Tag: Hawaii
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GOD: Kamehameha Day, 1988
The vanquisher of life is the one who has more good old days in his heart at the end of the road. – SLU Song: One More Try – George Michael GOD – Good Old Days. 古き良き時代は国や町の歴史に留まらず、私たちの人生にも必ずあるものだ。 古い写真をニューヨークから持ってきており、折に触れデスクに広げてみては思い出の時を呼び戻す。遠い昔に想いを馳せる時間は本当に楽しいもの、ありがたいもの。 6月11日は「太平洋のナポレオン」と謳われたというカメハメハ大王を讃えるハワイアン・ホリデイ、Kamehameha Dayである。ハワイ各地パレードなどの催しで賑やかな一日となり公共機関や学校も休みとなる。 けれど思えば私はこの日ワイキキにいた試しがなく、パレードを見た記憶もひとつふたつ。しかも今でも忘れないが、この前日に友人がさらさらブロンドのフランス人男子にこっぴどく失恋し、彼女の心の傷を癒すべくセンチメンタル・小ジャーニーに出かけたのだから、カメハメハ大王には申し訳ないが、お祝いムードは微小であったと言える。 車2台で友人5人と私はワイキキを抜け、ダイアモンドヘッド側から島を廻った。昨日の今日で失恋したエリスはゆったりと海を眺めることもせず、私のどこが不満なのかと暴言を吐いては泣き、泣いては歌い、車窓の外へ向かってまたわめき。 カーレディオから、ちょうどこの時どのラジオステーションを聴いてもヒットチャート1位を独占していた我らが George Michael の(彼については思い出話がいくつもあり、いつかお話させていただくこともあるかと思うが)よりにもよって “One More Try” がかかりまくっており、私たちはこの歌を耳にするたび涙の大合唱でエメラルドの太平洋をすっ飛ばしていった。 青い空も流れる雲も、そして咲き誇る南国の花たちも、この日のこの瞬間にしか見せない顔を持っていた。当時は何気なく見上げその気もなくシャッターを切ったこんな風景が、30年を経た今再びまったく同じ色で同じ香りで頭上に蘇り、あの頃の私を連れ戻してくれるタイムマシンになっている。 私たちがその存在を認められる唯一のタイムマシンとは、アインシュタインの相対性理論なんかよりもっと身近な「写真」を言うのではなかろうか。 裏オアフの海はサーフィンのメッカでもあるが、私の目にはポルトガルの「サウダーデ」にも似た涙色のエモーションが漂っているなとしばしば思う。何だろう、時に置き去りにされた寂しさや虚しさというような。…
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#CountBlessingsMonday~月曜の朝のおまじない
Song: “Good Love” by Angela Johnson ft. Deni Hines Monday Blue という言葉があるが、私にはあまり縁がないようだ。月曜日云々というよりも朝がとても好きだからだと思うのであるが、先月患ったインフルエンザが思いの外重く回復にひと月を費やしてしまった為、2週間前に終える予定であった仕事が〆切当日の今日もぐずぐずと終わらないでいる始末で目が覚めるなり心は真っ青なのであった。 でも大丈夫。蒼白な月曜日をキランキランの一週間に変えるおまじないを私は持っている。 大学時代初期を私はハワイで過ごしたが、時が経つにつれて物足りなさに苦しむようになった。友達もたくさんいたしカレッジライフも楽しかったが、その中で何か自分自身に求めるものを放棄しているような気になっていたのだった。 変化が欲しい。そればかり考えながら、日曜の夜が来ると翌朝が重たく感じられた。 エルサという文学の教授と気が合って、時々キャンパス内のカフェで話し込むことがあった。ある金曜日の午後、私は彼女に今の自分をどうすべきか尋ねてみた。彼女の回答は、 「それはあなたにしか答えを導き出せない神さまからの出題。思いきり苦しむしかないわね」 そして、こう続けた。 「月曜日の朝はね、ブレクファストを食べながら自分がどんなに幸せか、それを数えてみるの。ちゃんと声に出して感謝するのよ。その一週間が輝くわよ」 次の月曜日、いつもより1時間早く起きてカリカリベーコンと目玉焼きのブレクファストを作った。とろりとした黄身にベーコンをディップして食べるのが好きなのだ。 