Tag: Books
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図書館までの道
雨上がり、旭川小記。 私たちの人生は道でつながっている。私の生にもさまざまな意味を持つ多くの道が延びており、交差している。それらの中には避けたいものもあれば、大好きな虹色ロードというのも超個人的見解onlyで存在する。 一応は文章を書く人間であるから書物との関わりは深く、図書館との付き合いもひと月の半分ほどの頻度なのだが、図書館で過ごす時間もさることながら私はそこへ辿り着くまでの散歩道を実に気に入っていて、いや気に入っているなんてものではなくむしろ至福のひとときとさえ言いたいほどに好んでおり、それを理由に図書館へ行くこともある。 旭川市中央図書館は大きな公園の中にある。 駐車場に車を止めると目の前には大きな池が広がる。池の前から左へ行けば程なく図書館。けれど陽気が穏やかなら右へ折れ散歩道をぐるりと一周して図書館へ行く。 ここ常磐公園は旭川を代表する名所のひとつで「旭川八景」に、また「日本の都市公園100選」にも選定されている緑豊かな市民の憩いの場である。明治43年(1910)開設、大正5年(1916)開園というからどれだけの人がどのような出で立ちで誰と歩いたのだろうと考えると想像が尽きず胸が躍る。 平成最後の2018年はこうである。揃いのウェアでウォーキングをする俊足老夫婦、野原で小さい子供を遊ばせる美脚の若い母、先へ先へと急ぎたいトイプードルに着いていくのが大変な苦笑いの少女。三世代、四世代、公園への慈しみが漂う。 公園の敷地には図書館の他に上川神社頓宮や道立旭川美術館も設けられている。私は神道について知識を持たないので調べて初めて知ったのであるが、頓宮とは仮のお宮さんという意味だそうだ。親しみやすい佇まいの、居心地の良いお宮さんである。 旭川美術館は個人的な憩いの場であり、公園散歩とは別に安らぎと刺激を求めて訪れる。年に一、二度の大きな展覧会と旭川ならではの美術・工芸展は私の年間スケジュールにも組み込まれている。小さいが大切な、旭川の美術室。 九ちゃんの歌とは反対に「下を向いて歩こう」が私の公園散策のテーマである。殊に秋の公園は足下がとても楽しい。銀杏が山吹色に染まる頃など散歩中の犬さながらに興奮する。夫はそれを微笑みもせず、かと言って笑い種にするでもなく(たぶん)見守っている。 森の香りが喉にいいんじゃないかとか、常磐公園のダックは日本語で鳴きNYの家の前のダックは英語で鳴くに違いないだとか、何の意味もない話をしながら行き交う人たちと「こんにちは」「今年はいつまでも暖かいですね」とこちらも他愛もない挨拶を楽しみゆっくりゆっくり、散策路を廻る。 池の畔に沿って美しい園内を眺めながらベンチに座って休み、お宮さんに立ち寄り、栞にする色鮮やかな落ち葉を拾いながら30分ほどかけて図書館に辿り着く。秋の図書館前は私の旭川八景である。私はこの景色を100枚以上写真に収めているが、図書館の職員さんおひとりくらいは我が愚行にお気付きかも知れぬ。 館内に入ると混み具合を確かめ、午後の陽光が木漏れ日となって入る窓際の椅子を選んで読書を始める。本はその時興味を引くものであるが、毎回のように手に取るのはドナルド・キーン先生の著書である。名立たる文豪とのやりとりなど、その場で障子の陰からこっそり見ているようなくすぐったい気分にさせてくださる。 一度に借りられるのは10冊。毎回だいたい夫6冊、私は4冊。そのうち1冊は就寝前に読む洋書を混ぜ込んでいる。2週間借りていられるが、読んでは返しを繰り返す。 持ち帰りたい本を決めてデスクへ。2週間後の返却を約束して外に出ると、すっかり日が沈んでいる。必ず思う。図書館からの帰り道はコローの美術館にでもいるようだ。子供の頃に見た “Goatherds on the Borromean Islands” を思い出す。ああ、きれいだな、寒くなるまでしばらくここに居たいわ。 ガーガー グワッグワッ グェッグェ~ 静寂をぶち壊し私の感傷を木端微塵にする衝撃。 人も去り体感温度が10℃ほども落ちた蒼い池で「さあ夕食だみんな集まれ」と楽しげに鳴くダックの群れが水面を揺らす。「彼らはどこで寝るのかね」と小学生も考えないような疑問を題材に車に乗るまで話す。「さすがに水も冷たいだろうし、まあ草むらだね」という何とも安直且つ稚拙な結論に。けれどその道すがらがとても楽しい。 帰路、必ず旭川の象徴「北海道遺産」旭橋をくぐっていく。黄昏時の空に浮かぶ旭橋の灯りをとても気に入っている。時折感じる時代を遡りゆくようなアトモスフィアは旭川独特であり、拙著にも書くほどこの橋が、そして我が町旭川が好きである。 我が町。ニューヨークが私の町だ、故郷だと思ってきたがそれは成熟できないでいた私の意固地であった。故郷とは、日々の中から生まれる町への愛なのだとここにいて思う。 最近借りている書物の中で猛烈に気に入った一冊が、国木田独歩著「空知川の岸辺」の足跡を辿る「国木田独歩 空知川の岸辺で」(岩井洋著・道新選書)である。 恋狂いだ。愛した女との新しい門出の為に縁も所縁もない北海道の地へ土地の購入にやってくるのだ。