Tag: NYC
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Happy Vintage Thanksgiving!
今日のニューヨークはとても良いお天気で、Macy’s Thanksgiving Day Paradeが行われているが、我が家はいつの頃からからパレードを見に行かなくなった。凍てつく寒さに耐えられないのと同時に好きなバルーンが次々にリタイアしてしまったからである。 この写真、30年くらい前のものではないだろうか。デジカメが登場する前の一眼レフで撮影したためかなり哀愁が漂ってしまっている。でもこの頃のニューヨークが好き。 Kermit the Frog にしても、今のバルーンはもっと明るい色合いでトイザラスで手に入りそうなポップな雰囲気を持つが、これはどちらかというとフェルトの人形のような温かみを持つ。この時確か、とても風が強くてバルーンが撃沈しまくっていたのを覚えている。 Kermit the Frog は、1977年に初登場だそうだ。 Raggedy Ann は小さな頃から大好きで、人形はもちろん部屋のカーテンやクッションもAnn のデザインだったなあと、サンクスギヴィング・パレードのたびに思い出した。 Raggedy Ann が初めてパレードに現れたのは1984年というから、この写真はその頃、ちょうど30年くらい前であろう。 こちらもお気に入りのひとつ、Happy Dragonであるが、やはりこの頃よりもだいぶポップな感じに変わってしまった。時は流れ、私は古くなっていく、ということである。 Happy Dragon は何と、1937年に初登場した古株中の古株だ。 アメリカのお祝いだもの、歴代の大統領も練り歩く。今もまだあるのだろうか。 サンクスギヴィングは、イギリスから渡ってきたピルグリムスと彼等を病気や飢餓から救ったネイティブ・アメリカンの感謝祭。ターキーの写真が見つからなくて残念だったが、こういう山車を見るとホリデイ気分も一気に盛り上がるものだ。 最後に登場するのはもちろんサンタクロース。ホリデイシーズンの到来を告げる。 我が家は毎年パレードをテレビで見たのちステーキハウスでターキーディナーを食べ、そのまま日曜の夜まで旅行に出るが、今年は家に友人たちを招いて、夜はフットボールを見ながら大宴会。Traditional Thanksgiving な一日になりそうだ。 Happy Holidays!!
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才能の行方~No Pipe Dreams
“Blue in Green” by Bill Evans 今日この話をしようと思い立ってから、思い出を手繰り寄せ、NYの家から持ってきた写真の箱を5つ開け、宝箱の中からPLAYBILL(ブロードウェイのミュージカルなど、各劇場で上演されている演目の情報が掲載された小さな月刊誌)を引っ張り出したりしながらだんだん寂しくなってしょんぼりしていたら午前3時をまわってしまい、結局執筆は翌日になった。 90年代、映画と言えば私はKevin Spacey かDenzel Washington だった。彼等を見られる作品なら何でも観た。ハリウッド映画の大当たり年であった1997年の”L.A. Confidential” などはW. 58丁目のDirectors Guild Theater で4度観た、毎回Sheraton New York のロビーで夫の仕事が終わるのを待ちながら。”American Beauty” は郊外の家の近くで2度観た。 1998年、Eugene O’Neill がノーベル文学賞を受賞した後に書き上げた傑作 “The Iceman Cometh(氷人来る)”のリバイバルがやってきて、これにKevinが主演した。当時時間を見つけられずにいた私は千秋楽直前の1999年7月、念願叶ってようやく観に行くことができたのだった。 仲間うちでも早くから話題になっており、もう時効であるので話してしまうと、私はこれをどうしても観たいと思って仕事をさぼり、当時入手が極めて困難だったチケットを1度は夫の伝手で、数回は劇場関係者及び役者の友人に泣きつき、最後はダフ屋から$350の2階席を買ってまで観に行ったのだからどれだけ素晴らしい芝居であったかお分かりいただけるだろう。 クライマックス、彼の演じるセールスマン、Hickey が作品のテーマであるpipe dreams(見果てぬ夢・虚夢)と自分の身の上を語るシーン。情けないことに記憶が定かでなくなってしまったのだが、おそらく約30分間、彼がたったひとりで話し続ける。