Tag: Washington DC
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桜も女もところ変われば
数日前、両親から電話。 「今ね、桜を見てきたのよ」と母が言う。する今度は父が「すっかり春だよ」と続ける。能天気な老夫婦は代わる代わる東京にやってきた美しい季節を語り、それを聞く娘の目線は窓の外の猛吹雪だったりするから日本は小さいなんてとても言えないなと思う。 遠い昔暮らしたワシントンD.C. のポトマック川沿いには日本から贈られたソメイヨシノがこの時季咲く。日米両国の友情の証であることを訪れるたび肌で感じられる、私のように外から母国を学んできた者には心の安らぐ優しい河畔である。 春の訪れを祝う「桜まつり」も開催される。 早春のポトマック川を彩る桜は我が国有数の桜処、奈良県・吉野山の木なのだそうでアメリカでも “Yoshino cherry trees” と紹介するが、これがところ変われば水変われば、であろうか。驚くなかれ、優美で儚いはずの私たちのソメイヨシノが、帽子のみならずバッグまで飛ばされるほどの強風にも花弁一枚手放さないのである。 ち、散らない。梃子でも動かんぞくらいの枝の力強さに目がテンになる。 むしろこのアーチの中を歩くと風さえブロックしてくれるワシントンの桜。リンカーン大統領は日本のソメイヨシノをご存知のはずもなく、河畔を指差しつい教えてあげたくなる。 「こんなんじゃないんですのよ本当に、日本の桜は。もっとこうはらはらと舞って」 次の瞬間、この偉大なる大統領に向かって何の意味もない仁王立ちでこれまた言っても仕方のない主張をする己の姿に体が固まる。見上げるとリンカーン大統領も私になど目もくれず小さな溜息をついている、「なんだコイツ」と。 少女時代の私は、お転婆で怖いもの知らずなところは今と何ら変わりはないが、発しようとする言葉を風に乗せてやり過ごしてしまう性質を持っていた。油彩の先生は「絵画や音楽で表現することを覚えた人間は言葉を失いがちになる」と言葉で主張することを仕事にしていた我が母を宥めたようだが、口から出る考えや思いに対しての意識の低さは確かにあった。実際スピーチよりも文章を書く方をずっと好んでいた。それがどうであろう、やはりところ変わり水が変わり、振り返ればまあ、随分と図太くなったものだと思う。思いついたことを言わずにいるのはどうだろうというのが今の私。アメリカ教育の賜物?と言ってよい。 私だけではない。アメリカ、オーストリア、ドイツで教育を受け現在世界中を飛び回っている幼馴染もまた、日本にいる頃はおっとりとして黙ってフランス人形の髪を梳いている印象であったが、今では主張を戦わせたら私など1分で撃沈である。 小さな花弁を脅かす春の嵐にも動じないワシントンの桜はまさに、海外で活躍する日本女性(私は活躍などしていないのでここは除外するが)の姿そのものである。凛として逞しく、溌剌と生きる美しさだ。己を見失いそうになった時ワシントンの春を思い出すのは、この桜が背中を叩いてくれるからなのだろう。 時には「はらはらと春風に舞う」ソメイヨシノを取り戻したい気持ちになったりもするが、おそらくワシントンの桜で生きていくんだろうな、きっと。 去年から仕事が忙しくなって、今年は桜を見に旅に出ようなどと言っている場合ではなさそうなのが恨めしいところであるが、5月初旬、ここ北海道・旭川にも桜の便りが届くのを心待ちにしている。隅田川の桜よりも桃色の強いエゾヤマザクラと、桜餅の香りがたまらないチシマザクラの蕾が開くのを。 ◆ 昨日、新元号「令和」が発表になりこの歴史的瞬間に老いも若きも心を弾ませた日本であった。新しい時代がやってきて世界がどう歩みを進めていくのか分かる由もないが、何年何十年何百年と時は過ぎ今ここに生きる私たちが皆いなくなっても、何度も歩き愛でてきたポトマック川の桜がいつまでも美しく大きく平和に育ち、同時に日本女性たちが生き生きと活躍できる日本であろうことを、魂を込めて願う。
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月に願いを~Under the Space Window