情熱的な人は好きであるがこういった男と恋をすることはないなと笑いながら、滞在中の人との関わりや独歩の心境の変化、それだけでなく明治時代の北海道の様子や厳しい自然までも美しい文章で綴ってくれていることにひたすら喜びを感じた。 この本、返却したくなくてしばらく借り続けていた。しかたがないからとりあえずノートをとり、おそらくは後日購入することになるであろう。そのくらい楽しい本であった。 図書館への道は、名著と私を結ぶ赤い糸。図書館への道は、旭川が私にくれる心嬉しい30分。そしてまた、人生のジグソーパズルを完成へと向け毎日毎日探し見て、迷いながら合わせていくうちに見つけた、幸せの1ピースである。 昨日、図書館前のクローバー畑にかわいい花が咲いているのを夫が見つけた。嬉しい半面、眠りに就けずにいる花たちにはそろそろ疲れも溜まってきているだろうと申し訳なくなった。人はどこまで自然の邪魔をして生きてゆかねばならぬのだろう。
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2666 チキンレース ~ Coward Reading Race for “2666”
“2 Luv U” by Avani 今、私の目の前には宿敵とも言うべき小説がこちらを睨みつけて横たわっている。厚さ6.3センチ、893ページに渡る長編ミステリーの超大作である。 3日前、NYの友人とチャットしている最中にこの小説の話になったのだ。仲間うちで2年に1度くらい、この本の「読み終わった?どのくらいかかった?」が話題になる。 ロベルト・ボラーニョ著 “2666” ミステリー小説を、実は好んで読む方ではないのであるが「生きているうちに一度は読むべき名著」として世界中に認知されているこの小説は読み切ろうと心に決めている。 心に決めているものの、進まない、進めない。もともと長編小説は大好きなのに、だ。 “2666” を一気に読み切ったという人を仲間うちでは誰ひとりとして知る者はいない。重苦しい内容で疲労やストレスを伴う為中休みや気分転換が必要になるのであろうが、それにしても、意味もないチキンレースが世界中のほんの小さなコミュニティ(私の周り)で繰り広げられているわけである。 ある友人は2カ月で読み、ある友人は3年かかったと言い、平均するとだいたい1年半くらいかけてゆっくり読み進める人が多い。ちなみにメンバーは小説家、詩人、大学教授や外交官など文章を読むのも書くのもお手のものな人たちばかりだ。「忙し過ぎて」も私を除き理由になるだろう、けれど一気に読破するには勇気が要るようだ。 今のところ、トップ走者はぶっちぎりで私である。8年が過ぎてもまだ終わらない。5部構成の4部途中で、どうしても読み進めることができないでいる。 このチキンレース、独走中の私を含め時間が掛かるのには共通の理由がある。長編小説中毒症。つまり、終わってしまうのがもったいなくて読みたいくせに読まないでいるというもの。「実はおもしろくないんじゃないの?」と仰る方もおいででしょうし、「分かるなあ」と言ってくださる方もおいででしょう。 私の場合は “2666” の他に日本ではあまり人気の出なかった “Twilight Saga” もそれである。これは、表現こそ「ん?単純?」と思ってしまうこと多かれどストーリーは娯楽性たっぷりの良作。ファンタジーもそう好きではなかったし、ましてや吸血鬼など興味もなかったのになぜだか夢中になった。 1作目の “Twilight” から “New Moon”, “Eclipse” と3冊はそれぞれひと晩で読み終えたものの、最後の “Breaking Dawn” だけは、これでお別れかと思うとついちょびちょび文字を追い、結局ロードショーを先に観てしまって、それで気が済んだわけでもなく、じっくり原作と付き合うつもりで時々書棚から引っ張り出してきてはまたちょびちょび読む。 ちなみに映画は原作を超えないもの、私は原作と映画は別ものと考えている。 仕事絡みということもあるが私の読書にはクセがあって、数冊の本を同時に読み、これが完走を遅らせる原因になっているとも思われる。 さて。ここまでお話しすると “2666 チキンレース” はケイティの圧勝に終わりそうだと思っていただけるはずであるが、先日の友人が水を差した。2004年の出版時に買って以来、まだ最後まで読んでいないという上手がいるらしい。13年である。 ああ、女王返上。どうしてこんなことで少々悔しいのか理由がまったく分からないが、火に油を注ぐように友人が続ける。 「でね、彼女にあなたの話をしたのよ、もう8年読んでる友達がいるよって。そうしたらクスッと笑って『どうぞお先にって言っといて』だって。どうする?読んじゃう?」 余裕で8年女王を挑発する13年選手。「ではお言葉に甘えて」って言うわけがなかろう。答えは自信を持ってNOである。読みたくてたまらないけど、このレースを降りるわけにはいかぬ。しかたない、今日は2ページでガマンだ。 どこの誰だか知らないが、彼女と私の世にもくだらない「2666 エア・チキンレース」はまだまだ続く。