長い長いセリフと身のこなし、その迫力に圧倒され、「これがプロの仕事か」と観るたび心も体も震えたものだ。 ショーが終わると観客は、私も同様に役者の出待ちをする。やがて姿を現したKevin を拍手で迎え、彼はにこりともせずに端からひとりひとり、手の届かない後ろのファンにもぐっと手を延ばしてサインに応じた。笑みもなく言葉も交わさないがやり取りがとても丁寧で、観客とのそうした一定の距離感がまたたまらなくかっこよかった。 私は、憧れのムービースターの内面や私生活にまったく興味がない。露出している部分で秀でているところを見せつけてくれればそれこそがファンにとっての醍醐味だと思っている。本来才能とはエキセントリックなものだもの、世に名を残す人、特に役者のような、別人格になるのを生業としている人には少なからず「普通でない」部分があっていい。 また素晴らしい役者だからと言って素晴らしい人間とは限らない。役者に限ることでもない。ただ彼は人を、多くの人たちを傷つけてきたというのだから、その人たちの心が癒えるだけの代償を長い時間をかけて払っていかなければならないのだろう。 人の数だけ人生があるように、愛し方にも決まった形などあるはずがない。男性であろうが女性であろうが。けれど愛は必ずや、平等な立場の上に成り立っていなければならない。 ドラマも映画も降板が決まり、今、諦めきれないほどに残念でならない。例え彼の才能が類まれなものであっても、社会は、道徳は、人の心はそう簡単に許してはくれない。が、おそらく彼には目指すところがまだまだあったのではなかろうか。それがpipe dreams に終わらぬよう願うばかりだ。 ◆ そう言えば、2度目の時だったろうか、私の斜め前の席に日本のこちらも名優、仲代達也氏がいらした。赤と白のギンガムチェックのシャツにジーンズがとてもよくお似合いで、やはり一般人とは違う才能の輝きを放っていた。きっといつかHickey を演じられるのだろうと思っていたが、その話を耳にすることはなかった。 そして来春、この”The Iceman Cometh” がDenzel Washington 主演でブロードウェイに帰ってくる。観たい。その頃NYに帰れないものか。小さな野望が頭をもたげ始めた。
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Moments 18: 22時の散歩
“What a Difference a Day Makes” by Julie London 恋の行方は、22時の散歩次第。 空を見上げても星も見えないマンハッタン、22時。 ぽつりぽつりと人影が消え、静かになった通りを秋風に吹かれて歩く。 昼間は目にも留まらない店のショーウィンドウ。 暗い壁に浮かび上がり、二人は足を止めて奥を眺める。 彼女が言う、「気付かなかったね、このディスプレイはいつまでかしら」 彼が言う、「じゃあ、また来て確かめてみる?」 翌日も1週間後も22時、二人はまたここに来る。 彼女が言う、「サンクスギビングのデコレーションはいつ頃かしら」 彼が言う、「11月になったらすぐじゃない?来てみれば分かるよ」 その年のクリスマス。 彼女が言う、「来年の今頃もこの店はあるかしら」 彼が言う、「じゃあ来年の今日も来てみよう、一緒に」 口には出さないが二人は思う、この店がなくなったら僕たちは、私たちは。 けれど22時のニューヨークには見えている。 翌年のこの店のホリデイデコレーションと、雪で頭が真っ白の、二人の姿。 10年後の今夜、5歳の娘を真ん中にこの店の前で足を止める二人の笑顔。
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Old Pic & Car Radio
“Love Over and Over Again” by Switch ニューヨークの家から持ってきた古い写真を整理していたら、中から自分でも驚くほどに昔のものが顔をのぞかせた。 それはブルックリンから撮ったマンハッタンの写真で、確か夜10時ごろではなかったかと思う。この時私の左隣りには背の高いハンサムな男の子がいて、NBAのチケット欲しさに二人で献血に行った話やら、週末一緒に行くNFLゲームの予定やら、互いの過去の話やら、ニューヨーカーにありがちな、NYのどこが好きかという他愛もない話もただ楽しくしていた。 けれどこの時、彼と私の間には友情とは違う空気が、確かに漂っていた。私は彼の軽快なおしゃべりを聞きながらウィットに富んだスマートな語り口調に夢中になっていたはずだし、少しビターな瞳もじっと見つめていたに違いない。