の動きを真似て夫婦の営みを身につけた」 1300年も昔の文学に既に登場していたセキレイ。こうした人(日本書紀では神だが)との関わり合いをとってみても、神居古潭のハクセキレイと私が会話できたって何らおかしくないことに納得がいく、誰が何と言ったって。 ちなみに、私の問いに対するあのセキレイの答えはおそらくこうだろう。 「おはよう、あんた朝から元気だね。空を飛ぶのはそりゃ気持ちいいよ。だけど遊んでばかりいるわけじゃないよ、見たとこあんたは遊んでばかりいそうだけど」 About 神居古潭
-
ソフト宇宙 ~ Snazzy Retreat w/ “Mimi Pet”
出かける予定のない週末の朝はたいてい書店へ足が向く。最近は本だけでなく輸入雑貨や造花、おもちゃまで見かける楽しみもでき、カフェやレストランの付いたお店も増えてきて、買った本を持ち込んでランチという日も多くなったのは嬉しい限り。 先週末、友人のバースデイカードを買いに未来屋書店へ行った。ここも書籍だけでなく生活雑貨や文房具が豊富で読書好きは勿論のこと贈りものを選ぶ人でも賑わっている。 店内を見て回っていると、デザイン雑貨のシェルフに立てかけられた”イア・アクセサリー / ear accessory” という言葉。”Mimi Pet” (mimi = ‘ear’ in Japanese)とその横に書いてある。 ダックスフントの形で一見消しゴムにも見えるがあくまでもかわいいアクセサリー。グレー、ブルー、オレンジ、イエローの色使いには北欧雑貨の雰囲気があるなと思いながらグレーを手に取った。 「おお、イアプラグ(耳柱)か」と思った途端上昇するテンション。書く仕事をしてると時折私のコンセントレーションを乱す電話の音、そして窓の外で街を流しているちりがみ交換車の「ご不要になった古新聞、古雑誌とポケットテッシュ(ティッシュとは言ってくれない)、箱テッシュ、トイレットペーパーと交換いたします」のこもった声。本当に困ってたんだから、もぅ。 よし決めた、これを買おう。 家に帰ると真っ先にMimi Petを取り出してよく洗い、どこに居たって使えるくせにわざわざ一番静かで外の音が聞こえやすい書斎に入るとデスクの前に座っていよいよ身につけてみる。 胴体がふたつに割れた形なのでまじまじ見ると少し心が痛むが、気にしないようにする。 ぷにゅぷにゅとしていて柔らかく、耳にあてると少々の圧迫感。5分経っても10分経っても何も聞こえてこず眠ってしまいそうなので、ステレオに「ハンガリアン舞曲」を滑り込ませ大音量でプレイしてみると、まったく聞こえなくなるわけではないが、普段の5分の1くらいの音量には下がる気がする。お、これは使えるのではないか。 さすがに電話は無理だろうが、宿敵ちりがみ交換車ならブロックが可能かもしれない。膨らむ期待感。そして何より気に入ったのは、外界から孤立したような、それでいて精神が解放されたような、ソフトな宇宙空間を体感できるところだった。 もっとも宇宙体験などNASAへ見学に行ったくらいしかないのだけれど、Mimi Petをつけて目を閉じると、ザーという微かな血流音が不思議な浮遊感をもたらして、水に浮いているようなリラックスした気分を味わえる。 うん、これは気に入ったと目を開けると、デスクの横でメランコリックに俯く詩集の中のフェルナンド・ペソア。 ポルトガルを代表するこの偉大なる詩人を無視してひとりだけ瞬間宇宙を味わうのは失礼だ。というわけで試していただくことにすると、なかなかこれがよく似合うではないか。なるほどこんなふうに、大人がシュールに遊ぶおもちゃとしても使えそう。 Mimi Petは仕事や勉強で集中したい時、適度な真空空間を満喫したい時、そして小さなコンテンポラリーアートとしても楽しめることがここに極めて個人的ではあるが実証された。 道路を歩いている時以外、集中したい場所や静寂を求められる空間、例えば図書館などで使うならとても便利で洒落ている。隣に座る人のページをめくる音にもじゃまされず良い気分で本の世界を旅することができ、明るい日の差す窓の向こうを眺めながら物思いに耽るならなお役に立ちそうだ。 そしてややもすると「かわいい耳柱してるね」と笑顔の素敵な誰かからそうっとメモを渡されたりもする、かもしれないから、運命の出会いを待っているならひとつ持っているといい。 h concept のホームページ&オンラインショップ all photos by Katie Campbell / F.G.S.W.