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しれとこ旅情のイノセントな裏切り #2
早い話が、北海道及び国後島に白夜はないということだ。 白夜は緯度が66.6度以北の北極圏で起こる現象で、60度34分以北でも、太陽は沈むが完全に暗くはならないため白夜に分類することがあるという。ちなみに残念ながら、北緯42~45度の北海道で白夜が見られることはないのだそうだ。 オーロラだって見られるのに、白夜があったっていいじゃん、と言いたいところであるがこればかりはどうしようもなさそうである。 なぜ事前に調べていかなかったのか、簡単なことではないか。あらためて愚かな我が身を呪った。加えて知床第1日から興奮し過ぎて夜も早いうちに眠たくなり、ウェイクアップ・コールを頼み忘れ、白夜どころか目が覚めたら午前7時40分。太陽は既にオホーツク海を笑顔で見下ろしていたという始末。 ああーん、白夜が。何も知らない私はそう叫び、朝食を済ませたらロビーで誰かに教えてもらおうと息巻くも、大恥をかく結果に。 ケイティ「すみません、知床で今の時期白夜を見るには・・・」 「どうしたらいいですか?」まで言い切る前に遮られてしまう。 スタッフさん「見たいですよね、白夜。でも残念、北海道では見られないんです」 ケイティ「でもしれとこ旅情の歌詞に」 スタッフさん「あれ、ウソなんです」 ああ、無情。ここまできっぱり言われてしまうと、あとはもうがっくり落っこちた両肩をお見せして完敗を宣言するほかない。 ケイティ「た、大変失礼いたしました」そう申し上げそそくさと退散した。 知床は、西に位置するオホーツク海側の斜里やウトロと東に位置する太平洋側の羅臼(らうす)に分かれるが、私たちはウトロに宿泊しており、斜里ー羅臼をつなぐ知床峠が冬季通行止めだったため、しれとこ旅情誕生の地、羅臼へは翌朝訪れた。 羅臼町は静かな町で、この日道の駅以外で人影を見ることはなかった。歌のとおり、羅臼から北方領土・国後島がくっきりと、とても近い距離で浮かんでいた。 ◆ その夜、ホテルに戻ってからしれとこ旅情が生まれたいきさつについて調べた。 この歌は1960年、当時森繁さんが主演した映画「地の涯に生きるもの」の撮影で訪れた羅臼で、お世話になった村の人たちへの感謝を込めて、この地を去る前夜に作ったものだそうだ(参考: 北海道Style)。慣れない極寒の地での撮影に、羅臼の人たちが尽力したという。 しれとこ旅情に森繁さんは最初「さらばラウスよ」というタイトルを付けたが、ここからも羅臼の人たちへの思いが伝わってくる。 結局、私は白夜どころか日の出さえ見ることなく知床をあとにすることとなった。 森繁さんの「白夜」の解釈に合点のいくできごとがあった。これが実は広く周知されているのか、はたまた私の持論に過ぎないのか、未だ証明できずにいるので仮説としよう。 知床から帰った直後、仕事の〆切が迫り徹夜した日があった。何時間もPCに向かい、肩が凝って首を回すとカーテンの下からうっすら明るい青が射し込んでいる。時計を見ると午前3時15分。驚いてカーテンを引くと、外は既に本を読めるほどに明るかった。 北海道の日の出がとても早いことを、その時初めて知った。首都圏で生まれ育ちアメリカでもいくつもの都市を渡り歩いたが、これほどまでに朝が早くにやってくるところは初めてだ。 そして思ったのだ。森繁さんの映画のクランクアップは7月だったというから、北海道の夏の朝事情を知らずに「白夜」と表現されたのではなかろうか。羅臼の人たちとのお別れに即興で作ったしれとこ旅情にはきっと、森繁さんの無垢な心が見た、蒼白い羅臼の夜明け前が映り込んでいるのだ。 マヌケなだけで終わった「しれとこ旅情・白夜探偵」であったが、一応の答えに出会えた思いで私の追跡は完了した。 森繁さんのあの歌詞から「白夜論争」というのが起こったのだそうだ。森繁さんは白夜を「びゃくや」と読ませたが、本来は「はくや」と言うのだそうだ。これを指摘した国語学者・池田彌三郎氏に対し森繁さんは(どうやら彼とは知り合いだったようであるが)、 「そんならあんたは白虎隊を『ハッコタイ』と読むのかい?」 と返されたという。何というチャーミングなケチのつけ方。森繁さんらしさ全開の押し問答を、その場で聞かれたらどんなに楽しかったろうと、今も時々想像する。 ◆ 結局北海道では白夜を見られることはないことが分かり残念であったが、森繁さんの歌詞には知床(羅臼)への愛がいっぱいに詰まっている。長い長い時を経た今も日本中でこの歌が歌われているのは、的確な描写などではなく、この「愛」が心に響くからだろう。 そもそも詩の世界とは作る人にも自由、読む人にも限りなく自由であるのだから、言葉の使い方が違っても、また描いた景色が真実と異なっていてもよい。むしろ紡いだ言葉で人の心が潤うならば、事実など二の次よ二の次。 ちゃらんぽらんな私などは気にもかけず、今日もしれとこ旅情を熱唱する。 では最後に、森繁さんの歌う「しれとこ旅情」。心が潤います。
