Tag: Asahikawa Hokkaido
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One Fine Day とフリルなブランチ
“Saturday Morning” by Rachael Yamagata 夫も私も忙しかった10月。久し振りに会った休みの朝は、ゆっくり起きてブランチしてから「日本の都市公園100選」にも選ばれている旭川の常磐公園へ今年最後の紅葉を見に。 この日のブランチはケイティ命名「フリルなピアディーナ」。9月の終わり、オープン直後の北欧の風 道の駅とうべつ「レストランAri」で出会ったかわいくて美味しいピアディーナを真似て家で作ってみた。おしゃれで栄養満点で意外にも食べやすい。定番ブランチになりそう。 因みにこの道の駅、入った途端IKEAの香りがするのであるが、調べたところ使われている家具はやはりIKEA製であった。なかなか素敵な道の駅。 ◆「フリルなピアディーナ」の作り方は最後に。 うららかな昼下がり、この日の気温は7℃ともう秋とも言えない寒さ。けれど風もなく歩くには心地良い。気分も軽く、時もゆっくりと流れてゆく。 座って何か飲もうということになったものの、腰を下ろすとベンチが冷たくて諦めた。お日さまは暖かいのに、やはりここは旭川。冬の訪れをベンチで実感。 誰も乗らなくなったボートの上でダックが日なたぼっこ、というより寒くて固まっているようにも見えてしまう。たぶんそう、寒いのだわ。 見事という言葉しか浮かばない、それほどに美しい枯葉のじゅうたんは、踏んでみると何てソフトなのだろう。降り注ぐ午後の日差しがつくる木漏れ日も、夏のそれとはやはり様子が違う。センチメンタルでいい感じだ。 絵本の中にでも入り込んだようなこの小道を夫と話をしながら歩く時間は、それが永遠でもよいと思えるくらい気に入っている。夫は楽しい話の達人なのだ。 この日の話題は「手相」。空に手をかざしながら彼はスターとソロモンの輪を持ち、私は太陽線と縦一直線の運命線を持つのだと言う。おもしろいおもしろいと喜ぶも、傍から見ればややもすると「え?これが?ほんとに??」そして「相手にしても仕方のない、ほっとくしかない愚かな夫婦」ということになろう。 周囲の目などおかまいなしに、二人の会話は続く。途中、公園内の神社に立ち寄ってお参りし、私だけおみくじを引いた。心の温まるお告げが書かれていた。 どんなに忙しくても、こんなささやかな良い一日があるから明日を楽しみに生きられる。 公園のボードウォークを北風と踊る枯葉の美しさも忘れてはいけない。こういう季節の小さなひとこまが意外にも5年先、10年先の良い思い出の中に描かれているものだ。 風がいっそう冷たくなって、指先がキーンとする。熱いお茶が飲みたくなって、私たちは公園と、晩秋のOne Fine Dayを後にした。 ◆ フリルなピアディーナのお材料 2人分: ・薄めのピッツァクラスト:2枚(直径20cm、軽くトーストして柔らかくする) ・蒸し鶏 200g (ランチならローストチキン、ローストビーフもおすすめ) ・チーズ:普段はエメンタールですが今回はチェダーとゴーダ3層のスライスチーズ使用 ・ベイビーリーフ、紫キャベツ・スプラウツ、千切り大根やミックスビーンズのサラダなどお好みで。マスタード・リーフなどもアクセントになって美味しいし、具材に合わせたハーブを替えればちょっとしたおもてなしランチになる。野菜はフレンチドレッシングやオリーブオイル+ソルトを軽くかけておく。 ・チェリートマトはMUST! 大きなサンドウィッチもこれがあると飽きがきません。 ・真ん中のパンプキンサラダは電子レンジにかけマッシュしたパンプキンをマヨネーズとメイプルシロップで和えたものを使いました。メイプルシロップの香りが強過ぎるという場合はハニーやオリゴ糖で。 ・ソースはマヨネーズ+ホースラディッシュ(北海道では「山わさび」と呼びます)。私は甘みの強いアメリカのマヨネーズが好きですが、今回は日本製マヨネーズがよく合います。 ◆具をクラストのハーフスペースに載せたら半分に折り、くるくると巻いて、中央にできた穴にパンプキンサラダやポテトサラダを押し込み、空いているスペースにビーンズも加え、大きめのペーパーナプキンで包んでカップに差して立てておく。私はメイソンジャーを使用。 ◆ピアディーナはイタリアの軽食で、丸いクラストを半分に折って具材を挟むことが多いが、「北欧の風 道の駅とうべつ」の「レストランAri」さんではこんなにかわいいサンドウィッチにしていた。パーティーメニューにもできそう。