そしてこの懐かしい夜景は二人を予感という名の空気で包んでいたのだと、今だから言える。 マンハッタンへ戻る途中も二人の会話は続いていたが、カーラジオからこの曲が流れてくると、途中で言葉が途切れた。Queensboro Bridge の中央に差し掛かった頃、迫りくる摩天楼を眺めながらこの歌を聴き、私は何となく、彼と恋をするのだろうなとこの時思った。 ◆ それから20年が過ぎた今、彼は隣の部屋で深夜2時、無邪気にもゴルフ観戦にエキサイトしている。こんな彼と私があるのは、あの日の夜景とこの歌、小さな思い出が積み重なったからなのだと妻がひとり感傷に浸り幸せを噛み締めているというのに。 ◆ 恋は、始まる少し前が一番素敵だ。友達と恋人の境に苦しみ、二人でいると帰り道がせつなくなり、明日の私たち、あさっての私たちを期待したくなる。 今夜は久し振りに懐かしい写真と再会しこの曲を聴いて、あの頃始まったばかりの恋心が胸に戻ってきたような気分。いい夜だ。 ・・・しかし、夫の熱の入れよう。”Keep it down” ひとこと言ってこよう。
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Street Tales #1: Beale Street
“All Your Love” by John Mayall & The Bluesbreakers w/ Eric Clapton(1966) 1990年代初頭だからかれこれもう30年近くも前の、我が夫Mattの話。 当時グリニッチ・ヴィレッジにThe Bottom Lineというヴェニューがあって彼も私もよく足を運んだ。残念ながら2004年に30年の歴史を閉じたのだが、実に多くのミュージックシーンがそこで生まれ、今も語り継がれている。 authorized by WNYC 確か、今日のように暑い日の午後。Mattがひとりワシントン・スクエアを歩いていると、彼の着ているTシャツを指差して見覚えのない男性が近付いてくる。そして、 「おお、それうちの店だよ」さらに、 「気に入った。今夜ボトムラインで友達が演奏するからおいでよ」 黒いTシャツには白字で “Rum Boogie Cafe” というロゴが入っており、着ている本人はその店で買ってきたわけでも、また別段何を意識して着ていたわけでもなかったものだからただ驚き、彼の差し出すチケットを言われるままに受け取った。 その日の夕方ボトムラインへ行くと、昼間会った自称「Rum Boogie Cafeのオーナー」は店の奥で誰かと話をしていたが視線が合ったので手をあげて礼を言うと彼も笑顔で手を振った。 彼の言っていた「友達」がブルース・ロックのレジェンド John Mayallだと知って、Mattは街角に転がっていた幸運を拾ったような夢心地で演奏を楽しんだと言う。 その話はここでおしまいなのであるが、数年後、旅行中メンフィスに立ち寄った時、黒に白字で店のロゴが入ったTシャツを思い出してBeale Streetを歩きながら当時の夫の話を聞いていると、 「あ、ここだ」 Rum Boogie Cafeは、トワイライト・アワーにネオンが美しく映える、居心地の良いブルース・バーだった。 実のところ、夫はその男性の言うことを話半分に聞いていたと言う。ニューヨークには人の数だけ思いもよらないおかしな出会いもあるものだから。 けれど結果的には嬉しいかたちで予想を裏切られ、普段は冷静でシニカルな夫も素直に興奮していた。そして長い時を経てボトムラインの思い出と再会したことを、彼は大いに喜んだ。 Time goes by. Life goes on. 時間とともに街は変わる。けれど心の中にある青春時代の風景は、決して色褪せ消えゆくことはない。 Rum Boogie Cafe John Mayall…
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Moments #5: Chelsea Morning on the Upper East Side
“Chelsea Morning” by Joni Mitchell I’m on the Upper East Side but having a Chelsea Morning Because from the window I see pigeons fly and hear sparrows chirp Without milk and toast and honey and a bowl of oranges, I’m having a Chelsea Morning Because indeed the sun pours into the room like butterscotch…