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しれとこ旅情のイノセントな裏切り #1
私は、彼の故・森繁久弥さんが抱擁した数多い女性のひとりである。 と色っぽい話にしたいところであるが、実際には「抱擁」に程遠くむしろ私がかじりついたという方が正しいらしい。しかも当時私はまだ2つかそこらで森繁さんが「あんた(私)よりママの方がいいな」と仰った、という信じるも信じないも私次第の都市伝説が我が家にあるも当時の記憶がないので証明は不可能、あくまでも母の妄想に過ぎないと私は今も思っている。遠い遠い夏の、深夜のちいちゃなできごと。 そんなことより、森繁さんの作られた昭和の名曲「しれとこ旅情」の話である。 子どもの頃からこの歌のゆったりとしたメロディと「遥かクナシリ(国後)に白夜はあける」という幻想的な歌詞の意味を母から聞いてからずっと気に入っており、今も私の「時折口ずさむ歌」トップ10に入ると自信を持って言え、6月に入るなり北海道各地にハマナスが咲き始めると、車中で歌うしれとこ旅情の頻度もぐんと高まる。北海道旅行の際にちょっと歌ってみると「ああなるほど」しれとこ旅情は北海道にぴったりだと思っていただけるはずだ。 知床の岬に はまなすの咲く頃 思い出しておくれ 俺たちのことを のんで騒いで丘にのぼれば 遥かクナシリに 白夜はあける 森繁久弥 記念碑に書かれている短い詩だけでも情景や、この歌の中にいる人たちの心情もしみじみと伝わってくる。こういうのを良い詩と言うんじゃないかしら、と森繁さん贔屓でなくても誰もが思うことだろう。 生まれて初めて知床を訪れたのは3年前の春先、4月。6月に咲くハマナスの季節までにはまだ随分と早かったのだが用事ができたのを機に知床へ行くと決まるや否や、脳裏をよぎる「遥かクナシリに白夜はあける」。 行こう、知床へ。見よう、国後島に明ける白夜を。6月じゃないけど。 ちなみにハマナスであるが、バラ科の植物でマジェンタピンクがとても美しく、秋になると紅い実をつける。ローズヒップである。北海道の花としても知られるが、関東や西は島根県でも見られるのだそうだ。また、皇太子妃雅子さまの御印でもあるという。 2005年7月、知床は世界遺産(自然遺産)に登録された。 知床が世界遺産に選ばれた理由として、絶滅危惧種や希少な生きものが生息・繁殖する地であることなどが挙げられている。 斜里町に入ってしばらく海岸線を走っていくと、丘の斜面に100頭ほどの蝦夷シカが挙って草を食べていた。シカはアメリカにいてもよく見かけるが、これほどの数に一度に出会ったのは初めてで、ああこれが世界遺産かと圧倒されたのだった。 北海道では絶滅危惧種として登録されているオジロワシ。この日雄々しく大空を飛ぶ姿を発見したが、実のところあまりの迫力に腰が抜け、上手くシャッターを切ることができなかった。我が家の車の上を飛んで行ったが、暗い影ができるほどに大きかった。 白夜観測を目的に知床入りするも、海の透明度や自由に遊ぶ動物、人の手が加えられていない豊かな自然に心が奪われ、しばし忘れてしまっていた。 ホテルルームから見る夕陽もいつもよりもっと神聖な気がして、大きな窓一面に広がるオホーツクの景色を1時間、太陽が水平線へ沈むまで眺めた。 翌朝は夜明け前に出発、何とか「遥かクナシリに白夜は明ける」を見るのだ。普段は怠けている神さまへの祈りを就寝前に捧げ、いよいよかと思うと気持ちが高ぶったまま、夜は更けていくのだった。 ・・・はたして私の願いは天に届いたのか。 (つづく)
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Moments #6: Shiretoko – Sea Breeze Kind of Welcome
日々の営みに疲れたら行ってみるといい。 ペルシャンブルーの海、常緑樹の知床連山、平和に暮らす命。 人生観を変える旅は、小さな奇跡と限りない歓喜に満ちている。 まばたきせずに見つめていると、ほら、 オホーツクの海風がくれる、これがようこその挨拶。 ・海の向こうに見える青き雪山は、北方領土・国後島。 知床斜里町観光協会ホームページ photos by Katie Campbell / F.G.S.W.