“Claire de Lune” composed by Claude Debussy, played by Michel Beroff 私は子供の頃、月が天国だと思っていた。誰に教えられたわけでも絵本に書かれていたわけでもない。ただ、そう思っていた。それが就学前に買ってもらった学研の百科事典に月面の写真を見た時の驚愕。夢を壊されたような気持ちを今も忘れない。 これはまったくの余談。 ほんの一時であったが学生時代を過ごしたアメリカの首都ワシントン。学びの多い都市だと訪れるたび思う。私の女子大生時代はまだ治安も悪かったが、今は夜間でなければ安心して歩けるのも嬉しい。 ここは、Washington National Cathedral, ワシントン大聖堂である。 いつ訪れても不思議とこのように青い空の中にありながらこの世のものとは思えない威厳と清らかさをバリアにしている。本当に、いつどう撮っても浮き上がって見え、やはり神様のいる場所であると、プロテスタントの私などは思ってしまうのである。 ワシントン大聖堂は聖公会の教会である。聖公会はカトリックとプロテスタントの中間に位置付けられるとされている。さまざまな宗派の礼拝堂が配置されているところも興味深い。 正面の礼拝堂は一部のアメリカ大統領の就任式や要人の葬儀など、重要な行事を取り行う場所でもある。一面に漂う荘厳な冷気に、罪深い心が洗われていくのを感じる。 思ってもみなかったのであるが、世界に残る最後のゴシック様式建築物としても知られるワシントン大聖堂。そう知ったら余計に石柱やステンドグラスの美しさに心を奪われる。私たちのみならず、周囲の人たちも老若男女みな、無言で辺りを見回していた。 またここは1968年3月31日、マーティン・ルーサー・キング Jr. が翌4月4日にメンフィスで暗殺される前の最後の演説をした場所でもあり、彼のニッチも永遠の平和を得て、穏やかに佇んでいる。彼やマルコムXに関する書物を読むたび、生きる自由と心の安寧が何より幸せであると何度でも思い、この人生に感謝する。 数あるステンドグラスの中で大聖堂の正面を飾る、「ローズ・ウィンドウ」。 1976年に設置された、女王の胸元に光るブローチさながらの華やかなステンドグラスは直径約8m、放射状の模様は創造の持つ威厳と神秘への祝福を表しているのだそうだ。 配色には古代ギリシャのエンペドクレスによる四元素、火を意味する赤、空気のグレー、水はグリーン、そして地球を表すブラウンが主に使われている。 ここで一番好きな窓が 「スペース・ウィンドウ」。アポロ11号で月面着陸を果たした二ール・アームストロング船長はじめバズ・オルドリン並びにマイケル・コリンズの3人が地球に持ち帰った「月の石」である。当時NASAでアポロ11号の任務に当たっていたトーマス・O・ペイン博士によって寄贈された。 この石は彼らが月の「静かの海」から採取したもので、7グラムととても小さい。さらに驚いたことに、この石は36億歳だという。宇宙の何故は知ろうとすればするほど混乱する。 ◆ 私も今では天国が月にないことは分かっている。だいたい人が歩いてしまったのだし。けれど月の石の下に立つと、何故だかどうしても手を合わせたくなる。大好きで大好きで大切にしてもらった、この世で一番の理解者の祖母が天に召された時私はホノルルにおり、別れに立ち会うことができなかったことが今も心残りとなっていて。 だからスペース・ウィンドウに出会ってから、私は必ず祈る。これが最も私に近い月で、こじつけでもそこは祖母のいる天国だと思いたいのだ。優しくてお茶目な祖母のことだ、私が祈れば応えてくれているに違いない。 最後に、このパネルを是非見ていただきたいと思い掲載させていただきました。 「ヘレン・ケラーと彼女の終生の友、アン・サリヴァン・メイシーは、このチャペル裏の地下墓室に埋葬されている」 パネルの上部と下部を見比べて、あなたは何をお感じになられましたか。 Washington National CathedralOfficial Website