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Emperor Gold Mystery
“I Will Survive” by Chantay Savage あの夜は始まりからおかしかったのだ。 ミッドタウン・マンハッタン、午後6時。 徹夜明けで疲れていたのもあるとは思う。サロンの予約時間を間違え諦めて出てくることになったり、夫の仕事が終わるのを待つカフェで、注文したヴィエナ・コーヒーの代わりにココアが運ばれてきたり、店を出る時7ドルのコーヒーに10ドルを差し出したらおつりの3ドルに10ドル札が1枚紛れていたり(自分の名誉の為に申し上げておくが、この10ドルはその場でお返しした)。 どうも調子が狂っていると思いながら、普段どおりSheratonのロビーで夫を待ち、その後仲間4人と合流、メキシコからハネムーンでニューヨークにやってきた友人夫婦を囲んで食事。ダウンタウンへ行った。 お祝いということもあって、全員食事の席でけっこうな量のワインを飲み、終わって彼等を見送ると午後11時を過ぎていたのではないだろうか、その時ミッドタウンに戻っていたのだが、地下鉄に乗ったのかタクシーだったのか、もうそのあたりはぜんぜん覚えていない。Broadwayか6th Ave.の57丁目から南へ歩いて行ったように思う。 誰かが「飲み直そう」と言い、その時一緒にいたメンバーの半分がこう覚えているので確かだとは思うのであるが、おそらく何の理由もなくNovotelのラウンジに向かった(はずだ)。 小さなバーラウンジのストゥールに着くと、皆でBudを頼んだ、かも。 すると、これだけは覚えているのだが、東洋系のバーテンダーが言った。 「お金は要らないから、これちょっと飲んでみない?」 取り敢えず口直しにと水を勧められて、皆してグラスの水をひと口ふた口飲んだ。それから彼は見たこともないラベルの(申し訳ないがまったく記憶にない)ビアを運んできて私たちの前に置いた。 「僕が造ってるビアなんだ」 名前は確か「エンペラー・ゴールド」。中国の何とかという場所に水のとても美味しい場所があり、そこの水で造ったと言っていたような気がするので、彼はチャイニーズ・アメリカンだった可能性が高い。 冷たい水でワインの残り香をもう一度さらい、あらためてグラスの中のビアを見てみると、非常の細かな泡と薄い金色が上品でとても美しい、と思った気がする。 キンキンに冷えたエンペラー・ゴールドをのどに流し込むと、一瞬酔いが醒めた。実においしいのだ。ホップのえぐみや余計な風味はまったく感じられず、滑らかですっきりとした後味と鼻先から抜けるフルーティな香りも極上だった。何となくではあるが、アメリカ人なら誰もが大好きなMiller Genuine Draftを更に爽やかにして、1664の繊細な香りを加えたようなお味だったように思う。大量のワインなどすっかり忘れて、タンブラーのビアを最後までおいしく飲み干した。 私が覚えているのはここまでだ。 週末にまた昨夜と同じメンバーが集まると、あのビアの話になった。口火を切ったのは確か夫だ。 「それにしてもうまかったよね、エンペラー・ゴールド」 「え?」「は?」「へ?」 誰も覚えていなかった。エンペラー・ゴールドを勧められたことも、バーテンダーと話をしたことも、Novotelのバーに立ち寄ったことすらも。 覚えているのは夫と私だけで、あとの4人は酔い潰れた状態だったのか、あの夜のディナーからあとの記憶がないと言う。結局この話がこのあと6人の間でされることは二度となかった。 それから夫と私はエンペラー・ゴールドを思い出しては探してみたが、あれから15年、まだ見つかっていない。あの味だけでも忘れないよう、近い味と香りを求めて世界中のあらゆるビアを取り寄せては飲み続けてきた。けれど残念ながら「これかも」と思えるものにも出会えていない。 かなりの確率で私たちは、エンペラー・ゴールドに辿り着くことはないだろう。むしろあれは夢だったような気さえする。けれど脳裏に小さくとも残る限り、まだまだ探し続けるつもりだ。 どなたかあのすっきりとキレの良い、デリケートなエンペラー・ゴールドに巡り会ってらしたら是非Katieまでお知らせいただきたい。そして教えてください、どこで出会ったか、そしてそれは本当にエンペラーゴールドか。 NYC photos by Ben Dumond Beer photos by Katie Campbell / F.G.S.W.
