Tag: Higashikawa-Town
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白いコートの妖精たち
私の日常にはもともと決まった休みなどないのであるが、今年は思いの外慌ただしく、ソリチュード愛好家組合主宰者が「わたしの時間」とすっかり縁遠くなっていた。まったくもって不甲斐ない事態、珍しくもなくなった「ケイティ死亡説再浮上」なる件名の友からのメイル。北海道の屋根、旭岳の初冠雪を見逃すことのなかったことだけが救いであった。 今年の初冠雪は9月20日。 去年の9月下旬の旭岳はもっとずっと雪が多く純白と言えるほどであったから、今年は温かいのだろう。地球温暖化の影響であろうか北海道の気候も変わりつつあるようで、今では「梅雨のない北海道」とは言えなくなってきているのだそうである。 夏の終わり、かろうじてiPhoneに収めていた十勝の森。 北海道に来てからいつもカメラを傍らに置いていて、気がつくとシャッターを切るようにしていた。毎月1000枚を超える写真には季節の移り変わりや小旅行の思い出が詰まっているのであるが、ここ半年はめっきりその数も減り、夏からこちらは20枚も残していなかった。 「ものづくりな頭」がお留守になっていたことを猛省しながら先日ふと仕事部屋から窓の外を見ると、おや、これは。大雪山系が微かに雪を纏っている。無性に嬉しく、心が安らぐ。 外に出よう。旭岳の雪を見たらそんな気持ちになって、旭川の自宅から隣町東川へと車を走らせ、季節が変わるたびに出かけるキトウシ森林公園へと向かった。 キトウシ森林公園から望む東川町。手前はエゾヤマザクラの紅葉。 今にも降り出しそうな空の下はストールを羽織っても肌寒かった。格子模様の美しい田園風景は稲の刈り入れも終わり、田畑は今、半年間の長い眠りに就こうとしている。 「あ、雪虫だ!」 何ですって!それを追ってか森の奥へと走っていく子供たちの叫び声。「雪虫」の言葉に高揚感急上昇の中年夫婦。「つかまえたー!」勝利の雄叫びを挙げる5,6歳の男児。自分たちのすぐ目の前で大量に飛んでいるのに気付かず子供たちが追いかけるのを目で追い、先を越されたとライバル意識むき出しの中年夫婦。「あ、あれだ!」夫はキャップを虫捕り網代わりにあっちだこっちだと彼らに負けじと走りまわる。 雪虫はコットンのような白い毛と羽を持つアブラムシの仲間で、5mmより小さいくらいのかわいらしい虫である。その命はとても儚くて、寿命は一週間、熱に弱いため人の手のひらに載っても死んでしまうことがあるのだという。本当に、雪のよう。「えええ、アブラムシ~」と友人の殆どが言うが、「いいや、冬の訪れを告げる晩秋のマスコットなのだ」と私は雪虫の名誉を守るべく高唱する。 5分後、「やった!」 イイトシをして涙ぐましいものだと同情してくれたのだろう、慈悲深い一匹の雪虫がキャップの内側に留まってくれた。雪を連れてくる、純白のオーバーコートを着た冬の妖精。 まだ元気かな、キャップに留まった雪虫/ snow fairy 雪虫は北海道やロシアのみに生息する虫かと思っていたが、トウキョウ・シティボーイの夫は子供の頃冬に見かけたのだそうである。ハマギャルの私は見たことがなく、雪虫の群れが螺旋を描いて飛んでいるのを「北海道の雪は特別な性質を持っている」と一瞬本気で思ったほどにその様子は神秘的だ。 他地域では綿虫や雪ん子、京都では「白子屋お駒はん」と呼ばれているのだそうだ。京都らしい愛らしい名前。私も呼びたいが、私が言ってみてもどうもはんなりとはならないのが分かっているのでできることなら京都出身の人に言って聞かせてもらいたい。きっとやんわりとした良い響きであろう。 旭川市出身の小説家・井上靖の「しろばんば」、これも雪虫の愛称であるが、残念ながら「しろばんば」の舞台は旭川ではなく何と伊豆である。となれば加えて残念なことに、雪虫は東京よりさらに温かい地方でも生息していることになり、夢の「雪虫は北海道の妖精」説は私の拙い妄想に終わる。 10月10日忠別ダムから見た旭岳。雪を、ほんの少し。 我が家から約1時間、旭岳の麓、忠別ダム。ここから望む旭岳はダム湖にリフレクションを映しとても美しく、この辺りの絶景スポットのひとつであると私は思っているが、久し振りの絶景スポットに興奮が過ぎてダム湖を撮り忘れてしまった。 