席に着き、私はまずエルサとの出会いに感謝した。それから両親に、次に、私が休暇で実家に帰り再びホノルルに戻る前夜、こっそり私の好む曲を集めてCDを作り深夜に手渡してくれる心優しい弟に、私の人生を明るくしてくれている世界中から集まった楽しい友人たちに、遠く離れても日本で私を思ってくれる温かい友人たちに、愛読書を著してくれた作者にも。 本当だ、何て私の人生は恵まれているのだろう。感謝を言葉にすると、心がじわりと温かくなってふわりと軽くなって、身体に新鮮な空気がどんどん入ってくるような気分になった。以来私は己を戒め祈りを捧げる気持ちで #CountBlessingsMonday と名付け、朝食のテーブルで感謝を口にするようになった。 今朝は朝食のテーブルで、やっぱり真っ先にエルサに。それから彼のおかげで私の人生には恐れがない、永遠の大親友・夫に、愛して止まないニューヨークに、近付いてきた春に、それから最近知ったフローズンのパスタシリーズ。これがかなり気に入っていて夫が出張でいない忙しい夜はちゃちゃっとチンして食べているのであるが、これを生み出してくれた日清食品にも感謝しちゃうのだった。おかげでテンションを取り戻して仕事を終えることができ、この一週間も陽気に過ごせそうである。 日本は月曜日が終わってしまったが、ブルーな週明けを迎えた朝には是非試してみて。意外と効きます。
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砂に消え過ぎたGUCCI
今さっきふと思い出した、もや~っとした自責の念。昔から何度も心を癒してくれたこの曲でお付き合いください。 “To You Sweetheart Aloha” – Charles Kaipo 学生時代の約4年をオアフ島で過ごしたが、ニューヨークなどの大都市と違い、ご想像のとおりハワイの週末はビーチ・ドライブ・映画・ショッピングかナイトクラブ、と娯楽が限られている。どれもとても好き。でも日焼け? 来るなら来い、VitaminC満タンのピチピチ女子にはやはりビーチだ(後年これもほっぺたのソバカスを眺めながら後悔することになる)。日曜の朝などお宿題をするのもビーチだった。 数あるオアフ島のビーチでも行楽客の多いワイキキやハナウマ・ベイではなく、当時は今よりもっとずっと静かだった所謂「裏オアフ」、カイルア・ベイやカネオヘ、更に足を伸ばしてワイメアやハレイワまで行くことが多かった。 学生時代、バングルウォッチが好きでいくつか集めて使っていた。一番気に入っていたのは大学の入学記念に父が買ってくれたもので、これは特別な日に身につけるため普段はクロゼット奥深くにしまってあり、毎日学校へしていくのはグッチが多かった。気軽に身につけられるという安易な観念がいけなかったのだろうか。私はハワイにいるうちに、グッチのバングルウォッチばかり4つビーチで失くした。 何度思い返してもいつどこで、に見当がつかない。友人たちと夢中になって遊んでいるうちに手首からするりと外れて落としたようなのだ。日曜日の夕方、家に戻ると時計が、ない。海に落としたとはどうしても思えない。 2個目はそれから半年くらいした頃だったと思う。この時は帰り道に気付いてビーチへ戻り、遊んでいた辺りを探してみたものの見つからずじまい。もうバングルをしてくるのはやめようとぼんやり思っていたにもかかわらず、その後1年にひとつのペースで性懲りもなく落としたのだった。4つ目を落としたときには「もう絶対失くさない」と誓いまで立てていたのを覚えている。それなのに。別のブランドのものは失くさなかったのにグッチだけ、どうして。いやそれ以前になぜそうまでしてバングルを選んだのか、私は。 「飽きないねえ」と友人たちには呆れられ、意地になって「ノース(ノースショア)には砂の奥にグッチに恨みのある霊が潜んでいるのかも。彼女を裏切った恋人がグッチの店員だったのかも。それでグッチが視界に入るや否や指先ひとつで消滅させる」こんな無駄話でごまかしてみても所詮は己の不注意でしかなく、大いに反省した私は以降腕時計をするのを止めた。 さすがにもう随分と前のことだしどんなに探しても見つかりもしなければ見つかったところで使えやしないだろうが、よくいるでしょう、ビーチで金属探知機を滑らせて歩いている人。きっとそんな人に拾われて売り飛ばされてしまったのかもしれないな、4つとも。 妙なアイデアが頭に浮かんだ。もしも、もしも同じ誰かが4つすべてを見つけていたとしよう。そやつはおそらくこう思う。 「ここに来ればまたグッチをゲットできるんじゃないか?そしたら俺の可愛いキャロリンにひとつ、点数稼ぎにママにひとつ、もうひとつは妹のモーガンにはやらないで売っちまおう。