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Nightcap and April Snow
music by WEE “You Can Fly on My Aeroplane” 音楽でも聴きながら。 私の町は昨日・今日と、名残雪にしっとりと包まれた。 毎年4月も中旬、ある年は下旬にも雪の降る旭川であるが、こんな日は去りゆく冬と別れる時間が愛おしい。 今夜はNYから25年来の友人Mattがやってきており、夕方も早いうちからバーボンのボトルを左手に書棚を物色していると思ったら、懐かしいWEEのアルバム”You Can Fly on My Aeroplane”を選んでプレイヤーに滑り込ませた。 書斎から戻るとキャビネットからグラスを取り出して夫と彼自身にはバーボンソーダを、私には「これ1杯にしておけよ」とオンザロックを作ってくれた。それから彼等はビジネスだのNYだのと話を始め、私は黙ってCDを聴いていた。こんな曲が似合う夜だ。 1977年リリースのこのアルバム。メロウでサイケデリックで、華やかでワルだった70年代の魅力が詰まっている。 もう随分と昔の話だ。私の記憶が正しければ、Astor PlaceからLafayetteを少し下った辺りだったか、小さなレコードショップがあって、知り合ったばかりの夫とデートの途中で立ち寄り、二人でこのアルバムを買ったのだった。 ああそう言えば、店から出ると道の向こう側にストレッチが止まり、奥の扉からスーパーロングのドレッドがダースベイダーのマントにも見えた巨大(は私の見た目であるが)な男が出てきた。周囲を歩く人たちは皆驚いて呆然と立ち尽くすほどの威圧感であったのだが、俯き加減の笑顔は穏やかで瞳がとても美しかったのを覚えている。Maxi Priestだった。 カリッ、と夫のアーモンドをかじる音が軽く響いて、今この時に連れ戻された。 日中、雲はグレイのグラデーションが美しく、水分を多く含んだ大粒の雪を絶え間なく降らした。宮下通りを走らせ車窓から中心街の様子を眺めると、おそらくアジアからのツーリストなのだろう、横断歩道を待つ30歳くらいの男女二人が思いがけない春の雪に空を見上げ、両手を広げて、ついでに大きく口まで開けて道北ならではの思い出づくりを楽しんでいた。故郷に帰って自慢するんだろうな、「Hokkaidoで4月の雪を飲んできた」と。 おそらくシーズン最後の雪の夜、良い気分だ。友の持ってきたFour Rosesの、鼻先から抜ける何とも良い香りを幾度も味わいアルバム1枚聴き終えたなら、ナイトキャップのオンザロックも最後のひと口を飲みほして、アイスホッケーの話で夜も明けそうな彼と夫には目もくれず、私はこのまま先に寝てしまおう。 music by WEE “Leavin’ You Alone”
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Last Supper, Last Song #2
Music by Ambrosia “Biggest Part of Me” 音楽でも聴きながら。 地球での仕事を終え、空へと自分の魂を送る時のBGMを選ぶのもまた「最後の晩餐」同様究極の選択。さて2017年3月25日現在、あなたは何を選ぶ? 遡ること大学3年の春。付き合い始めて半年の恋人テイは、よく晴れた日曜の朝に私を呼び出すことが多く、週末の朝はたいていセントラルパークの散歩から始まった。 9時少し前。セントラルパーク・ウェストを下っていくと、パークの入口でテイが左の肘に買い物袋を提げSunday paperを読んでいるのが見えた。新聞で顔が隠れていてもすぐに分かったのは、彼の履いていたティールグリーンのブリーチを私が気に入っていたからだ。 「遅れたね、おはよう」 「元気?オレも今来たとこだよ」 新聞をたたむと彼は買い物袋の中を見せて「ブレクファスト」と笑った。りんご2つとスナップル(瓶入りのフレーバード・アイスティー)のピーチティー2本がこの日の二人の朝食となった。 パークには動物園やカルーセルなどのアトラクションがあるほか池でボートを漕ぐこともできるが、私たちが好んでしていたのは橋巡り。セントラルパークには30以上の美しい橋やアーチがあり、おしゃべりをしながらそれらを渡ったり下をくぐったりするだけでも楽しめる。最も美しい橋のひとつ、1862年に造られたBow Bridgeの欄干には気品があり、ぼんやり眺めていると、日傘を差したドレスの貴婦人や馬車に乗る紳士、100年以上も昔の風景が浮かび上がるようだ。映画の撮影などにも登場する。 テイと私はりんごを片手に時折シャクッとかじりながら橋を渡り、2時間も歩いただろうか、疲れた頃、近くの芝生に腰を下ろした。 学校の話などしていると、すぐそばでピクニックをしているカップルのラジオからこの曲が流れてきた。 You’re the biggest part of me You’re the life that breathes in me And I’ll be your savior to you For the rest of my life するとテイが突然、私の目をじっと見つめたまま歌い始めたのだ。 両手を胸に当てて大声で歌う彼の姿を周囲は笑って見ていたが、私の心の野原には一斉にピンクやイエローの花が咲き始め、小川のほとりからはきらきらと輝く極太の虹がハープの音色とともに緩やかなカーブを描いて延びていく。さらに私のおめめからは金色の星が次々とこぼれ落ち、脳天からは独立記念日級の花火がバンバンと打ち上がっていたはずだ。 私でなくても、20代女子なら誰だって”rest of my life(一生)”なんて言葉を投げかけられたらときめかずにはいられない。 テイは私を「恋する乙女」に化かし、それからまた1時間歩く間、絡ませた彼の指先まで「私のものだ」などと思い過ごしながら、ランチをしようと街へ出た。…