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冬が来るまえに
“So Far Away” by Carole King 10月17日、旭川、札幌など北海道のところどころで初雪が降った。 街の紅葉は美しいのに、秋が旅立つのを待たずに冬が来て少し慌てた。 まだ足りない、私には秋がまだ。 北海道の中央より少し北にある旭川市。 この町に美しい英国風庭園がある。それがここ、「上野ファーム」。ガーデンは今月15日で今シーズンの公開を終え冬休みに入ったが、クローズのほんの数日前に大急ぎで訪れた。 上野ファームは、旭川の美しい秋を集めた庭だ。入口を抜けると、別世界。 秋のイングリッシュガーデンは、イギリスの画家、コンスタンブルの描いた風景画のように誰の心にも安らぎを与えてくれる。 ああ、風が冷たくなかったなら、いつまでもここに座っているのに。 花の季節はまだ終わらないと、力強く主張するこの花の名前は何だろう。 デルフィニウムのようで、違うような。 太陽に向かって夏を呼び戻さんと真っすぐに伸びていた。 元気に実っていたのはポークウィード(pokeweed)。和名は洋種山ゴボウという。 こんなにおいしそうなのに、無情にも毒性植物。誘惑に負けて食べてしまった人がどれだけいることか。見るだけ、見るだけよ。 果汁は美しい染料に。見事な秋色のショールができそうだ。 レンガの壁に触れると、ひんやりと冷たい。夏に来た時は灼熱の太陽を受けて2秒と触っていられなかった。 陽光が秋の深まりとともに弱くなっていくことを、指先で感じた午後。 散歩道に、海松(みる)色の小さな小屋。かわいいこの扉の前に立つと、訪れる人は誰もここが日本だということを、ふと忘れてしまうはず。 北海道は不思議な国。10月になってもアジサイ、ひまわり、菜の花を見かける。このアジサイはやがて見事なバーガンディレッドに染まり、季節の終わりを私たちに告げる。 逞しいパンプキンのファーマーは上野ファームのフィナーレを鮮やかに彩っていた。 四つの季節、どれが好き?と尋ねられたら私は迷わず秋、と答えるだろう。けれど季節は、同じ場所には留まれない。 去りゆく秋を、呼び止めた気分だ。秋よ、さようなら。 これで冬を、迎えられる。
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Moments 13: Whatcha Lookin’ At?
近くに住みながらほぼ2年ぶりだった旭山動物園。子供のみならず大人も夢中になれるワンダーランドである。 子供の頃、私はあまり動物園が好きではなかった。自然の中にある動物たちの姿は物語で想像するのが好きだったし、ケージの中の動物はまったく囚われの身でありとても幸せそうに見えなかず幼いながらむごいことをする「人」であることを恥じたりした。 けれど旭山動物園は違う。動物たちが自ら「こんな風にしてくれるなら動物園暮らししてもいいよ」と言ってくれそうな造りでのびのびして見える。 特に嬉しいのはカバの百吉である。 優しい瞳と大きなプールの中をぐるぐるぐるぐると泳ぎ回る姿はコミカルで愛らしく、人の目が感じ取るのだから実際には分からないが、とても楽しそうに見える。さすが旭山動物園のアイドルだと肯ける。ただあまりの速さに撮影が難しい。 「そうかあ、カバはこんなに速く泳げるんだ」「どうしてぐるぐる回ってるんだろう」巨大なプールの底から百吉の様子を見られるようになっており、数組の親子連れが素直な疑問を百吉に向かって投げかけていた。 百吉に限らず、シロクマやアザラシ、観光客の頭上に架かった木の橋を渡るレッサーパンダなど(この日はどの動物も暑さ負けしておとなしかったが)ほんの少しではあるが生態を学ぶことができるのも旭山動物園の素晴らしいところだ。 