ウシシシ」 そして毎週月曜日の早朝4時半、人気のないビーチで金属探知機をいつもより入念に滑らせることになる、何カ月も、何年も。ハワイとは言え夜明け前の海風は冷たいものだ。風邪も引いただろうに。最後は憑かれたように、探さずにはいられなくなるだろう。もしかすると今も毎週月曜日の午前4時半、とっくに使えなくなった金属探知機を滑らせ、遂には近所の人たちに “MDP(metal detector psychopath/金属探知機サイコパス)” とお安いあだ名の一つも付けられているかもしれない。 いつまでもそうして虚しき夢を見ておれ、フン。 ◆ 正気に戻って振り返る。そんなわけないか。いつになったらこの思い出とさよならできるのだろう。無駄且つ私の方こそ虚しき妄想で当時の後悔を払拭しようにもどんどんMDPの罠にはまっていくという、何とも情けない年の瀬の夜。
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Reminiscence ~ 思い違いの贈りもの
“Nothing’s Gonna Change My Love for You by George Benson 人は思い出の多い時代に触れたものをいつまでも忘れないものだ。それが文学であったりファッションであったり。音楽や香りなどは特に深く心に刻まれる。 1980年代をハワイで過ごした。あの頃、MTVやラジオから流れた歌には今よりもっとメロディアスでストレートな純愛を歌ったものが多かったように思う。今日のこの歌も同様だ。 1985年にリリースされたジョージ・ベンソンの”Nothing’s Gonna Change My Love for You” は世界中で大ヒットし、ホノルルのカラオケバーでも恋人に捧げる歌としてそれはそれはひと晩に何度も聴かされたものだ。 確か、Hawaiian TelephoneかどこかのCMになっていたのではなかったか、とハワイを離れワシントン、ニューヨークへと移ってからもずっと勝手に懐かしんでいた。 私の中ですっかりHawaiian TelのCMソングとして定着し、「ハワイアン・テルの歌」という固有名詞化すらしてしまったこの歌に特別な思い出があったわけではないが、朝学校へ行く前に耳にし、学校から帰ってきてTVやラジオをつけると流れており、そのたび心地良く耳に響いた。 あれから30年以上が経ち、今日ふと気になって調べてみるも、どうにもこの歌がCMソングであったという事実が出てこない。そう言えばジョージ・ベンソンの後、ハワイ出身のポップアイドル、グレン・メディロスがカバーしていたが、私の記憶の中では彼のバージョンではなかった。 午後に入るとますます気になって用事を済ませるなりデスクに着き、YouTubeで探してみると「こ、これではないか」という動画がひとつ見つかった。 ジョージ・ベンソンの”Nothing’s Gonna Change My Love for You” と間違えていた Hawaiian TelのCMソングはこれだった。 もう会うこともないだろうという人との奇跡のような再会にも思えた。 これを見た途端、私を乗せたタイムマシンが宇宙の渦に巻き込まれて瞬時に80年代へと遡り、懐かしい人たちが次々と現れ、この歌と今はなきCMの中のGina Jenkinsの爽やかな笑顔を見なければきっと還ってくることもなかったであろう楽しい友の笑い声や、部屋でひとり流した涙までもが私の心に戻ってきた。 学校が終わって家に帰ると、私はよくリビングルームの窓際に座って冷たいフルーツパンチを飲んだ。金曜の夕方などその窓からワイキキ沖に出ているたくさんのヨットとダイアモンドヘッドを暮れゆく夕陽が赤く染めていて、グラスの中のパンチと同じ色だと思いながら眺めていたあの光景がこの曲とともに浮かぶ。 恋人との間に別れ話が出た夜、彼の親友がワインクーラーとKFCのフライドチキンを山ほど持ってやってきて、やけ食いしながら泣いたり怒ったり、朝まで半狂乱で踊っていた時もこのCMが流れていた。 夕方、母とアラモアナ・センターへ買い物に行った帰りの黄昏時の空や、その夜食べたTVディナー(マイクロウェイブでチンしてでき上がるディナープレート)、当時アラモアナ・センターのスーパーマーケットでしか手に入らなかった絶品オニオン・ブレッドの味まで蘇って、もう二度と戻ってこないあの時間を思い胸が何度も何度も締めつけられた。 どこかで、何らかのかたちで記憶のすり替えが起きたのだろう。ジョージ・ベンソンとCMの温かい声が重なったか、それとも単にどちらも毎日5回も10回も聴いていたからなのか、今の私にはもう判別がつかない。