そしてここでも多くの雪虫が楽しそうに舞っていた。来る、雪が来る。一週間後か、二週間後かと胸が躍る。 そうして10日、11日と連日現れた雪虫たちは翌々日、街より先に大雪山に雪を降らせた。下の画像が13日午後4時頃我が家のバルコニーで撮影した旭岳である。午前中は曇っていたがお昼頃から雲が切れ始め、夕方には美しい姿を見せてくれた。 自宅バルコニーから、10月13日午後の大雪山系・旭岳。 この時季の山はとても良い。新雪を眺めながら同時に紅葉も楽しめる。今年は先月の胆振東部地震が影響して観光が随分と落ち込んでいるが、それでも旭岳への一本道には多くの車が走っており、ところどころ外国からの観光客が旭岳を背に記念撮影をしているのを見ながら胸が温かくなった。観光地・旭川に暮らせばこれは日常の光景であるも、この日はあらためて、地震の恐怖にも敬遠せずこの地を訪れてくれた人たちへの感謝と、災害に負けない北海道の強さへの安堵を胸に抱いた。 今年も雪虫がやってきた。旭岳に雪を届け、街はいつになるだろう。秒読み。私はそうだな、次の木曜日と予想しよう。
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You&Me Philosophy
“Built for Love” by PJ Morton 本当ならハロウィーンディナーの買いものでもしているはずだった10月最終日の午後。何も予定を入れないこの日があるなんて、思いもよらなかった。 10月は夫も私も多忙を極め、繰り返し数えてみても何日一緒にいたか覚えてもいない。ハロウィーンをただの気だるい休日にしたのは、それが理由だ。 久し振りに帰宅した夫とランチに出てからしばらくドライブし、私たちが「小軽井沢」と呼んでいる東川町のカフェに立ち寄った。 今年できたばかりのその店にはひと組の先客があったがとても静かで、普段なら決して聞き逃すことのないBGMも覚えていないほどの静寂。この日の私たちには嬉しかった。 飲みものが運ばれてきてからは、殆ど話をしなかった。夫はもちろん長い出張で疲れていたし、私も文字との格闘が続きいささか脳内がショートしていた。 真空管の中にいるような時間がゆっくり、ゆっくりと流れていく。夫はタブレットで読書をし、規則的にページを流す彼の指先を、私は熱いトラジャ・ママサを飲みながらぼんやりと追った。 久し振りに時間を気にせずいられると思ったら、気が緩んだのか軽い眠気が訪れた。視線を落とすと、グラスの中の水がとてもきれいに見えた。 東川は日本でも珍しい「上水道0%の町」。この町で使われている水は大雪山の伏流水、それだけでごちそう。北海道の移住率1位はここにも理由がありそうだ。 夢現を行き来しながら私はひとつずつ数えるように嬉しくなった。澄んだ水、心地良い時間、それから本を読む夫の口もとに浮かぶ笑み。 晩秋の西日が店の窓から差し込み四角くなって集まると、その中にある文字が浮かび上がったように見えた。 “blessed” ~ 恵まれた人生だ。 若い頃なら、会話が途切れるという不安のエッセンスが胸に直接流れ込んでチリチリと痛みもしただろうが、今はこんな時こそ相手の気持ちが手に取るように分かるし、思いやれる。テーブルを挟んで、言葉がない時にこそ見えてくる空気に確信する。相手の存在と、その人の為に生きることが己の人生を満たしているということ。 よくもまあそんなこと言えるねと笑われてしまうかもしれないが、私たちの間に漂っていたその空気は22年連れ添ってみないと分からなかった、22年経った今、気付けば完成していた夫と私の「夫婦(めおと)哲学」であると言ってしまっていいのではない、か、な? 店を出ると、日が沈んだばかりで辺りは橙に染まり、店の窓ガラスにもヨーロッパの古い絵画のように映っていた。 明日はまた遠くへ出かける夫に、今夜はからだに優しい夕食を考えよう。 Wednesday cafe & bake: 北海道上川郡東川町東8号北1番地 TEL: (0166) 85-6283 Open Hours: 11:00 – 18:00 Closed: 木曜日 Wednesday Instagram 写真の町 北海道上川郡東川町オフィシャルウェブサイト: Higashikawa Town of Photography