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カウガールは甘くない:Being a Cowgirl is Hard to Do
“Red Neck Woman” by Gretchen Wilson ある夏、ダラスに住む友人カール、モニカ夫妻をいつものように車で各地を旅しながら10日をかけて訪れた。 テキサスは私たちの宿敵であるが(テキサス恐怖症~Texasphobia参照)学生時代からの仲であるこの二人が私は大好きで、テキサスが近付くにつれファイトモードになりつつも楽しみでならなかった。 広大なテキサスらしい大きな屋敷に滞在中、彼等はカウボーイの町、フォートワース・ストックヤーズ (Fort Worth Stockyards) を案内してくれた。 ここは1866年以降家畜のせり市として名を馳せ、1976年国立指定歴史地域となった町。現在せりは行われておらず、昔らしさもどの程度残っているか定かではないが、カウボーイ・カウガールのパレードやロデオなどウェスタンの世界を満喫できる有名な観光名所である。 道行くリトル・カウガールに目が留まる。こういう風情が日本にもあれば国全体の文化的ブランド力が随分と上がるであろうにと思う。 遠目で申し訳ないのだが、生まれて初めて見るカウガールはキラキラと眩しいほどに美しく、まるで馬を操る生けるBarbieという感じだ。 あ、ほんとにそっくり。 私たちが見たのは彼等の息子が楽しめるファミリー向けのショーで、カウガールのマーチやロデオ、子供の牛追いならぬポニー追いなどほがらかなアトラクションばかりでとても楽しかったのであるが、私の目はとにかくカウガールたちに釘付けで、あることが頭に浮かび最後はショーを見るよりぼや~んと考え事をしていた。 ショーの後、カウガール・ミュージアムを見て廻りながらますますその世界に引き込まれた。そして「私はこれに、2,3日なれないか」というオコガマシイにも程がある図々しい欲が頭をもたげ始め、となったら本能先行型であるので早速館内案内をしていた女性に尋ねてみた。 「カウガールになるには、どうしたらいいの?」 彼女は実に誠実に、私の子供染みた疑問に答えてくれた。 カウガールになる最低条件は、 1.カウボーイ・カウガールとテキサスの歴史を学ぶ 2.これを天職と思えるか何度も自分自身に問いかける 3.カウガールらしい身なりをする 4.何度も牧場を訪れる 5.カウガールの仕事を知る(馬に乗り、牛を追う。家畜の世話など) なるほど「学ぶ」に関しては抵抗はないし、カウガールのアウトフィットはかわいいから文句なし。馬術経験者なので馬に乗るのも問題はない。やりたいことがあれば住む場所などどこでも良いし、テキサスなら敵陣に乗り込むようなものだ、行ってやろうじゃないのってくらいである。けれど威勢の良いのはここまでであった。 2、4、5で私は振り落とされることになる。 問題は、牛だ。 カウガールのカウ (cow)、は「牛」である。ゆえに牛の世話は欠かせない。あああ。 「カウガールになるかどうかは懸命に牧場で牛の世話をしてからの話よ、一日中きれいにしていられるとは冗談にも言えない仕事だから」と言い「彼女たちの服装にしても機能性重視であっておしゃれという認識は半分以下ね」と続けた。 彼女の言葉でテンションは8割方落ちた。 さらに「あ、そういえば」ふと思い出したくもないことを思い返してしまった。9歳の時、キャンプの朝牛舎の2階から干し草を落とす手伝いをしていた際干し草に足を滑らせ、穴から牛の背中目がけて落っこちたことを。その際あの牛舌で頭をベロリと舐められ、以来牛が強いトラウマになったことも。 おまけに重労働を強いられるカウガール、血の滴るようなこんな肉だって食べられなければやっていかれない。しかしこのステーキはもう凡人の許容範囲を優に超えている。 恐るべしテキサス。ムリムリ、私には絶対に無理。第一、書く仕事を諦められるのかというと、やっぱり無理だ。 情けない目で夫を見ると「あたりまえじゃん」と言いた気に口元でせせら笑っている。 無念だ、今回もテキサスに完敗である。カウガールの夢は、奇しくも修行どころか憧れの入口でその日のうちに萎え消えた。 帰路、カウガールになろうという女性たちはどういう夢を持ってその道へ赴くのかずっと考えていた。クールな人生の構築か、歴史・文化継承の担い手か、あるいはファミリービジネスか。結局私のような軟弱な女には想像もつかなかったが、ひとつだけ確実に感じ取ったことが大きな収穫となった。 Being a cowgirl is one big commitment. とてつもなく大きな決断だ。カウボーイ、カウガールには日本の武士道に似たハードボイルドなところがあると思うのだ。生半可な気持ちでは続けることどころか入り込むことさえできない。そして楽しむことは大切であるがそれ以前に、常に冷静に、ひたむきに従事するという固い決意がなければ結実しない生き方なのだというものだ。 この日出会ったカウガールたちもきっと、可憐でプレザントなだけでなく、気骨のある内面を持ちハンサムに生きているんだろうな。 とても適わない。大した取り柄もない我が身をちっぽけだ、不器用だと苦々しく見つめ直すも「彼女たちの気骨を身につけよう」という目標を得て、最後には満たされた気分でフォートワースを後にした。 ◆ 余談であるが、その年の10月、モニカから荷物が届いた。中にはカウガールのコスチュームが入っており、カードには「夢を叶えてね」と書かれてあった。 友の小さな夢を実現させようという温かい友情に思わず衣装を抱きしめた。にもかかわらず最後の「それを着てOTB(場外馬券売り場)へ行かれたら20ドルあげるよ~」というところを読むなり真意を測りきれなくなるケイティであった。…