キリンは同じ目の高さで眺めることができる。美しい容姿と優雅な散歩はいつまででも見ていられる。穏やかな眼差しは不穏な今の世を憂いているように見えてしかたない。申し訳ない気がしてしまう。 ◆ 動物園には当然ながら肉食の生き物がおり、その姿に野生を垣間見た瞬間檻の中とは言え肩の辺りの筋肉が硬直することがある。これも大切な経験だなと思う。 ふっくらした後ろ姿がかわいらしく、子供たちが目の前で「こっち向いて~」と懇願していたのは「ワシミミズク」。大きさは70~80cmほどあるだろうか。とても大きな印象。 子供に混ざって私も言ってみる、「お願い、こっち向いて~」すると。 「うるさいなあ、何見てんのさ?」 ワシミミズクはじっと動かず、けれど視線も私から外さない。しばし睨み合ってみるも、この威圧感と人間特有のドライアイで私の完敗である。 因みにワシミミズクは、北海道では絶滅危惧種、全国では絶滅危惧IA類に指定されている。 耳の垂れた白ウサギかアンゴラか。虚ろな目とまるいシルエットがかわいい。女性や子供はこの横顔に「おうちに連れて帰りたい」と思ってしまうほど。 「シロフクロウ」日本では北海道でのみ見られる希少種で、全長60cm程度と『北海道新聞社編・改訂版 北海道の野鳥』に書かれている。 次の瞬間こちらに振り向くと。 Harry Potterに出てくるアレに似ている。しかし鳥がここまで強面とは。 「何見てんだコラ」こんな感じで一瞥をくれる。 が、不思議なもので、子供たちがじっと眺めて声を掛けてもこうは恐ろしい顔をしない。混じり気のない子供の心と生きものとの間に神様は双方の距離に関係のない「ふれあい」を与えたのではないかと思えてくる。 残念ながら私の心は余計なものが混入しまくっており、相手にもしてもらえなかった。 ◆ この動物園で私が最も気になり、また気に入っているのがオオカミ舎。アメリカやカナダからの亜種オオカミが数頭いるのであるが、檻を隔てた別世界同士の緊張感がいい。そして冗談にも「かわいい」なんて言えない瞳も、人間を嘲笑するような口元も、本来は厳しい野生の世界で強く生きる道具であることを私たちに知らしめているようで、じっと見つめていると学ぶべきことがたくさんあるなと思わされる。 この日は気温29℃、本州に比べれば笑われそうであるものの暑さに弱い道民にとっては酷暑と言えるほどで、日のまだ高いうちはオオカミたちも岩山の中ほどにぐったりとしていた。 そこで安心してカメラを向けてみる愚か者。ド近眼の私にはデジカメの液晶パネルに映るオオカミの表情を見て取ることができず、クリアに撮れているかボケているかも確認しないまま「まあこんなものだろう」で何度かシャッターを切った。 「よく撮れてるかな~?」能天気にカメラを構え、一緒に園内を回った友人には「上手く写ってたらメイルで送るね」などと調子のよいことを言った。 その夜、遅く帰ってきてから早速PCに画像を落としてみた途端、身体が固まった。 こわい。まさか、私を餌だと思ってはいまいか。 このオオカミは私が彼等の檻の前にいた数分間、ずっと私を見ていた。私の動きを観察しながら襲いかかるタイミングを見計らっていたのではなかろうか。 この眼差しに「一線を超えてはならない」という警告を感じた。人が人の常識で彼等と交わろうなどという驕りを持ってはならぬということだ。 ◆ この日、殆どの動物が水辺や日陰を選んでじっとしていた。彼等の様子や海へ溶け落ちるアラスカの氷山などテレビに映し出される地球温暖化の現実を見るたび、今すぐこの星全体の緑化を急がねばという焦燥感に駆られる。そろそろ世界全体が、スローライフを心掛けていくわけにはいかないだろうか。何を甘いこと言ってるの、という声にも負けずに言うぞ、「地球にもっともっともーっと緑を」。 ◆ この夜私は夢を見て、深夜に妙チクリンな叫び声を上げ横ですやすやと眠る夫を起こした。昼間のオオカミが、30mもある檻(夢だから)の向こうから私めがけて突進してくるのだ。咄嗟に応戦を思いつくも、手にはいつも春秋に使うセリーヌのハンドバッグしか持っておらず、この期に及んで「ええ~、バッグがだめになっちゃう」と悩んでいる始末。当然ながら目が覚めるなりつくづく物欲を捨てられぬ自分を情けなく思ったのだった。