が、いずれにしても、ジョージ・ベンソンの歌とこのCMソングの持つ思い出はまったく違ったものだったということが分かったし、愛して止まないハワイ時代を彩る2つの歌が手に入ったことをとても嬉しく思っている。 遠い過去に置き忘れてきた美しい思い出が、間の抜けた私の小さな勘違いが返してくれたものだったのだと思うと、昨日までの私自身にもほんの少し感謝したい気持ちになった。 それにしても、”Nothing’s Gonna Change My Love for You” に特別なメモリーがないということは、あれだけカラオケバーで歌われていたにもかかわらず当時私の為に歌ってくれた人はいなかったということであり、そう思うと今更ではあるがちょっと面白くなかったりもする。
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Honolulu City Lights
music by Keola & Kapono Beamer “Honolulu City Lights” 音楽でも聴きながら。 お聴きいただいている”Honolulu City Lights” をご存知の方はハワイ通、もしくは留学や駐在などロングステイの経験をお持ちではないだろうか。 ホノルルを去るせつなさを歌ったこの曲は1979年のリリースから今日まで、どれだけの人の心を潤してきたことだろう。 ホノルルの夜景といえば殆どの人が「タンタラスの丘」からの眺望を思い浮かべるはずだ。ハワイを代表するミリオンダラービューは日本からの観光客を魅了し、ロコボーイ&ガールに幾度となく恋の魔法をかけてきた。 が、私と仲間たちの好きなホノルルの夜景は、タンタラスから見る華やかなワイキキの輝きよりも友人リアンの部屋から見る、ミルキーウェイさながらに広がるマウンテンビューだった。 本土の大学へ編入が決まったリアンが旅立つ日。彼女の恋人テディとルームメイトのサラ、私を含む友人10人は観光名所から行き着けのベーカリーまで彼女を1日振り回し、アラモアナでアイスティーを飲みながら「日が暮れてきた、そろそろタンタラスへ行こうか」と誘うと、どこにも行きたくない、最後はうちからマウンテンビューを見ていたいと言った。 タンタラスから見るような煌びやかな光はほかの町でも楽しめる、けれどあの、手の届きそうな天の川はうちでしか見ることができないからと。 アラワイ運河に程近い彼女のアパートメントからは山側の夜景がよく見えた。ラナイに出て、悲しくなるから思い出話などせずに時間ぎりぎりまでただ、みんなで眺めていた。 あとから行くと言ったテディが空港に着いたのは私たちより10分ほど経ってからで、左手には小さなカセットプレイヤーを持っていた。80年代ハワイでも徐々にカセットからCDへと移行していったが、学生の殆どがまだカセットを使っていた。 それにハワイにはカセットがよく似合った。 フライトの時間が迫り、湿った海風の行き来するコリドーでテディは”Play”ボタンを押した。静かにHonolulu City Lightsが流れ出す。リアンの目からはみるみる涙が溢れ、こぼれ落ちた。ひとりひとりと抱き合い、最後にテディがピカケのレイを彼女の首にかけると二人にしか聞こえない小さな声で会話し、キスをして、あとから行くよと大きく手を振ると彼女はゲートの奥へと消えていった。 彼女を乗せた深夜の飛行機が飛び立つのを見届けてワイキキに戻る途中、何度も何度も繰り返し吹き込んだHonolulu City Lightsに誰かが「しつこくて最後は笑えてくる」と言った。皆涙を拭きながら笑った。 ひとり黙って窓の外を眺めるテディのために、私たちは空が白んで山の灯りが消えるまで、島じゅうをドライブした。 そうして朝は、残された者たちのためにまた訪れ、”Honolulu City Lights”は次に旅立つ誰かを待ち、眠りにつく。 ホノルルという町がある限りこの歌は愛され、いつの日も人の心に温かい涙を注ぎ続けていくのだろう。 そう言えばつい数日前初めてカーペンターズの”Honolulu City Lights”を聴いた。カレン・カーペンターのスムースな歌声はこの歌のムードにぴったりだし、こちらを先に聴いた人には「これこそがHonolulu City Lights」と思うのかもしれない。が、ホノルルに暮らし、去った経験のある人にとってはやはり、Beamer Bros.のオリジナルでなければ「あの日」には戻れない。 音楽はどんなに遠い昔の思い出も一瞬にして鮮やかに蘇らせる不思議な力を持つ。今夜は、この曲が連れてきた懐かしい人たちと語り合おう、ワインじゃなくて、学生時代に戻ってパンチでも飲みながら。 all photos by Katie Campbell from F.G.S.W.