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テキサス恐怖症 ~ Texasphobia
“Why Can’t We Be Friends” by WAR 北米大陸横断決行中、何度となく訪れる「中だるみ」。前回アリゾナで「中だるみNo.8」に襲われた話をしたが、あんなの実は、かわいいものなのである。 ニューヨークからロスアンジェルスまでの旅で最も長くツライ中だるみをお見舞いしてくれるのが、696.241k㎡の広大な面積を誇る私たちの宿敵、テキサス州である。 総面積83.425k㎡の我が北海道と比べると、「でっかいどう・ほっかいどう」なはずの北海道が8個すっぽり入ってしまう大きさということになり、計算してみて驚きを新たにした。 テキサスの旅はヒューストンから始まり、途中ダラス近郊の友人宅で優雅な2泊を過ごさせてもらった後再び走り始めた。 大王テキサス、悪いことばかりではない。その広大な土地を、渋滞や信号に止められることもなくただひたすら走り続けるのは快感であり、地球を手に入れたようで気持ちも大きくなるものだ。 「ここで油田でも探すか」「来年の今頃は石油王だ」 NYに帰れば思い出しもしないこんなことを言ってみちゃったりもする。 そしてテキサスはホームに誇りを持っているなと思う。ファーストフードのデイリー・クイーンに立ち寄ると、どこにでもあるデイリー・クイーンではなく明らかに「テキサスのデイリー・クイーン」を主張している。 ちなみにここでスナックタイムをとるのは2度めだったが、相変わらず客はいなかった。 カントリー・ライカーならちょっとダイニングルームに取り入れてみたくなるデザイン。 エキストラ・ラージのドリンクカップはお土産にもなるかわいらしさ。飲み終わった後レストルームできれいに洗い店から持ち出すも、次の州に入るなり「じゃまだ」と夫に捨てられてしまった。 私たち夫婦にはこうしたケースが多々ある。今も忘れられないのは私が自分で絵付けしたクリスマスのオーナメントボール。「また描けばいいでしょ」を理由にまとめて捨てられてしまったが、これだけは今も少々恨んでおるぞ、夫。 とは言え仲良し夫婦はここまでの旅のおさらいなど話しながらぐんぐん西へと進む。 特筆すべき風景などない為、途中小さな家や牧場のサインなど見ると安心する。何しろ平坦な土地は何マイル先まで見えているのか分からないが、途中ふと宇宙のどこか小さな星にとり残されたような気持ちになるのだ。 家も牧場もあっという間になくなって、青い空と緑の大地をただ駆け抜けていくだけだ。景色に疲れることなどあるはずもないとお思いかもしれないが、何時間走っても同じ場所にいるような錯覚は「つまらない」を飛び越えて恐怖感をもたらすものである。 「ねえ、大丈夫かしら、テキサスから出られるのかしら」 真剣に夫に尋ねると、安心させてくれればよいものを無情にも「実はちょっと不安」。 唯一の救いはこれ。テキサスを通り抜けるうち何度となく目にするパンプジャックは油井の掘削機。広大な農地や野原のみならずこれもまたテキサスを代表する光景。なかなか味がある。 パンプジャックに叫んでしまったりもする。どうせ通る車もないことだし、手なんか振ったりもしてしまう。することも話すこともないものだから、この頃には旅にありがちな大胆行動がおかしな方向へ傾いている。 「ありがとう、私たちの目の前に現れてくれて、ありがとう」 けれどもう、奇行さえも億劫になって、二人じっと前を見据え走るだけ。テキサスを侮っていた。と言うよりテキサスを避けて別の州を通り過ぎてくればよかったと猛省するのだった。 ラジオからWARの “Why Can’t We Be Friends” が流れてくる。まさにテキサスへ訴えかけたい歌である。歌詞の意味などおかまいなしに、会話を失った愚かな夫婦は大声を張り上げこの歌を合唱しながら暮れゆく夕陽に向かって走り続けた。 決してテキサスがフレンドリーでないということでなくこっちが精神崩壊を起こしかけているだけであるが、どこまで行っても同じ景色、どこまで走ってもニューメキシコまであと何マイル、なんて出てこないのだから仕方ない。 山もなく、小さな丘も川もなく、ただずーっと平地が広がっているだけのテキサス。この我慢比べ、とっくに私たちの負けは決まっていた。 テキサスは、直進する迷路だ。 日が暮れてもやっぱり同じ風景。ああもう耐えられない。とうとう私は、長時間愚痴も言わず運転し続けている夫へ決して言ってはいけない言葉を発してしまった。 「飽きた」 更に悪いことに、配慮のない妻はこのひと言を吐き捨てるなり、図々しくも寝落ちたのだった。 どこだったか、日記でも出してこなければ思い出すことができないが、おそらく小さな町のモーテルで1泊でもして翌朝またしばらく走ると、ようやく「ようこそニューメキシコへ」のサイン。テキサス滞在ほぼ4日。この時点で私はもうニューメキシコが大好きになっちゃった。 さすがの夫も「次はテキサス抜きね」。私は夫に握手を求め「ありがとうありがとう」と何度も言った。 さらばテキサス。もう当分おぬしに会うこともなかろうが、中だるみの苦しみと敗北感を忘れた頃、今度は何か強力なマンネリバスターを引っ提げて再度挑む。